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勝手に読書感想文。漫画も映画も含みます

村上春樹の短篇小説『夏帆』を読む

『夏帆』は長篇でしょ? ニュースでもそう言ってたよ。3年ぶりの長篇だって。と、つっこまれるのを期待したタイトルでした。

発売日の数日前、自治体の図書館サイトで、先行予約とかやっていないかな、などと淡い期待を抱きながら「夏帆␣村上春樹」で検索してみました。Amazonじゃあるまいし、発売日前に貸出予約なんてことはできなかったのですが、ヒットするものがあるじゃないですか。文芸誌というやつでした。

その『新潮』(2024年6月号)を借りてみると、果たして『夏帆』が掲載されていました。特集記事の冒頭にこう書かれています。

2024年3月1日、早稲田大学・大隈記念講堂で、世界が注目するふたりの日本人作家による朗読イベントが行われました。題して、〈『村上春樹×川上未映子 春のみみずく朗読会』――みみずくは春に本を読む〉。(略)

本特集では、この日のために村上・川上両氏が書き下ろした新作短篇小説と、作品の朗読を間近で聴いた詩人 マーサ・ナカムラ氏によるレポートを掲載し、(略)

「新作短篇小説」とあります。『夏帆』は最初、短篇として書かれたものだったんですね。朗読会が開催されたのは2024年3月1日とのことですので、2年以上前になります。2年以上前から『夏帆─The Tale of KAHO─』の断片(?)は発表されていたんですね。

でも、内容は同じなんでしょうか? タイトルに共通部分はあるけど、全然違う内容という可能性もあります。『夏帆─The Tale of KAHO─』の第一章の冒頭部分が特設サイトで「試し読み」として公開されているので、新潮2024年6月号の掲載されていた『夏帆』と比較してみました。

同じでした! いや、違うといえば、違うところもある。大筋では一致しているのですが、微妙に変更されています。

例えば、新潮に掲載された短篇の書き出しは、

「これまでいろんな女性とデートのようなことをしたが」とその男は言った。「正直いって、君みたいな醜い相手は初めてだ」

ですが、『夏帆─The Tale of KAHO─』の書き出しは、

「これまでいろんな女性とデートのようなことをしてきたが」とその男は言った。「正直いって、君みたいな醜い相手は初めてだよ

間違い探しのような違いですが、この2年の間に直したのでしょうか。こんな違いもありました。

新潮版、

夏帆は受話器の前で一瞬間を置いた。電話番号の交換? それから言った。「いいえ、していない」

単行本、

夏帆は受話器を握ったまま一瞬間を置いた。電話番号の交換? それから言った。「いいえ、していない」

微妙な違いですが、作家さんのこだわりなんでしょう。

ちなみに、試し読みのほうは、「試し」だけあって、中途半端なところで終わっています。本屋に向かいたくなるような、うずうずさせるようなところで切れてます。

新潮の掲載は短篇という体裁なので、最後はちゃんと「(了)」で終わっています。でも、朗読会で読んだ分量ですので、それほどのページ数はありません。試し読みのほうを3ページ半だとすると(ページの正式な数え方が分からないので相対値でイメージしてください)、短篇のほうは追加であと7ページくらいでしょうか。広告が入っているので数えにくい。さすがに、試し読みでは物足りなかったと思いますが、残り2/3で、けりがつくのでしょうか。

書き出し冒頭の侮辱発言、夏帆のリアクション、男の意図は? ぐっと掴んできますね。ちょっとした社会風刺も含まれてて、ルッキズムの対象(≒被害者)自身が、それを助長しているんじゃないか、みたいな。

夏帆は、性格なのか、容姿や生い立ちのせいなのか、完全にルッキズムの毒からはフリーな状態でした。なのに、男の一言でそれが揺らぎかけます。男から受けた毒から回復する物語としてみると、ゼロがマイナスになって、またゼロに戻ったみたいなことになりますが、この経験によって成長した、本当のルッキズムフリーを手に入れた、というようにも読めます。

これを読んで思い出したエピソード。私は背がどちらかというと低いほうです。めちゃめちゃ低いというわけではないですが、まあ低いです。私がこのことに気づいたのは、なんと大学生になってからでした。学生友達の一人が冗談っぽく「チビのくせによく食べる」みたいなことを言ったんです。私は、(ん? チビ? え、そうだっけ?)という心境。それ以来、意識してまわりの人と見比べるようになり、確かにその友人の言う通りであることを確認しました。

他人が二人並んでいれば背の違いは一目瞭然ですが、自分と他人の背を比べるのはけっこう難しいです。自分が他者と写っている写真を見たり、ショーウィンドウに映った姿を見れば比べやすいですが、そもそも気にしてもいないので、注意して見ることもありません。そう、私は18年間自分の背について何も考えずにいられたのです。

掲載された短篇の範囲を読む限り、夏帆がいわゆる美人なのか、そうでないのかは判然としません。どちらでも成立します。醜いからこう言われたのか、美しいのにこう言われたのか、そこはこの物語では重要ではないのかもしれません。

映画など映像化してしまうと、どうしても俳優の美醜の要素が入ってきてしまいます(もちろんそれも主観にすぎないのですが)。小説は、不要な要素に触れないでおける稀有な表現媒体だなと再確認したのでした。

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