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勝手に読書感想文。漫画も映画も含みます

タグ: 新潮

  • 同級生との関係が長く続く秘訣?『いまさら』(古川真人著)

    平野啓一郎さんの『決定的瞬間 The Decisive Moment』を読むべく借りた『新潮』2026年5月号でしたが、例によって他の作品もつまみ食いしてみました。定期購読しているわけではないので、長篇はちょっと避けてしまいます。そこで、文芸誌にはたいてい3,4作は載っている短篇・中編を読みます。

    今回いくつか読んだ中で、グッとはまったのが古川真人さんの『いまさら』でした。登場人物の「四十近い」男性の三人は、中学生の頃からの知り合いで、半年に一度都内の居酒屋で集まるような関係です。

    その一人、養母田やぶたが直前になって会合に出ないと言い出すところから話は始まります。この会合の開催を主導したり、お店を選んだりと積極的なキャラが柿本。二人の関係を、一歩引いた感じで眺めているのが、メインの語り手の笹塚です。

    養母田と柿本は小学校からの知り合い、そこに中学校のときに笹塚が加わったという流れ。なので、笹塚は小学生時代の二人をあまり知らなくて、今回のごたごたで双方の言い分を聞いていく中で、二人の『いまさら』な過去を知っていくという展開です。

    小学校時代の話で二人で盛り上がっているときに感じる、残り一人の「蚊帳の外」感とか。場合によっては上下関係にも近いような、いじり・いじられの関係性、その関係性も時間が経つにつれて変化するもの、しないものがあったり。デリカシーのない小学生の「いじり」と「いじめ」の境界線って微妙で、それに起因する確執のようなものがあったりとか。まず、この誰もが経験したであろう、あるあるでつかまれます。

    私の経験ですが、活発な人気者が何かのきっかけで皆から疎まれるようになるとか、見かけたなあ。ちょっとしたことでバランスがおかしくなって、失脚するんですよね。小学校のときのガキ大将キャラが、中学校で別の小学校から来たガチのヤンキーみたいなのに出会って、急におとなしくなっちゃうとか。

    で、話を戻すと、三人の気軽な「言い分」レベルかと思いきや、けっこうドロドロとしたというか、簡単に消化しきれないような過去の出来事とか、それらをうやむやにしたままの微妙な関係性だとかが出てきて、ちょっとドキドキします。ものすごい、いやーな感じの読後感だったらどうしよう、みたいな。

    でも、安心してください。なんだかんだで、そんなに悪いことにはなりません。強気キャラの柿本、いじられキャラの養母田、それを一歩引いて見ている笹塚。笹塚は面倒なことには目をつぶり、自分をさらけださないという自身の消極性を自覚していて、そのことを否定的に捉えています。しかし、実はこの特性が二人からいろいろ聞きだして(自分は語らず、相手にしゃべらせて)、蝙蝠こうもりのように仲介して、でそ、れがなんか触媒のように働いて、結局関係は続いていく、みたいな。長く続く関係って、笹塚のような無意識の触媒が働いてるのかも。

    『いまさら』という言葉は、「いまさら、そんな話かよ」とか、「いまさら、どうしようもない」みたいな後ろ向きのニュアンスで使うことが多いですが、「いまさらだけど反省する」とか「いまさらだけど、きちんとしておく」とか、そういう積極的な意味合いも込めることができるのだなあと、いまさらながら感じました。

  • 『決定的瞬間 The Decisive Moment』なんか読まなければよかった

    本はぼちぼち読んでいたのですが、それらは文庫本か単行本で、文芸雑誌というものは、つい最近まで(=50年間以上)読んだことのない状態でした。が、最近、文芸雑誌の魅力に気づきつつあります。

    きっかけは、芥川賞のノミネート作をいち早く読みたいという理由でした。ノミネートされた段階では、単行本化されていないこともありますし、単行本化されていても図書館では予約がたくさん入っていて順番待ち(自分に順番が回ってくる頃には次の芥川賞が発表されている、みたいな人数)になることも多いです。

    でも、文芸誌は図書館利用者の中でもあまりメジャーな存在ではないのでしょうか、(利用者のマークが)けっこう手薄です。単行本に予約が殺到している中、その作品が掲載された文芸誌は待ち人数ゼロ、みたいなときもあります。検索システムのせいかもしれません。「簡単検索」みたいなテキストボックスに作品名を入れても、掲載された雑誌はヒットしないシステムが多いように思います。私が利用している2つの自治体の図書館システムでは、雑誌の内容については雑誌専用の欄に入力して検索しないとうまく見つけられません。

    村上春樹さんの『夏帆─The Tale of KAHO─』がもうすぐ出るぞーってときに、あれ? もしかしたら過去に雑誌に掲載されていたりする? って思って、検索してみたら1章から4章まで全部雑誌で読めるじゃんということに気がつきました。単行本化にあたって加筆や修正はあるでしょうけど。

    ということで、ここまでが前置きでした。イントロさえも短く短くというこの時代に、本題に入らないまま、だらだらと書き続けてしまいました。B’zの「LOVE PHANTOM」なみですね。「LOVE PHANTOM」は、なんというか、こう、期待を盛り上げていく感じがありますが、私の前置きはどうだったでしょうか。いらいらが募ったでしょうか。というか、きっと読むのをやめたのではないかと思います。つまり、これを読んでいるのはあなた一人です。あれ? でもあなたの後ろにもう一人・・・

    つまり、何が言いたいかというと、平野啓一郎さんの新作がちょっと前の『新潮』(2026年5月号)に載っていて、それを読みました、ということでした。タイトルは『決定的瞬間 The Decisive Moment』です。さっそく知らない単語が出てきました “Decisive”。

    意味はですね。”If a fact, action, or event is decisive, it makes it certain that there will be a particular result.”(Collins COBUILD Advanced Learner’s Dictionary)だそうです。

    中高生のときに、英英辞典をすすめてきたりする英語の先生とかいませんでした? 知らない単語の説明が、知らない単語でなされているとか無間地獄じゃないか、思っていました。でも不思議なもんですね、50代になるとなんとなくわかるものです。この調子なら80代になる頃にはもっとすらすらと読めることになっているでしょう。

    でも、この “decisive” の意味やそのニュアンスについては作中に出てきますので、あまり気にしなくてもOKです。

    「すらすら読める」と言えば、この『決定的瞬間 The Decisive Moment』はすらすら読めました。断片的な記録、会話、資料のようなちょっと変わったスタイルになっていて、過剰な風景描写や心情描写がないところが私の好みでした。物語のパーツを集めていく感じでしょうか。芥川龍之介の『藪の中』みたいな。

    内容に少し入りますと、主人公の学芸員(香澄)が故人の写真家の展示のためにアトリエで作品を整理していて、ちょっとまずいものを見つけてしまう。うやむやにすれば、展覧会は開催できるだろうけど、それを上司に相談したという判断によって、開催が難しくなっていく。

    正しい判断を毅然と行うことで、困難を無事に克服。・・・とならないのが文学なんですかね。(特に昨今の)コンプライアンス的には、香澄の行動は正解に近い感じがするけど、見つけたものについて、人に話したことによって、まわりに与える影響があまりにも大きすぎる。写真家にも、写真家の遺族にも、香澄にも。

    見つけたものに対しての対応という自分の判断もそうだし、もしこれを見つけていなかったら、気づいていなかったら、無事に展覧会が開催できていたら、というパラレルワールドが頭をよぎる。このあたり、平野氏の『息吹』とも共通するテーマかもしれません。ただ、香澄の思い浮かべるifの世界は手放しで喜べるようなものでもなかったりします。

    「知らなければよかった」なんてシチュエーションは月並みです。しかし、知ったことによって、「知らなかった世界」にも「知ってしまった世界」にも違和感や抵抗感や嫌悪感を感じるようになってしまったら・・・。いったい、どうだったらよかったのか・・・

    ああ、こんな小説読まなければよかった。(というのは最上級の賛辞です)


    同じ号の『新潮』に載っていた、『いまさら』もなかなか面白かったです。

    同級生との関係が長く続く秘訣?『いまさら』(古川真人著)

  • 『あなたが走ったことないような坂道』の選評の既視感

    (アイキャッチ画像は「香港は死んだ – 産経ニュース」より)

    たまたま読んだ小説が面白かったりすると、なんだか得をした気にになります。村上春樹さんの『夏帆』が小出しに掲載されたときの文芸誌を図書館で借りて読んでました。読もうと思っていたもの(つまり『夏帆とシロアリの女王』過去記事リンク)だけを読んで返すのがいつものパターンです。しかし、通勤時に鞄に入れていた本が、その日は『新潮』2025年11月号だけでした。『夏帆』は行きの電車で読み終わってしまい、昼休みと帰りに読むものを物色していました。表紙に「第57回 新潮新人賞発表」と書かれており、2作が受賞していたのですが、短いほう(90枚)の有賀未来みくさんの『あなたが走ったことないような坂道』を読むことになったというわけでした。

    崩した文体で一気に(あるいはだらだらと)語る文体は、満員電車で読むのにぴったりでした。足を組んでいる人や、1.1人分の場所をとる人、老眼のせいかこちらにでっかいスマホを突きつけてくる人などのことを意識から排除できました。+5分の余分な待ち時間と引き換えに手に入れた特等席で、私は読書に集中することができました。

    受賞作品のお楽しみといえば選評です。「全部面白かった」で済まされないので、選評を依頼される作家さんはそれなりに大変でしょう。同業者への厳しい批評はブーメランになって帰ってきたりして。帰ってくるなら、まだいいけど、何一つ飛んでこないとか。(のちの)この大人気作家をこき下ろしている、この作家って誰だっけ? とか言われちゃったりして。売れるのがすべてではないけれど。

    でも、選ぶ理由を語るからには、選ばなかった理由も語らなきゃいけないんでしょうね。良いとこだけを言う審査というのはやっぱり成立しないんですかね。M-1グランプリでの審査員のアドバイスを素直に聞いていたら、特徴のない漫才師が増えてしまいそう、と心配。「そんなアドバイス、聞き流して!」といつも願っております。

    さて、今回の選評のキーワードは「既視感」でした。(太字は私がつけたもの)

    大澤信亮さんの選評より。

    いわゆる崩れた若者文体だが既視感があった。

    次は、小山田浩子さんの選評。

    母国や母語への混乱や悲しみや怒りが表現されているのはわかるが、書きたいところ・思いついたところをそれっぽく書き散らしているような印象をどうしても受けてしまうし書かれている内容にも既視感があった。

    最後は、又吉直樹さん。

    母語喪失、セクシュアリティの問いという題材が持つ既視感は拭い切れないが、(略)

    なんというか、「既視感を低評価の理由にする選評」に既視感を覚えました。最近はお笑い芸人のネタやフリートークでもよく出てきますね、「既視感」というワード。

    「見たことのない景色」くらい、見たことのある言葉になってきました。こうなってくると、そろそろ「使うのがちょっと恥ずかしいワード」認定をするべきでしょう。だから私は「既視感」という言葉を今後は使わないことにします。これからはですね、こういうときは・・・、「デジャヴュ」と言うようにします。最後の「ヴュ」のところで、ちょっと頬を赤らめます。

    実は、又吉さんの選評の、さっきの部分の後ろは、

    ・・・既視感は拭い切れないが、現代を描くなら避けては通れぬ必然。

    と続いていて、特に悪くは書いていませんでした。しかも、全体的に肯定的なトーンでした。申し訳ございません、わたくし悪意のある「切り抜き」をやってしまいました。流刑にでもしてください。佐渡よりはオーストラリアのほうがいいです。

    でもね、選評を書く側も苦労しているんだと思います。「もし、あまり良くなかったところをしいてあげるとすれば、いえいえ、それはあくまで私が思った、というだけですが、このあたりですかね」くらいの気持ちで書かれていることと思います。そうでない感じのやつもよく見かけますが。

    こんな、厳しいことを言わなければいけない立場の人からの言葉を聞くときにぴったりなのが、ブルーハーツの『人にやさしく』のフレーズです。

    期待はずれの 言葉を言う時に

    心の中では ガンバレって言っている

    聞こえてほしい あなたにも

    厳しめの選評を書かれた作家さんたちの「ガンバレ」が、新人作家さんたちに届いていることを願っております。JASRACが何か言ってこないことも願っております。

  • 村上春樹の短篇小説『夏帆』を読む

    『夏帆』は長篇でしょ? ニュースでもそう言ってたよ。3年ぶりの長篇だって。と、つっこまれるのを期待した記事タイトルでした。

    『夏帆』の単行本の発売日の数日前、自治体の図書館サイトで、先行予約とかやっていないかな、などと淡い期待を抱きながら「夏帆␣村上春樹」で検索してみました。アマゾンじゃあるまいし、発売日前に貸出予約なんてことはできなかったのですが、ヒットする書籍があるじゃないですか。文芸誌というやつでした。

    その『新潮』(2024年6月号)を借りてみると、果たして『夏帆』が掲載されていました。特集記事の冒頭にこう書かれています。

    2024年3月1日、早稲田大学・大隈記念講堂で、世界が注目するふたりの日本人作家による朗読イベントが行われました。題して、〈『村上春樹×川上未映子 春のみみずく朗読会』――みみずくは春に本を読む〉。(略)

    本特集では、この日のために村上・川上両氏が書き下ろした新作短篇小説と、作品の朗読を間近で聴いた詩人 マーサ・ナカムラ氏によるレポートを掲載し、(略)

    「新作短篇小説」とあります。『夏帆』は最初、短篇として書かれたものだったんですね。朗読会が開催されたのは2024年3月1日とのことですので、2年以上前になります。2年以上前から『夏帆─The Tale of KAHO─』の断片(?)は発表されていたんですね。

    でも、内容は同じなんでしょうか? タイトルに共通部分はあるけど、全然違う内容という可能性もあります。『夏帆─The Tale of KAHO─』の第一章の冒頭部分が特設サイトで「試し読み」として公開されているので、新潮2024年6月号の掲載されていた『夏帆』と比較してみました。

    同じでした! いや、違うといえば、違うところもある。大筋では一致しているのですが、微妙に変更されています。

    例えば、新潮に掲載された短篇の書き出しは、

    「これまでいろんな女性とデートのようなことをしたが」とその男は言った。「正直いって、君みたいな醜い相手は初めてだ」

    ですが、『夏帆─The Tale of KAHO─』の書き出しは、

    「これまでいろんな女性とデートのようなことをしてきたが」とその男は言った。「正直いって、君みたいな醜い相手は初めてだよ

    間違い探しのような違いですが、この2年の間に直したのでしょうか。こんな違いもありました。

    新潮版、

    夏帆は受話器の前で一瞬間を置いた。電話番号の交換? それから言った。「いいえ、していない」

    単行本、

    夏帆は受話器を握ったまま一瞬間を置いた。電話番号の交換? それから言った。「いいえ、していない」

    微妙な違いですが、作家さんのこだわりなんでしょう。

    ちなみに、試し読みのほうは、「試し」だけあって、中途半端なところで終わっています。本屋に向かいたくなるような、うずうずさせるようなところで切れてます。

    新潮の掲載は短篇という体裁なので、最後はちゃんと「(了)」で終わっています。でも、朗読会で読んだ分量ですので、それほどのページ数はありません。「試し読み」のほうを3ページ半だとすると(ページの正式な数え方が分からないので相対値でイメージしてください)、新潮に掲載されていた「短篇」のほうは追加であと7ページくらいでしょうか。広告が入っているので数えにくい。さすがに、試し読みでは物足りなかったと思いますが、「短篇」の約1/3程度が試し読みできるようになっています。

    書き出し冒頭の侮辱発言、夏帆のリアクション、男の意図は? ぐっと掴んできますね。ちょっとした社会風刺も含まれてて、ルッキズムの対象(≒被害者)自身が、それを助長しているんじゃないか、みたいな。

    夏帆は、性格なのか、容姿や生い立ちのせいなのか、完全にルッキズムの毒からはフリーな状態でした。なのに、男の一言でそれが揺らぎかけます。男から受けた毒から回復する物語としてみると、ゼロがマイナスになって、またゼロに戻ったみたいなことになりますが、この経験によって成長して本当のルッキズムフリーを手に入れた(つまりプラス)というようにも読めます。

    これを読んで思い出したエピソード。私は背がどちらかというと低いほうです。めちゃめちゃ低いというわけではないですが、まあ低いです。私がこのことに気づいたのは、なんと大学生になってからでした。学生友達の一人が冗談っぽく「チビのくせによく食べる」みたいなことを言ったんです。私は、(ん? チビ? え、そうだっけ?)という心境。それ以来、意識してまわりの人と見比べるようになり、確かにその友人の言う通りであることを確認しました。

    他人が二人並んでいれば背の違いは一目瞭然ですが、自分と他人の背を比べるのはけっこう難しいです。自分が他者と写っている写真を見たり、ショーウィンドウに映った姿を見れば比べられますが、そもそも気にしてもいないので、注意して見ることもありません。そう、私は18年間自分の背について何も考えずにいられたのです。夏帆みたいでしょ。

    掲載された短篇の範囲を読む限り、夏帆がいわゆる美人なのか、そうでないのかは判然としません。どちらでも成立します。醜いからこう言われたのか、美しいのにこう言われたのか、その部分はこの物語では重要ではないのかもしれません。

    映画など映像化してしまうと、どうしても俳優の美醜の要素が入ってきてしまいます(もちろんそれも主観にすぎないのですが)。小説は、不要な要素に触れないでおける稀有な表現媒体だなと再確認したのでした。