村上春樹氏のデビュー作はいつか読まねばと思っていたのですが、のびのびになっていました。デビュー作の『風の歌を聴け』の初出は1979年です。私はかろうじて生まれていましたが、やっと漢字を習い始めたという頃でしょうか。『大きなかぶ』や『スイミー』は読みましたが、村上春樹は読んでいませんでした。
なので、今さらながらですが読んでみました。そして、読む直前にこの『風の歌を聴け』が芥川賞にノミネートされていたこと(そして逃したこと)を知りました。村上氏が芥川賞を獲っていないことは、たまに話題になりますよね。意外だという印象だったり、授賞(あげるほうの視点ですね)しそこねたみたいな文脈だったり。芥川賞って、時の運というか、タイミングみたいなものも大きいですよね。作家キャリアの初期にしか対象にならないし、ライバルである他の候補作の具合とか、時代というか、その時の選考委員が誰だったかにもよりますし。
なんだかM-1グランプリみたいなお笑い賞レースを連想します。すごく売れている芸人が意外にも無冠だったり、何年も前に優勝した人が今はそれほどでもなくて、「えっ? 獲ってたんだ」みたいなのとか。あと、審査員に上沼恵美子がいるかどうかが影響したりとか。
本の話から入ったくせに、なかなか本の内容に入らないのが、私の唯一の欠点です。自己評価が甘いというのは長所です。
本のことを話すときに、あれよりもこれの方が面白かった、みたいな言い方は何だか違うような気がしていて、せめて「インパク知」とか「バカシブ」みたいな2軸にする必要があるんじゃないかとか。もっというと、「バカ」と「知的」に優劣関係はないんだとか。
しかし、君子は豹変し、『夏帆』より『風の歌を聴け』のほうが面白かった、などと言いたくなったりもします。ある作家の最近の作品と過去の作品を比べ、昔のやつのほうが面白かったなどというのは、昔の曲ばかり聞きたがる、アーティストの心、ファン知らずな感じで、もっと最近の曲もリクエストしてよ、と思ったりもします。
でも、ここ数ヶ月で読んだ本の中で一番良かったんですよね。どこがいいって、鼻につく感じのところがいいです。学生ふぜいが毎日のようにバーで酒を飲んでいたり、車を乗り回していたり(←多分に悪意が含まれる表現)するところが。
そして、悲劇といえば悲劇だが、どん底と呼べるほどではない、ちょっとした心の傷があったり。小粋なトークで、それを小出しにしたり。
なんか悪口言っているみたいですが、物事はそんなに単純ではありません。前述のような表現にだんだん引き込まれていくんですよね。
登場人物が「演じている」感じがいいです。無口な主人公がぽつりと何かひねったことを言う。それに対し、会話の相手は、「ちょっと何言ってるかわからない」とは言わずに、同じくらいひねった、端的な言葉を返す。
演じる主人公と演じる女の会話、演じる主人公と演じる友人のやりとりが、次第に世界を作っていって、どこにもないような無国籍な空間を作り出す。かなり独特な雰囲気を持っています。この空気感を出せるのが村上氏なのでしょう。
芥川賞にノミネートされると嬉しいのは、選考委員の選評が読めることです。『風の歌を聴け』についても、芥川賞のまとめサイトにノミネート時の選評が載っています。
村上春樹(むらかみ はるき)-芥川賞候補作家|芥川賞のすべて・のようなもの
一番上に載っていた丸谷才一氏(53歳)の評言が以下のようなもので、
「アメリカ小説の影響を受けながら自分の個性を示さうとしてゐます。」
「もしこれが単なる模倣なら、文章の流れ方がこんなふうに淀みのない調子ではゆかないでせう。それに、作品の柄がわりあひ大きいやうに思ふ。」
え、そんな昔? と思ったら、他の選考委員の人は普通の日本語で書いていて、丸山氏だけがこんな口調。落語の「たらちね」の奥さんみたいな人なのかもしれません。他の選考委員のメンバーを見ても、丸山氏はどちらかというと若いほうで、彼だけがこんな言葉遣いなのは変な感じです。きっとこのやうな表記の仕方を好む人だったのでせう。
選考委員の顔ぶれがすごいです。井上靖(72歳)、開高健(48歳)、遠藤周作(56歳)、大江健三郎(44歳)などなど。大江健三郎が最年少。
このメンバーになら、ボロクソに言われてもしょうがないか(ってこともないでしょうが)と思いきや、意外にポジティブな意見も多く、でもあともう一歩的な感じが目立ちました。
ということで、過去の受賞作やノミネート作を読むときは、選評をあわせて読むと一粒で二度味わえます。でも、変な先入観を持たないで読むためには、作品を読んだ後に選評を読むほうがよさそうです。












