BookBookerBookest

勝手に読書感想文。漫画も映画も含みます

タグ: 鈴木悦夫

  • 鈴木悦夫の短編集『もうちょっとで大人』(『祭りの日』収録)

    『幸せな家族 そしてその頃はやった唄』の文庫本の巻末の解説に、著者の鈴木悦夫氏が『祭りの日』という作品で第二回 日本児童文学者協会新人賞を受賞したという話が載っていました。その賞は権威のある賞で、受賞した作品はそれなりに注目されるにもかかわらず、『祭りの日』が収録された短編集『もうちょっとで大人』が出版されたのは、受賞から17年も経ったあとだったとも書かれていて(過去記事:実在する『その頃はやった唄』)、ぜひ読んでみたいと思ったわけです。

    しかし、アマゾンで検索しても出てこないし、ブックオフのオンラインストアにも在庫がない。表紙の画像さえも出てこないという状況。絶版ってやつですね。でも、稲城市の図書館にあったので借りることができました。

    昔は図書館の本には、裏表紙あたりに貸出管理用の記入欄の紙が必ず貼ってありましたよね。この本にも「貸出期限票」が貼られていて、それには(昭和)61年の日付のスタンプが押されていました。出版された1986年に購入され、現在まで所蔵されていたということになります。

    裏表紙には

    こみね創作児童文学・9

    小学校上級から 小峰書店 定価980円

    と書いてあり、装丁も児童向けという感じですが、内容は『幸せな家族…』を彷彿とさせるものがあります。

    9作が収録された短編集で、安心して子供にすすめられるようなさわやかなハッピーエンドの作品も含まれているのですが、微妙な読後感のものもいくつかありました。

    このあとはネタバレだらけなので、読もうと思っている人は、早めに図書館へどうぞ・・・

    ・・・読んだ?

    『13個目のカセットテープ』は、長野県に住んでいて、体が弱かったせいもあり海を見たことがない愛子が、海の近くに住んでいる健一と文通をしているという設定。これが普通の文通ではなく、カセットテープを使った《声の便り》というわけです。

    愛子は海を自分の目で見たいので、健一の住む町に訪ねて行こうとするのですが、健一はなんだか乗り気ではない。でも、愛子は訪問を強行します。

    道を聞くために入った郵便局で見かけた目の見えない男の子が、なんと健一だったいうわけです。

    健一は目が見えるふりをして、海の様子を語って、愛子にカセットテープを送っていた。愛子が訪ねてくると、そのことがばれてしまうので、訪問に否定的だったり、《声の便り》を終わらせようとしていたり、というわけです。

    『ブラック・ジャック』(手塚治虫)の『ハローCQ』というエピソード(単行本7巻に収録)を思い出しました。足の不自由なジュンと、目の不自由なトムが友人どうしなのですが、お互いの病気を隠しています。それを成立させるための仕掛けがアマチュア無線というわけです。トムが訪日しジュンに会おうとしますが、ジュンは嘘を隠し通すために、トムと仲たがいして関係を絶とうとする、という悲しい展開ですが、最後はブラック・ジャックがハッピーエンドにします。

    一方、鈴木悦夫の『13個目のカセットテープ』の方は微妙な終わり方をします。あたかも見えているかのようなふりをして、海の様子をカセットテープ吹き込んできた健一が、自分は嘘つきだと謝ります。今までのいきさつについて、二人は海の岩場で話をしていたのですが・・・

    と、その時だった。健一のからだが岩の上でくずれ、宙に浮かんだ。

    「ぼくにできるのは、この手で、からだで、海にさわることだけなんだ」

    「だめ――」

    愛子は、おもいきり手をのばした。その手の向こうに、のびやかにそった健一のからだがあった。

    「ぼくは、泳いだこともなかったんだ――」

    このあと、数行あるのですが、結局何が起きたのか、私にはよく分かりませんでした。「岩の上でくずれ」たあとに、「宙に浮かんだ」とはどういう状態なのか?

    「のびやかにそった健一のからだ」という表現から、海へ飛び込む様子が目に浮かびます。でも、そのあとに台詞が続くところがしっくりこないし、飛び込んだのなら「からだが岩の上でくずれ」のところが合わない気もするし、いろいろとモヤモヤする終わり方でした。いろんな解釈を残すために、あえてぼかしたのでしょうか。

    他にも、「問題作」がいろいろと収められています。

    『手押しボタン式信号機』では、物語のかなり前半で、

    ぼくは今、横断歩道を渡りかけて、自動車にはねとばされ、こうして地面にうちつけられて死ぬまぎわだっていうのに、その瞬間に思い出したことは、ものすごく多いのですから。

    という語りが出てきて、それまでに何があったのかが次第に分かっていきます。少年が車にはねられることになる原因も、大人への疑念、反抗、子供特有の非合理的な考え方などが相まったもので、児童文学の真骨頂なのかもしれません。

    『コケシの首』は、大火事で町で焼けたことで、後を継ぐはずだったこけし屋がなくなり、閉塞的な毎日からの脱出や未来への希望を感じる少年の話。

    日本児童文学者協会新人賞を受賞した『祭りの日』は、(少なくとも大人には)よく分からない理由で家出する少年の話。強いて理由を書くなら、祭りが好きな「魚源のじいさん」が、山車だしが倒れ燃えてダメになって大泣きしているのを見かけたから、だったりします。

    〈山車が燃えただけで、あんなに泣けるのはなぜだろう〉と、長いことじいさんを見ながら考えていた。なぜだか知らないけれど、少しずつ、うらやましいような気持ちがわいてきた。

    祭りの日に何かを確信した少年は、ただひたすら海岸線に沿って歩いて行くという、終着点の見えない家出を開始します。

    子供の家出というと、街中で補導されてすぐに連れ戻されるイメージがありますが、人目につかない田舎の海岸線を歩き続ける、この家出は二十日以上にわたります。しかし、ある出来事がきっかけで、少年は家出を終了させ、帰ることを決めます。

    こんな話だったら子供が喜ぶだろうとか、これくらいだったら子供でも分かるだろう、みたいな妥協がなく、子供の独特の心理を描き出し、かつて子供だった大人たちの感情さえも揺さぶってくるのが、鈴木悦夫作品の特徴であるように思います。

  • 『幸せな家族 そしてその頃はやった唄』の単行本(偕成社)

    私の感想文ルール: 一つ、装丁について書いてもよい

    『幸せな家族』については、BSテレ東の『あの本、読みました?』で知りました。そして、その本、読みました。(実在する『その頃はやった唄』

    『あの本、読みました?』では、以下のように紹介されていて(番組サイトへのリンク)、

    ▼36年前に出版された『幸せな家族 そしてその頃はやった唄』も復刊後、再ブレイク! その意外な理由とは?

    私は、その復刊した文庫版を読んだんですね。文庫版はすっかり大人な感じの、電車で読んでも恥ずかしくないデザインの表紙になっていました。ターゲット層は今の若者ではなく、元ジュブナイルなんだと思います。その頃、読んで戦慄を受けた世代が、懐かしんで読むことを想定した装丁になっているんでしょう。

    元ジュブが現ジュブだった頃に、どんな感じの表紙で、裏表紙のあらすじやあおり、、、文には何が書かれていたのかが気になります。アマゾンでは単行本はヒットしません。これが絶版ってやつなんですね。

    でも、自治体の図書館で探したらありました。絶版本は図書館に限りますな。

    表紙はこんな感じ。

    厚みはこんな感じ。

    主人公(語り手)の省一と、物語で特に重要な役割を果たすお姉さんの一美でしょうか。お兄さんの行一ってことはないですよね。そういえば、みんな「一」がつきますね。お父さんの勇一郎からとったのでしょうか。まあ、みんな死んじゃうんですけど。

    表紙は特に子供向けという感じはしないですね。ただ、表紙の裏には

    本格派ほんかくは長編ちょうへんミステリー、ついに登場とうじょう

    と、ルビ付きで書かれているあたりが、ジュブチックです。

    あと、挿絵は文庫版と同じです。挿絵っていいですね。好きです。変に大人ぶらないで、挿絵ばんばん入れてほしいです。

    意外だったのは、楽譜も載ってた点でした。『百年の孤独』の家系図みたいに文庫化にあたって足したものだと思ってました。青少年たちはリコーダーで吹いたりしたのかもしれません。

    偕成社かいせいしゃは主に児童書を出版している会社で、『幸せな家族』も「K.ノベルズ」というシリーズの1つのようです。巻末にK.ノベルズの広告ページがあり、そのキャッチコピーがいかしてました。

    「マンガが一番おもしろい」と言っている吉田君に読ませたい

    誰でしょうか? 吉田といえば、茂か拓郎か照美か牛の吉田君などが思い浮かびますが、どれでもなさそうです。

  • 実在する『その頃はやった唄』

    読んだのは『幸せな家族 – そしてその頃はやった唄』(鈴木悦夫 著)です。読んでみて、「何だこれは?」と思うわけです。児童文学のカテゴリに入れられているようですが、いわゆる児童文学っぽさがないんですよね。児童文学といっても幅があると思いますが、ティーンエイジャーくらいが想定読者なのでしょうか。裏表紙の言葉を借りれば「ジュヴナイル・ミステリ」、図書館や書店などの分類でいうと「YA」(ヤングアダルト)という分類になると思います。

    はたから見ると幸せそうに見える家族が次々に死んでいき、小学6年生の次男のみが残ります。これはネタバレでもなんでもなく、プロローグの一番最初にこう書かれています。

    とうとうぼくはひとりになった。

    この一年のあいだに、ぼくの家族はぽつりぽつりと死んで、最後に、ぼくひとりがのこった。

    これが、青少年向け?という始まり方です。(終わり方はもっとすごいけど)

    私自身はいい歳ですが、最近いくつかYA向けの小説を読みました。読んだのは『杉森くんを殺すには』(長谷川まりる 著)、『THE MANZAI』(あさのあつこ著)、『カラフル』(森絵都 著)など。

    ある程度平易に書かれているという点もありますが、これらには子供や若者へのメッセージ性がありました。「いろいろあるけど、がんばれよ」みたいな(←雑な大人のまとめかた)。青春のきらきらした感じ、ちょっとしたことに悩みすぎる感じ、若い時に読めば共感できるし、年を取ってから読めばノスタルジックにも楽しめる。あと、はやまるなよ、ってのも大事なメッセージだったり。差別とか偏見がテーマとして盛り込まれていることもありますね。

    で、『幸せな家族』ですよ。「ジュヴナイル」って、ちょっと青春とか初々しさを感じる単語なんですけど、そんなのないですよ。みんな死ぬし。道徳的なもんでもない。

    普通に大人が読んでも楽しめるミステリ(サイコホラー?)だと思います。難しすぎる言葉や、凝りすぎたトリックはないので、子供でも読めるといえば読めるけど、「子供でも読める」「子供でも楽しめる」ようにお話を作りましたっていうのとは、なんか違う。

    もしかしたら、「子供だからこそ楽しめる」「子供にしか楽しめない」という要素もあるのではないかと。小6の主人公の思考はストレートで単純で視野が狭いです。大人から見れば、「子供だなあ」だけど、子供や若者からすれば、それがリアルであると。そう考えると、YA作品は大人向け作品の簡易版などではなく、まさにその層にしか分からない感覚に突き刺さることを目標にしたものなのだろうかと思います。

    じゃあ、大人がそれを楽しめないかというと、また違った面白さが出てくる。何考えているか分からない子供の怖さや不気味さでしょうか。何に価値を置き、何を好み・嫌い、何を恐れるのか、その基準が大人とずれている。楳図かずおの『漂流教室』なんかも、そこでぐっとつかまれるでしょ。子供から見た大人の描かれ方。常識でものを捉えようとしたり、卑怯なことを考えたり、現実に耐えられなくて発狂したり。

    『幸せな家族』に話を戻しますと、本編以外の部分もけっこう興味深く読めました。

    「その頃はやった唄」は実在するというのは驚きでした。小説のための架空の歌ではありません。あとがきに、詩人の山本太郎氏の詩集『覇王紀』に収められていること、これに俳優の西村正平氏の発案で、作曲家の越部信義氏が曲をつけた、ということが書かれていました。文庫版には楽譜も載っています。

    あと、『幸せな家族』は『鬼ヶ島通信』という同人誌に六年間にわたって連載されていたものである、とか。

    著者の鈴木悦夫氏は、「祭りの日」という作品で第二回日本児童文学者協会新人賞を受賞したが、この作品が収録された単行本『もうちょっとで大人』が出版されたのは、受賞から17年も経ったあとだった、とか。「売れない」と出版社に判断されてしまったのでしょうか。事情は分かりませんが。


    2026年4月26日追記
    『もうちょっとで大人』も読みました。
    鈴木悦夫の短編集『もうちょっとで大人』(『祭りの日』収録)


    鈴木悦夫氏の人となりや、作品に関するエピソードは、文庫版に収録されている、著者による「あとがき」、「鈴木悦夫が遺したものとは?――追悼・鈴木悦夫」(野上暁)、「解説」(松井和翠)をご参照ください。けっこう尖ったかただったみたいで・・・

    そうだ、思い出した。テレビCMのディレクターや撮影班が事件後もけっこう長く、この家庭に残ることになるんです。殺人なんかおきてCMが撮れなくなったんだったら、普通はすぐにいなくなりますよね。この家族を心配してとかなんとか、という理由は分かりますが、いかにもお話を作るための設定だなーとか思っていたけど、私はこのあたりが一番ゾッとしました。


    2026年4月16日追記
    オリジナル版(単行本)の表紙が見たくて、図書館で借りてきました。
    『幸せな家族 そしてその頃はやった唄』の単行本(偕成社)