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勝手に読書感想文。漫画も映画も含みます

タグ: 小砂川チト

  • 犬×AIロボット犬×ミステリー?『犬たちの頭痛』

    『すばる』2026年7月号に載っていた、小砂川チトさんの『犬たちの頭痛』を読みました。現時点(2026年8月)では、小砂川さんの最新作だと思います。

    「SNSが好きで嫌いで」と題された特集に、村田沙耶香さんの『喪失』、鈴木結生ゆういさんの『新しい本棚を共有する。』、奥田亜希子さんの『イデオロウィンの更新』、そして、小砂川チトさんの『犬たちの頭痛』の4本の小説が掲載されていました。

    文芸誌は初心者なので、あまりよくわかっていないのですが、こういうのって作家さんに「お題」を出して書いてもらうんですよね。いずれ単行本になったりするのでしょうか。作家さんごとの単行本ならいくつか集めて1冊分くらいたまったら短編集になるとかなんですかね。この4作でお題ありきのアンソロジーみたいな形でもよさそうです。いずれにせよ、文芸誌のコスパは高いです。

    で、『犬たちの頭痛』ですが、小砂川さん得意のモチーフで、例によってちょっと変わったものとのインタラクションが描かれています。今回は、犬とAI犬(?)です。あと、今回は、え? ミステリー? みたいな展開も。

    あ、そうだ、すでに読んだ人と「これ、どういうこと?」と共有いたしたく、つまり読んだ人向けにいろいろ書きたくて、ネタバレしまくりますので、まだ読んでいない人は・・・

    2026年7月号 | バックナンバー | 集英社の月刊文芸誌「すばる」

    でね、マクが意図的に何かをしようとした、というのはありえないと思ったんですが、故意ではないにせよ、道案内を間違ったのか、ってあたりが明確になるのかなあ、なんて思って読んでいたら、けっこう急に終わっちゃったでしょ、何かをほのめかす感じで。

    太字になっていた、夫婦の言動とか、オチャッピイ(ネーミング!)の受信内容とかがヒントになっていると思うんですが、答え合わせまではしてくれていないので、ちょっともやもやっとしてまして。

    最後に消防署員が来て、あれ?何しに?と思ったら、指に土。そしてオチャッピイにも土。ということは犯人?

    夫が「お前らふたり」って言ってたから、奥さんと誰かの仲を疑っていて、果たして、本当にそうで、その「お前らふたり」が共謀して夫をドンッと。

    あらためて、時系列で整理すると、奥さんが消防署員と共謀して夫を山におびき出す。どこかいい感じのところ(消防署員は詳しいかもね)で突き落とす、でもそこじゃないところで事故があったと奥さんは証言して、捜索の目を逸らさせる。その作り話の被害者がマク。SNSでも有名だって書いてあったし。消防署員はオチャッピイを送り込んで、マク経由で情報を集める。死体は見つかりにくいところにあるものの、そのままにしておくと、いつ見つかるか分からないので、頃合いを見計らって、署員とオチャッピイでどこかに埋める、もしくは運び出す。そもそも、オチャッピイは消防署員が持ってきたものだから、グル(っていうかロボット犬だけど)という可能性は高い。

    なぜ、最後に山小屋を訪ねて来たのか? おじいさんを狙う理由もなさそうだし。もしや、マクがいろいろと知ってしまったから、マクの命を狙っているとか。そういえば、トイレを借りたいとか言っていたな。トイレで死体を処分するとか。まさか、本当にう❍こ?

    正直よく分かりません。読んだ人で、違う解釈をした人は教えてください。

    ミステリーっぽいところばかり書いちゃいましたが、浸食してくるテクノロジーみたいな要素もありましたね。AIロボット犬のせいで、マクやおじいさん(高野)はお役御免になりそうだし。SNSは悪意だけでなく善意もまき散らしてきて、およそ縁のなかった老人まで翻弄してしまうし。メディアが他者に語らせるようになるというのは面白い着想ですよね。何を言ったかではなく、誰が言ったかを気にするのが、人間ですから。

    (この記事はAIによって生成されました)

    ・・・うそよ。


    同じ特集として載っていた、村田沙耶香さんの作品も読みました。

    インターネットのない世界でのヲチ『喪失』(村田沙耶香 著)

  • 『猿の戴冠式』と人形とゾンビ

    アイキャッチ画像はボノボ(Greg Hume – 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=15057912による

    以前、自分に課しましたルール(過去記事:2026年上半期の芥川賞を予想・・・はせずに、賞を新設する)にしたがって、小砂川チトさんの作品を片っ端から読んでいます。「片っ端」と言っても小砂川さんはこの前まで新人だった若手なので、問題なく遂行できそうです。これが北方謙三さんだったりすると、大量のストックを読んでいる間に、どんどん在庫が追加されていく感じがして、読み終わる気がしません。こっちが読むスピードより、あっちが書くスピードが速いという、無間地獄になってしまうかもしれません。

    今回は『猿の戴冠式』を読みました。単行本の表紙は『家庭用安心坑夫』と同じ、榎本マリコさんです。顔のないあの絵です。本の表紙の絵に顔がないというのは、なかなか良いのではないかと思います。というのも、良くも悪くも『成瀬』の顔は表紙のあの顔を想像してしまって、それはそれでいいんですが、なんかちょっと想像の可能性が限定されてしまうというか、もうあれで固定されてしまうというか。

    時系列に並べると、『家庭用安心坑夫』、『猿の戴冠式』、『ゾンビ回収婦』という順です。一作目が芥川賞ノミネート、二作目もノミネート、三作目に受賞って、ホップ・ステップ・ジャンプみたいですごいですね。一作目でいきなり受賞という方もいますが、受賞するとその後はノミネートされなくなるので、それはそれでインパクトは弱め。あえて、泳がせ、泳がせ、のあとの必殺技みたいな感じは伝説チックです。

    三作読んでみますと、共通点というか、主題というか、重点施策というか、そんなものが見えてきました。

    まず、主人公がテンパっています。主人公が順風満帆では文学になりにくいので(それはそれでエンタメにはなるけど)、大抵の小説の主人公は課題や葛藤を抱えているものですが、小砂川さんの小説の主人公には痛々しいくらいの焦燥感があります。

    この主人公の感覚がいまいちわからないという読者もいるかもしれません。自信満々に何かを提案してくる人とか。自己肯定感のかたまりみたいな人とか。でも、どちらかというと、そうでない人、なんらかの部分でこれらの主人公と共通点がある人の方が多数派なのではという気もします。「そんなこと、電話かけて、直接聞いちゃえばいいやん」っていう感覚は、おじさんになってからやっと身につけられました。一線を越えてしまえばこんなに楽なことはないのですが、意外にこれが苦手という人は多い気がします。人それぞれ、意外なものが怖かったりするものです。まんじゅうとか。

    このような主人公の焦燥感は、『家庭用安心坑夫』ではこうでなければいけない、こうしなければいけないという強迫観念、『ゾンビ回収婦』では仕事を評価してほしいという承認欲求でした。『猿の戴冠式』では、「抑えがたい失敗欲」というものが登場します。

    失敗するかもという恐れが、こういう失敗の仕方があるという妄想に変わり、そうやって何もかもがダメになってしまうことが起きるはずだという確信に変わり、むしろそのほうが楽なのでは、というところまでこじれていく。この感覚、分かる人には分かると思います。そんな非合理が自分の中にあることに気づかされる感覚が快感です。

    そして、三作品の共通点と言えば、人間ではない存在との心の交流でしょうか。それを主人公は渇望するんですが、そんなに簡単にいかないというか、そもそも無理というか、その対象が人形(『家庭用安心坑夫』)だったり、ゾンビ(というかAIかも)だったり。

    『猿の戴冠式』での相手は猿なので、今回は可能性が高そうです。ただ、「うまくいった」ということと、「うまくいったと思い込む」ことには、それほど差がないのかもしれません。

    さて、収拾がつこうがつくまいが、そろそろお開きの時間です。実は隠された法則性を見つけてしまいました。

    小砂川さんの最新作は、『すばる』2026年7月号に掲載されている『犬たちの頭痛』です。

    『家庭用安心坑』→『の戴冠式』→『ゾンビ回収』→『たちの頭痛』

    脳トレでしょうか。次はキジが出てきて、最後に桃太郎が出てくるかもしれません。夫婦といえば、円満、茶碗、漫才、別姓・・・。夫婦仲、犬猿の仲・・・。

  • 『ゾンビ回収婦』の落穂拾い

    3度目のノミネートで晴れて受賞されました。予想が当たって嬉しいです。いや、予想したのではなく別の賞を勝手に作ったのでした。(過去記事:2026年上半期の芥川賞を予想・・・はせずに、賞を新設する

    ということで、『群像』2026年5月号を書庫へ戻す(=図書館へ返す)前に、掲載されていた『ゾンビ回収婦』をもう一度読んでみました。最近、映画『メメント』の主人公なみの記憶力になってきており、以前何を書いたのかがあやふやだったので、一度目に書いた感想文を読み返しました(過去記事:VRゲーム、AI、働くこと『ゾンビ回収婦』)。なるほど、そんなことも書いていたな、なつかしい。

    二度目に読んでみると、まだまだ気になったことがありましたので、「『ゾンビ回収婦』の落穂拾い」と題しまして、前回書き忘れていたことを、うだうだと書いていこうと思います。ちなみに、落穂を拾うという行為と、ゾンビを回収するという行為が、かけてあるという点に気づいていただけたでしょうか。後付けなんですけど。

    電車などで読んでいると、知らない言葉が出てきても簡単に調べることができません。スマホで調べたら? ってか。右手にGUNZO、左手に吊革、そして、心に花束(@阿久悠)という状態なので、スマホの余地はありません。ちなみに「GUNZO」という表記を見ると、タンバリンのGONZOが頭に浮かんでしまいます。しかも、それはかなり激しく踊っている映像なのです。すみません、誰もが思っているような、当たり前のことを書いてしまいました。

    一回目に読んだときに、よくわからずにスルーしていたのが「ザ・グランド・口唇期ホテル」というネーミングです。なぜそのような名前にしたかという点だけでなく、そもそも「口唇期」という言葉を知りませんでした。なので、一般的な言葉なのか造語なのかもわからず。

    今は手に何も持っていないので(心に花束はあります)、調べてみます。Wikipediaによると、フロイトが使っていた、生まれてから最初の発達段階をあらわす用語だそうです。

    口は最初に経験する快楽の源で、生存のためにある。赤ん坊は本能的に吸う。口から満足を得ることで、赤ん坊には信頼と楽観的パーソナリティが発達する。時期については諸説あるがおおむね出生時から2歳までとされる。

    なるほど、主人公の満たされない感覚が成長期に起因していることとかかっているようです。ゾンビを駆逐して楽しむ場所(そして果てたゾンビを回収する仕事でやりがいをえる場所)に、「口唇期」という名前をつけるとは、すごいセンスです。そっか、テディベアの「吸てつ」行動とも関連してくるのですね。

    あと、これ。

    【きのこと 名乗ったからには かごに入れ】

    私は最初、頭の中で「かごにはいれ」ではなく、「かごにれ」と呼んでしまい、そうすると後半が七五調になるので、だったら最初のところも「椎茸と」とか「松茸と」と変えると俳句になるな、なんて思ってしまいました。でも、きっとこれは「いれ」ではなく「はいれ」なんだろうなと。これをあえて「いれ」と読ませるためには、こうしたらどうだろうか。

    きのこだと 名乗ったお前を かごに入れ

    最後に「一茶」とかなんとかつけておけば、見た人が深読みしてくれるかもしれません。秋のキノコ狩りの風景です、とかなんとか。

    なんて考えながら、調べてみると、ロシアのことわざでした。「おそ(略)」。

    っていうか、タトゥーは最初謎のメッセージじみた感じで登場しますが、実はロシアとかの諸外国の諺だったりして、なんでそんなものが刻まれているのか、というのはよく読めば分かるのですが、一回目に読んだときは、私の中でしっかりつながってませんでした。電車の中で読んだため、1分に1回繰り出される、おっさんの咳払いや、正確に130BPMを刻む、隣に座っている人の貧乏ゆすりに気をとられていたのかもしれません。

    そして、前半のVRゾンビ部分のほうが強く印象に残っていたのですが、実は終盤の病院らしきところの展開もけっこう厚いことに、今さらながら気づきました。VRと現実がごっちゃになってしまった人、という点は、まあそうなんですが、ちりばめられた要素が話を面白くしています。

    食堂で他の患者がVRゴーグルをつけている場面。なんじゃそれ、くらいに思っていたけど、他の患者がそうなら、主人公も? となる。主人公はゴーグルを外したうえで治療を受けているのか、それともゴーグルをまだつけた状態なのか? ゴーグルをつけたまま、VRの世界で治療を受けているという可能性も。

    現実の世界を見ているのにVRだと勘違いしているのではなく、本当にまだVRの中なのかもしれないというほのめかし。看護師は人間なのかNPCなのか。そこが曖昧なままだから、陽気に話す老医師に主人公が抱く感覚も普通じゃない。

    だってほんとうに十日間一睡もしなかったんだとすればですよ、あなた死んじゃってたっておかしくないんですからねえ。アッハ! 医師はさきほどからわたしに頸部を狙われているとも知らず、やけにたのしげにしている。

    こらこら、医者の頸部を狙うんじゃない。でも、医者を駆逐するVRゲームかもしれないしね。

    まだまだ語りたい細かい仕掛けはあるんですが、長くなったので、そろそろゴーグルを外します。

  • 小砂川チト著『家庭用安心坑夫』

    先日、第一回 私が選ぶ「もうすぐ芥川で賞」を小砂川チトさんが受賞されましたので、私は小砂川さんの作品を全部読むことになりました。(いきさつ:2026年上半期の芥川賞を予想・・・はせずに、賞を新設する

    まず手始めに『家庭用安心坑夫』を読みました。出社(電車通勤)、昼休み(弁当を食べながら)、帰宅(電車通勤)で読めるくらいの、私が大好きな長さです。

    帯に「第65回 群像新人文学賞受賞」と書かれています。デビュー作なのですね。そして、「第167回 芥川賞候補作」とも書かれています。ということは逃したのですね。芥川賞は勝手にノミネートされて、勝手に落とされるので、なんだか告白していない人に振られた、みたいな感じにならないですかね。でも、あこがれのマドンナみたいな存在だから文句を言う人はいないんでしょうか。誰か、辞退したら面白いですね。「え? そういうんじゃないから」みたいな。

    そういえばレコード大賞は、「○○賞」を何作品かが受賞して、その中で「最優秀○○賞」を選ぶから、ノミネートされただけという結果はないですね。

    いいかげん内容に入ります。主人公の藤田小波さなみの父親は尾去沢おさりざわツトムという名前の炭坑夫(今は炭鉱夫という表記の方が一般的?)です。

    と、書いてこれが真実と言っていいかどうか、ちょっと迷うところです。実在する尾去沢鉱山を知っている人は、坑夫の名前が「尾去沢ツトム」という時点で、これは「坂井ほや丸」や「喫茶去きっさここひえもん」の類ではなかろうかと気づくかもしれません。誰が知っとんねんというツッコミに対しては、坂井市民とブルックス社員が知ってますぅー、と返しておきましょう。

    小砂川さんの『ゾンビ回収婦』では仮想空間が主な舞台でしたが、『家庭用安心坑夫』は現実世界を舞台にしつつも、何が現実なのか的カオス感は負けません。(今気づきましたが、「夫婦」になってますね)

    だいたい、小波の父親がツトムであるという設定が、ずっとよく分かりません。「生きている」ツトムも出てきますが、彼との関係もよく分かりません。ただ、アノニマスな殉職者のイメージがツトムに込められていると思うと、ちょっとグッときます。

    ツトムが何者かについては序盤に説明があって、

    秋田の実家近くには、〈マインランド尾去沢〉という廃鉱山を転用したテーマパークがあって、ツトムはその坑道の中腹に立っている、坑夫を模したマネキン人形のうちの一体だった。

    「マインランド尾去沢」は、今は「史跡 尾去沢鉱山」と改名して、8名以上の団体のみ受け付ける完全予約制になっているそうです。ツトムが誘拐されないための対策かもしれません。

    私はマインランド尾去沢に行ったことはなく、坑夫のマネキンを見たこともないのですが、けっこうイメージできます。史跡系にはよくあるので、類似したものを見たことある人は多いのではないでしょうか。縄文時代の展示とか(笑い飯の奈良県の歴史博物館のネタを思い出す)、お城にいる武将の人形とか、工場で働く人の人形とか。何年も前からそこにいて、そして何年後にもそこにいるであろう存在に思いを馳せる感覚。

    あの人形の質感。リアルなようで、よく見るとそうでもない造形。雑に扱われる宿命。博物館以外でも、田舎道でたまに見かける警察官の人形も味があったりしますよね。『ブラックジャック』の『人形と警官』の回を思い出します。

    小砂川さんは、言葉を発さない、感情を持っているのかどうかもわからないような人間ならざるもの、そしてそれに対して登場人物が抱く複雑な感情やインタラクションを描写するのに長けているのだなあと思いました。小波とツトムの鍋のシーンには、今年の「鍋・オブ・ザ・イヤー」をあげたいくらいです。ついでなので、『ゾンビ回収婦』には、「サプライズ・オブ・ザ・イヤー」をあげておきます。

    ・・・とここまで書いて、読んでいない人は何のことだ分からないかもという気もしてきました。でも、はっきり認識しました。私はこれらの本を「紹介」しているのではなく、『坑夫』や『ゾンビ』を読んだ人と感動を分かち合いたいのだと。地図は載せませんので、お腹をすかせて、探してください。

  • 2026年上半期の芥川賞を予想・・・はせずに、賞を新設する

    ノミネート5作を全部読み終えたので(『ソリティアおじさんがいた頃』『アンチ・グッドモーニング』『丹心まごころ』『ゾンビ回収婦』『悪い血』)、さっそく選考に入ろうと思います。とはいえ、築地の料亭の招待状が、私には来ていませんので、勝手に予想する、ということになりましょうか。

    競馬だと、上位いくつかの順位に対して、どのような条件で当てるかで、単勝、連勝複式、連勝単式とかありますよね。私はギャンブルはやらないので知らなかったのですが、最近は「連勝複式」とか「連勝単式」て呼び方ではないんですね。それぞれ「馬連うまれん」「馬単うまたん」というみたいです。ちなみに、落語「らくだ」に出てくるのは「馬さん」です。

    芥川賞では順位が出るわけではないので、5作がノミネートされているなら、以下が場合の数(お、懐かしい)になりますね。

    1作受賞:5通り {1}{2}{3}{4}{5}
    2作受賞:10通り {1,2}{1,3}{1,4}{1,5}{2,3}{2,4}{2,5}{3,4}{3,5}{4,5}
    該当なし:1通り

    それぞれどれくらいのオッズになるのでしょうか。絶対やっている人いそうですね。違法ですよ。

    ちなみに、私はノミネート作を全部読んだのは初めてです。また、この作品は受賞したけど、この作品は受賞を逃した、みたいに比較する観点で読んだこともありません。つまり、どういう作品が選ばれる傾向にあるかについて、なんら情報がありません。

    こういう状況で予想することを何て言ったっけ。そうだ「当てずっぽう」だ。ずっぽうって何だ。

    まあ、当たる気もしないし、外したときに、「ちゃんと読んだのか」とか、「お前の目は節穴か」とか、「たまには買って読め」とか、厳しいご意見が来そうなので、予想するのはやめておきます。

    かわりに新しい賞を新設することにしました。「もうすぐ芥川で賞」です。ノミネート作品は芥川賞のノミネート作品に準じます。発表時期は芥川賞のノミネート作が発表されてから、受賞作が発表される前までの間です。

    もし本物のほうの受賞を逃した場合は「もうすぐだったね」という意味合いになり、もし本物のほうを受賞してしまったら、つじつまがあわなくなるので、「もうすぐ芥川賞発表の時期だね」という意味に解釈することにします。(ことにします、ってなんだよ)

    賞金や商品はありません。勝手にトロフィーとか送ったら不審物扱いされてしまいます。でも、何かあげたいです。作家がうれしいもの。それは何でしょうか? きっと、たくさんの人に読んでもらうことだと思います。なので、「受賞作の作家さんの作品を死ぬまで読む」にしました。そう、私が死ぬのが先か、お前が死ぬ(断筆する)のが先か、という勝負です。

    審査は、今朝がたから閉鎖された密室(私の頭の中)で行われており、先ほど天使と悪魔の勝負がつきました。

    では、第一回「もうすぐ芥川で賞」の発表です!

    その前にCM。

    (ここにアドセンスの広告でも入れたいところだが、一向に申請が通らない)

    「歩きスマホは犯罪です ♪エ~シ~」

    お待たせしました、発表です。

    どん、小砂川チトさん『ゾンビ回収婦』です。

    ご本人は、「それどころじゃない」ということで、ご欠席なので、あとは審査員の独り言をご覧ください。真面目に読まないように。


    ゾンビ回収婦

    ゾンビのサプライズのところで泣きそうになったので、これに決定。ゾンビって突然出てきて人をサプライズさせたりしますが、そうではないサプライズのほうです。話の流れからいって、それが現実でないことはわかりつつ読んでも、やっぱり感動的な妄想でした。それほどまでに、誰かに感謝、評価されたいという主人公の願いですね。

    ゲームや仮想世界へ依存している状況が描かれていますが、主題はそこではなくて、現実世界であっても、仮想世界であっても、どの世界にいようとも逃れられない、人間の渇望なんだなあと思いました。

    シャツに書かれた「(A)LASKA」を、ニックネームに使うあたりも加点ポイントです。澤部さんを思い出して、じわじわ来ました。


    アンチ・グッドモーニング

    不眠というごく個人的な体調不良をテーマにしつつも、ブラック企業がウェルビーイングを売りにしているという皮肉な設定での風刺も効いています。これ、一見いい人に見えて、実は人の気持ちを全然理解できていない夫との重ね合わせになっているんですかね。ヒヨコなんか持って帰ってくんなよ。この夫のビミョーに嫌な(うかうかしていると、いい夫に見えてしまう)描き方が好きです。


    ソリティアおじさんがいた頃

    定年後はすっかり思い出すこともなくなっていたソリティアおじさんこと黒野田さんのことを、その死をきっかけに深く考えるようになり、いろいろなことも思い出し、主人公の行動にも影響を与えるという展開が好きでした。派手な出来事や、どぎつい描写はないのに、胸を突かれるような感覚がありました。人生何が起きるかわからないし、なんでこうなっているかわからないし、他者が何を考えているかもよくわからないけど、それでもまあ、やっていくしかないじゃないという感覚は、意外と心地よい読後感でした。


    悪い血

    ずばりの「呼称」が出てきて、びっくりしました。でも、あれはああ表現するしかないですよね。登場人物の発言なので。これを言い換えたりすると、その人はそんな言葉は使いそうにない、という違和感につながります。カムイ伝で、失明したカムイをかばう村人が使った言葉が差別用語だということで、「相手は目が不自由でねえか」と言い換えられていた事例を思い出しました。江戸時代の人はそんな言葉は使わない。言い換えがいかに作品をダメにするかを考えると、やはりああするのが良かったのでしょう。

    幸福を追い求めるのではなく、かといって、意図的に悪いようにしたいわけでもなく、何も選ばないという生き方を選択するという気持ちにはなんだか共感できます。選んだけれども叶わないくらいなら、選んだことを批判されるくらいなら、みたいな。私もよく、内容を確認せずに、日替わり定食を選択します。


    丹心まごころ

    比喩が多いわりに、客観的な描写が少なく、誰の行動なのか、誰の発言なのか読み取れないところがありました。何度読み返しても、判然としない(どうとも取れる)ような箇所が複数あり、著者の意図がこちらに伝わりきれていないのはないかというストレスを感じました。ただ、映像化するなら本作です。中国政府の全面的な協力が得られれば、壮大で見せ場の多い映画になりそうです。ただ、共産党が爛尾楼làn wěi lóuという中国の恥部を認めるわけもなく、そんなものは存在しないと习习xí xíは言うかもしれません。


    では、また半年後に会いましょう。

  • VRゲーム、AI、働くこと『ゾンビ回収婦』

    2026年上半期の芥川賞ノミネート作、小砂川こさがわチトさんの『ゾンビ回収婦』を読みました。ノミネート作の中でも異色です。ゾンビが出てくる文学って、よくあるのでしょうか? ラノベとかなら分かりますが、本作は全然ライトではありません。

    主人公は30代の女性。AIに職を奪われ失業したのを期に、VRゲームに没頭します。タイトルからわかるように、ゾンビと戦うVRゲームです。そしてこれもタイトルからわかるように、彼女の仕事はゾンビを倒すことではなく、その屍(もともと屍?)を回収することです。

    ゾンビゲームといえば、プレイステーション(初代)のバイオハザードあたりで、私の知識は止まっています。最近のVRゲームがどんなことになっているのかも、いまいちイメージが湧きません。ネットで仮想世界に接続して、その場でプレイヤー同士が相互作用するような遊び方みたいですが、きっと面白いんだろうなと思いつつ、この手のゲームも遊んだことがありません。仮想世界といえば、「Second Life」が最後の記憶です。

    『ゾンビ回収婦』が掲載されたのは『群像』という文芸誌の2026年5月号です。『群像』の読者の年齢層ってどれくらいなのでしょうか。VRゲームの描写に50代、60代あたりの読者はついていけているのでしょうか。まあ、でもそれはあまり関係ないのかもしれません。現実と虚構の判別が曖昧になる現象は、昭和のやくざ映画の劇場出口でも、よく観察される光景でした。

    VRゲームの中が主な舞台である以上、ほとんどのイベントは仮想世界での出来事になります。とはいえ、ファンタジー小説でもSF小説でもありません。主人公の言動は、彼女の現実世界での経験に深く根差しています。育った環境、仕事で受けてきた待遇、AIに職を奪われたことによる失業、よくわからない理由で家を出て行った夫など。なので、イベントが仮想世界で起きていようが、主人公の行動や思考は現実世界と強くリンクしたものになっています。むしろ、現実世界では気づかなかったことを、仮想世界で再確認していくようなプロセスが描かれています。

    「働くこと」に対する意識がテーマになっています。主人公は仮想世界で非常に熱心に働きます。そんなバカな、という気もしますが、この仮想世界では倒されたゾンビは放置され、誰かが「回収」しないと床が見えなくなるほど蓄積していきます。血が飛び散った窓も拭かなきゃいけないし、床もモップがけしないといけません。主人公が仕事をしないと、この仮想世界は回っていかないことになってます。

    そんな大変な仕事をしている以上、ホテルの支配人に評価されたい、誰かに感謝されたい、仕事を認めてもらいたいという感情が主人公に起こります。しかし、それがかなえられることはありません。

    このあたり、現実世界のエッセンシャルワーカーと重ね合わせているんでしょうね。ほんのちょっとエッセンシャルワークが滞っただけでどうなってしまうのか、私たちはコロナのときに目撃したはずです。にもかかわらず、何か問題が起きるまで、気にも留められない仕事というものが世の中には存在して、そのような仕事の一つをゾンビの回収で比喩したのでしょう。

    もう一つ、指導する/される側、評価する/される側、期待する/される側など、立場の異なる両者の思いのすれ違いも描かれています。主人公は、親、部活の顧問、会社の上司などから、期待をかけられ、それに応えようとし、でもうまくいかず、失望させる、ダメ出しされる、という経験がトラウマのようになっています。自分が苦しめられたこれらの重圧を、無意識のうちに、自分が他者にかけようとしていたことに気づき愕然とします。他者とは誰でしょうか? それは、タイトルからわかるように・・・

    ゾンビ、ゲーム、仮想世界という、一見突飛な設定を使いつつも、実は人間の根源的な渇望について描きだそうとしたのが、この小説、『ゾンビ回収婦』なのでした。


    2026年7月14日追記
    続報です。
    2026年上半期の芥川賞を予想・・・はせずに、賞を新設する