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勝手に読書感想文。漫画も映画も含みます

タグ: 仁科斂

  • 2026年上半期の芥川賞を予想・・・はせずに、賞を新設する

    ノミネート5作を全部読み終えたので(『ソリティアおじさんがいた頃』『アンチ・グッドモーニング』『丹心まごころ』『ゾンビ回収婦』『悪い血』)、さっそく選考に入ろうと思います。とはいえ、築地の料亭の招待状が、私には来ていませんので、勝手に予想する、ということになりましょうか。

    競馬だと、上位いくつかの順位に対して、どのような条件で当てるかで、単勝、連勝複式、連勝単式とかありますよね。私はギャンブルはやらないので知らなかったのですが、最近は「連勝複式」とか「連勝単式」て呼び方ではないんですね。それぞれ「馬連うまれん」「馬単うまたん」というみたいです。ちなみに、落語「らくだ」に出てくるのは「馬さん」です。

    芥川賞では順位が出るわけではないので、5作がノミネートされているなら、以下が場合の数(お、懐かしい)になりますね。

    1作受賞:5通り {1}{2}{3}{4}{5}
    2作受賞:10通り {1,2}{1,3}{1,4}{1,5}{2,3}{2,4}{2,5}{3,4}{3,5}{4,5}
    該当なし:1通り

    それぞれどれくらいのオッズになるのでしょうか。絶対やっている人いそうですね。違法ですよ。

    ちなみに、私はノミネート作を全部読んだのは初めてです。また、この作品は受賞したけど、この作品は受賞を逃した、みたいに比較する観点で読んだこともありません。つまり、どういう作品が選ばれる傾向にあるかについて、なんら情報がありません。

    こういう状況で予想することを何て言ったっけ。そうだ「当てずっぽう」だ。ずっぽうって何だ。

    まあ、当たる気もしないし、外したときに、「ちゃんと読んだのか」とか、「お前の目は節穴か」とか、「たまには買って読め」とか、厳しいご意見が来そうなので、予想するのはやめておきます。

    かわりに新しい賞を新設することにしました。「もうすぐ芥川で賞」です。ノミネート作品は芥川賞のノミネート作品に準じます。発表時期は芥川賞のノミネート作が発表されてから、受賞作が発表される前までの間です。

    もし本物のほうの受賞を逃した場合は「もうすぐだったね」という意味合いになり、もし本物のほうを受賞してしまったら、つじつまがあわなくなるので、「もうすぐ芥川賞発表の時期だね」という意味に解釈することにします。(ことにします、ってなんだよ)

    賞金や商品はありません。勝手にトロフィーとか送ったら不審物扱いされてしまいます。でも、何かあげたいです。作家がうれしいもの。それは何でしょうか? きっと、たくさんの人に読んでもらうことだと思います。なので、「受賞作の作家さんの作品を死ぬまで読む」にしました。そう、私が死ぬのが先か、お前が死ぬ(断筆する)のが先か、という勝負です。

    審査は、今朝がたから閉鎖された密室(私の頭の中)で行われており、先ほど天使と悪魔の勝負がつきました。

    では、第一回「もうすぐ芥川で賞」の発表です!

    その前にCM。

    (ここにアドセンスの広告でも入れたいところだが、一向に申請が通らない)

    「歩きスマホは犯罪です ♪エ~シ~」

    お待たせしました、発表です。

    どん、小砂川チトさん『ゾンビ回収婦』です。

    ご本人は、「それどころじゃない」ということで、ご欠席なので、あとは審査員の独り言をご覧ください。真面目に読まないように。


    ゾンビ回収婦

    ゾンビのサプライズのところで泣きそうになったので、これに決定。ゾンビって突然出てきて人をサプライズさせたりしますが、そうではないサプライズのほうです。話の流れからいって、それが現実でないことはわかりつつ読んでも、やっぱり感動的な妄想でした。それほどまでに、誰かに感謝、評価されたいという主人公の願いですね。

    ゲームや仮想世界へ依存している状況が描かれていますが、主題はそこではなくて、現実世界であっても、仮想世界であっても、どの世界にいようとも逃れられない、人間の渇望なんだなあと思いました。

    シャツに書かれた「(A)LASKA」を、ニックネームに使うあたりも加点ポイントです。澤部さんを思い出して、じわじわ来ました。


    アンチ・グッドモーニング

    不眠というごく個人的な体調不良をテーマにしつつも、ブラック企業がウェルビーイングを売りにしているという皮肉な設定での風刺も効いています。これ、一見いい人に見えて、実は人の気持ちを全然理解できていない夫との重ね合わせになっているんですかね。ヒヨコなんか持って帰ってくんなよ。この夫のビミョーに嫌な(うかうかしていると、いい夫に見えてしまう)描き方が好きです。


    ソリティアおじさんがいた頃

    定年後はすっかり思い出すこともなくなっていたソリティアおじさんこと黒野田さんのことを、その死をきっかけに深く考えるようになり、いろいろなことも思い出し、主人公の行動にも影響を与えるという展開が好きでした。派手な出来事や、どぎつい描写はないのに、胸を突かれるような感覚がありました。人生何が起きるかわからないし、なんでこうなっているかわからないし、他者が何を考えているかもよくわからないけど、それでもまあ、やっていくしかないじゃないという感覚は、意外と心地よい読後感でした。


    悪い血

    ずばりの「呼称」が出てきて、びっくりしました。でも、あれはああ表現するしかないですよね。登場人物の発言なので。これを言い換えたりすると、その人はそんな言葉は使いそうにない、という違和感につながります。カムイ伝で、失明したカムイをかばう村人が使った言葉が差別用語だということで、「相手は目が不自由でねえか」と言い換えられていた事例を思い出しました。江戸時代の人はそんな言葉は使わない。言い換えがいかに作品をダメにするかを考えると、やはりああするのが良かったのでしょう。

    幸福を追い求めるのではなく、かといって、意図的に悪いようにしたいわけでもなく、何も選ばないという生き方を選択するという気持ちにはなんだか共感できます。選んだけれども叶わないくらいなら、選んだことを批判されるくらいなら、みたいな。私もよく、内容を確認せずに、日替わり定食を選択します。


    丹心まごころ

    比喩が多いわりに、客観的な描写が少なく、誰の行動なのか、誰の発言なのか読み取れないところがありました。何度読み返しても、判然としない(どうとも取れる)ような箇所が複数あり、著者の意図がこちらに伝わりきれていないのはないかというストレスを感じました。ただ、映像化するなら本作です。中国政府の全面的な協力が得られれば、壮大で見せ場の多い映画になりそうです。ただ、共産党が爛尾楼làn wěi lóuという中国の恥部を認めるわけもなく、そんなものは存在しないと习习xí xíは言うかもしれません。


    では、また半年後に会いましょう。

  • 『丹心/まごころ』を読み解くための中国語

    2026年上半期の芥川賞ノミネート作品の中で、仁科斂さんの『丹心』はハードルが高いものとなっております。まず、タイトルが読めません。掲載されていた新潮の2026年4月には『丹心まごころ』のように振り仮名が振ってあります。「丹心」という言葉は国語辞典には載ってはいますが、読み方は「たんしん」であって、「まごころ」という読み方はありませんでした。いわゆる当て読みということでしょう。

    つまり、九城伸明が『ピエロンリー』で、「地球ほし」と読ませたり、「山手通りいつもの帰り道」と読ませたりしていたのと同じですね。

    国語辞典によると、「丹心」の意味は「まごころ」で、福沢諭吉の『学問のすすめ』での、「唯和して真率なる丹心あるのみ」という用例が載っていたので、日本語としても使われていたのでしょうが、現代の日本で目にすることは少ないように思います。小説のバックグラウンドを考えると、ここでは中国語としての「丹心」をイメージするのがいいのかもしれません。

    作中で、Q先生(冒頭に登場するQさんという女性の父親)が、

    歴史也没有、一点的丹心也没有(歴史もない、一点の丹心まごころもない)

    と嘆くシーンがあります。発音はピンイン(中国語の発音記号みたいなもの)だと dānxīn です。ちなみに、私は中国語のまともな教育を受けたわけではなく、Eテレを見たり、デュオリンゴでかじったりした程度なので、ご了承ください。リンゴだけに

    あと、単行本では『丹心/まごころ』というタイトルになっていました。九城っぽい、と言われるのを嫌ったのかもしれません。でもスラッシュだと、なんだか『丹心』と『まごころ』の二作品が入っているように見えなくもありません。タイトルは難しいです。

    次に「仁科斂」が読めません。中国の話なので、仁 科斂(じん かれん)という中国人かも、などと深読みしてしまいそうですが、「にしな れん」でした。以前、YouTubeで平井堅さんのMVに、同志有志が中国語字幕をつけている、おそらく違法アップロードと思われる動画があったのですが、字幕での名前が「平 井堅」となっていました。そこで切ってはいけません。「ドンキ・ホーテ」ではなく「ドン・キホーテ」なのです。

    なかなか本題に入らないのは、読んでもよく分からなかったからです。なので、些末なところにクローズアップしていこうと思います。

    この小説における重要ワードは「爛尾楼」です。解説付きで登場します。

    広大な中国の全土に、数限りなく建っているこうした建物はインターネット上で爛尾楼ランウェイロゥと呼ばれた。工事の尻尾が爛った楼、という意味だ。

    爛尾楼は重要ワードで何度も出てくるので意味が分からなくなることはないのですが、読み方を忘れてしまいます。日本語的に「らんびろう」と呼んでもいい気もしますが、ここは中国気分(?)を盛り上げるために、中国語の発音で読みたいところ。ピンインは làn wěi lóu です。

    中国の不動産業界の破綻はニュースでちょっと聞いた程度で、あまり知りませんでした。こちらの記事あたりで(いつ完成するかわからない「爛尾楼」 | 現代ビジネス | 講談社)、イメージをつかんでおくと、楽しめるかもしれません。

    あと、これも何度も出てきます、「房子」。「ふさこ」ではありません。振り仮名は「ファンズ」となっていました。ピンインは fáng zi です。 家とか部屋とかを表す単語なのですが、本文に解説があります。

    房子とは、およそ日本語の住居にあたる語だ。大きさではなくじっさいに住んでいるかどうかが基準なので、物置から、上は紫禁城まで、房子と呼ぶことができる。

    こんな感じで、中国語が登場する際には、小説中で解説をしてくれているものも多いのですが、なんでしょう、最後まで記憶が続かないんですよね、短編なのに。房子はDuolingoでも頻出で、知っていたので、これについては特に問題ありませんでした。

    次に出てくるのは「青帮」。作中は「帮」でしたが、ウィキペディアには「青」という漢字で表記されていました。

    駐車場ビルに向かいながら、ミスQは、立退き要員として香港から青帮チンパンのメンバーを三人呼んできている、とさも自信ありげに言う。

    ピンインは qīng bāng です。ピンインのqiは「クィ」ではなく、息を強く吐き出す「チィ」みたいな感じです。清朝から存在する犯罪組織らしいです。立ち退きに応じない住民を脅すためにチンピラみたいなのを三人雇ってきたみたいですが、この三人は ど素人で全然怖くありません。指示をだすレン君(鹿野川教授の助手みたいな(たぶん)シンガポール人)のほうが、よっぽどヤクザみたいなときがあります。

    鹿野川で思い出した。物語は鹿野川教授とレン君の視点が交互に切り替わりながら進むのですが、頭の中でずっと「かのがわ」と呼んでました。が、実は小説の書き出しは、

    そのメールを受けとったとき都内某総合大学建築学科教授、鹿野川ししのかわわたるがいだたい印象は、Ningbo、それってどこだ、というものだった。

    というものだった。愛媛にあるのが鹿野川かのがわだからなあ、てっきり。鹿威ししおどしの鹿ししなんですね。難しい。

    さて、次の中国語は、

    改めてミスQは「こいつらに住人の立退きをやらせます。それならば、われわれは没有メィヨゥ関係グヮンシィでいられるので」と、三人にも分かるよう、中国語にきりかえて、告げた。

    「だいじょうぶ」「気にしないで」って意味で、「没関係」と言うのは初歩の中国語で必ず習うフレーズですが、ここでは文字通り「関係がない」という言い回しなのでしょう。ピンインは méi yǒu guān xì 。

    まだまだ、さりげなく出てきます、中国語。

    Q先生は「アイ、あなたは臭くないの⁉」と、すっとんきょうな裏声を出した。

    哎さんに呼びかけた、なんて思いませんでした? そんなヤツぁいないよ、と言われそうですが、100人に1人くらいはいるんじゃないかと思います。哎呀アイヤー!のアイで、驚きを表す言葉なんですね。ピンインは āi yā 。

    なんの説明もなしに、台詞に散りばめてきます。

    Q先生は舌打ちにまぎれて「臭死チョウスー」と何度も言い、「あれは誰なんですか?」と訊いてきた。

    ピンインは chòu sǐ です。「臭死」とは「死ぬほど臭い」という意味です。「くさっ!」ですね。他にも、「熱死」(あつっ)、「煩死」(うざっ)など、中国人はよく死にます。

    こんなのもあります。

    ここは福建省のど田舎じゃない、南京と上海と杭州のちょうど真ん中の城市なんだ」

    字面から、城下町とか城塞都市を想像しそうになってしまいますが、中国語で「城市」といえば「都市」くらいの意味です。ピンインは chéng shì 。「城市」「城」などというフレーズがちょいちょい出てきますが、単に「都市」「街」くらいの意味で、お城はたぶんないはずです。

    厠所ツェスォに行ってくる」と言って店の外でスマホを確認し、(略)

    これは字で分かりますね。かわや、トイレですね。ピンインは cè suǒ 。

    収穫後らしい農地がしばらく続き、ちょっとした街道沿いに、商店や家や、いくつかの〈公司〉が並ぶ。

    中国からの輸入品に書いてあったりするので、「会社」であることは知っている人は多いと思うのですが、もはやこのへんは常識扱いなのでしょうか。このレベルの語を知らないと、この小説を読むのは厳しいです。発音は「ゴンス」「コンス」に近くて、ピンインは gōng sī です。

    「ところであの祠の神は誰なの」(略)

    「知らない。でもジァのですよ。全部人を騙すやつだ」

    「仮」の漢字は日本語だと「かりの」の意味ですが、対応する中国語の漢字は「ジァ」で意味は「うそである」「本物でない」という意味になります。ピンインは jiǎ です。

    他にも、「丈夫有責」という看板が出てきて、鹿野川教授がミスQに意味をたずねるのですが、「後で説明しますから」と言われる(そして、それっきりになる)、というシーンがあります。

    「丈夫」は「夫」のことなので、「夫に責任がある」という意味になります。何の責任かというと、一人っ子政策の計画出産に関して、ということじゃないかと思います、たぶん。

    著者の仁科斂さんの経歴をWikipediaで見ると、「東京都生まれ、香港、上海、ロンドン育ち」だそうです。そのせいで、やぶからスティックに中国語が混ざってしまうのかもしれません。


    2026年7月14日追記
    続報です。
    2026年上半期の芥川賞を予想・・・はせずに、賞を新設する