『とっておき名短篇』(北村薫、宮部みゆき 編)という文庫本を妻が図書館から借りてきた。タイトルからいって、短編小説のアンソロジーなのだろうと思った。が、最初に取り上げられている作品『愛の暴走族』の著者は穂村弘。「今まででいちばんこわかったこと」についての知人との会話がメインで、家で飼っている「金魚のエサが増えてた」話、「部屋のなかにシャボン玉が浮いてた」話についての会話などが出てくる。家族と同居しているならあり得る話かもしれないが、もちろんそうではない状況。
この流れで、次のことが語られる。
別れた恋人の家に、彼女から貰ったラブレターをそれらが入った引き出しごと返しにきた男の話を聞いたことがある。
妻とこの本について会話したとき、妻はこの『愛の暴走族』を小説だと思っていた。その発想はなかったわー。穂村さんは短歌を詠む歌人で、エッセイなども書く人、というのが私の認識。そして、私はこのときたまたま『世界音痴』(穂村弘 著)というエッセイ集を図書館で借りていて、そこにこのエピソードの詳細版が載っている。
電話で別れを告げた相手が夜中に突然やってきたという話を、知り合いの女の子から聞いた。玄関のチャイムが鳴ったので、出てみると、目を真っ赤に充血させた元恋人が抽出(ひきだし)を持って立っていたのだと云う。「これ」と云って渡された抽出のなかには、彼女がいままでに出した手紙がぎっしり入っていた。
なので、『とっておき名短篇』に収められているとはいえ、『愛の暴走族』はエッセイであり、実話に基づいているはずである。と私は信じている。
が、本当にそうだろうか? そう言い切れるだろうか。エッセイにフィクションを混ぜてもいいのではないか。いや、よく見ると『世界音痴』には、これはエッセイ集であるだとか、実話であるだとかは書いていない。「すべらない話」とは違うのである(いや、あれも・・・)。
たしかに、『世界音痴』の後半に収録されている作品には、明らかに実話ではないエピソードや妄想の会話のようのようなものもたくさん出てくる。
これは小説である、エッセイである、詩である、ノンフィクションである、みたいな前提をおいた上で、作品を読むという姿勢は、そもそも本質とはズレた行為なのだろうか。なんだかよく分からなくなってきた。(完)
・・・ ちなみに、上記は小説である。なぜなら、私は未婚で妻などいないし、そもそも小学生だ。
・・・というのはウソです。