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勝手に読書感想文。漫画も映画も含みます

『アルジャーノンに花束を』はSFだったんですね

アルジャーノンに花束を』(ダニエル・キイス著)を読んだのはたぶん二回目です。家の本棚にずいぶん前からありました。かなり古い文庫本です。帯には「待望のテレビドラマ化」と書いてあります。2015年の山下智久主演の方じゃないですよ。2002年のユースケ・サンタマリア主演の方です。遠矢エリナ先生役(原作のアリス・キニアン先生に対応)は菅野美穂です。

自分は帯はすぐに捨てちゃうのですが、こういうのを懐かしむためにもとっておいてもいいですね。ちなみにこの本は妻が買ったものなので、帯が残っていました。

読んだのはドラマ化されていた当時(20年以上前)だと思います。なので、正直なところ読んだのかどうかも覚えていません。ただ、覚えているのは、治療によって手に入れた知性を、結局は失ってしまう悲しさ、みたいなイメージでした。でも、違いました。もちろんその要素もあるのですが、むしろ逆に賢くなってしまうことで失ってしまうもの悲しさの方に、より焦点が当てられていたように思います。

そのことは、冒頭につけられていた「日本語版文庫への序文」という7ページほどの文章にも表現されていました。著者のダニエル・キイス氏が書き留めていたアイデアには、こんなことが書いてありました。

「ぼくの教養は、ぼくとぼくの愛するひとたち――ぼくの両親――のあいだにくさびをうちこむ」

主人公のチャーリィ・ゴードンは知能は低いものの穏やかな性格で、自分の周りにはやさしい人達や友達やがいて、自分のことを好きなのだと信じています。それはある部分は正しく、ある部分は正しくなくて、職場のパン屋には意地悪をする人がいたり、チャーリィを酒場に誘うある同僚も、チャーリィと仲良くしたいわけではなく、単に馬鹿なことをさせて笑いものにするのが目的だったりします。ただ、真面目に仕事をするチャーリィを好ましく思う同僚も多く、パン屋での仕事はそれなりに回っている状態でした。

前述の性質たちの悪い同僚から守ってくれるようなベテランの店員ギンピイというのもいるのですが、知能の高くなったチャーリィはギンピイとの関係もぎくしゃくします。

ギンピイは得意客へパンを売るときに、料金を安くする代わりにその差額をキックバックさせるという、ちょっとした不正をやっていました。そのことに気づいたチャーリィはやめさせようと忠告するのですが、そのことでギンピイの反感を買います。

実際のところ、ギンピイだけでなく、ほとんどの従業員が賢くなりすぎたチャーリィを歓迎していなかっただけでなく、店主のドナーも、チャーリィと他の従業員の関係に苦慮しており、結局パン屋を追い出されることになります。守るべき弱い存在であったチャーリィが、そのような存在でなくなったことで、周りの態度が変化してしまいます。

弱い存在を守るべきだというのは、ほとんどの人が同意できるところだと思います。でも、賢くて強い立場にある人に対してはどうすべきなのか。彼が説く正論が、自分にとって不都合な場合、徒党を組んで排斥するようなことが許されるのか。強いものが相手なら、そういうことをやってしまいがちなのでは、というあたりもちょっと考えさせられます。

この文庫、SFに強い早川書房から出ているんですよね。1枚目のページの裏の、

日本語版翻訳権独占
 早 川 書 房

というのを見ると、おー、SFみたいと思いました。

そして、読んでみるとSFでした。さっき引用したアイデアメモの続きの部分ですが、

そしてもう一行。
「万が一人間の知能を増大させることができたとしたら、いったいどうなるだろう?」

もし技術的に○○が可能だったら、どうなるだろう?みたいなのはSFチックな発想ですね。

チャーリィはちょっと賢いというレベルではなく、様々な分野の学問に通じるようになり、言語もすぐに身に着けるので、論文も原著のまま読んだりもできます。専門家と話しても、相手が結局ある一分野のことにしか詳しくない(まあ、普通そうですよね)ということに失望します。話も合わないないし、言い負かされたくない研究者たちはチャーリィのことを腫れものにでも触るように扱いだします。

チャーリィの体験は極端ですが、ほとんどの人が似たような体験をしているのでは、という気もします。

子供の頃は賢い子だとちやほやされても、それこそ周りの大人よりも賢くなって、意見でも言い出したら、どういう反応をされるか。

会社の新人なんかも、何も分からないで謙虚な頃は可愛がってもらえます。でも、実力をつけて、先輩の立場を脅かし始めると、逆に足引っ張られたりとか。見たことはないですけど、なんか漫画とかドラマでありそう。

物を知るにつれて、すごいと思っていたものが大したものではなかったことに気づいて、自分の有能感を強く感じるようになったり、とか。でも、それもけっこう勘違いだったり、とか。

自分がチャーリィだったらという読み方もできるし、自分がチャーリィの周りの人間だったらという読み方もできます。それから、後半、チャーリィが知能を失っていく過程は、年を取って認知能力が衰えてきたときの(というかすでに自覚症状がありますが)、予習になると思いました。きっとこういう感じを味わうんだろうな、とか。

2026年3月26日追記
なんだか共通するテーマを感じました。
映画『心の旅』と好かれる親父

コメント

One response to “『アルジャーノンに花束を』はSFだったんですね”

  1. […] 『アルジャーノンに花束を』を読んだとき(過去記事:『アルジャーノンに花束を』はSFだったんですね)にも感じた、高い知性を手に入れたがゆえに失うもの、知性を失ったがゆえに手に入れたもの、みたいなテーマがあると思います。 […]

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