私が最初に読んだカート・ヴォネガット・ジュニアの小説は『タイタンの妖女』でした。読んだきっかけは、「助けてくれー!」でおなじみの爆笑問題の太田さんが勧めていたから。
他に読んだのは『バーンハウス心霊力についてのレポート』という短篇小説で、『20世紀アメリカ短篇選 下』という岩波文庫に収録されていました。この作品は『カート・ヴォネガット全短篇 2』という単行本にも『バーンハウス効果に関する報告書』というタイトルで収録されています。
『スローターハウス5』については、聞いたことはあるが、読んではいないという状態だったので、私が愛用している稲城市立図書館で借りようと思ったのですが、所蔵がない。仕方がないので(言い草!)、買いました。
パラパラとめくりましたところ、読んだことがありました。いやー、忘れるもんですね。手元に所有もしていないし、図書館にもないので、読んでいなものだと思い込んでいたのですが、川崎市立図書館で借りて読んだことがありました。
これは読んだぞ、と確信したのは、
神よ願わくばわたしに
変えることのできない物事を
受けいれる落ち着きと
変えることのできる物事を
変える勇気と
その違いを常に見分ける知恵とを
さずけたまえ
この箇所を見つけたとき。
元ネタは二ーバーの祈りというものらしいのですが、われらがヒッキーこと宇多田ヒカルも、「Wait & See ~リスク~」で本歌取りみたいな歌詞を書いています。
変えられないものを受け入れる力
そして受け入れられないものを
変える力をちょうだいよ
・・・というブログ記事を当時(2012年)自分で書いたにも関わらず、読んだことをすっかり忘れていたというていたらく。
スローターハウス5を読む前の私と、読んだあとの私を、行き来したわけではなさそうです。
ちなみにこの表紙、イラストレーターの和田誠さんによるものです。そうです、平野レミさんの旦那さんです。

この小説、冒頭はヴォネガット自身の、戦争の体験をもとにした小説を書こうとしているという語りで始まります。反戦・厭戦的な重たい小説が始まるんだろうなーと思いきや、トーンはコメディです。そしてSFです。でも、戦争というものに対してのメッセージはひしひしと伝わってきます。
主人公のビリー・ピルグリムは、ろくな訓練もうけず、ちゃんとした装備も与えられず、戦場に放り込まれます。ビリーは、従軍牧師助手という立場なので、
敵を傷つけることもできなければ、友人を助ける力もない。事実、彼に友人はなかった。説教師の従者というだけであり、昇進やメダルの望みもなく武器も持たされず、あるのはただ慈愛に満ちたイエス様への恭順な信仰ばかり、もちろんたいていの兵士はそんなものをせせら笑った。
彼が配属された連隊はすでに壊滅していて、上官である従軍牧師にも会えないまま、戦闘に巻き込まれて、でもビリーは戦うこともできない。敗残兵のグループに紛れ込むも、ほどなくドイツ軍に見つかって、捕虜となります。
自軍にいるときでさえ、ままならなかったくらいですから、捕虜になってからはさらにいっそうひどい扱いを受けることになり、生きる気力を完全になくして、呆けたような状態になります。
でも、結果的にビリーは生き延びます。生きる気力のある人が必ずしも生き残るわけではなく、偶然や気まぐれで、生き残ったり、死んだり。ちょっとした理不尽とも思える理由で人が死んでいきます。そのたびに、ヴォネガットは「そういうものだ。(So it goes.)」というフレーズを使います。このフレーズは作品中に何度も現れ、バイトを使って数えさせたところ(うそ)、100回以上使われてました(ほんと)。
『スローターハウス5』はSFでもあります。空間の3次元に加えて、時間の1次元を加えた4次元空間という考え方はよくSFに出てきますよね。4次元空間に住む生物、時間も空間と同じように行き来できる生物みたいな話も聞いたことがあります。
『スローターハウス5』でもそのアイデアを利用していますが、そこに幸福とか自由意志とかをどう考えるか、あるいは3次元空間になじんだ我々がその4次元空間を体験するとは、どういうことなのか、というところの表現に衝撃を受けました。
ビリーは、子どもの頃、戦争中、その後の検眼医としての裕福な時期、そして、死の瞬間まで、あらゆる時間を行き来します。ビリーはそれをコントロールすることはできませんが、これを自在にコントロールできるとしたら、トラルファマドール星人と同じ感覚を味わうことになるのかもしれません。
もしその感覚を味わえば、人間が感じる最期としての死とか、不幸な結末などに対して、どういう思想を持つにいたるのか。SFというスタイルを、戦争とか運命とかに対する考え方を展開するための場として活用した小説だと思いました。
つらいストーリーをコメディとして語りつつ、SFで扱われてきた概念を哲学レベルの要素として絡め、戦争の現実を伝えつつ、新たな幸福論(不幸論)を展開する、そんな小説でした。

コメントを残す