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勝手に読書感想文。漫画も映画も含みます

タグ: アメリカ

  • あるイタリア系アメリカ人の更生

    彼はベトナム戦争から帰還し、タクシーの運転手をやっていました。そのときに、売春宿を襲撃するという事件を起こしますが、社会から爪はじきになることもなく、逆にちょっとした英雄扱いを受けるようなこともありました。

    しかし、その後、彼はすっかり裏社会に入り込み、マフィアのボスになりました。野球が好きだった彼はチームプレイを愛する一方、へまをしたやつは許さないという冷酷な人間になりました。彼のバットが打つのはボールではなく、ミスを犯した部下の頭でした。

    晩年、妻に先立たれた彼は、あるベンチャー企業でベテランのインターン生として働くようになりました。今までの経験を活かし、若き女性経営者の心の支えになるような立派な人になりました。

    一時期は踏み外しかけたこともありましたが、すっかり更生し、平穏な人生を送ることができるようになったので、よかったなあと思いました。(おわり)

    何の話だって? ロバート・デ・ニーロの半生ですよ。

    『タクシードライバー』(1976年)からの、『アンタッチャブル』(1987年)を経ての、『マイ・インターン』(2015年)です。マイ・インターンを見ていて、ベンがニコッとしたとき表情が、カポネがニヤッとしたときのことを彷彿とさせ、バットで殴られるんじゃないか、とドキドキするようなことはないと思いますので、ご安心を。

    これらの作品で、私が覚えた英語フレーズは

    You talkin’ to me?

    です。さて、どの作品でしょう?

    ちゃんと書くと “Are you talking to me?” でしょうか。「あなたは私に向かって話しているのですか?」という意味です。

    街で絡まれたときなどに使ってみてください。「え、俺か? 俺に言っているのか? 他には誰もいないようだが・・・ 本当に俺に向かって言っているのか?」などと、ちょっとくどめに確認をしたあとに、袖口に忍ばせたピストルをさっと出し、相手をバンッ・・・

    みたいな冗談は最近受け入れらないので、なんだか窮屈です。

  • 『シーモア-序章-』はサリンジャーではなく、バディ・グラースの作品?

    いやー、つらい読書体験でした。サリンジャーの中編が2つ入っている文庫本で、前半の『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』を読んだときもなかなか厳しいものがありましたが、後半の『シーモア-序章』はそれ以上でした。

    『大工~』のほうはまだストーリーがあったのですが、『シーモア-序章-』のほうは、バディ(次男。シーモアのすぐ下の弟)の独白みたいな感じ。独白、じゃないな。えーと、バディは作家で、シーモアについての『シーモア-序章-』という作品を書いた。それが、この本に載っているわけです。つまり、『シーモア-序章-』はサリンジャーの作品ではなく、バディの作品という形になっています。メタフィクションってやつでしょうか。

    その作品は小説ではなくて、ノンフィクションというか、エッセイというか、途中まで書いて、しばらくして続きを書いて、というのをそのまま載せてある感じ。

    かなり後半ですが、こう表現されていました。

    わたしと同じ年齢で同程度の収入があり、自分の死んだ兄弟のことを魅力的な半ば日記形式で書く非常に多くの人間は、わざわざ読者に日付を知らせたり現在自分のいる、、場所を教えるようなことはしない。

    作者(バディ? サリンジャー?)が書いているんだから「日記形式」ということでよさそうです。

    この作品の中では、他のサリンジャーの短編もバディが書いたという設定になっています。

    しかし、これまでにわたしは直接シーモアについて語っていると考えられた二つの短編小説を書き、出版したと言ってもいいし、また言っておかねばなるまい。この二つの作品のうち、新しいほうは1955年に出版されたが、1942年の兄の結婚式をきわめて総括的に物語ったものである。

    出版年は実際とは違うみたいですが、「この二つの作品のうち、新しいほう」というのは『大工よ~』のことでしょう。そして、「他方、それ以前の、1940年代の末に書いたもっと短い小説」として言及しているのが、『ナイン・ストーリーズ』に入っている『バナナフィッシュにうってつけの日』です。

    (略)彼自身が直接姿を現すばかりでなく、歩いたり、話したり、海にもぐったり、最後の一節では頭にピストルを打ちこんでいる。

    とあるので、読んだ人には明らかですよね。

    設定は大体わかっていただけたと思います。冒頭、いきなりカフカとキェルケゴールの引用から入り(数ページ後に説明がある)、シーモアの話をしそうでなかなかしない。何を言いたいのかがわからない、非常に長いセンテンスが続きます。係り受けの関係を読み解くだけでしんどいです。

    後半になると、具体的にシーモアの話が出てくるので、なんとか興味が持続するようになりますが、全般的にほとんどの人には楽しめない作品になっています、たぶん。私もそちら側でした。

    でも、アマゾンのレビューの点数だと、現時点で平均で4.4点です。高いほうですよね。楽しめる人もそれなりに多いようで。

    あなたはどちら派なのか、確かめてみたらいいかも。サリンジャーの全作品を読むのはけっこう簡単です。作品数が少ないので。でも、理解するとなると・・・、ねえ?

  • 大工よ、屋根の梁を高く上げよ。アレスさながらに、丈高き男の子(おのこ)にまさりて高き花婿きたる。

    私がサリンジャーの作品を読んだきっかけは、爆笑問題の太田さんがテレビ番組で薦めていたから。どうやら「爆笑問題のススメ」(wikipediaへのリンク)という番組だったようですが、私がサリンジャーを初めて読んだ時期が15,6年前だということを考えると、さらに前に放送されたものがYouTubeかなんかにアップされていて、それを見たのかも。

    太田さんは、サリンジャーの『フラニーとゾーイー』と、カート・ヴォネガット・ジュニアの『タイタンの妖女』を紹介していました。紹介している番組をどうしても見たい人は、ウェブで検索すれば出てくるのではないでしょうか。私はまだ読んでいないのですが、『爆笑問題の「文学のススメ」』という本も出ているので、そこでふれているんじゃないかと思います。絶版になっているみたいですが、図書館で借りるか、中古で買えば読めるでしょう。

    番組の中では、サリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』という短編集にも触れていました。なぜかというと、この中に入っている『バナナフィッシュにうってつけの日』が、グラース家のストーリー(連作短篇のような形になっています)の発端になっているからです。

    出版の順序では、『バナナフィッシュ~』 → 『フラニー~』 → 今回読んだ『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』ですが、ストーリーの時系列では、『大工~』(長兄シーモアはまだ生きている) → 『バナナフィッシュ~』(シーモアの自殺) → 『フラニー~』(兄を失った妹の葛藤)という流れになります。

    『大工~』は家に文庫本があったので、以前読んだはずなのですが全く内容を覚えておらず、もっと言うと、読んだかどうかも自信がなかったです。が、読んでみると、やっぱり読んでました。

    語り手は、シーモアのすぐ下の次男バディで、シーモアの結婚式のために、軍隊(本業は作家だから、たぶん兵役)の休暇をとって、病み上がり(治りきっていない)の体をおして、はるばるやってくるのだけれど、気まぐれとも思えるシーモアの行動により結婚式はドタキャンになり、花嫁側の親戚とたまたま同席してしまい、シーモアのことを悪く言う気の強そうな女性になんだかんだと言われる、みたいな話です。

    冒頭で、赤ん坊の頃のフラニーにシーモアが読み聞かせた中国の古典が引用されています。また、タイトルになっているフレーズは、ブーブー(長女、バディの妹)がバスルームの鏡に石鹸で書いた伝言の一部で、その内容はというと、

    「大工よ、屋根の梁を高く上げよ。アレスさながらに、丈高き男おの子にまさりて高き花婿きたる。先のパラダイス放送株式会社専属作家アーヴィング・サッフォより、愛をこめて。汝の麗しきミュリエルと何卒、何卒、何卒おしあわせに。これは命令である。予はこのブロックに住むなんぴとよりも上位にある者なり」

    古典のパロディのようだけど、元ネタが分かりません。あのサッフォーかなと思ったけど、ウィキペディアのサッポーのページを見ても、アーヴィングというファーストネームではありません。「アーヴィング␣サッフォ」で検索してもそれらしいページはでてきません。

    シーモアの奥さんになるミュリエルの名前が出てくるので、ブーブーからシーモアへの祝辞であろうということ分かるのですが、それ以外は不明です。シーモアは背が高いのでしょうか?

    小説のタイトルとして、この部分を選んだくらいだから、何か深い意味が込められているのかもしれません。

    ・・・このような感じですので、サリンジャーの作品の中であまり知名度が高くない(気がする)のもうなづけけます。

    グラース一家の物語を読みたい人は、『ナイン・ストリーズ』(普通に短篇集として楽しめます)から入って、そこ出てくる断片に触れて、『フラニーとゾーイ―』でより深く知って(村上春樹のズーイのほうでもいいけど)、それでシーモアに興味がわいたなら、『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』に進むほうがよさそうです。

    サリンジャーの作品には、一度読んだだけでは理解できないようなものも多い気がします。でも、何度読んでも新たな発見があるような、そんな作家なんだろうなと思います。

  • 『Charlie and the Chocolate Factory』の原作(英語)と映画

    『CHARLIE AND THE CHOCOLATE FACTORY』(ROALD DAHL著)を読みました。映画の『チャーリーとチョコレート工場』(ティム・バートン監督)を見た方、知っている方は多いと思います。あの映画の原作です。

    英語の多読を始めたのは20年以上前(注:20年以上続けているという意味ではない)で、最初はGraded Readers(英語学習者のためにレベル分けし、語彙をしぼったもの)や絵本から入っていったのですが、英語を読むことに慣れてきたら、「そろそろ児童文学」「いつかは児童文学」みたいなところがあって、ロアルド・ダールと言えば、真っ先に候補にあがる児童文学作家というイメージでした。

    で、当時は結局ロアルド・ダールは読まず、『ダレン・シャン』などを読み始めたものの、挫折したという記憶があります。

    今回、『CHARLIE and …』を読み終えられたのは、映画を見たことがあったので、話の筋はある程度分かっていたというのが大きいです。登場人物のイメージはある程度できているので、人物の形容で知らない単語が出てきても気にしすぎずに、映画を思い浮かべながら「おおかた こんな意味だろう」と読み流せたからのような気がします。

    いやね、出来事の流れを書いてあるところって比較的 読みやすいんですよ。難しいのは、人物の形容のところ。

    例えば、一人目のTicket FounderであるAugustus Gloop(お菓子ばっかり食べている太ったあの子ね)を形容している箇所

    Great flabby folds of fat bulged out from every part of his body, and his face was like a monstrous ball of dough with two small greedy curranty eyes peering out upon the world.

    難しいでしょ。ちなみに太字イタリックは私が知らない単語。よくよく考えるとmonstrousがmonsterの形容詞だというのは分かるんだけど、出てきた瞬間にはピンとこない。あと、doughもピザやパスタを作るって話の流れで出てきたらすぐに理解できるけど、人の形容で”a monstrous ball of dough”と言われても、はて?となっちゃう。一行に一つ以上知らない単語が現れるとさすがに厳しい。

    でも、このあたりは映画を思い浮かべつつ、太ってて、貪欲で、なんか醜い感じを表現しているんだろうなー、くらいで流してしまうのが良いような気がします。

    チャーリー以外の4人の問題児や、彼らの工場での受難(因果応報)は映画で忠実に表現されていたような記憶があるので、そこはそれを思い出せればOKということで。(映画を見たのはだいぶ前で、テレビ放送されているのを見ただけなのでちょっとあやふやではありますが)

    映画と違う点もありました。映画では、Willy Wonkaと父親の確執が描かれていましたが、原作には出てきませんでした。

    あとラスト近くで、映画では工場への引っ越しはChalieひとりでと言われ、家族と暮らすことを選び、工場の跡継ぎは辞退する(少なくとも一旦は)という流れだったと記憶しています。原作では最初から「家族みんなで」というWonkaからの申し出でした。それでも引っ越しは嫌だという寝たきりのおじいちゃん・おばあちゃん3人。さて、どうなる・・・? という展開でした。

    翻訳の書籍や映画でストーリーを把握したうえで、原作(英語)でそれをなぞってみるというのはハードルが低くて、なかなかよさげな感じでした。

  • 『ハリー・ポッターと賢者の石』と『マルコヴィッチの穴』

    今さらながら、『ハリー・ポッターと賢者の石』(J.K.ローリング 著)を読んでみました。子供(中学生)から借りました。「賢者の石」は、シリーズの第一作目で、私が読んだのは、「1-1」と「1-2」の2冊に分かれた新装版の文庫本です。2冊に分けるほどの分量ではないのですが、字が大きめで薄めの文庫なので、電車の中で読むのにはとても都合がいいです。

    私は知らなかったのですが、ハリー・ポッターの日本での翻訳・出版権を持っているのが、静山社という小さな会社(今ホームページを見てみると、社員数は6名と書いてある。……6名?)で、そのあたりのエピソードは「1-2」のほうのあとがきに書かれています。

    で、ハリー・ポッターといえば、キングス・クロス駅の「9と3/4番線」ですよね。同意してもらえなくても結構。

    帯に書いてあるし、「9と3/4番線からの旅」という1つの章になっているくらいです。

    ハリーは、とてもいやな感じのバーノンおじさん・おばさんに預けられて、そこで育ったのですが、駅に送ってもらうときに、バーノンは、

    「そーれ、着いたぞ、小僧。九番線と・・・ほれ、十番線だ。おまえのプラットホームはその中間らしいが、まだできていないようだな、え?」

    のように、例によって、小ばかにしたような言葉を残して帰ってしまいます。

    「中間じゃないよ。ちょっと10番線寄りだよ」と、ハリーは言いませんが、どうやって9と3/4番線から列車に乗るかは、読んでのお楽しみ。そして、こんな中途半端な数字が振られたロケーションといえば、「7と1/2階」が登場する映画『マルコヴィッチ穴』ですね。

    ちなみに、マルコヴィッチの穴に登場するオフィスビルの7と1/2階で降りる方法は、エレベーターの緊急停止ボタンを押して、ドアをバールでこじ開ける、というものでした。

    ハリーもバールを使うんでしょうか。

    そして、中途半端な分数と言えば、S&Bが昔「5/8チップ」というのを出してました。

    ポテトチップス – Wikipedia

    日本では1976年にヤマザキナビスコ(現・ヤマザキビスケット)が「チップスター」を発売[22]。1978年にハウス食品工業(現・ハウス食品)が「ハウスポテトチップス」、ヱスビー食品(通称・エスビー食品)が「スナックチップ」を発売。さらにヱスビーは1979年に一口サイズで箱入りの「5⁄8チップ(はちぶんのごチップ)」を発売した。

    当時は、そのキャッチーな(?)名前に惹かれて、今でも記憶に残っているのですが、一口サイズにするってのは画期的だと思うんですよね。口元でかじって割りながら食べるとぼろぼろ落ちるし。

    なので、歌舞伎揚げとかもそういうサイズで出してみれば、と思ったら、すでにありました、「ひとくち歌舞伎揚」。

    よく考えたらプチシリーズなんか、そういうコンセプトかー。私が考えそうなことなど、とっくに誰かがやっている、の好例でした。

    JRもやってくれないですかね、ホームを増やすときとかに、9と3/4番線。

  • 『LITTLE BEAR』と『地球から来た男』

    『LITTLE BEAR』Else Holmelund Minarik (著), Maurice Sendak (イラスト)を読みました。幼稚園から小学校低学年向けくらいの英語の絵本です。

    いくつかのお話が入っているのですが、その一つに主人公のLittle Bear(名前はないらしい)が月に行く話があります。

    どうやって月に行くかというと、space helmet(箱をさかさまにして、針金をつけたような珍妙なもの)をかぶったLittle Bearが、小さな丘の小さな木の上から目をつぶってジャンプする、という方法です。

    転げたあとに、彼は言います。

    “Here I am on the moon. The moon looks just like the earth”

    木も鳥も地球のとそっくり、なんて言いながら、家に着き、

    “Here is a house that looks just like my house. I’ll go in and see what kind of bears live here.”

    住んでいるのが熊前提なのが面白いですが、そこに Mother Bearが現れて、このごっこ、、、に付き合ってくれます。

    “Are you a bear from Earth?”

    丘にある木からジャンプしてやってきたというLittle Bearに対して、Mother Bearは、うちのLittle Bearもspace helmetをかぶって地球に行っているところなの、みたいな感じで話にのってくれるという展開。

    この展開に既視感があって、そういえば、星新一のショートショートにちょっと類似した話があったなー、と。

    小説を読んだこともあるような気がするんですが、たぶん相当前で(学生の頃)で、記憶にあるのはNHKでやっていた「星新一の不思議な不思議な短編ドラマ 『地球から来た男』」の方です。

    記憶があやふやだった小説のほうを再確認。自治体の図書館サイトで見てみると、『地球から来た男 (角川文庫)』は貸し出し中。うーん、すぐに借りたい。で、『地球から来た男』を収録した子供向けの『恋がいっぱい (星新一ちょっと長めのショートショート 2)』なら、すぐに借りられたので、こちらを読んでみました。なぜ、『地球から来た男』が「恋」なのかはよく分かりません、今でも。

    産業スパイに対する処罰として、ある企業の研究員の手で、テレポーテーション装置により地球外の惑星へと追放された男の話です。

    「地球外の惑星」で、われにかえった男は道を歩いていた人が、地球人的な服をつけていること、言葉が通じることに驚きつつ、

    「(略)ここはなんという星です」

    「地球ですよ」

    という会話を経ても、「地球とは”自分たちの住むこの星”という意味ではないか。」という、うまい詭弁をつかって、ここは地球ではないどこかの惑星だと信じ続けます。

    持っていた紙幣も使えて、自分の住んでいた都市と同じ名の駅で降り、自分の家と同じ場所に行ってみると、奥さんそっくりの人がいて・・・

    つっこみ不在のまま、地球外の惑星での男の人生は続いていきます。

    極めつけは、以前は地球で税務署員をやっていて、この星でも税務署員をやっているという、同じ境遇の仲間とばったり出会ってしまうという展開。

    行き倒れの現場に、行き倒れの当人を連れて来て、「おいおい、困った人がまた増えちゃったよ」という落語の『粗忽長屋』を彷彿とさせます。

    ただ、ちょっと気になるところもあります。この『地球から来た男』、ボケ倒している主人公が繰り広げるコメディと読めばいいのでしょうか。それとも、パラレルワールド的なSFとして読めばいいのでしょうか。まあ、前者でしょうけど。

    ちなみにLittle Bearの方はというと、

    “Mother Bear, stop fooling.”

    と言って、自らのツッコミにより、ボケに終止符を打ちます。

  • 『Bedtime for Frances』にみる日米の子育ての違い

    再度、フランシスシリーズを読みました。以前読んだのはこちら(A BIRTHDAY FOR FRANCES(フランシスとたんじょうび))で、今回読んだのは、

    『Bedtime for Frances』英語版 Russell Hoban (著), Garth Williams (イラスト)

    です。

    フランシスはアナグマの女の子で、

    You have to go to sleep so you can be wide awake for school tomorrow.

    (明日学校で起きていられるように、寝なきゃいけないよ)

    というお父さんの言葉があるので、6歳以上でしょうか。でも、行動の様子からすると、もっと幼いようにも感じます。

    就寝の時間になってもなかなか眠れずに、寝室にtigerがいるとか、giantがいるとか、something scaryが天井のひび割れから出てくるとか言って、まだ起きているお父さん・お母さんに伝えにいきます。

    そのたびに諭されて、寝室に戻るのですが、結局なかなか眠れず、最後のほうでは、もう眠っているお父さんのベッドの横にそーっと立っていて、お父さんをびっくりさせたりします。

    日本だと、これくらいの年齢なら、親のすぐ横で寝たりするんでしょうけど、Francesは別の部屋のベッドに一人で寝ているんですよね。そういえば、アメリカではかなり小さい頃から、それこそ赤ちゃんの時から、個室が与えられて、そこのベッドに一人で寝たりするみたいな話を聞いたことがあります。日本じゃ住宅事情的にも難しいでしょうけど。

    Francesが起きるたびに、両親ともに優しく接しているんですが、先ほどの別室ですでに寝ているお父さんを起こしたシーンでは、さすがに機嫌が悪くなっているみたいで。なぜカーテンが揺れるのかと尋ねるFrancesに、すべてのものにはjobがあって、風にはカーテンを揺らすjobがあって、お父さんには9時に会社に行くjobがあって、Francesには学校に行くjobがある(冒頭のほうにあげた台詞の箇所)と。

    もしその仕事をしなければ、”he(風) will be out of a job” となるし、”I(お父さん) will be out of a job” になっちゃうんだと。

    で、もしFrancesが今もし眠ろうとしないのなら・・・

    “I will be out of a job?” said Frances.

    “No,” said Father.

    “I will get a spanking?” said Frances.

    “Right!” said Father.

    (「私の仕事がなくなっちゃう?」 フランシスが言った。
    「いいや」 お父さんが言った。
    「おしり叩かれちゃう?」 フランシスが言った。
    「その通り!」 お父さんが言った。)

    なんだか、急に厳しいお父さんになりました。さっきまで、ミルクを飲ませたり、キスしたり、おんぶして寝室につれていったり、起きてきたFrancesにケーキを一口食べさせたりしてたので、落差に驚きます。

    これは日米というより時代でしょうね。昔は、頭を叩くのはさすがにダメだけど、尻ならいいとか、グーはだめだけどパーはいいとか、なんか閾値がそのへんにあったような。

    アニメのトムソーヤの先生は体罰用の小さな鞭を持ってましたよね。で、それで普通に何発も叩いてた。ゴールデンタイムの子供向け番組で。あと、クレヨンしんちゃんも漫画版ではよくゲンコツしたり、お尻叩いたりしてましたね。テレビアニメではそんなシーンは、もはや出てこないですね。

    そういえば、おんぶでFracesを寝室に連れていくシーンでは、お父さんはくわえ煙草(パイプ)してました。これも、今はなし、、だよなあ。

    なんかディスっているみたいななっちゃいましたが、このシリーズはFrancesの単語のチョイスが面白いので好きです。それで終わりにしましょう。Francesがよくやる即興ソングです。

    (略)
    C is crocodile, combing his hair.
    (略)
    U is underwear, down in the drier…

  • Little BearとMr. PutterとTabby

    以前も書いた(ラッセル・ホーバンとアーノルド・ローベルと多読)、多読の取り組み(?)で読んだ本です。

    『Little Bear’s Friend』(Else Holmelund Minarik (著), Maurice Sendak (イラスト))と『Mr. Putter & Tabby Hit the Slope』(Cynthia Rylant (著), Arthur Howard (イラスト))の2冊。

    どちらも、中学生くらいの語彙力があれば読めるであろうレベルだと思います。稲城市立図書館だと、多読用に分類される書籍には語数が書かれていて(テプラみたいなので張り付けてある)、Little Bearのほうは1422 words、Mr. Putter & Tabbyのほうは 553 wordsだそうです。

    Little Bearはシリーズの別の本を読んだことがあって、そちらは動物たちしか出てこなかったのですが、今回はEmilyという人間の女の子が登場します。クマと人間の遭遇ですが、子供向けの本なので、事件にはなりません。ご安心を。夏休みで近くに遊びに来ていたEmilyですが、夏が終わると帰ってしまうという、ちょっと寂しいラストです。

    特に難しい話はないのですが、知らなかった単語も出てきました。duckは知っていると思いますが(ねずみの友達の彼とか)、ducklingは知っていますか? duckの子供を指すみたいです。で、そのowl版のowletも出てきます。owlと言えばDuolingoのDuoですね。

    Mr. Putter & Tabbyのほうは、おじいちゃん(Putter)と猫(Tabby)のシリーズで、今回は雪山をソリで滑り降りるお話。TabbyのソリにZeke(犬)が乗って、先に行ってしまうくらいのアクシデントしか起きないです。ひっくり返ったり、どこかに突っ込んだりをちょっと期待していましたが・・・。知らなかった単語の例を挙げると、冬はtendするチューリップがないから退屈だとか。Putterは子供の頃、シルバーのrunnerの赤いソリを持っていたとか。ちょっとitchyなセーターを着せられたTabbyは、ちょっとtwitchyだったとか。文脈からなんとなく分かりそうな感じです。

    調べることでリズムが悪くなって読書が楽しめなくなってしまうようなら、どんどん先に進んだほうがよいらしいです。ただ、自分なんかは気になってしまって、調べたくなるんですよね。中高生時代に身に着けた精読のくせが抜けないというのが久しく続く悩みです。

  • 『いかにして問題をとくか』と『エレガントな問題解決』

    両者に共通しているのは、数学の問題自体ではなく、数学の様々な問題の解き方に共通するノウハウやテクニック、その習得のようなメタなテーマに焦点をあてている点でしょう。

    あと、タイトルだけ見てもと数学の本であることがわかりにくいというのも共通していますね。『いかにして・・・』のほうの原題は『How to Solve It』ですからね。直訳すれば「いかにしてそれをとくか」って感じで、「問題」という単語も出てこない。「この前のあれどうなった?」みたいな、熟年夫婦の会話のような。

    最近読んだのは『いかにして問題をとくか』(ジョージ・ポリア著)のほうで、こちらはもう古典ですね。昼休みに会社で読んでいたら、「ああ、その本ね」と言われるくらい。初版の発行が昭和29年(1954年)で、私が持っている版は「第11版第46刷」となっています。「もはや戦後ではない」と経済白書に書かれたのが、1956年ですから、逆説的ですが、まだ戦後感が残っていた頃なんでしょう。

    装丁やフォントが古風でいかしています。自宅の本棚に置きたくなる一冊。こんな感じ。

    例題として取り上げられているのは、高校を卒業していれば(そして真面目に勉強していたなら)分かるくらいのレベルのものです。立体幾何の例題だからといって、立体幾何に主眼があるのではなく、あくまで考え方やアプローチが取り上げられているテーマです。語り口から言って、読者として数学教師も想定している感じです。

    最初の例題は、直方体の3辺が与えられたときに対角線を求めるというもの。教室を例にして学生の興味をひくとよい、というのは納得です。長さや幅や高さを測るのはメジャーがあれば比較的容易ですが、対角線は難しそう。巻き尺だとピンと張れないし。

    そして、こんな対話例が載っています。

    ≪分らないものは何でしょう≫

    ≪直方体の対角線の長さです≫

    ≪与えられているものは何ですか≫

    ≪直方体の長さと幅と高さです≫

    ≪適当な記号をつけなさい.未知のものはどういう記号で表したらよいでしょう≫

    ≪xです≫

    ・・・

    「まだ学生がぼんやりしている場合には」、ヒントをもっと具体化しなければならないと書かれていて、

    ≪図の中に三角形を考えることができますか≫

    ≪図の中の三角形はどんな種類のものですか≫

    ・・・

    のように続きます。解法を直接は示さず、対話や質問によって、相手を真理に導いていく。なんだかソクラテスみたいですね。知らんけど。

    本文の中の例題は少なめで、むしろ言葉で何度も原則を繰り返し強調している印象です。ただ、巻末には20題の問題が載っており、本書を読んで身に着けたスキルを、これらで試せます。

    その1問目はちょっとふざけて(?)いて、

    1.一匹の熊が1点Pから南へ向けて1マイルあるき,そこで方向をかえて真東に1マイルすゝんだ.そこでもういちど向きをかえて真北に1マイルすゝんだとき,ちょうど出発点Pにもどったとする.この熊はなにいろをしているか.

    直角に(南から東、東から北)に2回向きを変えただけなら、元の場所に戻れないのでは? ああ、平面じゃないのね、というあたりは誰でも気づくでしょう。でも、熊の色? ここはちょっとトンチが効いていますね。

    オチ(答え)を言ってしまうと、北極点なのですが、本当にそれだけ? というところがミソだと思います。「あなたはそれが正しいことを証明できるか」という点が強調されていましたが、証明しようとすると、他の答えの可能性もつぶしていく必要がある。

    似たような状況が起きそうな場所に南極点付近がありそうです。南極点そのものからは最初に南には行けないから、これはない。

    南極点に近い場所なら南へ行けます。その後、東 に行き、別の子午線に沿って北へ行く。でも、北極のときと異なり、隣り合う子午線は広がっていく方向なので、元の点には戻れないはず。

    東へ歩くことにより「隣り合う子午線」へ移動する・・・。いや、もし南極点のごく近くなら、1マイル歩くことで「同じ子午線」まで戻ってこれる場所があるじゃないか。ということで、ミステリーが解けるのです。

    読んだばかりで、記憶が鮮やかだったので、長々と書きましたが、この手の数学の問題の解き方を扱った本を読んでみたいと思ったかたには、まずは『エレガントな問題解決 ―柔軟な発想を引き出すセンスと技』(ポール・ツァイツ著)の方をお勧めします。数学のいろんな分野の例題が登場し、章末の問題も充実しています。原題は『The Art and Craft of Problem Solving』です。こちらの本で、数学の Art や Craft に惹かれたら、古典である『いかにして・・・』も抑えておく、という順番でいいのではないかと思います。

    「すゝんだ」って、まじ古典かよ、って思いませんでした?


    【2026-02-07 追記】
    『いかにして問題をとくか』に誤植があったので、うだうだ書きました。
    11回の改版を生き延びた『いかにして問題をとくか』の誤植

  • A BIRTHDAY FOR FRANCES(フランシスとたんじょうび)

    こちら(ラッセル・ホーバンとアーノルド・ローベルと多読)には書ききれなかった(脱線して書くのを忘れていた)、『A BIRTHDAY FOR FRANCES』(Russell Hoban著、Lillian Hoban イラスト)に登場するアナグマの女の子 Francesの繰り出す会話や即興の歌の面白さについて。

    冒頭、妹 Gloriaとお母さんが誕生日パーティの place card(パーティのときの座席に置く席札)を作っている場面。明日誕生日を迎え、パーティをしてもらえたり、プレゼントをもらえたりする妹に、Francesはちょっとしたジェラシーを感じています。

    掃除道具入れのクローゼット中で歌っているという状況も、ちょっと笑えます。

    Frances was in the broom closet, singing:

     Happy Thursday to you,
     (略)
     Happy Thursday, dear Alice,
     (略)

    「Aliceって誰?」とお母さんに聞かれ、「誰にも見えない誰か(”somebody that nobody can see”)」だと答えます。「今日は金曜日よ」と言われ、「アリスにとっては木曜日なの」と答えます。

    その後、place card作りを手伝うのですが、妹が”pretty flowers” や “rainbows and happy tree” を描いている横で、絵を描きながら歌います

    A rainbow and a happy tree
    Are not for Alice or for me.
    I will draw three-legged cats.
    And caterpillars with ugly hats.

    誕生日パーティが自分やAliceのためのものではないことを愚痴ったあとで、place cardには似つかわしくなさそうな、三本足の猫や変な帽子の芋虫を描くんだと歌いあげます。そして、絵本の絵にはそれらしきものが描かれたplace cardも描かれています。

    place card作りにも飽きて、お気に入りのほうきにまたがり、どこかに遊びに行く前に、お母さんに言ったセリフも面白みがあります。

    “Good-bye. I will be out of town visiting Alice for two weeks, and I will be back for dinner.”

    Aliceを訪ねて2週間ほど町を出ると言いつつ、夕飯には帰る、と。

    Francesシリーズを読んだのは初めて(=1冊目)なのですが、他のお話でもFrancesの皮肉の効いたトークに期待できそうです。