BookBookerBookest

勝手に読書感想文。漫画も映画も含みます

タグ: チェコ

  • ミラン・クンデラ著『小説の技法』のカフカのとこだけ

    (アイキャッチ画像は、František Dostál – František Dostál´s archive, CC 表示-継承 4.0, リンクによる)

    字は目で追っているはずのに、意味が全然分からない。こんなことってあるんですね。「全部聞き取れたのにー!」(©バッテリィズ エース)のような気分になります。

    あなたのヨーロッパ文学に対する造詣の深度を試してくる本です。私は試験の結果、どうやら不合格でした。入れてもらえなかったので、校門の外から、「やーい、やーい」と叫んでみます。

    あなたが間違って風車に突撃していかないように、「第一部 評判の悪いセルバンテスの遺産」の書き出しのところを引用します。

    死の三年前の1935年、エトムント・フッサールはウィーンとプラハでヨーロッパ的人間性の危機に関する有名な講演をおこなった。彼にとって「ヨーロッパ的」という形容詞は、古代のギリシャ哲学とともに生まれ、地理的なヨーロッパを越えて、(たとえばアメリカに)広がった精神的同一性のことを指している。古代のギリシャ哲学こそが〈歴史〉において最初に、世界(総体としての世界)を解決すべき問題として把握し、しかじかの実際的欲求を満たすためではなく、「人間が認識の情熱にとりつかれた」がゆえに、世界に問いかけたというのである。

    「それはさておき、今年も暑いよねー」と、話を変えたくなるような書き出しです。

    この髪の毛 多そうすぎる感じの、フッサールさんは有名な人なんでしょうか。ヨーロッパ文学に詳しい人は当然知っている人なのかもしれません。この方を知らなかったのが、そもそもの間違いなのかもしれません。「友達の友達がこんなことを言っていた」くらい、興味が湧きません。「そういえば、駅前のコンビニつぶれてたよ」と、違う話に誘導したくなります。

    ネタにされている(=書籍で言及されている)人を知っていることはとても大事だと思いました。なので、このあと出てくる人名を抜き出してみます。

    技術・数学の文脈で、「ガリレイやデカルト」の名前が出てきました。このへんは理系なら似顔絵だって書けるくらい有名ですね。細そうすぎることでも有名です。

    このあと、「フッサールの弟子のハイデガー」というのが出てきます。Are you wearing?(穿いてっか?)ということでしょうか。安心してください、ふざけるのは、もうやめます。でも、ハイデガーの名前は知っています。たしか教科書に出てきました。えーと、保健体育だったかな・・・?

    そして、「セルバンテス」が出てきます。驚安の殿堂の創業者ですね。

    そのあとは、「サミュエル・リチャードソン」「バルザック」「フローベール」「トルストイ」「マルセル・プルースト」「ジェームズ・ジョイス」「トーマス・マン」「ヘルマン・ブロッホ」

    そうですね、知っている人もまあまあ混ざってますよ。割合としては、M-1の一次予選くらいの感じです。トム・ブラウンとかも入れたくなりますね。

    そんな私でも、「第5部 その後ろのどこかに」は、楽しく読めました。カフカの話だったのですが、カフカだけは何作か読んだことがあったので、話についていけました。やっと知っている人の話題になった気分です。

    ちなみに、「可」と「不可」ばっかりの、ひどい成績のことを「カフカ全集」というらしいので、これも使ってみてください。

    この第5部は冒頭から具体的な話で、面白かったんですよね。当時のチェコは共産党の一党独裁体制だったというのを踏まえて、お読みください。プラハのある技師の実話なのですが、ロンドンの科学者会議に参加して、帰って来てみると、共産党の機関紙にその技師がロンドンでチェコの社会主義体制を批判して亡命した、と書いてあったと。内務省に確認に行くと、何かの間違いだろうが、秘密機関からそういう報告を受け取った。でも、まあ、あなたの身には何も起こるはずはないから安心してよいと。でも、その後、監視され、電話が盗聴され、尾行されるようになり、その状況に耐えられなくって、結局、本当に亡命することになった。

    「やっぱり、すべらんなー」とか言っている場合ではない話でした。で、この話が、『審判』のヨーゼフ・Kの状況と似ていると。

    カフカにおいては論理が逆転する。罰せられるものは罰の原因を知らない。処罰が不条理なのはじつに耐えがたいことだから、被告は心の平穏を得るために、おのれの刑罰を正当化したいと願う。つまり、処罰が過失をさがすのだ。

    技師も実際に亡命してしまえば、以前から反社会主義の思想を持っていた(ような気がしてくる)、だから、盗聴されたり、尾行されたりしても当然だ、というようにつじつまが合います。

    それと似た話で、全面的な共産主義者であるのに裁判にかけられた人たちが多数いて、ある女性(クンデラ氏の友人)を除いては、

    「それぞれの過去のどんな細かなことまでをも検討」し、結局想像上の犯罪を自白してしまった。

    このために死刑になります。その女性だけは「みずからの過失を探しはじめる」ことを拒否したため、終身刑ですみ、15年後に名誉回復され、釈放されます。

    興味深いのは、女性と26歳の息子のけんかをクンデラ氏が目撃した時の話です。息子が朝起きるのが遅かったみたいな、大したことない理由で女性が泣いて怒っていて、大げさだとクンデラ氏が指摘すると、なんと息子みずから、こんなことを言っていたと。

    「(略)たしかにぼくは起きるのが遅すぎましたが、母が責めているのはそれよりももっと根本的なことなんです。ぼくの態度、自己中心的な態度を責めているんですよ。ぼくとしては母が望むとおりの人間になりたいのです。だから、あなたのまえでそう母に約束します。」

    なんか、文化大革命のときの「自己批判」みたいですね。いや、起きるの遅かったら怒っているだけだと思う、と言ってやりたいところ。

    この状況を評したクンデラ氏の言葉が面白いです。

    〈党〉が母親にたいしてけっしてなしえなかったことを、母親が息子にたいしてなしえたのである。

    社会主義体制とか亡命とか裁判とか死刑とか、けっこう重大な例をあげたあとに、この卑近な例がいい味だしてます。

    ということで、第5部は面白かったです。他はよく分かりませんでした。でも、それはきっと私の無知が引き起こしたことなので、その罪をここに告白し、反省いたします。

  • 『アメリカ(Amerika)』もやっぱりカフカ的だった

    カフカの『審判』と『城』は読んだことがありました。ただ、かなり昔で、図書館で借りたものをざっと1回読んだだけなので、ちょっと記憶はあやふやです。

    審判』は、主人公のヨーゼフ・Kが理由も分らぬまま裁判にかけられるという話です。何が法に触れたのかもわからず、逮捕されるわけでもなく、呼び出しに応じて裁判に行っても、それが裁判なのかどうかもよくわからない場で裁かれて、最後はドラマティックな形で刑が執行されてしまうという変な話です。

    』もまた変な話で、測量士のKが城に雇われるのですが、仕事を始めるどころか、城にたどりつけもしない。道に迷うとか、そんな単純な話ではなく、関係者らしき人にたらい回しにされるというか、論理が通っているんだかいないんだかみたいな人たちの、のらりくらりとした会話に翻弄されるというか、ずっとじれったい感じが続きます。

    で、ちょっと前に、『審判』と『城』と並んで、『アメリカ』という作品が、カフカの長編の三部作と呼ばれていることを知り、今回この『アメリカ』を読もうと思った次第です。

    ちなみに、最初に『アメリカ (Amerika)』というタイトルで出版されたのですが、Wikipediaによると、

    カフカの草稿自体には作品タイトルはなく、ブロートは生前のカフカが「アメリカ小説」と表現していたことに基いてこのタイトルをつけ、これが長い間これが作品名として流通していた。しかしその後、カフカが『失踪者』のタイトルを予定していたことが日記から判明し、1983年の批判版全集以降は主に『失踪者』のタイトルが用いられるようになった。

    とのこと。でも、私が購入した角川文庫版は「アメリカ」のままとなっております。

    どんな話だろうと、裏表紙を見ると、こんな感じで紹介されています。

    年上の女に誘惑され愛されたばかりに、両親にやっかいばらいにされたカール少年は故国ドイツを追われアメリカに渡った。やっとのことでニューヨークの伯父にめぐりあい、面倒をみてもらえるようになったのもつかの間、何とも不可解な理由で伯父の家からも追い出される。追放されつづけるカール少年は放浪の旅に出るが・・・。
    軽妙に描かれるカフカ的冒険小説。

    たぶんですが、ほとんど人、特にカフカを読んだことない人が、この文章から想像するものとは、全然違うのではないかと思います。

    「何とも不可解な理由で伯父の家からも追い出される」というのはその通りなのですが、伯父とのめぐりあいのくだりも不可解です。「冒険小説」というイメージともだいぶ違うような・・・。でも、「カフカ的」と付いているから、これがカフカ的な冒険小説なのかも。

    世の中の多くの小説の「不可解」は、理解して楽しむための「不可解」だと思うんですよね。伏線があったり、種明かしがあったり、あるいは不可解が壮大すぎてそれ自体が楽しめるような。

    そうしてやらないと、不可解なものは、違和感を与えるだけですから、そんな小説は一般受けしないでしょう。新人の作家だったら、きっと編集者に直されちゃいます。だから、あまり存在しないんじゃないかと思います。

    カフカの不可解は、そんな大げさなものではなく、普通の人間との普通のやりとりの中で生まれてきます。出てくる登場人物かどこか変で、ロジックが少し変だったり、職務が少し変だったりします。でもオカルトやSFみたいな大げさな話ではなく、ただ単に登場人物のモノの感じ方や論理や表現の仕方が、ちょっとずれている(ような気がする)。でも、決して狂人ではない。そんな人たちと交渉しなきゃいけない立場の主人公はすっかり疲弊してしまう。でも、主人公さえも、そのちょっと変な登場人物の一人であったりして、読んでいるほうは、「いったい私は何を読まされているんだ?」みたいな気分になります。

    第八章の「オクラホマの野外劇場」なんか最たるものでした。職を探しているカールは、オクラホマの劇場の座員募集のポスターを見かけて、志願すべく会場に向かいます。

    会場についても、誰が採用の係員なのかよくわからなかったり、それらしい人にあたっても誰が意思決定者なのか判然としなかったり、どういう基準で選考しているかもふわふわしていたり、そもそもカールはどういう職種で雇われるのかも二転三転します。そもそも、オクラホマの劇場がどういう組織で、どういうビジネスをやっているのかも、もやもやしたままです。もやもやしたまま、どうやら採用されたらしいカールは列車に乗せられて・・・

    はっきりとオチのついた小説が好きで、もやもやとした気分にさせられるのが嫌いな方には、カフカはお勧めしません。でも、あなたがそのような種類の人間かどうかについては、私の関与するところではなく、私の権限が及ばない類のものであることを、まずはあなたに伝えておかねばなりますまい。