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勝手に読書感想文。漫画も映画も含みます

タグ: 法廷

  • 映画『心の旅』と好かれる親父

    映画『心の旅』見ました。邦題がどうも好きになれませんで。『心の旅』と言えば、チューリップの曲のほうですよね。映画は1991年のものなのですが、邦題の検討のときに、チューリップの曲名とかぶるからやめとこう、とはならなかったのでしょうか。

    原題は『Regarding Henry』なので、直訳すると「ヘンリーについて」「ヘンリーに関する(出来事・物語)」くらい意味なのでしょうが、そう考えると「心の旅」はちょっとクサい感じもします。

    ウィキペディアには、

    Rotten Tomatoesによれば、批評家の一致した見解は「ハリソン・フォードはシリアスな役どころを掘り下げる機会を最大限に活用しているが、『心の旅』は安っぽい感傷と陳腐な決まり文句によって台無しにされている。 」であり、30件の評論のうち高評価は43%にあたる13件で、平均点は10点満点中5.3点となっている。

    なんて書いてありますが、私はそんなに悪くないと思いましたけどね。映画の評価(特に点数的なもの)をWikipediaに載せるってちょっと微妙じゃないですか? Rotten Tomatesというのは映画レビューのサイトです。○○によれば、って書いてあるから、最初はよく読まずに人名か何かかと思ったら、「腐ったトマト」(というサイト名)じゃないですか。今見たら高評価の割合は増えてて、49%になっていました。

    後半ヘンリーがいい人になりすぎるって感はありました。過去の不公正な裁判の自省とそれに対する行動、夫婦仲の問題、子供との関係なんかも。後半に向けて、映画はそれなりにドラマティックにしなきゃいけないと思いますので、出来すぎた感じはありますよね。

    『アルジャーノンに花束を』を読んだとき(過去記事:『アルジャーノンに花束を』はSFだったんですね)にも感じた、高い知性を手に入れたがゆえに失うもの、知性を失ったがゆえに手に入れたもの、みたいなテーマがあると思います。

    ヘンリーは有能な弁護士で、完全な勝ち組です。お金もあるし、会社での地位もある。なので、髪形もオールバックです。(それは関係ない)

    事件に巻き込まれた後は、脳に障害が残って、ちょっと子供っぽいところが出てきたり、ものごとをストレートに考えるようになったり、変なプライドや思い上がりみたいなものがなくなったり。すっかり性格が変わります。あと、オールバックでもなくなります。(そこはあまり大事じゃない)

    それが人生にとって大切なものは何か、みたいな後半の言動にもつながりますが、私は前半のちょっとした変化のところが好きでした。

    会社で秘書の話をちゃんと聞くようになったり(事件前は自分の伝えたいこと優先の露骨な上下関係)、自宅の高級アパートのドアマンに挨拶して驚かれたり。

    小学生くらいの娘との関係も事件前は説教臭くて、一方的。娘のほうはあきらめてて反論もしない状態でした。

    娘が朝食のときにオレンジジュースをこぼすシーンがあって、変な空気になるんですね。以前だったら説教が始まる場面。でも、性格が変わったヘンリーは、自分もよくこぼすよ、みたいな感じで、わざとこぼして見せたりします。

    脳の後遺症のせいで、うまく読み書きできないヘンリーに娘が字を教えるシーンは好きですね。嫌われる親父と好かれる親父のエッセンスがこの映画にはつまっています。

    ちょっとした金や社会的地位を手に入れて、すっかり思いあがっている、あなたにおすすめの映画です。(なんちゅう言い草)

  • 塩田武士著『踊りつかれて』の感想文

    社会性のある小説とエンタメ小説が両立するんだなあという印象です。『踊りつかれて』(塩田武士 著)の内容を全く知らない状態で、この記事を読むことになる人は皆無だろうと思い、アマゾンの商品紹介に書いてあるような内容は省略します。これ読むだけで、ぐっと引き付けられます。

    「宣戦布告」によって個人情報を晒された「被害者(兼加害者)」、彼らの個人情報を晒した「被告人(兼被害者)」がどうなっていくのか、何が正しいことなのか、ということは、まず最初に興味が湧くところで、私がこの本を読みたいと思ったのも、そこがきっかけです。予約待ちが長かったために(『踊りつかれて』の前に『罪の声』)、期待はかなり高まっておりました。

    平穏な暮らしをしていた「一般人」が、過去の軽はずみな言動によって、加害者から被害者に立場が逆転する。自分が安全圏からやらかしていたことの重大さを思い知らされ、そして新たな生贄である彼らを攻撃する、さらなる加害者の登場。

    ネットによる情報の発信、受信、便乗がどんな結果をもたらすか。SNSを使い始める前の教科書にしてもいいくらい。読んでて重たい気分になるのは、小説の中の出来事が全くの空想から生まれたものではなく、現実で起きてもおかしくないこと、すでに起きていることなのではないか、そのような現状に対する著者のメッセージがひしひしと伝わってくるからです。

    巻末に列挙されている参考文献を見れば、この小説がノンフィクションをベースにしたフィクションであることが分かるでしょう。

    小説内では違う名前になっていますが、「ザ・ベストテン」「夜のヒットスタジオ」世代の人にとっては、そうそう、こんな感じだったとか、そんな裏側があったのか、などとちょっと違った楽しみ方もできます。もちろん、フィクションとノンフィクションの境目は意識しなきゃいけませんが。

    あと、『FOCUS』『FRIDAY』『FLASH』など写真週刊誌の全盛期の時代感覚とか。今の常識では信じられないようなことがまかり通っていました。当時のことを知らない人は 写真週刊誌 – Wikipedia を読んでみてください。自殺したタレントの遺体の写真を載せた出版社もありました。感覚がおかしくなっていたんでしょうか。さすがに、それはナシだろうって世の中の流れもあったけど、出版社が過当競争で舞い上がってしまうほど、写真週刊誌は売れていたし、当初は読者も「一般人」の権利だと考え、それを楽しんでいたんですよね。

    ネットが出てきて人が邪悪になったんじゃなくて、昔からだったんですよ。大っぴらにならなかっただけで。ネットによって、いろんな面が見えやすくなった。あと、簡単に引き金を引けるようになってしまった。こんなにも簡単に人を罵ることができるようになるとは。でも、そのような現状を憂う「正しい人」のような顔もできなくなってしまいます。この本を読めば。

    小説中で、被告人は告訴人(捏造情報をばらまいていた人)を強く断罪するわけではなく、何があったのかを感情を抑えて丁寧に伝えようとします。インターネットを介した情報被害について、どのような手段があるか問われたときのやりとりですが、自戒の意味を込めて、そこを引用して終わります。

    情報の正確性、表現が過剰でないかなどを意識してブレーキを踏んでほしいという内容を伝えたあとに、こう語ります。

    「既に炎上している事柄に便乗しそうになったときにも、ブレーキは必要です。『憂晴うさばらしに人を利用していないか』『追い込まれる実在の人間を想像できているか』と自問してほしい」