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勝手に読書感想文。漫画も映画も含みます

タグ: ドイツ

  • 『スローターハウス5』が、「この商品はAmazonアソシエイトプログラムから除外されています」???

    「スローターハウス5」の記事を書いたとき、ちょっと腑に落ちなかったこと。

    いつものように、書名からリンクするための、Amazonアソシエイトのリンクを生成しようとすると、

    この商品はAmazonアソシエイトプログラムから除外されています。

    と表示され、リンクが生成できません。

    初めて出会った現象なので調べてみると、一部の商品は除外対象として指定されているとのこと。

    ギフト券、期間限定品、不正利用が多い商品、などが指定されることが多いようです。あと、マーケットプレイスの出品者が対象外に設定している場合もあるようです。

    でも、スローターハウス5は書籍だし、amazonが直接販売している商品だし、上記には該当しそうもありません。

    なぜ、Amazonアソシエイトから「除外される商品」は増えているのか

    上記の記事を見てみると、アダルトとか、医薬品系とかちょっとグレーなものも対象だそうです。でも、ヴォネガットの小説がポルノにあたるとも思えません。ちょっとセクシャルな表現はありましたが、まあ普通の小説の範囲だと思います。

    スローターハウス5 – Wikipedia

    を見てみると、

    『スローターハウス5』は1969年の発売以来、反社会的、わいせつ、不適切な言葉遣いなどの理由によって保守的な価値観を持つ人々から悪書として批判され、全米図書館協会の調査では出版から30年以上経った1990年から2000年の10年のあいだでも、図書館から排除を求められた本の69位と上位に位置している。

    えー、そうなん? 別に、反社会的でも猥褻でもなかったけど・・・。Wikipediaには教材として排除するための訴訟などへの言及がありますが、1970年代ものがメインでかなり昔の話ではあります。

    アマゾンが除外しているという現在の状況と関係があるのでしょうか?

    この小説に関しては、宗教や性的な面より、戦争に対する諦観を強く感じました。子供がちょっと大きくなったくらいの若者や、ど素人まで戦場に送り込んでしまう国家の無様な状況みたいな。

    スローターハウス5の冒頭で、戦争についての小説を書くとヴォネガットが話したときの、戦友の奥さんの言葉ですが、

    「戦争中、あなたたちは赤んぼうだったじゃないの――二階にいるあの子らとおんなじような!」

    (略)

    「でも、そんなふうには書かないんでしょう」

    (略)

    「わたしにはわかるわ。二人が赤んぼうじゃなくて、まるで一人前の男だったみたいに書くのよ。映画化されたとき、あなたたちの役を、フランク・シナトラやジョン・ウェインやそんな男臭い、戦争好きな、海千山千のじいさんにやってもらえるように(略)」

    戦争の、かっこ悪くて、みじめで、無様な一面を広められては、戦争がやりにくくなってしまいそうです。まさかそんな理由ではないとは思いますが。

    ビリー・ピルグリムが戦場において、「赤んぼう」のようにまったくの無力さを晒していたことは、お伝えしておきます。

  • 『スローターハウス5』を再度読む

    私が最初に読んだカート・ヴォネガット・ジュニアの小説は『タイタンの妖女』でした。読んだきっかけは、「助けてくれー!」でおなじみの爆笑問題の太田さんが勧めていたから。

    他に読んだのは『バーンハウス心霊力についてのレポート』という短篇小説で、『20世紀アメリカ短篇選 下』という岩波文庫に収録されていました。この作品は『カート・ヴォネガット全短篇 2』という単行本にも『バーンハウス効果に関する報告書』というタイトルで収録されています。

    スローターハウス5』については、聞いたことはあるが、読んではいないという状態だったので、私が愛用している稲城市立図書館で借りようと思ったのですが、所蔵がない。仕方がないので(言い草!)、買いました。

    パラパラとめくりましたところ、読んだことがありました。いやー、忘れるもんですね。手元に所有もしていないし、図書館にもないので、読んでいなものだと思い込んでいたのですが、川崎市立図書館で借りて読んだことがありました。

    これは読んだぞ、と確信したのは、

    神よ願わくばわたしに
    変えることのできない物事を
    受けいれる落ち着きと
    変えることのできる物事を
    変える勇気と
    その違いを常に見分ける知恵とを
    さずけたまえ

    この箇所を見つけたとき。

    元ネタは二ーバーの祈りというものらしいのですが、われらがヒッキーこと宇多田ヒカルも、「Wait & See ~リスク~」で本歌取りみたいな歌詞を書いています。

    変えられないものを受け入れる力
    そして受け入れられないものを
    変える力をちょうだいよ

    ・・・というブログ記事を当時(2012年)自分で書いたにも関わらず、読んだことをすっかり忘れていたというていたらく。

    スローターハウス5を読む前の私と、読んだあとの私を、行き来したわけではなさそうです。

    ちなみにこの表紙、イラストレーターの和田誠さんによるものです。そうです、平野レミさんの旦那さんです。

    この小説、冒頭はヴォネガット自身の、戦争の体験をもとにした小説を書こうとしているという語りで始まります。反戦・厭戦的な重たい小説が始まるんだろうなーと思いきや、トーンはコメディです。そしてSFです。でも、戦争というものに対してのメッセージはひしひしと伝わってきます。

    主人公のビリー・ピルグリムは、ろくな訓練もうけず、ちゃんとした装備も与えられず、戦場に放り込まれます。ビリーは、従軍牧師助手という立場なので、

    敵を傷つけることもできなければ、友人を助ける力もない。事実、彼に友人はなかった。説教師の従者というだけであり、昇進やメダルの望みもなく武器も持たされず、あるのはただ慈愛に満ちたイエス様への恭順な信仰ばかり、もちろんたいていの兵士はそんなものをせせら笑った。

    彼が配属された連隊はすでに壊滅していて、上官である従軍牧師にも会えないまま、戦闘に巻き込まれて、でもビリーは戦うこともできない。敗残兵のグループに紛れ込むも、ほどなくドイツ軍に見つかって、捕虜となります。

    自軍にいるときでさえ、ままならなかったくらいですから、捕虜になってからはさらにいっそうひどい扱いを受けることになり、生きる気力を完全になくして、呆けたような状態になります。

    でも、結果的にビリーは生き延びます。生きる気力のある人が必ずしも生き残るわけではなく、偶然や気まぐれで、生き残ったり、死んだり。ちょっとした理不尽とも思える理由で人が死んでいきます。そのたびに、ヴォネガットは「そういうものだ。(So it goes.)」というフレーズを使います。このフレーズは作品中に何度も現れ、バイトを使って数えさせたところ(うそ)、100回以上使われてました(ほんと)。

    『スローターハウス5』はSFでもあります。空間の3次元に加えて、時間の1次元を加えた4次元空間という考え方はよくSFに出てきますよね。4次元空間に住む生物、時間も空間と同じように行き来できる生物みたいな話も聞いたことがあります。

    『スローターハウス5』でもそのアイデアを利用していますが、そこに幸福とか自由意志とかをどう考えるか、あるいは3次元空間になじんだ我々がその4次元空間を体験するとは、どういうことなのか、というところの表現に衝撃を受けました。

    ビリーは、子どもの頃、戦争中、その後の検眼医としての裕福な時期、そして、死の瞬間まで、あらゆる時間を行き来します。ビリーはそれをコントロールすることはできませんが、これを自在にコントロールできるとしたら、トラルファマドール星人と同じ感覚を味わうことになるのかもしれません。

    もしその感覚を味わえば、人間が感じる最期としての死とか、不幸な結末などに対して、どういう思想を持つにいたるのか。SFというスタイルを、戦争とか運命とかに対する考え方を展開するための場として活用した小説だと思いました。

    つらいストーリーをコメディとして語りつつ、SFで扱われてきた概念を哲学レベルの要素として絡め、戦争の現実を伝えつつ、新たな幸福論(不幸論)を展開する、そんな小説でした。

  • 『アメリカ(Amerika)』もやっぱりカフカ的だった

    カフカの『審判』と『城』は読んだことがありました。ただ、かなり昔で、図書館で借りたものをざっと1回読んだだけなので、ちょっと記憶はあやふやです。

    審判』は、主人公のヨーゼフ・Kが理由も分らぬまま裁判にかけられるという話です。何が法に触れたのかもわからず、逮捕されるわけでもなく、呼び出しに応じて裁判に行っても、それが裁判なのかどうかもよくわからない場で裁かれて、最後はドラマティックな形で刑が執行されてしまうという変な話です。

    』もまた変な話で、測量士のKが城に雇われるのですが、仕事を始めるどころか、城にたどりつけもしない。道に迷うとか、そんな単純な話ではなく、関係者らしき人にたらい回しにされるというか、論理が通っているんだかいないんだかみたいな人たちの、のらりくらりとした会話に翻弄されるというか、ずっとじれったい感じが続きます。

    で、ちょっと前に、『審判』と『城』と並んで、『アメリカ』という作品が、カフカの長編の三部作と呼ばれていることを知り、今回この『アメリカ』を読もうと思った次第です。

    ちなみに、最初に『アメリカ (Amerika)』というタイトルで出版されたのですが、Wikipediaによると、

    カフカの草稿自体には作品タイトルはなく、ブロートは生前のカフカが「アメリカ小説」と表現していたことに基いてこのタイトルをつけ、これが長い間これが作品名として流通していた。しかしその後、カフカが『失踪者』のタイトルを予定していたことが日記から判明し、1983年の批判版全集以降は主に『失踪者』のタイトルが用いられるようになった。

    とのこと。でも、私が購入した角川文庫版は「アメリカ」のままとなっております。

    どんな話だろうと、裏表紙を見ると、こんな感じで紹介されています。

    年上の女に誘惑され愛されたばかりに、両親にやっかいばらいにされたカール少年は故国ドイツを追われアメリカに渡った。やっとのことでニューヨークの伯父にめぐりあい、面倒をみてもらえるようになったのもつかの間、何とも不可解な理由で伯父の家からも追い出される。追放されつづけるカール少年は放浪の旅に出るが・・・。
    軽妙に描かれるカフカ的冒険小説。

    たぶんですが、ほとんど人、特にカフカを読んだことない人が、この文章から想像するものとは、全然違うのではないかと思います。

    「何とも不可解な理由で伯父の家からも追い出される」というのはその通りなのですが、伯父とのめぐりあいのくだりも不可解です。「冒険小説」というイメージともだいぶ違うような・・・。でも、「カフカ的」と付いているから、これがカフカ的な冒険小説なのかも。

    世の中の多くの小説の「不可解」は、理解して楽しむための「不可解」だと思うんですよね。伏線があったり、種明かしがあったり、あるいは不可解が壮大すぎてそれ自体が楽しめるような。

    そうしてやらないと、不可解なものは、違和感を与えるだけですから、そんな小説は一般受けしないでしょう。新人だったら、編集者に直されちゃいます。だから、あまり存在しないんじゃないかと思います。

    カフカの不可解は、そんな大げさなものではなく、普通の人間との普通のやりとりの中で生まれてきます。出てくる登場人物かどこか変で、ロジックが少し変だったり、職務が少し変だったりします。でもオカルトやSFみたいな大げさな話ではなく、ただ単に登場人物のモノの感じ方や論理や表現の仕方が、ちょっとずれている(ような気がする)。でも、決して狂人ではない。そんな人たちと交渉しなきゃいけない立場の主人公はすっかり疲弊してしまう。でも、主人公さえも、そのちょっと変な登場人物の一人であったりして、読んでいるほうは、「いったい私は何を読まされているんだ?」みたいな気分になります。

    第八章の「オクラホマの野外劇場」なんか最たるものでした。職を探しているカールは、オクラホマの劇場の座員募集のポスターを見かけて、志願すべく会場に向かいます。

    会場についても、誰が採用の係員なのかよくわからなかったり、それらしい人にあたっても誰が意思決定者なのか判然としなかったり、どういう基準で選考しているかもふわふわしていたり、そもそもカールはどういう職種で雇われるのかも二転三転します。そもそも、オクラホマの劇場がどういう組織で、どういうビジネスをやっているのかも、もやもやしたままです。もやもやしたまま、どうやら採用されたらしいカールは列車に乗せられて・・・

    はっきりとオチのついた小説が好きで、もやもやとした気分にさせられるのが嫌いな方には、カフカはお勧めしません。でも、あなたがそのような種類の人間かどうかについては、私の関与するところではなく、私の権限が及ばない類のものであることを、まずはあなたに伝えておかねばなりますまい。