予約がたくさん入ってて借りるのに半年くらいかかった『漫才過剰考察』髙比良くるま著。記事1つ(『漫才過剰考察』に『ザ・カセットテープ・ミュージック』を見る)では、なんだかもったいないので、再びだらだらと・・・
本の後半に掲載されていた粗品さんとの対談のところ。霜降り明星がM-1で優勝して、テレビのレギュラーが増えた時期の話。テレビ番組の作り手に対して、粗品さんがとっていた態度についてのなかなか尖ったエピソード
粗品 (略)おもんないと思ったら「おもんない」って言いまくってた。「こういう企画やろうと思ってるんです」って持ってこられるものに対して「なんやねん、これ」「キモいねん」って。日テレの番組で錦鯉さんが老人ホームに行ってネタするVTRがあって、でも老人たちがウケてないねん。そのウケてない様子をバーンとカット割ってテロップで「・・・」チーン、みたいなVで。
くるま 日テレだなぁ(笑)。
既視感・・・。すべっている場面や失敗している場面を切り取って、「チ~ン」みたいな鐘の効果音。いかにもな、ベタな編集。笑いで勝負している芸人がすべっている場面を強調するという失礼さ。そうやって犠牲を払ってまで作ったVTRの仕上がりが大して面白いものでもなかったとしたら・・・、ねえ?
ちょっと言い過ぎとも思える粗品さんの発言も、芸人たちからしたら、「よくぞ、言ってくれた」なのかも。
くるま それでいうと、僕、フジテレビで6年バイトしてて、粗品さんがテレビに出始めて感じた面白くなさにそこで気づいちゃったんだと思います。その時期にテレビの仕組み的なものを学んで「これは出てる人だけが面白いんだ」って理解しました。だからはっきり言って、つくってる人が面白くないというのは僕も思ってますよ。
芸人二人でボロクソに言っています。でも、この発言を読んで、あらためてテレビを見ていると、確かにねー、という感じもします。これって表には出にくいんですよね。だって、つまらない台本を書いても、(お二人の話が正しいなら)演者が面白くしてしまうんですから。なので、面白い番組があったとして、構成作家の手柄なのか、演者の手柄なのかは分かりにくい。そして、つまらない番組があったら、それは誰のせいなのか?
でも、これが分かりやすいケースもあります。めざましテレビを見ておりました。タレントがレポートしていることもありますが、局アナがレポートすることもありますよね。普通にやればいいのですが、やっぱり笑いの要素を入れたいのでしょうか、VTRの冒頭で、叫ばされたり、歌わされたり、変なことをさせられているのをよく見かけます。アナウンサーはたぶん、たぶんですが、台本の通りにやるんですよね、たぶんね。なので、台本通りがどんなものであるかが、ここで分かると。で、見ている方が恥ずかしくなるようなのが多い。やっている方も恥ずかしいかもしれません。でも、見ている方もなかなかですよ。これ朝の番組で、朝食食べたり、出かける準備とかしながら、てきとうに見ているから耐えられますが、じーっと見てたら、けっこう厳しいですよ。
こういう台本を渡されて、そのままじゃ、すべるのが目に見えているから、芸人はうまく、面白くアレンジしてやっているんですかね。
チコちゃんなんかも、大学の先生とかに変なことやらせて、ウケればいいですけど、しょせん素人ですから、変な空気になったりする。でも、大丈夫。スタジオの岡村さんコメントとかで、さっと笑いに変えてくれるから。
ケンミンSHOWなんかも、出たがりの素人を使って番組を成立させようとしてますが、演出のパターンもベタだし、前述の「チ~ン」的なものが盛りだくさんですね。真面目に見ちゃダメなんですよ。片手間に見てちょうどいいくらいで、真剣にみると疲れちゃいます。
でも、それでいいんじゃないかと思います。というか、そういうバラエティ番組を見ている層のほとんどって、そんなに鋭い笑いなんか求めてなくて、どこかで見たような予定調和の笑いで十分で、なんだか楽しくワイワイやっていますよ感が出てれば満足なんですよね。
つまり、地上波のゴールデンの番組に粗品は不要です!(私は今、粗品さんを絶賛しているということが、賢明な読者には伝わっていると思います)
なんかの小説で、登場人物が構成作家で、会話している相手に「業界の人ですか、すごいですねー」みたいなこと言われるんだけど、「台本書いたところで、そんなの誰も見やしない」と、構成作家の悲哀みたいなものを語っていました。まあ、フィクションですけど。
ところで、M-1グランプリの笑神籤って必要ですか? 直前に順番が決まる仕組みがほしいとしても、アスリートをゲストに呼んで、時間取って、引かせるのはいらないと思いますけどね。ああいうのは誰が決めているんでしょうか、プロデューサーでしょうか、ディレクターでしょうか、構成作家なんでしょうか。

