読んだのは『幸せな家族 – そしてその頃はやった唄』(鈴木悦夫 著)です。読んでみて、「何だこれは?」と思うわけです。児童文学のカテゴリに入れられているようですが、いわゆる児童文学っぽさがないんですよね。児童文学といっても幅があると思いますが、ティーンエイジャーくらいが想定読者なのでしょうか。裏表紙の言葉を借りれば「ジュヴナイル・ミステリ」、図書館や書店などの分類でいうと「YA」(ヤングアダルト)という分類になると思います。
はたから見ると幸せそうに見える家族が次々に死んでいき、小学6年生の次男のみが残ります。これはネタバレでもなんでもなく、プロローグの一番最初にこう書かれています。
とうとうぼくはひとりになった。
この一年のあいだに、ぼくの家族はぽつりぽつりと死んで、最後に、ぼくひとりがのこった。
これが、青少年向け?という始まり方です。(終わり方はもっとすごいけど)
私自身はいい歳ですが、最近いくつかYA向けの小説を読みました。読んだのは『杉森くんを殺すには』(長谷川まりる 著)、『THE MANZAI』(あさのあつこ著)、『カラフル』(森絵都 著)など。
ある程度平易に書かれているという点もありますが、これらには子供や若者へのメッセージ性がありました。「いろいろあるけど、がんばれよ」みたいな(←雑な大人のまとめかた)。青春のきらきらした感じ、ちょっとしたことに悩みすぎる感じ、若い時に読めば共感できるし、年を取ってから読めばノスタルジックにも楽しめる。あと、はやまるなよ、ってのも大事なメッセージだったり。差別とか偏見がテーマとして盛り込まれていることもありますね。
で、『幸せな家族』ですよ。「ジュヴナイル」って、ちょっと青春とか初々しさを感じる単語なんですけど、そんなのないですよ。みんな死ぬし。道徳的なもんでもない。
普通に大人が読んでも楽しめるミステリ(サイコホラー?)だと思います。難しすぎる言葉や、凝りすぎたトリックはないので、子供でも読めるといえば読めるけど、「子供でも読める」「子供でも楽しめる」ようにお話を作りましたっていうのとは、なんか違う。
もしかしたら、「子供だからこそ楽しめる」「子供にしか楽しめない」という要素もあるのではないかと。小6の主人公の思考はストレートで単純で視野が狭いです。大人から見れば、「子供だなあ」だけど、子供や若者からすれば、それがリアルであると。そう考えると、YA作品は大人向け作品の簡易版などではなく、まさにその層にしか分からない感覚に突き刺さることを目標にしたものなのだろうかと思います。
じゃあ、大人がそれを楽しめないかというと、また違った面白さが出てくる。何考えているか分からない子供の怖さや不気味さでしょうか。何に価値を置き、何を好み・嫌い、何を恐れるのか、その基準が大人とずれている。楳図かずおの『漂流教室』なんかも、そこでぐっとつかまれるでしょ。子供から見た大人の描かれ方。常識でものを捉えようとしたり、卑怯なことを考えたり、現実に耐えられなくて発狂したり。
『幸せな家族』に話を戻しますと、本編以外の部分もけっこう興味深く読めました。
「その頃はやった唄」は実在するというのは驚きでした。小説のための架空の歌ではありません。あとがきに、詩人の山本太郎氏の詩集『覇王紀』に収められていること、これに俳優の西村正平氏の発案で、作曲家の越部信義氏が曲をつけた、ということが書かれていました。文庫版には楽譜も載っています。
あと、『幸せな家族』は『鬼ヶ島通信』という同人誌に六年間にわたって連載されていたものである、とか。
著者の鈴木悦夫氏は、「祭りの日」という作品で第二回日本児童文学者協会新人賞を受賞したが、この作品が収録された単行本『もうちょっとで大人』が出版されたのは、受賞から17年も経ったあとだった、とか。「売れない」と出版社に判断されてしまったのでしょうか。事情は分かりませんが。
鈴木悦夫氏の人となりや、作品に関するエピソードは、文庫版に収録されている、著者による「あとがき」、「鈴木悦夫が遺したものとは?――追悼・鈴木悦夫」(野上暁)、「解説」(松井和翠)をご参照ください。けっこう尖ったかただったみたいで・・・
そうだ、思い出した。テレビCMのディレクターや撮影班が事件後もけっこう長く、この家庭に残ることになるんです。殺人なんかおきてCMが撮れなくなったんだったら、普通はすぐにいなくなりますよね。この家族を心配してとかなんとか、という理由は分かりますが、いかにもお話を作るための設定だなーとか思っていたけど、私はこのあたりが一番ゾッとしました。
2026年4月16日追記
オリジナル版(単行本)の表紙が見たくて、図書館で借りてきました。
『幸せな家族 そしてその頃はやった唄』の単行本(偕成社)