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勝手に読書感想文。漫画も映画も含みます

タグ: 朝井リョウ

  • 『桐島、部活やめるってよ』に出てくる映画(『ジョゼと虎と魚たち』他)

    「本を読もうと思うのですが、何から読んでいいのか分かりません」のようなお悩みが寄せられている、みたいな話をたまに聞きます。テレビとか新聞の記事で見かけたというだけで、直接そんなことを聞いたわけではありませんが。

    なんでもいいから目についたものから読めばいいのに、と思ったりします。本を読む習慣のある人って、次に何を読もうか探すというよりは、次に読もうと思っている本が順番待ちになっていたりしません? 読もうと思っているどころか、すでに買って、積んであったりとか。そうでしょ?読書子(©岩波文庫)の皆さん。

    そんな状態になる原因の一つが、作品に出てきた作品のことが気になりそれを読みたくなるというもの。それは、本から本というだけでなく、本から映画、映画から本、みたいに戻ってくるなんてパターンもあります。音楽から映画なんてのもありますね。私が映画『いちご白書』を観たのは、「『いちご白書』をもう一度」という曲があったから。映画を観たら、原作の書籍も読みたくなったりとか、連鎖は止まりません。

    ちょっと前に『桐島、部活やめるってよ』(朝井リョウ)を読んだときにも、この感覚に襲われました。

    映画部の「前田涼也」の章。彼とその友人の武文はなかなか重要な役割を演じます。本当にかっこいいのは誰?、ダサいのは誰? って感じでしょうか。

    その武文のセリフに唐突に映画名が出てきます。

    「いやー、昨日ジョゼまた観てよー」
    (略)
    武文は犬童一新監督の『ジョゼと虎と魚たち』の話になるといつもより大きな声を出すし、テンションがあがりすぎてなぜかめがねを外したりする。

    このあとも、いろいろ映画の作品名が出てきます。

    僕はカラーページに蒼井優を見つけたので返事が適当になる。『百万円と苦虫女にがむしおんな、この田舎じゃ上映してくれなかったんだよなー・・・・・・DVD出るだろうし借りようっと。

    「『メゾン・ド・ヒミコ』もよかったし、やっぱり犬童一心最高!」

    「邦画のあの淡〜い表現方法が好きなんだ!」岩井俊二サイコー!という武文を説き伏せて、以前一緒に『BABEL』を観たことがある。
    (略)
    そのあと武文セレクトの『めがね』を観ようとしたが、チャプターを見てもどこがどこのシーンかわからなくてふたりで笑った。

    以下は、ちょっと違う文脈ですが、中学生の頃は親しくて一緒に映画を見たりする仲だった東原かすみについて、涼也が回想しているシーン。高校生になった今、かすみはアッパーな女子グループ、涼也はそんな女子たちには相手にされない「下」のグループ(だと涼也は思い込んでいる)というのが切ない。

    十四歳のあいつの声は今とあんまり変わっていなくて、 (略) 『となりのトトロ』のメイとサツキが本当は幽霊だなんて都市伝説をいまだに信じているのかもしれない。

    次のはテレビドラマらしいです(知らなかった)。武文のキャラが出ているので入れておきますと、

    「だから、真木よう子やばいよなって話!」
    (略)
    「『週刊真木よう子』とかな、あれ始まったとき、なんで俺が大人になって監督になったときにこの企画やってくれんかったんや!ってガチ思ったもん」

    監督になる前提。まだまだあるよ。

    「お前ほんと岩井俊二好きな」

    僕は半ばあきれたように返事する。

    「だってやっぱ天才やもん俺の中で。『リリイ・シュシュのすべて』とかさ。あれ観たあと二週間くらい引きずったんだよなー」

    ちょっと離れたところから聞こえるアッパー女子の声。陰口のような内容も聞こえ、「ダサい」男子組の武文が聞こえないふりをしながら、映画の話をし続けるあたりの描写は必見です。でも、そこはとばして、かすみの声・・・

    「沙奈だって、なんかの予告観て妻夫木かっこいーとか言っとったやーん」

    だって妻夫木だよ? あなたと私で『感染列島』って感じー感染しちゃうようなことがしたーい、という甘ったるい声に、馬鹿だこいつー、と笑うかすみの声が被さる。

    こちらは中学の頃のかすみの言葉を回想している涼也です。

    池脇千鶴ちゃん天才だと思った、とか、他にはどんな映画が好きなの? とか、『きょうのできごと』って作品知っとる? とか、それも妻夫木くんと池脇千鶴ちゃんだよね、とか、関西弁がかわいくてさ、とか、 (略)

    私、『チルソクの夏』とかすごく好き

    ふたりで『ニライカナイからの手紙』を観に行った帰り、マクドナルドに寄った。

    再び、テンション高めの武文です。

    いやー最近やっと『サマータイムマシン・ブルース』を観てさ! (略) あと『檸檬のころ』みたいな、もうもどかし〜い甘酸っぱ〜い心臓きゅってなる〜みたいのも好きやし、 (略)

    どんだけ出てくるんだよって感じですね。あらためて読み直しながら抜き出してみたのですが、他にもこれが出てたよ、というのがあれば教えてください。観ます。

    ほとんどの映画が観ていない作品だったので、観ないといけないような気がします。そんな強迫観念に駆られます。そして、映画には原作の本があったりもします。これも読まなくてはいけません。連鎖は当分続くのです。


    2026年3月20日追記
    映画好きなら、こちらもどうぞ。
    『国宝』を撮る25年前の李相日監督の映画も紹介『12歳からの映画ガイド』

  • 『桐島、部活やめるってよ』と『桐島、部活やめてるよ』

    この本(『桐島、部活やめるってよ』(朝井リョウ著))を読もうと思ったきっかけは、『あの本、読みました?』というBSテレ東の番組に著者の朝井さんが出ていて、なんかとてもサービス精神が旺盛な人で、この人の書く本なら面白そうと思ったから。

    サービス精神という言葉が合っているのかどうかは分からないが、新聞書評の回では、対象の書籍が選ばれるプロセスや、自身が書評を書く際のこだわりなどを話していて、「本好きに贈る本好きのための番組」(番組の冒頭にこんなフレーズが出てくる)の視聴者が聞きたいであろうツボを押さえていて、きっと事前に話すネタをきっちり準備してしていたんだろうなーと。あと、番組後にこれも話しておけばよかったというのを思い出して、番組のスタッフに連絡をいれる点とか、自身の特集の回には詳細な年表を作ってきたり(番組側はそこまで要求はしていないのに)。伝えたい、という気持ちがひしひしと伝わってくる作家さんなのだ。

    朝井さんの作品で最初に読んだのは『何者』(過去記事:『何者』と『富士山』と『傲慢と善良』)で、こちらを読んだときにも感じたのが、朝井さんは、普段意識しないような自分の(あるいは多くの人の)イヤなところをついてくる。

    あからさまにイヤなやつのイヤなところではなく。自分で気づいているような、ある意味分かりやすい自分のイヤなところ(大抵の人にはあるでしょ?)でもなく。

    学校ではいけてる(死語?)ほうの登場人物である菊池宏樹が、これまたいけてる自分の彼女の沙奈の様子を見ながら、何かもやもやしているものをつかもうとしているシーン。

    (略)ダサいかダサくないかでとりあえず人をふるいにかけて、ランク付けして、目立ったモン勝ちで、そういうふうにしか考えられないんだろうな。

     だけどお前だってそうだろうが、と、夕陽に長く伸びる自分の影を見て思った。

    自分のことを棚にあげることはよくあることで、自分のことを棚にあげるのはよくないって指摘したりするのもありふれたことで、でも、そのことを直接言うんじゃなくて、ストーリーで語られると、グッとくる。ヒヤリとしてハッとする。事故を起こす前に悔い改めたい。

    あと、多くの人がご存知かと思うが、いつ思い出してもジワるので、これはリンクしておきたい。

    「桐島すでに部活やめてた」、3万2000人がリツイート | ねとらぼ

  • 『何者』と『富士山』と『傲慢と善良』

    最初に読んだのはたしか『富士山』(平野啓一郎 著)だった。婚活をしている女性が、マッチングアプリで知り合った相手のことを、どれくらい理解していただろうか(別れたあとの回想)と自問するような短編。

    『傲慢と善良』(辻村深月 著)も婚活についての話で、相手を値踏みせざるを得ない状況で、登場人物の嫌な面がちらちら見えてくる重たい話。

    私が結婚した頃(20年以上前)は、マッチングアプリなどというものはなく(ガラケーはあったがスマホがなかった)、そのような目的のサイトは出会い系サイトと呼ばれ、ちょっといかがわしいイメージだった。結婚した知り合いがマッチングアプリで知り合ったなんて話を聞くと、オンラインで出会うためのシステムが、真面目な結婚を考える人使うものに、いつの間にかなっていたというのが感慨深い。

    どちらの小説も、意識的に「婚活」をしたことのない人(つまり私)が意識しなかった点に気付かさせてくれる。相手のことをよく知らない段階で、この人が結婚する相手として適切かを判断・決断しなければならない。適切というのが微妙で、一生一緒にいて苦がないかみたいなものは自然と受け入れやすい観点だが、自分に釣り合うのか(これは通常、相手が低すぎないかを見ている)とか、ハズレを引いていないのか、この人で妥協できるのか、もっといい人がいるのではないか、みたいなことを考え出すと、急にいやらしい感じが出てくる。

    大抵の場合、おぼろげなタイムリミットが存在していたりする。なので、今付き合っている相手が「じゃない」場合は、すぐに別れて次の審査対象に移る必要がある。たぶん20年前には存在しなかったタイプの苦悩なんじゃないか。

    で、この状況が人を雇うときの「採用」に似ているなあと。大企業が何十人も面接して、上位から何人か採るというのではなく、小さな企業や部門の面接官が、一人分のポストにふさわしい人材を探しているような場合。つまり、この人でいいなら採用、ダメならお断りする。でも、次にどんな人が応募して来るかはこの時点では分からない。今思えば、3人前の彼にしておけばよかったなんて状況もある。

    大企業なら次々と優秀な(だと企業が判断する)人が応募してくるかもしれないが、マイナーな中小企業なら、この程度の人材でも確保しておかないと、次に応募してくる人はいないかもしれない。学生の人気ランキングに入るような企業なのか、就活するまで聞いたこともなかったけどちょっと受けてみたみたいな企業なのか。婚活では、自分が前者なのか後者なのかを意識することになる。

    冒頭の二作と、『何者』(朝井リョウ 著)を並べてみたのは、婚活や就活(従来の就職活動ではなく最近のシューカツ的な)の類似性だったり、こういうものが文学のテーマになるんだなあという驚きだったり。

    この『何者』ですが、語り手の二宮拓人はいろんなことによく気付くタイプで、それゆえ他者の嫌な面に目が行ってしまう。アピール過剰な人、自意識過剰な人、まだなして遂げていないことを語り自分を大きくみせようと必死の人。そんなことをしたところで他人にはバレているよ、なんでそんなことに気づかないのか、想像力のない人たちだ、みたいな感じ。

    ほんと書き出し直後の、筋とはあまり関係のないところなんだけど、

    イェーイ、と、またあのあたりから歓声が上がった。俺の周りにいる人たちはステージ上にいる誰の知り合いでもないのだろう、どういう態度を取っていいのか決めかねているようで、結局ちびちびとドリンクを飲んでいる。

    学生バンドの卒業ライブをライブハウスでやっている場面で、ステージ近くで盛り上がってるのは主に関係者で、たまたま見に来たような人が居心地悪そうにしている場面。こういうときに無邪気に盛り上がって楽しめる人ってのもいるし、居心地悪いなと感じる人もいるし、うちわで盛り上がってしょーもな、と思う人もいるだろうけど、そうではなくて、居心地悪そうな人を観察している人、みたいな感じ。

    細かいことを気にしすぎている側面はありつつも、小説の主人公が他者の詳細を観察して様々な描写や評価を加えることはよくあることなので、序盤の展開に特に違和感は感じず。でも、本当に想像力が欠けているのはどちらなのだろうか、みたいな疑問点が少しずつ見えてくるあたりが面白かった。

    あなた自身の嫌なところに気付き、改善していくためにぴったりの作品。(「お前こそな」という声が聞こえる)