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勝手に読書感想文。漫画も映画も含みます

向田邦子『かわうそ』に登場する『獺祭図』は架空の絵画

向田邦子の『思い出トランプ』という短編集に収録されている『かわうそ』という小説に、こんな一節があります。

 学生時代に見た一枚の絵が不意に浮かんで来た。

 あれは梅原だったか劉生だったか。白く濁ったビニール袋をかぶった脳味噌では思い出せないが、構図は覚えている。
 かなり大きい油絵で、画面いっぱいに旧式の牛乳瓶、花、茶碗、ミルクポット、食べかけの果物、パンの切れっぱし、首をしめられてぐったりした鳥が、卓上せましとならんでいた。
 題は「獺祭図だっさいず」である。

こんなのを読むと、この『獺祭図』がどのようなものであるのか見たくなります。本文中にある「梅原」とは洋画家の梅原龍三郎(1888年 – 1986年)、「劉生」とはこれも洋画家の岸田劉生りゅうせい(1891年 – 1929年)と思われますが、両氏に『獺祭図』なる作品はありません。

ウェブで検索すると、『獺祭図』という作品を書いた洋画家・版画家として小絲こいと源太郎(1887年 – 1978年)の名前が出てきます。以下は、10年以上前に『現代日本の美術〈7〉岡田三郎助・小糸源太郎 (1975年)』という本を図書館で借りた時に撮った写真です。

小絲源太郎の『獺祭図』
小絲源太郎 『獺祭図』 1931年 カンヴァス 油彩 161.7 × 130.0 cm

「かなり大きい油絵」という点、『獺祭図』というタイトル、卓上に様々なものが並べられている静物画であるという点は一致するのですが、「食べかけの果物」「パンの切れっぱし」「首をしめられてぐったりした鳥」など、一致しないものも多いです。「花」「茶碗」「瓶」らしきものはありますけどね。

以前このことを書いたブログ記事に、「川端龍子りゅうしの絵のことではないか?」というコメントをもらいましたので、ちょっと調べてみましたが、このような作品でした。

川端龍子 『獺祭』 1949年

こちらは、カワウソの習性の「獺祭」を擬人化して描いたもので、小説中の静物画とは関係なさそうです。

他に検索にヒットするものとしては、久保博孝氏が『獺祭図 -「別離」』、『獺祭図 -「Anne」』、『獺祭図 -「FLORENCE」(RED CROSS)』など「獺祭図」という言葉のつく作品を描かれておりますが、こちらは時代的にまだ新しい作品で、小説中の絵画とは関係なさそうです。

ここからは推測なのですが、向田邦子が記述したような『獺祭図』という絵画は存在せず、小説を構成するための架空の作品であるように思います。「白く濁ったビニール袋をかぶった脳味噌」というのは、脳卒中の後遺症が残る登場人物の宅次の思考を比喩しています。なので、不確かな記憶がごちゃまぜになっていても不自然ではありません。

カワウソの習性である「獺祭」(食物としての必要以上に獲物の魚を獲り、並べたりする)と、妻の厚子の性格や行動を重ねて、奥行きを出すための材料としての絵画です。「首をしめられてぐったりした鳥」は必要な要素だったんです。

 宅次は、牛乳瓶のうしろで死んでいる鳥が見えて来た。鳥は目をあいて死んでいたが、あの子は目をつぶっていた。
 星江は、三つで死んだ宅次のひとり娘だった。

と、この絵を引き合いに出しています。狩猟の獲物の鳥を静物画に取り入れるのはよくやられることなので、静物画のモチーフとして違和感はありません。

厚子の性格や挙動、カワウソの獺祭という習性、『獺祭図』という絵画、そこに描かれた死んだ鳥、という一連の要素をつないでストーリーを展開させるためのパーツとして、向田邦子はこの架空の絵画を創造した、というのが私の見立てです。

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