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勝手に読書感想文。漫画も映画も含みます

タグ: 辻村深月

  • 『コンビニ人間』と『傲慢と善良』

    『コンビニ人間』(村田沙耶香 著)を読み直してみました。理由は、電車の中でさっと読めるもの(長編とかではなく)を家の本棚で探していて、目についたから。それほど本は買わない妻が買った本でした。

    なんとなく内容は覚えているものの、細部はもちろん記憶していないし、最後どうなったかも全く覚えていないので、新鮮な気持ちで読めました。芥川賞受賞作だと、純文学でござい、みたいなのもたまにありますが(偏見?)、『コンビニ人間』はエンタメ小説としても普通に楽しめるし、内容はほとんどコメディだと思う。主人公の女性の、他者を理解できない、合わせられないという感覚は、かなり絶望的なレベルなのですが、本人は深刻視していないところが喜劇的でありつつ、深刻視できないところは悲劇的でもある、みたいな感じ。

    以前、『傲慢と善良』を読んだときに(『何者』と『富士山』と『傲慢と善良』)、婚活が小説のテーマになる時代なんだなあと思ったのですが、読み返してみると、『コンビニ人間』も婚活をテーマにしていたことに気づきました。婚活というよりは、就職・結婚・出産などに関して、「普通の感覚」を持った人たちが振り回す無自覚な暴力に苦しめられるタイプの人間というところでしょうか。

    「なんで結婚(しようと)しないの?」、「なんで(就職しようとせずに)アルバイトなの?」なんて質問は、普通の基準に合わせるのが普通だと信じている人には普通でも、普通の基準に合わせるのが普通だとは感じられない人にとっては普通ではない。

    私自身は順調に進学して、卒業したら就職して、そろそろかなという時期に結婚して、しばらくしたら子供が生まれて、という感じだったので、この手の質問や干渉に苦しめられたことはありませんでした。唯一あるとすれば、中学・高校と一切部活をしなかったこと。何もやったことがないというのは結構少数派で、よく人が自分は何部だったからこんな感じ、みたいな話になると、私は特に話すことがなくなります。

    部活に入らなかった理由は、拘束時間が嫌いだから。学校が終わるのも待ち遠しいのに、なんでそのあとも学校に残るような活動を行わなければならないのか。部活に入る人の気がしれない、と思っていました。

    あと、スポーツも文化的な活動も含めて、それらのスキルを高めたり、知見を深めたりということに、なんら価値を感じられなかったから。体育でのサッカーの試合は楽しいんだけど、パスとかドリブルの練習とか全く楽しくないし、そんなことまでしてうまくなくなることに執着できなかった。これについては、意識が変わって、30代くらいからは、鍛錬の魅力に気づきました。なので、現在の人生のポリシーで、中高をやり直すとすれば、たぶん部活に入ります。

    話を戻して、『コンビニ人間』で興味深かったのは、人の話し方やしぐさや服装が、まわりの人の影響を受け、それを吸収し、実践し、またそれがまわりの人に伝染していくさまを、古倉恵子(主人公)がするどく観察していて、それを意識しながらも、自分自身もそれを行っている様子を、客観的に見抜いている感覚でした。

    古倉さんは、いわゆる空気読めない感じの人なのですが、そのような違和感には敏感で、古倉さんと他の登場人物のどちらが普通なのだろうかと、考えさせられます。おそらく、理屈ではなく、多数派が「普通」認定されるのでしょう。

    結構序盤に、アルバイトの研修の場面。

    私はバックルームで見せられた見本のビデオや、トレーナーの見せてくれるお手本の真似をするのが得意だった。今まで、誰も私に、「これが普通の表情で、声の出し方だよ」と教えてくれたことはなかった。

    この手のビデオや指導って、目線はこうでとか、おじぎの角度はこれくらいでとか、些末なところでこういうときにはこうしろとか、なんか本来なら各自の自由裁量で行われる行為まで踏み込んで指定してくるから、言われた通りに演じる自分に気恥ずかしくなったり、演じる他者をみると「マニュアル通りにやりやがって」なんて思ったりしちゃいます。

    古倉さんは、こうするのが普通だからこうしなさい、と言われると安心して、そうするタイプ。たぶん、そうする人は、ちょっと変な人と思われがち。

    世の中の大多数は、そんなことは人に言われることではなく、自分で判断してやること、と思っているのではないかと。でも、その一方、周りを観察し、人の行動様式を真似、話し方やボキャブラリー、場合によっては服装なんかも合わせていく。それを無自覚に行うというのが、現代の「普通」とされているのかなあと。いや、もしかしたら縄文時代(ある登場人物の口癖)から、そうなのかもしれない。

    私も高校生の輪の中に入ると、高校生みたいになるのだろうか。変な略語を使ったり、なんでも「やばい」で形容するようになるのだろうか。ちなみに、今はおじさんたちの輪の中にいるので、おじさんみたいな感じです。というか、おじさんですが。

  • 『何者』と『富士山』と『傲慢と善良』

    最初に読んだのはたしか『富士山』(平野啓一郎 著)だった。婚活をしている女性が、マッチングアプリで知り合った相手のことを、どれくらい理解していただろうか(別れたあとの回想)と自問するような短編。

    『傲慢と善良』(辻村深月 著)も婚活についての話で、相手を値踏みせざるを得ない状況で、登場人物の嫌な面がちらちら見えてくる重たい話。

    私が結婚した頃(20年以上前)は、マッチングアプリなどというものはなく(ガラケーはあったがスマホがなかった)、そのような目的のサイトは出会い系サイトと呼ばれ、ちょっといかがわしいイメージだった。結婚した知り合いがマッチングアプリで知り合ったなんて話を聞くと、オンラインで出会うためのシステムが、真面目な結婚を考える人使うものに、いつの間にかなっていたというのが感慨深い。

    どちらの小説も、意識的に「婚活」をしたことのない人(つまり私)が意識しなかった点に気付かさせてくれる。相手のことをよく知らない段階で、この人が結婚する相手として適切かを判断・決断しなければならない。適切というのが微妙で、一生一緒にいて苦がないかみたいなものは自然と受け入れやすい観点だが、自分に釣り合うのか(これは通常、相手が低すぎないかを見ている)とか、ハズレを引いていないのか、この人で妥協できるのか、もっといい人がいるのではないか、みたいなことを考え出すと、急にいやらしい感じが出てくる。

    大抵の場合、おぼろげなタイムリミットが存在していたりする。なので、今付き合っている相手が「じゃない」場合は、すぐに別れて次の審査対象に移る必要がある。たぶん20年前には存在しなかったタイプの苦悩なんじゃないか。

    で、この状況が人を雇うときの「採用」に似ているなあと。大企業が何十人も面接して、上位から何人か採るというのではなく、小さな企業や部門の面接官が、一人分のポストにふさわしい人材を探しているような場合。つまり、この人でいいなら採用、ダメならお断りする。でも、次にどんな人が応募して来るかはこの時点では分からない。今思えば、3人前の彼にしておけばよかったなんて状況もある。

    大企業なら次々と優秀な(だと企業が判断する)人が応募してくるかもしれないが、マイナーな中小企業なら、この程度の人材でも確保しておかないと、次に応募してくる人はいないかもしれない。学生の人気ランキングに入るような企業なのか、就活するまで聞いたこともなかったけどちょっと受けてみたみたいな企業なのか。婚活では、自分が前者なのか後者なのかを意識することになる。

    冒頭の二作と、『何者』(朝井リョウ 著)を並べてみたのは、婚活や就活(従来の就職活動ではなく最近のシューカツ的な)の類似性だったり、こういうものが文学のテーマになるんだなあという驚きだったり。

    この『何者』ですが、語り手の二宮拓人はいろんなことによく気付くタイプで、それゆえ他者の嫌な面に目が行ってしまう。アピール過剰な人、自意識過剰な人、まだなして遂げていないことを語り自分を大きくみせようと必死の人。そんなことをしたところで他人にはバレているよ、なんでそんなことに気づかないのか、想像力のない人たちだ、みたいな感じ。

    ほんと書き出し直後の、筋とはあまり関係のないところなんだけど、

    イェーイ、と、またあのあたりから歓声が上がった。俺の周りにいる人たちはステージ上にいる誰の知り合いでもないのだろう、どういう態度を取っていいのか決めかねているようで、結局ちびちびとドリンクを飲んでいる。

    学生バンドの卒業ライブをライブハウスでやっている場面で、ステージ近くで盛り上がってるのは主に関係者で、たまたま見に来たような人が居心地悪そうにしている場面。こういうときに無邪気に盛り上がって楽しめる人ってのもいるし、居心地悪いなと感じる人もいるし、うちわで盛り上がってしょーもな、と思う人もいるだろうけど、そうではなくて、居心地悪そうな人を観察している人、みたいな感じ。

    細かいことを気にしすぎている側面はありつつも、小説の主人公が他者の詳細を観察して様々な描写や評価を加えることはよくあることなので、序盤の展開に特に違和感は感じず。でも、本当に想像力が欠けているのはどちらなのだろうか、みたいな疑問点が少しずつ見えてくるあたりが面白かった。

    あなた自身の嫌なところに気付き、改善していくためにぴったりの作品。(「お前こそな」という声が聞こえる)