いやー、つらい読書体験でした。サリンジャーの中編が2つ入っている文庫本で、前半の『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』を読んだときもなかなか厳しいものがありましたが、後半の『シーモア-序章』はそれ以上でした。
『大工~』のほうはまだストーリーがあったのですが、『シーモア-序章-』のほうは、バディ(次男。シーモアのすぐ下の弟)の独白みたいな感じ。独白、じゃないな。えーと、バディは作家で、シーモアについての『シーモア-序章-』という作品を書いた。それが、この本に載っているわけです。つまり、『シーモア-序章-』はサリンジャーの作品ではなく、バディの作品という形になっています。メタフィクションってやつでしょうか。
その作品は小説ではなくて、ノンフィクションというか、エッセイというか、途中まで書いて、しばらくして続きを書いて、というのをそのまま載せてある感じ。
かなり後半ですが、こう表現されていました。
わたしと同じ年齢で同程度の収入があり、自分の死んだ兄弟のことを魅力的な半ば日記形式で書く非常に多くの人間は、わざわざ読者に日付を知らせたり現在自分のいる場所を教えるようなことはしない。
作者(バディ? サリンジャー?)が書いているんだから「日記形式」ということでよさそうです。
この作品の中では、他のサリンジャーの短編もバディが書いたという設定になっています。
しかし、これまでにわたしは直接シーモアについて語っていると考えられた二つの短編小説を書き、出版したと言ってもいいし、また言っておかねばなるまい。この二つの作品のうち、新しいほうは1955年に出版されたが、1942年の兄の結婚式をきわめて総括的に物語ったものである。
出版年は実際とは違うみたいですが、「この二つの作品のうち、新しいほう」というのは『大工よ~』のことでしょう。そして、「他方、それ以前の、1940年代の末に書いたもっと短い小説」として言及しているのが、ナイン・ストーリーズに入っている『バナナフィッシュにうってつけの日』です。
(略)彼自身が直接姿を現すばかりでなく、歩いたり、話したり、海にもぐったり、最後の一節では頭にピストルを打ちこんでいる。
とあるので、読んだ人には明らかですよね。
設定は大体わかっていただけたと思います。冒頭、いきなりカフカとキェルケゴールの引用から入り(数ページ後に説明がある)、シーモアの話をしそうでなかなかしない。何を言いたいのかがわからない、非常に長いセンテンスが続きます。係り受けの関係を読み解くだけでしんどいです。
後半になると、具体的にシーモアの話が出てくるので、なんとか興味が持続するようになりますが、全般的にほとんどの人には楽しめない作品になっています、たぶん。私もそちら側でした。
でも、アマゾンのレビューの点数だと、現時点で平均で4.4点です。高いほうですよね。楽しめる人もそれなりに多いようで。
あなたはどちら派なのか、確かめてみたらいいかも。サリンジャーの全作品を読むのはけっこう簡単です。作品数が少ないので。でも、理解するとなると・・・、ねえ?

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