数日前(2026年3月30日)に新しい朝ドラの『風、薫る』が始まりました。『明治のナイチンゲール 大関和物語』(田中ひかる著)を原案としているそうで、その本を読んでみようかとも思いましたが、もう始まってしまったこのタイミングではちょっと遅い。先取り先取りでやっていきたいということで、『風、薫る』の次である2026年度後期『ブラッサム』のモデルである作家 宇野千代の作品を読むことにしました。ドラマが始まる頃には、こんな感想文を書いたこともすっかり忘れているかもしれません。
読んだのは宇野千代のデビュー作『脂粉の顔』(1920年)です。いきなりタイトルに知らない単語が入っています。脱脂粉乳の略かもと思ったあなた、全然ちがいます。どうやら、化粧、おしろいのことみたいです。
主人公のお澄は「カフェの給仕女」であると最初の行に書いてあります。ここで、喫茶店のようなカフェを想像して読み進めてしまうと、イメージが食い違ってきてしまいます。当時の「カフェ」については、ウィキペディアを読むと雰囲気が分かると思います。
カフェーは、日本で20世紀前半に流行した飲食店・風俗営業の一業態。古くは特殊喫茶、社交喫茶という言い方もあった。
女給という職業は単なるホールスタッフではなく、「接客業」であったということです。ただ、Wikipediaによれば、この接客サービスが露骨になっていったのはもう少し後の時期らしいです。ただ、カフェは喫茶店ではなく、お酒を飲む夜のお店であることは押さえておきたいところ。(そしてこんな喫茶があるから、そうではない普通の喫茶を「純喫茶」と言うんだ、という豆知識までつきます)
なので、「瑞西人のフバーから」、「突然流暢な日本語で」
「一体貴女は、一ヶ月に何程かかります?」
なんて不躾な言葉が飛んできても、それほど不自然な流れではないことになります。
これって、例えば大学を出たばかりの今の若者が読んでも分かるんですかね。つまり、一通り学校教育は受けてきていれば、この台詞を見て、この外国人の男性が何を尋ねようとしているのかピンとくるものなのでしょうかね? 学校で教わることはなさそうだとしても、今までに見たドラマとか映画とかで想像つくもんですかね。
まあ、つまりこの台詞は、
生活費がどれくらいかを聞いています。
・・・なんてことではなく、毎月の給金はいくら払えばいいですか? ということですね。さて、何に対する対価でしょうか? まあ、普通は妾になることへの報酬ですよね。昔は「女を囲う」なんて言葉がありました。常識の変化って怖いですね。
金銭的に余裕のある男が、正妻がいるにも関わらず、別宅や離れを用意して、金銭を払うことを条件に、そこに別の女性を住まわせるということが、普通に許されていた時代があったんですね。
近所の人から「あのエロじじい」とは言われるでしょうが、違法でもないし、世間から糾弾されるわけでもないという。そういう時代背景があっての、ハウ マッチ アー ユーであると。
でも、ちょっと違うのはフバーはお澄を妾にしようというのではなかったところですね。ここがこの短編小説のポイントになるのだと思います。フバーの意図が、正直よく分からないのです。
お澄はあまり深く考えなかったのか、
(略)とにかく、纏った金の六十円は有難い事に違いなかった。(略)さりとてこのままフバーの妾にせられるのでもなさそうだし、何しろ歴然した条件のない曖昧な境遇に置かれるというだけで遊んで暮らせるのは実に好い、と思った。
くらいの感じで、フバーからの呼び出しに応じます。それは速達で届いた手紙で伝えられた「午後から目黒の大競馬を見物しよう」というものでした。
なんで目黒に競馬場なんかあるんだ?というかたはWikipediaを見てください。1907年から1933年の間は目黒に競馬場があり、その後、府中の東京競馬場に移転したそうです。
(ちなみに7ページほどの短い作品で、このあと、どんどんネタバレしていくので、読むつもりのある人は、こんなブログ記事など読む前に、まず作品をお読みください)
お澄は、フバーと競馬を見に行き、ちょっと嫌な目に合います。まあ、このへんが純文学作品という感じで、すごく劇的なことが起こるわけではないんですよね。大したことではないよう、でも、なんかいやーな気分になるような、考えようによっては、ものすごいトラウマにもなるような、そんな体験なんですよね。
待ち合わせ場所に行ってみると、フバー以外に「見知らぬ娘」がいるんです。お澄はこの「美しい連れ」に対して、服装や容姿の点で引け目を感じてしまいます。しかもこの3人での行動は終始、その娘のペースで進み、フバーがどういうつもりでお澄を呼んだのかもはっきりしないだけでなく、フバーは途中からお澄を避けるような態度さえ取り始めます。
翌日、お澄はフバーに電話をかけ、お礼などを伝えるも、気乗りのしない反応をされ、その日の夕方、さっそくフバーから絶交状が届く。
1日競馬見物に付き合っただけで六十円(大卒の初任給くらいだそうで)を手に入れたものの、
あるむしゃくしゃした糟が胸の中へ溜って何時までも取れなかった。
という終わり方をします。
お澄や前述の娘の年齢については書かれておらず、容姿についてもそれほど詳しくは触れられていません。その娘についてはほとんど情報がありません。でも、お澄よりワンランク上 感があるんですよね。金銭的にも裕福だったり、高い教育を受けていたり、ちやほやと扱われることに慣れているような、そんな感じ。「娘」と表現しているあたりを見ても、年齢もお澄より若いのでしょう。
お澄はカフェではそれなりの人気があり(書いてないけどそんな気がする)、フバーにも見初められ(たと思い)、六十円という好条件を提示され、いったんは気分が高揚したはずです。競馬場では、その娘からも、フバーからも軽んじられ、いてもいなくても一緒のような態度を取られる。一気に奈落に落とされるような感じでしょうか。しかも、そもそも男性が金銭で女性を自由にするという理不尽な社会情勢もあれば、六十円という微妙な金額の金が、より侮辱された感を醸しだすような気もします。そんな、はした金でいいように扱われる自分、みたいな。
20代前半の宇野千代が、この『脂粉の顔』を書きあげ、時事新報(日刊の新聞)の懸賞短編小説に一等で当選し、彼女は作家としてデビューする、というスタートになるわけです。
そして、これが、朝の連続テレビ小説『ブラッサム』の第一話のあらすじです。まあ、嘘なんですが。
2026年4月12日追記
新人作家の登竜門と言われていた『中央公論』に掲載されることなった二作目です。その後、立て続けに六作が中央公論に掲載されることになります。
宇野千代の二作目『墓を発く』












