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勝手に読書感想文。漫画も映画も含みます

カテゴリー: 映画・ドラマ

  • 後半のダラダラ感がたまらない『菊次郎の夏』

    今さらながら、『菊次郎の夏』を初めて見ました。久石譲さんのテーマ曲は知ってて(普通に生活してたら絶対にどこかで聞いていると思う)、なんとなく内容も知ってて(母親を探している子供を、おじさんが連れて歩く、くらいのレベル)、子供が出てくるVTRなんかでこの曲が流れるだけで涙腺が緩む感じになっていました。映画も見ていなかったのに。

    内容というか演出はちょっと変わっていました。途中で何度かチャプターのサブタイトル(しかもちょっとおちゃらけている)みたいなのが入ったり、コントっぽいやりとりのシーンがあったりとか。「だるまさんがころんだ」を裸でやるみたいな場面で、他のみんなはパンツ一丁なのですが、井出らっきょさんは、なぜか全裸で。そうです、期待通りです。なので、タコの絵で隠している映像の加工とか。普通の映画だったら、品格が下がりそうな演出を、あえてやっている気がします。たけしさんの台詞も、演技と素と芸人が混ざったくらいのトーンで、それがいいんだろうなと思いました。

    菊次郎は子供のほうではなく、おじさん(ビートたけし)のほうです。子供は正男で、祖母と二人暮らしで。夏休みにたまたま見つけた母親の写真がきっかけで、母親に会いに行こうします。子供だけでは行けないので、知り合いの夫婦の旦那の菊次郎が子供を預かる形になるという展開。

    菊次郎は、普通だったら子供を預けたくないタイプの人間なんですね。旅行のために奥さん(岸本加世子)からもらった資金を握りしめて、まっさきに競輪場に行ったり、そのあとクラブ(?)キャバレー(?) みたいなところに行ったり。しかも正男を連れて、ですよ。でも、奥さんは「うちの人、子供好きだから」みたいな感じで、菊次郎に正男を託しちゃうという、昔の下町っぽいおおらかさ。

    ラストではなく、結構早い段階で目的を達してしまうというか、達せなかったというか、そういう状況になりまして、そのあとはダラダラと遊んで過ごす場面が続きます。でも、このダラダラ感は必要なんだろうなあと思います。やることないから、どうでもいい遊び(前述の裸だるまさんがころんだ的な)で時間をつぶす。大人になるとなかなか味わえない、永遠に続く夏休み、何の目的もないけど時間だけはある、みたいな感覚。

    計画性皆無のめちゃくちゃな旅なんですが、結果的に正男にとってはかけがえのない経験になります。

    旅の途中、正男はずっと、菊次郎のことを「おじちゃん」と呼んでいたんですね。旅の終わり、別れ際に正男は、

    (離れた場所から呼びかける)
    「おじちゃーん」

    (振り返る菊次郎)

    「おじちゃん、名前なんていうの?」

    (少し照れながら)
    「菊次郎だよ、バカヤロー。帰れ、はやく」

    言葉数が少ない正男が、名前を尋ねるという、とても淡い、でも、とても深い愛情表現です。皆様の位置からは見えないと思いますが、今、私泣いています。さようなら。

  • 宇野千代の短編集『幸福』(1972年)が重たすぎる

    こちらの過去記事を書いたときは、短編集の1作目(表題作の『幸福』)だけを読んだ状態で、最近やっと全部読み終わったので、追加の記事です。

    書籍の情報はアマゾンあたりで見れば、表紙画像や収録作など、けっこうなものが参照できると思っていたのですが、絶版の本は例外ですね。

    この1972年の『幸福』については、アマゾンの商品ページはあるものの、情報が少なくて収録作も分かりません。でも、表紙画像があるのはうれしいところ。わざわざ「1972年」と書いたのは、ウィキペディアが正しければ、同じ『幸福』というタイトルの短編集が1924年に金星堂という出版社から出ているからです。こちらはさすがに古すぎて、検索しても収録作の情報も出てきません。

    なので、1972年のものについては、収録作などを書き留めておこうと思いました。

    巻末の初出一覧です。

    収録作品発表誌一覧

    幸福      新潮  昭和45年4月号
    (第十回女流文学賞受賞作品)

    水の音     新潮  昭和44年8月号

    貞潔      海   昭和44年11月号

    この白粉入れ  新潮  昭和42年1月号

    野火      海   昭和46年2月号

    行く      群像  昭和36年5月号

    いま見るとき  文学界 昭和47年10月号

    では、それぞれメモ。

    『幸福』
     語り手は「一枝」。年齢は「七十をとうに越している」。夫の名前は出てこない。作中では「良人おっと」と記載されている(振り仮名なし)が、若い人はこういう名前かと思ってしまいそう。夫は戦争に行き、帰ってくる。一枝は十一軒目の家に住んでいる。

    『水の音』
     ごく短い作品。「今年の暮で、私は七十二歳になる」。野兎の「ピヨン吉」を飼う話。

    『貞潔』
     妻は「信子」、夫は「哲二」。哲二は画家(モデルはたぶん東郷青児)。絵を売るための苦悩。信子は破産した不倫相手のために、家からあり金全部(小切手)を持ち出す。

    『この白粉入れ』
     他の作品につけられてたふりがなによると、白粉おしろいと読むと思われる。語り手の愛人は「あの人」。新しく建てた家に、語り手は、あの人とその正妻と同居している。正妻の子が「一馬」。あの人は、かつて心中しようとして失敗した別の女性と、その後、結婚する。二人の子が「あけみ」、歌手の卵。語り手の出版記念の会で、あけみに歌ってもらう。
     嘘みたいな「設定」だと思ったのですが、かなり実話がベースになっているようです。(参考:[山口県岩国市]NPO宇野千代生家 宇野千代の人生と文学 二番目に好きだった男
     あの人は東郷青児、妻は盈子、二人の子は たまみ、がモデルになっているらしいです。

    『野火』
     「ハッパ」(発破のこと)の事故で両足を失った人の話を聞き、かつて恋愛関係(ちょっと微妙だが)にあった男も同様の事故に合い、手紙が何度か来たことを思い出す。

    『行く』
     短い作品。『この白粉入れ』に出ていた一馬と同じ設定の「正夫」が訪ねてくる話。『この白粉入れ』にも同様のエピソードがある。『行く』のほうが古いので、この掌編のエピソードをふくらまして『この白粉入れ』に盛り込んだのでしょうか。

    次が最後。

    『いま見るとき』
     妻は「信子」、夫は「(佐伯)啓吉」(モデルはやっぱり東郷青児)、夫の愛人「八重」。信子は二人の関係を知っているが、見逃しているような微妙な状況。すごいシーンあります。信子と啓吉の会話。

    「待って、ここへ八重を連れて来て、」「八重を、八重を連れて来て、どうするんだ。」「あたしの見てる前で八重を抱いて、」「何だって、」「八重を抱いて。啓吉さん、あなた、いつでも、あたしの知らない間に八重にしてたことを、いま私の見てる前でして、」何を言っているのか信子にも分らなかった。

    よし、このシーン、朝ドラ『ブラッサム』でやりましょう。

    この後を引用すると、グーグルにアダルトサイト認定されてしまいそうなので、やめときます。

    そしてこの作品、すごくいやな終わり方をします。

    「アメリカ兵の車だから、賠償金はとれないわよ。ヘーイ、レッツゴー、」八重はその出来事を路上に残したまま、つれと一緒に行ってしまった。

    この直前に起きた出来事の重大さと、八重の「レッツゴー」という軽い言葉のギャップが、いやーな後味を残します。

    宇野千代の初期の作品(過去記事)は、自身をモデルにしたけっこう重たいものが多かったので、その時期を朝ドラのエピソードにするのは厳しそうだなと思ってました。

    その後、作風が変わってすっかり明るい作品になったりするのかと思ったら、70代頃に出した短編集もなかなかハードな私小説でした。朝ドラが昼ドラのようになってしまわないか心配です。

  • 映画『メメント』と白いトランクス

    私の感想文ルール: 一つ、昔見た映画を思い出しながら書いてもよい

    見たのが昔とは言え、かなり繰り返し見たので、ギャメル刑事がレナードに会いに来た時に、

    Lenny!

    と呼びかける、ちょっと怪しい笑顔も鮮明に脳内再生できるほどです。

    主人公のレナードには、妻を殺された事件の時に、自身も頭を殴られ、記憶が10分程度しか持続しないという後遺症があります。自分の名前や昔のことは覚えているけど、新しい記憶が保持できないという状態です。

    これをどう表現するか? です。レナードはちょいちょい、「あれ? 今、俺 何してたんだっけ?」みたいな状況になります。この感覚を見ている人が疑似体験するために、編集上の工夫がこらされています。

    例えば、各アルファベットがある「時点」だとして、A→B→C→D→Eという時間の流れだった場合、これをこの順番で見ていくと、映画を見ている人は因果関係を自然に理解できる反面、「今、何してたんだっけ?」という感覚は共有できません。

    これを、

    D→E、C→D、B→C、A→B

    というシーン割りで見せることによって、各シーンの先頭で鑑賞者は、どういう場面なのかを、今与えられた断片的な情報から推理しなくてはいけない状況になります。これはある意味、鑑賞者のストレスになるんですが、レナードの心理状態を共有するという点で、非常に有効な演出になっているわけです。

    ・・・みたいな話は、ウィキペディアとか、読み解きサイトにきっと書いてあるので、そちらにお任せするとして、私としては、

    レナードがはいているのは白いトランクス

    という点に着目したいと思います。

    レナードは記憶が持続しないので、覚えておかなくてはいけないと思ったことはメモに取ります。人の顔も覚えられらないので、ポラロイドカメラ(チェキのもっと立派なやつです)で写真をとり、写真にその人の名前や、どういう人物なのかを書き込んだりします。

    メモや写真は無くしてしまう可能性があるので、本当に大事なことは体に書き込むのがよい、という正気の沙汰とは思えないポリシーに従い、レナードの体はタトゥーだらけです。きっと、日本の温泉には入れないでしょう。

    このタトゥーは映画の重要な要素なので、それをさりげなく見せるべく、レナードはよく裸になります。そのときに、どんなパンツをはいているかは、笑福亭鶴光師匠じゃなくても、気になるところです。

    レナード(ガイ・ピアース)は、なかなかの細マッチョです。もし、ビキニのセクシーなパンツをはいていたとしたら、それが気になって、話の筋を見失ってしまう可能性があります。そう、観客が記憶を失ってしまうかもしれません。

    トランクスにするにしても、それが水玉だったりペーズリーだったり、微妙な柄だったり色だったりすると、レナードが置かれた悲劇的な状況の描写の邪魔をします。高級スーツやジャガーとも合いません。

    ここはなるべくクセを排した、白のトランクス一択となります。

    白いトランクス(上部)
    白いトランクス(下部)

    私はこの映画を見て、白のトランクスって意外とありじゃん、と思い「♪あれも!これも!デイリーファッションパレット♪」という店内ソングでおなじみの衣料品店 パレットで、イメージに近いものを購入してみました。

    しかし、私はガイ・ピアースのような細マッチョではなく、どちらかと言うと太ポッチャの中年であるため、妻によれば「おじいちゃんみたい」な仕上がりになりました。

    「Don’t wear white trunks.」というタトゥーを、お腹のあたり彫っておこうと思います。

  • 宇野千代の二つの『幸福』

    宇野千代のデビュー作『脂粉の顔』を読んだので(過去記事)、次もなるべく初期の作品を読んでみようと、ウィキペディアの著作の欄を見てみると、年代が一番古いものだと、

    『幸福』(金星堂、1924年)

    というものがありました。自治体の図書館で検索すると

    『幸福』 宇野 千代/著 — 文芸春秋 — 1976 —

    というのがあったので、これだろうと思い、借りてみました。なかなか年季の入った単行本でタイトルは『幸』です。表題作『幸福』の冒頭を引用すると、

    いつでも一枝は風呂から上ると、ちよつとの間、鏡の前󠄁に立つて、自分の裸のからだを見る。タオルをてて、少し腰をひねるやうに曲げて立つてゐる。ぽつんとあからんだ肌をしてゐる。「似てる。」と思ふ。

    出た!「やうに」、「思ふ」。それ以外もなかなかの歴史的仮名遣いです。「前」の字の「月」のところがちょっと違うところにも気付いてほしい。昔は、お空の月と肉月は違う書き方をしていたんですね。ためになったねー。

    「ゐ」なんか、最近は

    るるるるる
    るるるるる
    るるるゐる
    るるるるる

    こういう、速く見つけるクイズ(?)とかでしか見ないですね。

    ちなみに、お若いあなたのために、上記には振り仮名を振りましたが、オリジナルの本文には振り仮名はありません。ちょっとハードルが高い。

    巻末付近の発行日や価格が書かれているところも、

    定價 七百八十圓

    となっています。分かるとは思いますが一応、「定価 七百八十円」の旧字です。「圓」の字といえば、「三遊亭圓生 」を思い出しますね。

    でも、ふと思ったんですね。発行の日付は「昭和四十七年十一月」となっています。「知らんがな」と思われそうですが、私が生まれる直前です。私が育ったころには、旧仮名遣いは、もはや使われていませんでした。じゃあ生まれた頃はまだ旧仮名遣いが一般的だったのでしょうか?

    なんでも答えてくれるあいつに聞いてみると、その頃はもう旧仮名遣いは使われていないとのこと。「でも『定價 七百八十圓』とか書いてあるよ?」と聞くと、昔 出版したやつの復刻版とかじゃないか、なんてことを言う。ほんとだろうか。

    初出一覧みたいなのがあったので見てみると、

    收錄作品發表誌一覧

      幸福 新潮 昭和45年4月號
      (第十回女流文學賞受賞作品)

    とあります。

    あれ? そういえば、ウィキペディアに載っていた『幸福』には、「1924年」(=大正13年)と書いてあったけど、発表日付の昭和45年は1970年です。よく見たら全然違うじゃん。別物?

    確かに、借りてきた『幸福』の主人公 一枝は「七十歳をとうに越してゐる」女性という設定です。1897年生まれの宇野千代は、1970年には70歳過ぎたくらいの歳ですから、自身がモデルだとすると、ぴったり一致します。

    11軒の家を建てた話とか、離婚している点など、ウィキペディアに載っている宇野千代のエピソードと一致する話も、小説に盛り込まれています。

    私が借りてきたのは70歳過ぎの頃の『幸福』でした。それでは、ウィキペディアに載っていた27歳の頃の『幸福』はどこにあるのでしょうか? こうして、私は今日も幸福を探し求めているのです。

    さて、恒例の朝ドラ「ブラッサム」予想です。

    とても信じられないことであるが、一枝は若いときから今日までに、家を十一軒建てた。

    これは脚本家がドラマに盛り込みたくなるやうな話ぢゃあないかと思ふのですが、いかがでしょうか。

  • 宇野千代のデビュー作『脂粉の顔』と当時のモラル

    数日前(2026年3月30日)に新しい朝ドラの『風、薫る』が始まりました。『明治のナイチンゲール 大関和物語』(田中ひかる著)を原案としているそうで、その本を読んでみようかとも思いましたが、もう始まってしまったこのタイミングではちょっと遅い。先取り先取りでやっていきたいということで、『風、薫る』の次である2026年度後期『ブラッサム』のモデルである作家 宇野千代の作品を読むことにしました。ドラマが始まる頃には、こんな感想文を書いたこともすっかり忘れているかもしれません。

    読んだのは宇野千代のデビュー作『脂粉の顔』(1920年)です。いきなりタイトルに知らない単語が入っています。脱脂粉、、乳の略かもと思ったあなた、全然ちがいます。どうやら、化粧、おしろいのことみたいです。

    主人公のおすみは「カフェの給仕女」であると最初の行に書いてあります。ここで、喫茶店のようなカフェを想像して読み進めてしまうと、イメージが食い違ってきてしまいます。当時の「カフェ」については、ウィキペディアを読むと雰囲気が分かると思います。

    カフェー (風俗営業) – Wikipedia

    カフェーは、日本で20世紀前半に流行した飲食店・風俗営業の一業態。古くは特殊喫茶、社交喫茶という言い方もあった。

    女給という職業は単なるホールスタッフではなく、「接客業」であったということです。ただ、Wikipediaによれば、この接客サービスが露骨になっていったのはもう少し後の時期らしいです。ただ、カフェは喫茶店ではなく、お酒を飲む夜のお店であることは押さえておきたいところ。(そしてこんな喫茶があるから、そうではない普通の喫茶を「純喫茶」と言うんだ、という豆知識までつきます)

    なので、「瑞西スイス人のフバーから」、「突然流暢な日本語で」

    「一体貴女あなたは、一ヶ月に何程なにほどかかります?」

    なんて不躾ぶしつけな言葉が飛んできても、それほど不自然な流れではないことになります。

    これって、例えば大学を出たばかりの今の若者が読んでも分かるんですかね。つまり、一通り学校教育は受けてきていれば、この台詞を見て、この外国人の男性が何を尋ねようとしているのかピンとくるものなのでしょうかね? 学校で教わることはなさそうだとしても、今までに見たドラマとか映画とかで想像つくもんですかね。

    まあ、つまりこの台詞は、

    生活費がどれくらいかを聞いています。

    ・・・なんてことではなく、毎月の給金はいくら払えばいいですか? ということですね。さて、何に対する対価でしょうか? まあ、普通は妾になることへの報酬ですよね。昔は「女を囲う」なんて言葉がありました。常識の変化って怖いですね。

    金銭的に余裕のある男が、正妻がいるにも関わらず、別宅や離れを用意して、金銭を払うことを条件に、そこに別の女性を住まわせるということが、普通に許されていた時代があったんですね。

    近所の人から「あのエロじじい」とは言われるでしょうが、違法でもないし、世間から糾弾されるわけでもないという。そういう時代背景があっての、ハウ マッチ アー ユーであると。

    でも、ちょっと違うのはフバーはお澄を妾にしようというのではなかったところですね。ここがこの短編小説のポイントになるのだと思います。フバーの意図が、正直よく分からないのです。

    お澄はあまり深く考えなかったのか、

    (略)とにかく、まとまった金の六十円は有難い事に違いなかった。(略)さりとてこのままフバーの妾にせられるのでもなさそうだし、何しろ歴然はっきりした条件のない曖昧な境遇に置かれるというだけで遊んで暮らせるのは実にい、と思った。

    くらいの感じで、フバーからの呼び出しに応じます。それは速達で届いた手紙で伝えられた「午後から目黒の大競馬を見物しよう」というものでした。

    なんで目黒に競馬場なんかあるんだ?というかたはWikipediaを見てください。1907年から1933年の間は目黒に競馬場があり、その後、府中の東京競馬場に移転したそうです。

    (ちなみに7ページほどの短い作品で、このあと、どんどんネタバレしていくので、読むつもりのある人は、こんなブログ記事など読む前に、まず作品をお読みください)

    お澄は、フバーと競馬を見に行き、ちょっと嫌な目に合います。まあ、このへんが純文学作品という感じで、すごく劇的なことが起こるわけではないんですよね。大したことではないよう、でも、なんかいやーな気分になるような、考えようによっては、ものすごいトラウマにもなるような、そんな体験なんですよね。

    待ち合わせ場所に行ってみると、フバー以外に「見知らぬ娘」がいるんです。お澄はこの「美しい連れ」に対して、服装や容姿の点で引け目を感じてしまいます。しかもこの3人での行動は終始、その娘のペースで進み、フバーがどういうつもりでお澄を呼んだのかもはっきりしないだけでなく、フバーは途中からお澄を避けるような態度さえ取り始めます。

    翌日、お澄はフバーに電話をかけ、お礼などを伝えるも、気乗りのしない反応をされ、その日の夕方、さっそくフバーから絶交状が届く。

    1日競馬見物に付き合っただけで六十円(大卒の初任給くらいだそうで)を手に入れたものの、

    あるむしゃくしゃしたかすが胸の中へたまって何時いつまでも取れなかった。

    という終わり方をします。

    お澄や前述の娘の年齢については書かれておらず、容姿についてもそれほど詳しくは触れられていません。その娘についてはほとんど情報がありません。でも、お澄よりワンランク上 感があるんですよね。金銭的にも裕福だったり、高い教育を受けていたり、ちやほやと扱われることに慣れているような、そんな感じ。「娘」と表現しているあたりを見ても、年齢もお澄より若いのでしょう。

    お澄はカフェではそれなりの人気があり(書いてないけどそんな気がする)、フバーにも見初められ(たと思い)、六十円という好条件を提示され、いったんは気分が高揚したはずです。競馬場では、その娘からも、フバーからも軽んじられ、いてもいなくても一緒のような態度を取られる。一気に奈落に落とされるような感じでしょうか。しかも、そもそも男性が金銭で女性を自由にするという理不尽な社会情勢もあれば、六十円という微妙な金額の金が、より侮辱された感を醸しだすような気もします。そんな、はした金でいいように扱われる自分、みたいな。

    20代前半の宇野千代が、この『脂粉の顔』を書きあげ、時事新報(日刊の新聞)の懸賞短編小説に一等で当選し、彼女は作家としてデビューする、というスタートになるわけです。

    そして、これが、朝の連続テレビ小説『ブラッサム』の第一話のあらすじです。まあ、嘘なんですが。


    2026年4月12日追記
    新人作家の登竜門と言われていた『中央公論』に掲載されることなった二作目です。その後、立て続けに六作が中央公論に掲載されることになります。
    宇野千代の二作目『墓を発く』

  • 短編映画『モーメント』(2019年 カナダ)

    ヒーローものとヒューマンドラマを合わせたような感じでしょうか。架空の物理法則の制限の中で、解決策を見つけ出そうとするあたりSFっぽくもあります。

    ヒーローは黒人の兄妹。活動は超能力(?)を使って遠隔で行われ、リビングのテレビの前で二人並んで座った状態で行われます。はたから見るとぼーっとしているように見えます。活動するときのコスチュームもアイマスクのようなものをつけるだけ。(そして、たぶん不要)

    主役の女性のピンチに、この二人のヒーローが現れ、時間を止めて助けようとします(実際は、時間が止まっているのではなく、思考が高速化し、時間が止まっているように見えるだけ、みたいな設定)。

    幽体離脱みたいに抜け出して、思考&コミュニケーションができますが、物理的に影響を与えることはできません。実世界とは切り離されていますので、時間が止まっている(ように見える)ときに、逃げたり、悪者を殴ったり、何か物を準備したりもできません。

    できるのは、「作戦を立てる」ことだけです。この制約が実にうまく機能しています。

    時間が止まっている状態で、あたりを移動することもできるので、ああやって、こうやって、とプランを練ることはできますが、再び時間が動き出した時には、「頭の中の作戦」以外には、何ら状況が好転していないというのが面白いです。

    このシステム的な面白さに加え、主役の女性の生い立ち、家族との関係、クソ彼氏などの要素も絡めたドラマ要素も詰め込まれています。

    これでなんと、上映時間 22分。短編映画はいいですね。サブスクでも見られるみたいですが、倹約家のあなたは(私もですが)、BS12の『土曜しょ~と劇場』を録画予約しておけばOKです。再放送されるかもしれません。されないかもしれません。その場合は、別の短編映画をお楽しみください。

  • 映画『心の旅』と好かれる親父

    映画『心の旅』見ました。邦題がどうも好きになれませんで。『心の旅』と言えば、チューリップのほうですよね。1991年の映画なのですが、邦題の検討のときに、チューリップの曲名とかぶるからやめとこう、とはならなかったのでしょうか。

    原題は『Regarding Henry』なので、直訳すると「ヘンリーについて」「ヘンリーに関する(出来事・物語)」くらい意味なのでしょうが、そう考えると「心の旅」はちょっとクサい感じもします。

    ウィキペディアには、

    Rotten Tomatoesによれば、批評家の一致した見解は「ハリソン・フォードはシリアスな役どころを掘り下げる機会を最大限に活用しているが、『心の旅』は安っぽい感傷と陳腐な決まり文句によって台無しにされている。 」であり、30件の評論のうち高評価は43%にあたる13件で、平均点は10点満点中5.3点となっている。

    なんて書いてありますが、私はそんなに悪くないと思いましたけどね。映画の評価(特に点数的なもの)をWikipediaに載せるってちょっと微妙じゃないですか? Rotten Tomatesというのは映画レビューのサイトです。○○によれば、って書いてあるから、最初はよく読まずに人名か何かかと思ったら、「腐ったトマト」(というサイト名)じゃないですか。今見たら高評価の割合は増えてて、49%になっていました。

    後半ヘンリーがいい人になりすぎるって感はありました。過去の不公正な裁判の自省とそれに対する行動、夫婦仲の問題、子供との関係なんかも。後半に向けて、映画はそれなりにドラマティックにしなきゃいけないと思いますので、出来すぎた感じはありますよね。

    『アルジャーノンに花束を』を読んだとき(過去記事:『アルジャーノンに花束を』はSFだったんですね)にも感じた、高い知性を手に入れたがゆえに失うもの、知性を失ったがゆえに手に入れたもの、みたいなテーマがあると思います。

    ヘンリーは有能な弁護士で、完全な勝ち組です。お金もあるし、会社での地位もある。なので、髪形もオールバックです。(それは関係ない)

    事件に巻き込まれた後は、脳に障害が残って、ちょっと子供っぽいところが出てきたり、ものごとをストレートに考えるようになったり、変なプライドや思い上がりみたいなものがなくなったり。すっかり性格が変わります。あと、オールバックでもなくなります。(そこはあまり大事じゃない)

    それが人生にとって大切なものは何か、みたいな後半の言動にもつながりますが、私は前半のちょっとした変化のところが好きでした。

    会社で秘書の話をちゃんと聞くようになったり(事件前は自分の伝えたいこと優先の露骨な上下関係)、自宅の高級アパートのドアマンに挨拶して驚かれたり。

    小学生くらいの娘との関係も事件前は説教臭くて、一方的。娘のほうはあきらめてて反論もしない状態でした。

    娘が朝食のときにオレンジジュースをこぼすシーンがあって、変な空気になるんですね。以前だったら説教が始まる場面。でも、性格が変わったヘンリーは、自分もよくこぼすよ、みたいな感じで、わざとこぼして見せたりします。

    脳の後遺症のせいで、うまく読み書きできないヘンリーに娘が字を教えるシーンは好きですね。嫌われる親父と好かれる親父のエッセンスがこの映画にはつまっています。

    ちょっとした金や社会的地位を手に入れて、すっかり思いあがっている、あなたにおすすめの映画です。(なんちゅう言い草)

  • 『国宝』を撮る25年前の李相日監督の映画も紹介『12歳からの映画ガイド』

    12歳からの映画ガイド』佐藤忠男著、タイトルだけ見て、借りて読みました。まさか50歳を過ぎたおっさんが読むとは著者も思っていなかったでしょう。

    若い人に向けた口調で、語りかけるように映画が解説されています。小中高生でも読めるように振り仮名も多めです。4ページが1つの単位になっていて、前半3ページで必見の1本、残り1ページに追加の3本、という形で紹介されています。

    紹介されている作品は邦画・洋画、時代問わず、かなり多岐にわたっています。1920年代の無声映画もあれば、2000年代の映画(本書が出版されたのは2007年)もあります。洋画もアメリカやヨーロッパだけでなく、インド、トルコ、イランなど多彩です。「12歳からの~」というタイトルではありますが、子供向けの映画はほとんどなく、12歳の少年少女がこの本を片手に次に見る映画を選んでる姿はあまり想像できません。『桐島、部活やめるってよ』の前田涼也や武文のような映画マニア青年なら、ありそうですが。

    読み進めていると、『あおChongチョン』という作品の紹介があり、監督名を見ると、「李相日」。って、あの『国宝』の! 本文を読んで、またびっくり。

    この本を書いている私、著者の佐藤忠男はいま日本映画学校という学校の校長をしている。(略)

    「青~Chong」という映画は李相日リ・サンイルという学生が自分で脚本を書き、監督もして作った劇映画である。彼は日本で生まれた在日三世で、高校は朝鮮高校に行った。この映画はその経験をもとにしてストーリーが作られている。非常に出来が良かったので映画祭などでたくさんの賞をとり、映画館でも上映され、外国でも上映された。そしていまではDVDで売り出されている。

    日本映画学校といえば、今の日本映画大学ですね。卒業生は、ウッチャンナンチャン、出川哲郎、バカリズム、狩野英孝、ニッチェなどなど。つまりNSCみたいなもんです。・・・ちがいました。監督、脚本家、俳優なども多数輩出しております。

    著者についても前提知識がなかったので、そんな映画教育界のドンみたいな人なのかー、と驚きました。あー、だから若い人に向けた本書を書いたのね。納得です。

    話は変わって、重箱の隅をつつくようですが、みんな大好き『ニュー・シネマ・パラダイス』の紹介ところで、

    どんな田舎にも映画館があった頃のイタリアの田舎町の話。男の子のアルフレードは映画が大好きで、もう映画館に入りびたる日々だった。

    いやいや、「アルフレード」は、映写技師のおじさんのほうっ!

    まあ、男の子ではあるし(最近の「女子」の広義化に準じる)、映画館に入りびたってはいるけど(仕事で)。

    男の子の名前は「トト」ですね。愛称ですが。

    ということで、改定増補版が出る場合は上記の修正よろしくお願いします。あと、『国宝』の紹介も追加しときましょう。

  • 映画『初恋のきた道』とマドロスえいじの「マニアックものまね」

    今回見た映画は、『初恋のきた道』(チャン・イーモウ監督)です。BSトゥエルビでやってました。タイトルは知っているけど見たことない映画の一つでした。こういう渋い映画のチョイス好きです。

    そして、『初恋のきた道』といえば、発音するときにちょっと緊張してしまう女優ナンバーワン(私調べ)のチャン・ツィイーです。「ツィイー」と口にするたびに、自分の発音は合っているのだろうかと心配になります。だいたい、ちっちゃい母音のあとに大きい母音なんて発音は、「ぁあああ、なんてことを!」みたいなときにしか出てきません。(私調べ)

    チャン・ツィイーさん本人が「みなさんこんばんは、チャン・ツィイーです」とあいさつしている動画があったので、これを見て、練習して、コンプレックスを克服していただければと思います。すっかり大人になっていてびっくりしました。

    この映画を見たいと思っていた理由の1つとして、ウクレレえいじさんの「マニアックものまね」があります。皆さんもちろんご存じだと思います。万が一知らない人のために、どんなものかお見せしたいところなのですが、なかなかいい素材が見つかりません。

    YouTubeで見つけました。なんと音声だけです。そして、このものまねには台詞がありません。

    ♪マニアックでごめんね、微妙でごめんね♪
    映画『初恋のきた道より』チャン・ツィイー。

    (無音)

    (お客さんの笑い声)

    という、一瞬ネットの接続が切れたのか?と思ってしまうようなコンテンツとなっております。アップした人は不安にならなかったのでしょうか。Spotifyにも同様のコンテンツが登録されています。アップした人は・・・(同上)

    ・・・と思っていましたところ、わたくしの録画ライブラリーの中に、ウクレレえいじ 改め マドロスえいじが、このものまねを披露しているものがありました。誰もが知っている大人気番組「みうらじゅんのザ・チープ」です。万が一知らない人は、こちらのサイトを見てみてください。

    「みうらじゅんのザ・チープ」特設サイト | 衛星劇場

    万人をターゲットにしたがゆえに、エッジがなまくらになった地上波の番組に飽きた人におすすめです。「みうらじゅんのザ・チープ」は、「作る側も見る側も老人の番組」である「老老番組」と銘打たれています。あなたにぴったりです。

    この番組で、なぜ「マドロスえいじ」を名乗っているかについては、みうらじゅん氏の自身のマイブーム(©みうらじゅん)が「マドロス」に向いたときに、「ウクレレえいじ氏が1年間マドロスえいじとして活動する」という旨の契約をかわしたという話をどこかで聞いたような記憶があるのですが、わたくしも老いるショック(©みうらじゅん)の年頃なので、定かではありません。うそだったらごめんなさい。

    どんなものまねなのか、どうしても伝えたいので、キャプチャ画像を貼らせていただきます。十分に宣伝しましたので、フェアユースということでご容赦を。法廷でお会いしたくはありません。

    ちょっと、はにかんだような仕草を見せます
    くるっと回ります
    笑顔でしめます

    そろそろウクレレえいじ氏に興味がが湧いてきたことと思います。そんな方は以下のサイトをチェックしてみてください。

    ウクレレえいじ | 芸人紹介 | 一般社団法人落語協会

    輝かしい受賞歴です。

    2008(平成20)年
    『細かすぎて伝わらないモノマネ選手権 第13回大会』 優勝

    2015(平成27)年
    『細かすぎて伝わらないモノマネ選手権 第21回大会』 準優勝

    2024(令和6)年
    『第27回みうらじゅん賞』 受賞

    そして、なんと2006年にはみうらじゅん氏により「人間僕宝」に認定されています。映画『国宝』公開の19年前に、すでに「僕宝」となっていたのです。

    そんなウクレレえいじ氏を生で見たい方は、以下をチェックしてみてください。

    「居島一平の 別冊お笑いウイークエンダー」vol.6

    高円寺で電撃復活したライブ
     今回テーマは「あの芸人、実はこんな本を読んでいた」
    各人それぞれ偏愛する著者、ジャンルにまつわるエピソード、
    胸熱で語り倒します。

     於・本の長屋 本店・本屋の実験室(コクテイル書房左隣)

    出演者 居島一平 / しゃばぞう / 倉富益二郎 / ウクレレえいじ
    開催日 2026年04月17日(金)
    会場  本店・本屋の実験室(東京都)

    えーと、何の話でしたっけ? そうだ『初恋のきた道』でした。

    チャン・ツィイーがくるっと回るような、ウクレレえいじ氏のものまねのシーンを見つけることはできませんでした。満員電車の中で見ていたので見逃してしまった可能性もあります。もしかしたら、テレビ放送版でカットされていたのかもしれません。

    「みうらじゅんのザ・チープ」第1回の「マドロスえいじの一発芸口座」で、志村喬(映画『七人の侍』の侍のリーダー役)のものまねを披露したマドロスえいじ 助教授(番組での設定)は、

    本当はあんなに大袈裟にやっていないんです

    と、「マニアックものまね」の基本は「作品イメージに合わせデフォルメする」ことだと語っておられました。

    稲城市立図書館にはDVDが所蔵されていたので、問題のシーンの元ネタはどこなのか、再度ノーカット版で確認したいと思います。『初恋のきた道』を見倒したという方で、心当たりがある場合はご一報を。

  • 『最高の人生の見つけ方』は、大金持ちの側の視点で見る

    夏休みの宿題で読書感想文を書かなければいけない。指定図書を読んでみて、まあ面白かったのだが、感銘を受けたというほどでもなく、この本で感想文を書くのは難しい。かといって、今から別の本を読むのも大変だし、次に読んだ本で書けるとも限らないし、きりがない。とにかく、最初に読んだ本に対して、あーだこーだ書いて、「感想文」ということにしよう。・・・という感じです、今回は。

    見た映画は『最高の人生の見つけ方』です。監督のロブ・ライナーが死亡し、殺人事件である可能性が高いというニュースを見たのがきっかけです。

    ニュースを見たから、映画を見たくなったというわけではなく、実はすでに稲城市立図書館の予約かご(これから借りたいものリストみたいなもの)には入れていたんですよね。でも、なぜ入れたかが思い出せない。重要な事実は、ミステリーでは隠されるものです。しかし、この事実は最後まで判明しないので、ミステリーとして成立しません。なので、この私の文章のジャンルは、つまり「とりとめのない話」です。

    モーガン・フリーマンは大抵、いい人です。『ドライビング Miss デイジー』では運転手で、いい人でした。『セブン(SE7EN)』では殺人犯を追う刑事で、いい人でした。『ショーシャンクの空に』では殺人犯だったのに、いい人でした。さて、本作ではどうでしょうか。愚問ですね。

    あらすじは、ウィキペディアででも見てください。

    見ましたか? 見た前提で書きます。

    なんか都合が良すぎるというか、余命宣告されること以外は、相当ラッキーな感じでした。

    金で買える極端なものを享受しつつ、金では買えないちょっとしたものもあわせて描くという感じでしょうか。あと、余命6か月なわりには、二人とお元気で。

    さて、お金持ちのおじさんと、お金持ちでないおじさんが出てきます。モーガン・フリーマンはどちらでしょうか? そうですね、もちろん、お金持ちでないほうです。絶対にそうなのです。

    お金持ちのほうの人相が悪いなあと思ったいたら、この人でした。

    当時はアル中の作家でしたが、いつのまにか大金持ちになっていました。

    モーガン・フリーマンは病院でシャイニングと知り合い、意気投合して、金に糸目をつけない豪遊ができるわけです。でも、世の中の余命宣告される人たちには、そんな人はあまりいないので、なんだか、できすぎた話だなあ、と思ってしまいます。

    でも、シャイニング(あ、金持ちのエドワードのことですよ)の側からみると、独り身の因業野郎で死んでいくところだったのに、モーガン・フリーマン(そう、カーターのことですよ)と出会ったことで、人生の意味を見つめなおすことができた、ということでしょうか。そう見ると、「できすぎた話」感はちょっと薄れるかもしれません。

    あなたも私も「最高の人生」を見つけることができるかもしれません。ただ、いかんせん、あなたも私も大金持ちではないので、感情移入できないところが難点なのかもしれません。

    で、さっき知ったのですが、日本でのリメイク作品があるんですね。吉永小百合と天海祐希が主演の『最高の人生の見つけ方』です。

    はい、特に「見たい!」ということはないです。ねぇ?

    と思いきや監督の名前を見ると、『ジョゼ』の犬堂一心 監督じゃないですか。ちょっと見たくなりました。(過去記事: 『ジョゼと虎と魚たち』主に小説、少し映画

    アマゾンの説明を見ると、元のやつと話が全然違いそうな予感です。犬堂版を見たうえで、「タイトル以外の共通点を見いだせなかった」などと暴言を吐いてみたいです。

    私のBucket List(=死ぬまでにやりたいことリスト)に追加しておきます。

    • ・・・
    • 犬堂版も見る
    • 暴言を吐く

    いつも吐いているので、1つは消しておきました。