今回は『巷の雑音』です。『脂粉の顔』(過去記事)、『墓を発く』(過去記事)に続く、宇野千代のたぶん三作目です。
「たぶん」と書いたのは、宇野千代 – Wikipedia を見ても、ちょっと判然としないからでして。
「来歴」の項目を見てみると、
1921年に『時事新報』の懸賞短編小説に『脂粉の顔』が一等当選し、作家デビュー。
と、一作目は分かりやすいですね。
「文章がこんなに金になるのか」と驚き、「なんて儲かるんだ、これは書かなきゃいけない!」と執筆活動に専念。『墓を暴く』を中央公論に送ったが、一向に返事がなく、上京したところ、すでに掲載されていたことを知り、その場で原稿料をもらう。
と、流れがあり、『墓を発く』が二作目っぽいです。ちなみに、引用は本文ママなのですが、『墓を暴く』になっていますね。ウィキペディアー(有志)の方、修正お願いします。
初期の作品については、「来歴」にはそれ以上の記載はありません。「年譜」の項目には、1921年に『脂粉の顔』が懸賞一等、1922年に『墓を発く』が中央公論に掲載、1923年に短編集『脂粉の顔』が上梓されたことが書かれています。でも、これからだけでは、短編集の収録作品は分からないですね。
そして、今 私が読んでいるのは、『老女マノン・脂粉の顔 他四篇』 (岩波文庫 緑 222-2)なんですが、嬉しいことに各作品の最後に日付が入っていて、これは脱稿の日付だそうです。書き出してみると、
『脂粉の顔』 1920年12月
『墓を発く』 1921年11月22日
『巷の雑音』 1922年7月5日
『三千代の嫁入』 1925年1月13日
『ランプ明るく』 1925年2月26日
『老女マノン』 1928年5月30日
となっています。初期の作品は順番に並んでいそうということで、「宇野千代のたぶん三作目」とさせていただきました。(前置き終わり)
主人公のお絹は、東京に出てきて、念願のミシンを手に入れ、これで稼ぐぞーと考えていたのですが、ふとしたことで足を怪我して、ミシンが踏めなくなり、ミシン屋にローンを支払えないと判断され、ミシンを取り上げられ、どうやって食べていこうと思っているところに、追い打ちで、田舎から学生の弟が姉を頼ってやってきて、にっちもさっちもいかなくなる、という流れです。
そこで、カフェー(アクセントは後ろにおいてほしい)が出てきます。大正時代のカフェーは、スタバのような意識の高い場所ではなく、ちょっといかがわしさの漂うところでした。
以下はお絹が働くことになったお店の描写です。
カフェ、ローラは都下でも二流と下らない店であったから、夜、九時より遅くまでどあを開いておく事を恥としていた。(それはただ、表看板であった。恥しくて掲げられない看板であった)
今じゃあまり見ない「二流と下らない」みたいな使い方が難しいですが、つまりは、うちは一流の上品な店だから夜中の営業なんかしないよ、ということでしょうか。ただ、それは表向きの話で、「恥しくて掲げられない看板」のような裏の側面もあった、ということだと解釈しました。
実情は、
お蔭で、女給仕たちは比較的早く、家へ帰れるのであった。然し、彼女等には、それから後に、薄暗い世界があった。思い思いの方角へ出掛けて行った。
お絹自身は、そんな夜の世界には染まらずに、つっぱってやっていこうとしますが、他の女給たちのいやがらせ、品のない客から受けるストレス、多忙な業務(給仕だけでなく、閉店時間帯の片づけや掃除も彼女たちの仕事でした)、睡眠不足などで、徐々に精神的に追い詰められていきます。
短編集を『脂粉の顔』『墓を発く』『巷の雑音』と読んできましたが、全部重たいです。もたれています。次こそはデザートのような作品を、と期待しながら読み進めていくのでした。











