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勝手に読書感想文。漫画も映画も含みます

タグ: あの本、読みました?

  • インターネットのない世界でのヲチ『喪失』(村田沙耶香 著)

    (アイキャッチ画像:By Itasan – Own work, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=98530554)

    文芸誌はほやほやの最新作が読めるのがいいですね。『すばる』2026年7月号に載っていた『喪失』は、現在(2026年8月)の時点で読める村田沙耶香さんのたぶん最新作です。

    実は私は『コンビニ人間』しか読んだことがありません。でも、BSテレ東の「あの本、読みました?」に出演されていたのは見たので、オイコス(砂糖不使用の高たんぱくヨーグルト)に山ほど砂糖をかけて食べていて、朝井リョウさんに怒られたというエピソードは知っています。こういう話を聞くと、コンビニ人間の主人公の茹でただけの野菜を味をつけずに食べる話も、実話に基づいているのではないかと、ちょっと怖くなります。

    『喪失』の冒頭です。

    ある休日の午後、フォロワーと一緒に訪れ、ゲームに登場する森をイメージしたという巨大なロコモコを食べていたコラボカフェ以外の人類が全部滅亡してしまってから、だいたい20年が経ちました。

    頭に入ってきません。情報が多すぎる? いや違う。後半のインパクトに比べて、前半の情報の重要度が低すぎます。「フォロワー」とか「コラボカフェ」とか、どうでもいい情報が邪魔をします。

    でも、この小説って「SNSが好きで嫌いで」という特集の一つとして書かれたものなので、インターネットのサービスがきっかけで集まった人たちが災難に巻き込まれる(いや、逃れたのか)というのは、重要な要素の一つになります。自分たち以外の人類が滅亡しているので、インターネットやらSNSは使えなくなっている、という前提です。

    なるべくネタバレは避けたいのですが、ここのシーンについてだけは書きたい。20年経って、98歳になったおばあちゃんが、何かやりたいことはないか?と聞かれたときの台詞。

    「ツイの鍵垢にログインしてヲチ。ヲチスレのログ保存して必要あれば魚拓投下」

    残念ながら、私は意味が分かりませんでした。「ツイ」はツイッターだろう、「魚拓」はウェブページを保存して残しておくサービスだろう、とは思うのですが、「ヲチ」が何か分からないため、おばあちゃんが何をしたいのか全然イメージがわきませんでした。(結局、検索して調べた)

    インターネットが使えなくなって20年が経ち、他の比較的若い人たちはネット用語など使わなくなったタイミングでの、おばあちゃんのスラングばりばりの発言。これがツボでした。コントのシチュエーションにも使えそうです。

    おばあちゃんが使うスラングですから、ちょっと古いものだったりするのでしょうか。今は「ツイ」は何になっているんでしょうか。ほとんどの人がパソコンやスマホを使うようになって久しいので、今どきのおばあちゃんにとってヲチが好きということは珍しくないのかもしれません。(さっそく使ってみる)

    SNSとはどんなものなのか、人々にどんな影響を与えているのか。それはSNSのない世界を考えると、浮き彫りになるのかもしれません。そして、「ヲチ」という行為はインターネットやSNSがあるがゆえに生まれたもののように、普通は思います。しかし、インターネットができる前から、そしてインターネットがなくなってしまった20年後の世界であっても、「あの世界」は存在しているんじゃないか、という感覚を主人公は持ちます。それがどういう意味なのかは、『すばる』2026年7月号をご覧ください。(中の人?)


    この同じ特集の中に、小砂川チトさんの小説も掲載されています。

    犬×AIロボット犬×ミステリー?『犬たちの頭痛』

  • 『赤頭巾ちゃん気をつけて』とパロディとオマージュ

    (アイキャッチ画像:Mountainlife, CC BY-SA 3.0
      https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, via Wikimedia Commons)

    6月末頃に新聞で著者の庄司薫氏の訃報を見つけて、読んでみました。実は氏の名前も知らなくて、作品を読んだこともありませんでした。『赤頭巾ちゃん気をつけて』というタイトルだけが記憶にあって、たしかNHKの「世界サブカルチャー史」という番組でとりあげていたような・・・。

    検索してみたらXでポストしている方がいました。正確には、「世界サブカルチャー史 欲望の系譜 シーズン3 日本 逆説の60-90s第4回」だったようです。

    学生運動が激化して、その年の東大の入試が中止になり(実際の出来事)、それに巻き込まれた受験生の話。そして、著者自身がその騒動に巻き込まれた体験者だった、くらいの記憶です。

    それ以上の情報はないまま読み始めました。すると、知り合いのお母さんが「あら薫さん、元気?」という感じで、著者が実名で登場します。まあでも、「庄司薫」というのは本名ではなくペンネームなんですけど。

    そういえば、この『赤頭巾ちゃん気をつけて』というタイトル、きっとこんなきっかけ(世界サブカル&訃報)でもないと読まないだろうな、という気がします。なんというか、昭和のアイドルの曲名みたいな。表紙の裏に庄司氏のディスコグラフィ、ではなく代表作が載っていて、その中に『狼なんかこわくない』というのもあり、そうそう、その感じ! と。石野真子の『狼なんか怖くない』と丸かぶりじゃんと思ったら、庄司氏の小説が1971年、真子ちゃんの曲が1978年なので、小説の方が先でした。なので、アイドルっぽい曲名の小説なのではなく、小説っぽいタイトルの曲を真子ちゃんが歌ったということなのでしょう。でも、よく調べてみると、ディズニーの『三匹の子ぶた』の映画の挿入曲のタイトルだったようで、つまり、ディズニーっぽい小説タイトル、ディズニーっぽい曲名だった、ということで。

    文体は独特です。一人称で心情を滔々とうとうと語っていく感じです。好き嫌いが別れそうです。この手の文体は、非常に読みにくいと感じることもある反面、語り手とシンクロし始めると、「読んでいる」ということを忘れるような感覚になることもあります。

    主人公の「庄司薫」は日比谷高校に通っています。私は地方出身なのでピンとこないのですが、日比谷高校は全国でもトップクラスの公立高校で、今でも名門校なのは間違いないですが、あとがきによると「かつて毎年二百名近い東大入学者が出ていたことがあるなんていま誰が信じるだろうか」という感じだったようです。

    そして、作品全体に教養主義が現役だった頃の空気が漂っています。同級生の様子とか、高校でのイベントなどの話から、ちょっと今の高校生とは違う感じが伝わってきます。旧制中学・高校の流れを汲んでいて、ただ勉強ができるというだけでなく、日本を支えていくという真のエリート意識があり、哲学や芸術について議論するような。(過去記事:『教養主義の没落』と岩波文庫)

    でも、主人公の薫君はそんな空気をちょっと冷ややかに見ているタイプです。同級生の「小林」はいかにも旧制中学・高校の学生という感じで、そんな二人が友達だったりするのもちょっと面白いです。

    終盤のクライマックスで、主人公が自分はこういう人間になりたいんだ、という話を語ります。なんだかこの流れ、『ライ麦畑でつかまえて』っぽいと思ったら、私の勘は当たっていたようで、発表当時いろいろ論争になっていたようです。でも、主人公が日本の高校生という時点で、パクリだとかなんだとかそういうものには当たらないと思うんですけどね。だいたい、あんな有名なものはパクれないです。みんな知っているんで。

    誰にも知られていないようなものをコピーしてきて、さも自分の作品のように発表して、それで誰にも気づかれなくて、やっと、晴れて自分の作品として扱われる、というところまで行って、剽窃作戦大成功というわけですから、有名な作品ではそうはなりえません。有名な作品は、パロディにされるか、オマージュされるかしかないような気がします。

    でも、その作品を踏まえて書いたのか、偶然類似性が生じたのか、というのは気になるところ。BSテレ東の「あの本、読みました?」で、羽田圭介さんが、自身の『隠し事』という作品が、谷崎潤一郎の『鍵』と類似しているという書評を見て、それから気になって『鍵』を読んでみた、みたいな話をしていたのを思い出しました。

    『鍵』は以前読んだので(過去記事:日記は究極の信頼できない語り手 谷崎潤一郎『鍵』)、今度は『隠し事』を読まなくては、と思いました。こうやって、読みたい本は増えていき。

  • 日記は究極の信頼できない語り手 谷崎潤一郎『鍵』

    前回(死期を早めてあげるための介護とは?『スクラップ・アンド・ビルド』)からの続きです。簡単に書くと、BSテレ東の「あの本、読みました?」で、作家の羽田圭介さんが谷崎潤一郎を紹介していたので(実は読みやすい&短い!?谷崎潤一郎作品を羽田圭介が熱弁解説)、まずは羽田さんの『スクラップ・アンド・ビルド』を読み終わりまして、感想文も書きまして、今回やっと羽田さんがおすすめしていた谷崎潤一郎の『鍵』を読みました。

    番組中では「短くて読みやすい」作品として紹介されていました。168ページとのことでしたが、私の手元の番組と同じ新潮文庫版では、本文が書かれているのはP8~P173なので166ページ(引いたあとに1足すのを忘れずに)です。この2ページのズレは何でしょうか。タイトルページを入れると167ページになりますが、あと1ページ足りません。最終ページの裏側(白紙)を足せば168ページとなり数は合いますが、そんな数え方をするのでしょうか? と思って、検索してみると、出版業界? 印刷業界? 界隈ではそういう数え方をするようです。勉強になりました。どうでもいい話で10行近く使いました。

    168ページというと、私の中では「ちょっと長い短編」くらいの感じなのですが、ウィキペディアには

    『鍵』(かぎ)は、谷崎潤一郎の長編小説。

    と書かれていて、ジャンルも「長編小説」となっています。「ちょっと短い長編小説」ということでしょうか。「素敵な粗品」みたいなもんでしょうか。でも、普通の小説のように台詞の掛け合いによる改行がないので、字はぎっしり詰まっている感じがします。分量から言って、長編ということで。

    168ページなので短いというのはいいとして、「読みやすい」には物言いです。夫と妻の日記が交互に繰り返されるのですが、夫の日記は漢字カタカナまじりで書かれています。ツマリ、夫ノ日記ハ漢字カタカナマジリデ書カレテイマス。読みにくいです。でも、その読みにくくさが、最終的に快感に変わるのかもしれません。谷崎なので。

    本文は、夫と妻の日記のみです。ナレーションみたいな語り手とか、風景の描写とかそういうのはありません。交換日記というわけではなく、それぞれ別の日記です。家に置いているので、相手にこっそり読まれている可能性もありますが、それもはっきりしません。

    夫は50代、妻は40代、娘が一人という家族構成で、ここに娘の結婚相手にどうかと親は思っているけど、娘はあまり乗り気ではないという男「木村」が加わり、この4人が主な登場人物です。

    ストレートに書くと大人サイトだとグーグルに判断されたりして、ただでさえ低い検索順位が、さらに低くなりそうなので、なるべく遠回しに書きます。夫は夜になると最近ちょっと元気がなくて、でも妻は旺盛なので、なかなかサティスファイさせることができません。夫は嫉妬をするとエンジンがかかる(エンジンにはピストンがつきもの)タイプで、木村と妻が怪しいんじゃないか思うほど、パフォーマンスがあがってタスクを完遂できるという、ちょっと普通でないタイプなのです。

    で、そのことを日記に書きます。妻が盗み見をしているという想定で書きますが、本当に盗み見ているかは不明です。また、盗み見をしている想定で書いている、ということも日記に書いてます。

    妻は最近日記をつけはじめたのですが、これも途中から夫に盗み見られている可能性について、日記に言及するようになります。夫は自分が夫の日記を盗み見していると思っているようだが、そんなことはない、ということを日記の上で力説し、それが夫に盗み読まれることを想定しています。

    双方が盗み見ていれば、口ではいいにくいことをお互いの日記に書いて相手に知らせる交換日記のように機能しそうですが、相手が見ているかどうかは判然としないまま、物語が進んでいきます。

    夫が自分の性癖を日記に書く、盗み見た妻は、木村との関係をほのめかすことにより夫を嫉妬させ、嫉妬はブースター(発射だけにね)となり結果的に満足を得る。妻を満足させることは夫の希望であるので、妻は不倫のふり(あるいは本当に・・・)をすることで、主人の意に忠実な妻である、みたいな構図が成り立ちますが、各人の動機が本当にそうなのかははっきりしないのです。

    このような誰がどういうつもりで何をしているかが分からないような小説にするための仕掛けとして、日記という形式がとてもうまく機能しています。

    あるタイプの小説は、登場人物Aの心情も登場人物Bの心情も語るような神様のような視点の語り手がいたりしますよね。ここで語られる内容は通常は真実として扱われます。

    「夫は妻の日記を読むようなことはしなかった。」と台詞ではなく、地の文で出てきたら、そうだということになります。

    「『俺は君の日記を読むようなことはしないよ』」という台詞が出てきたのなら、それは嘘かもしれません。

    一人称の小説で、「私は妻の日記を読むようなことはしなかった。」という形で地の文で出てきたらどうでしょうか。これは真実だと考えるのが自然でしょう。誰かに聞かせているわけではない心情に嘘が入ると、話がややこしくなります。認識の違いとか、あやふやな記憶みたいな形でひっくり返すこともできますが、通常は本当のことしか語りません。

    で、日記はどうでしょうか。日記に嘘を書くという現象はありえないことではないです。そこに、相手の盗み見を想定すると、嘘を入れる動機も十分に存在することになります。つまり『鍵』に出てくる日記に書かれていることは、どこまで真実なのかが最後まで分からない、という構造になっています。

    中盤になってくると、日記に以前こう書いたが、実はそれは嘘で、本当はこうだった、みたいなのも出てきます。でも、それも日記に書かれているので、それが本当だという保証もありません。

    ただ、日記に書かれている内容が真実度を増すこともあります。盗み読まれる可能性がなくなれば、嘘を書く動機はなくなります。そして後半、そうなります。じゃあ、盗み読む人はもういないのか? いえ、最後まで日記を盗み読みしている人はいなくなりません。そう、それは・・・・・・おまえだっ!(もうすぐ稲川淳二の季節ですね)

    つまり、それは読者ということだったりします。

  • 死期を早めてあげるための介護とは?『スクラップ・アンド・ビルド』

    BSテレ東の「あの本、読みました?」で、作家の羽田圭介さんが谷崎潤一郎を紹介していまして(実は読みやすい&短い!?谷崎潤一郎作品を羽田圭介が熱弁解説)、なかなか面白そうなので読んでみようと思いました。

    そういえば、羽田さんの本を読んだことがありません。又吉さんの『火花』と同じタイミングだったせいか、メディアも大きめに取り上げていた印象があり、羽田さんの顔ははっきり、くっきりと思い浮かびます。顔立ちのせいのような気もします。たしか、作品(書籍)がプリントされたTシャツを着てテレビに出てたりもしましたよね。本の装丁はある意味アートなので、Tシャツのプリントにするというのは、それほど不自然ではない気もします。でも、「芥川賞受賞」と書かれた帯まで一緒にプリントされていたりします。そして、ウェブで画像検索してみると、羽田氏がカメラ目線でキリっと決めたTシャツ姿の写真がいっぱいでてきます。Tシャツで自身の書籍をアピールしていたのは『スクラップ・アンド・ビルド』だけじゃないんですね。

    羽田さんの本を読んでいないのに、羽田さんの勧める谷崎の本を読むのは、順番がおかしい気がしたので、先に羽田さんの芥川賞受賞作である『スクラップ・アンド・ビルド』を読んでみました。えぇ、あのTシャツの本です。

    通勤の朝の電車で読み始めて、昼ご飯(冷凍お弁当)を食べながら読み、帰りの電車でも読み、数ページ残っていたので、寝る前に読んで、読み終わり、もやもやしながら寝ました。さっき、起きました。

    主人公の健斗は母親と祖父と同居しています。父は死別。前職を退職していて今は求職中で、家にいる時間は長く、祖父の介護を手伝っています。介護といっても、祖父は努力すれば大抵のことは自分でできる程度の要介護度です。娘(健斗の母)から、かなり邪険な扱いを受けています。

    「お母さん、お皿、お願いします」

    食べ終えた皿を祖父が差しだすと、母は舌打ちした。

    「自分で台所まで運ぶって約束でしょ。ったく甘えんじゃないよ、楽ばっかしてると寝たきりになるよ」

    さらに、

    「お母さん、薬ばもう飲んだほうがよかね?」

    薬の入った袋を掲げながら祖父が母に訊ねた。

    「勝手にしなよ、そんなの本当は飲まなくてもいい薬なんだから」

    「すみません。健斗、水くれる?」

    「健斗に甘えるな! 自分でくみに行け!」

    そして、

    「じいちゃんは邪魔やけん部屋に戻っちょこうかね」

    「いちいち宣言しなくていいんだよ糞ジジイが・・・」

    杖をつき暗い廊下へ行く祖父をにらみながら母が言う。

    こうやって、母親の言動を(意図的に)切り抜いてみると、虐待か? という感じもしかねないですが、読んでいると不思議と祖父に対する共感や同情は湧いてきません。まあ、引用しなかった部分に書かれている、祖父の言葉とか生活態度を踏まえると、無理もないという気になってきます。

    祖父は、不眠や寒さ、鈍る思考、体の痛みなどを理由に、早く死にたいということをしきりに口にします。この言葉を真剣にとらえた健斗は祖父の死期を早めてあげるべく、行動を開始します。

    ただ、その手段が興味深いのです。介護職の友人から、

    「人間、骨折して身体を動かさなくなると、身体も頭もあっという間にダメになる。(略)過剰な足し算の介護で動きを奪ってぜんぶいっぺんに弱らせることだ。使わない機能は衰えるから」

    という話を聞き、実行に移します。

    何をやるかというと、かなり熱心に「介護」します。必要なものはさっと用意してあげて、祖父が動かなくもいいようにする。薬や洋服も仕訳けてあげて、頭を使わなくてもよくする、など。はたからみると、ただ単に、優しく介護している人に見えます。こういう点をふまえると、母親のスタンスは被介護者の自立を促す愛情のあるもののようにも見えます。

    苦労すれば歩けるであろう被介護者でも、転ばれたらやっかいなので車いすにのせ、食事も運んでやり、なるべく体を使わせないような介護のやり方を、健斗は嫌悪します。やっていることは同じでも、祖父のために死期を早めるという動機なのか、業務上の効率を追い求める動機なのか、という違いを重要視します。逆に、母親の介護のやり方とはまったく対立しますが、祖父のためを思ってという点では一致しており、むしろ理解を示すという、妙な共感の関係が生じます。

    もし、直木賞受賞作であれば、このあと、えげつない感じで健斗が目的を達成したり、まさかという出来事がきっかけでどんでん返しが起こったり、なんて展開もあるかもしれませんが、そんな流れにはなりません。異常な感じがするのは健斗の思考の中だけで、表面的に起きている事象は、ごく普通の日常のようにストーリーは流れていきます。

    古い建築物を壊して新しいものを作りなおす「スクラップアンドビルド」という言葉が、どうしてこの本のタイトルに使われているのかは読んでのお楽しみ。筋トレしたくなるかも。

  • 又吉直樹と太宰治と自意識過剰

    普通に生活しているとたくさんの人のことを知ることになりますが、そのほとんどの人に対して特別な印象を持つことがありません。好きでもなく、嫌いでもくなく、興味もない。もっと言うと、「興味がない」わけでもありません。なぜなら「興味がない」には、もはやネガティブなニュアンスが感じられるからです。

    「人のことを知る」というのは、一緒に仕事をするとか、遊ぶとか、たまたま雑談を交わすとかもありますが、もっと広く、一方的にこちらがその人を知っているだけの、有名人のことを見聞きすることも含めています。

    私が又吉さんに対して、ニュートラルな状態でなくなった瞬間は、又吉さんが太宰治について語っていたときでした。インタビュー記事だったのか、テレビ番組だったか、もはや覚えていないし、このような言い回しを使っていたかもあまり自信はないのですが内容としては「好きな作家として太宰治をあげるのはけっこう勇気がいる」みたいなことでした。

    この感覚、どのくらい多くの人と共有できるでしょうか。太宰治を読んだことがない、イメージもないという人はこういう感覚を持ちえないでしょう。太宰治にはまって、たくさん読んで、好きな作家を聞かれて、迷いなく「太宰治が好きです」という人と共有できる感覚でもありません。

    太宰治について、暗いとか重いとかそんなイメージを持っている人は多いと思います。でも、太宰はキャッチーでもあるのです。万人受けする作家なのです。万人受けが言い過ぎなら、「千人受けする」という言い方がぴったりかもしれません。『人間失格』あたりを中高生で読んで、

    「こ、これは、俺のことを書いている・・・」

    と思う人は結構多いはずです。すでに数十万人の若者がこの体験をしていることでしょう。

    そして、どうやらそうらしい、きっとそうなんじゃないか、と思いこむと、「太宰治を愛読しています」と言うことが恥ずかしくなってきます。そんな宣言をすれば、「あらあら、文学青年気取りですか?」みたいなことを思うやつがいる(のではないかという被害妄想に取りつかれる)からです。実際はそんな意地悪な人はほとんどいないのでしょうが、太宰が自分の代弁者であるかのような感覚を少しでも感じた人間が、実体をもたない「世間」を否定しながらも、その「世間」に怯えることは十分にありうることです。

    又吉さんが書いた『東京百景』にはいろんな要素が詰まっているので一言では言い表せません。上京してきた「何者でもない」若者のエピソードが書かれたエッセイという表現は数十パーセントは表現できているかもしれませんが、それだけではありません。売れない芸人、ちょっと売れ始めた芸人、いろんなものに怯えすぎる若者、体験談に近いものもあれば、亀や流れ星が話しかけてくる妄想に近いものものもあります。自意識過剰をこじらせすぎておかしなことになっている話もあります。人に話したくなる「すべらない話」の要素も含んでいます。

    そして、『東京百景』は究極の「人生最後に読みたい本」なのですです。なぜかというと、BSテレ東の「あの本、読みました?」とう番組で、又吉氏自身が「人生最後に読みたい本」として、この『東京百景』をあげていたからです。

    作家が「人生最後に読みたい本」を聞かれて、自身の著著をあげたのです。太宰好きを公言するときに発揮したような勇気を再び発揮し、なしとげた快挙なのではないかと思います。

    これを見て私はさらに、又吉さんに対してニュートラルではなくなりました。お気づきだと思いますが、素直に好きだとは言えない状態になっています。なぜ?って。そこを汲み取っていただけない方とは、分かり合えそうにありません。

  • 『アウト老のすすめ』(みうらじゅん著)の図書分類

    ちょっと前のことですが(50代にとって半年前は「ちょっと前」の範疇です)、「あの本、読みました?」というBSテレ東の番組に、みうらじゅん氏が出演していて、『アウト老のすすめ』というエッセイ集が紹介されていました。

    あの本、読みました?いま話題のエッセイ!みうらじゅん「老い」万城目学「万博」(BSテレ東、2025/10/16 22:00 OA)の番組情報ページ | テレ東・BSテレ東 7ch(公式)

    タモリ倶楽部に出ていたときや、あるいは、いとうせいこう氏や安斎肇氏と共演しているような番組でのMJ(ぼくら、みうらじゅんフリークはこう呼んでいるよ)は安心して見ていられるんですが、「普通」のタレントさんと共演しているときのMJを見ていると、気が休まりません。

    なんか、こう、「絡みにくい人」みたいな空気になっていて。「あの本、読みました?」でも、事故り気味でした。

    みうらじゅん(以下 MJ)「だんだん年取ると、ちょっと「ケンイ コスギ」になるとこあるじゃないですか」

    鈴木保奈美(以下 リカ)「あー」

    MJ「何したわけでもないのに、年取ってるだけで・・・」

    (リカの微妙な表情を見て)

    MJ「あっ『権威 濃すぎ』の話ですよ。ケインじゃないですよ」

    自分が作り出した造語を、さも一般にも浸透しているかのように、会話に織り交ぜてくるMJ。「ケンイ コスギになるじゃないですか?」に対して、「はぁ?」と返してくれればいいんですが、きっと何か真面目なことを言っているんだろうと思って、普通に相槌を打ったりすると、ちぐはぐな会話になってしまいます。

    そうです、これがまさに「権威濃すぎ」現象なのです。若手の頃ならぞんざいにつっこんでくれたのに、権威のせいで、相手は「そうですね」「分かります」「勉強になります」みたいな反応をしてしまい、このような悲劇が起きるのです。

    今後MJを起用しようと考えているテレビ関係者に肝に銘じておいてほしいのは、「MJはまじめな話などしない」ということです。つねにふざけていると思って対応するのが吉です。「つっこめる人」「ひろえる人」に共演していただくのもいいと思います。

    つっこみ役として、より権威の濃い人に一緒に出てもらうのもいいと思います。森繁久弥さんとか、勝新太郎さんとか、内田裕也さんとか。え? あぁ、そうですか。残念です。

    「あの本、読みました?」では、「権威濃すぎ」のことを自ら説明せざるをえない苦境に追い込まれたMJに対して、万城目まきめ学氏が

    万城目「自分で言うのつらいですよね、今のところね」

    とフォローしてくれたので、なんとかなりました。消火はできました。全焼のあとでしたが。

    番組によると『アウト老のすすめ』が売れているらしいとのこと。MJの本は書店の隅でひっそりと売られるものだと思っていたのですが、書店で平積みになっていたり、自治体の図書館のサイトで見てみたら予約待ちになっていたりして、この「らしくない感」 にモヤモヤしました。

    これまた、ちょっと前のことですが(今度は15年前だよ)、川崎市立図書館の児童向けの保健体育のコーナーにこの本が置かれていました。

    その時の衝撃については、こちら(図書館で「正しい保健体育」(みうらじゅん著)の置き場所が間違っていた話: 主張)に書いておりますので、ご参照ください。司書のかたはタイトルだけ見て青少年向けの真面目な本だと思って分類してしまったのでしょうか。おそらく、著者が誰であるかを見落としてしまったのだと思います。

    ただ、しばらくして行ってみたら、児童書のコーナーからはなくなっていました。サブカルチャーのコーナーに移動したのかもしれません。有害図書として廃棄されていないことを祈ります。

    そして、これはほんとに「ちょっと前」の話なのですが、これまた川崎市立図書館で、美術や芸術関係の真面目な本に混ざって、この本が並べられていました。

    「芸術新潮」に連載されていたそうで、分類としてはギリ合っているのかもしれませんが、「はかせたろう」活動などの話も出てくる対談なので、本棚で異彩を放っていました。ちなみに「はかせたろう」とは、下着を穿いていないなら「穿かせたろう」という、ヌード写真に下着を書き足すという活動で、これについては『アウト老のすすめ』にも書かれていました

    『アウト老のすすめ』は、MJが「アウト老」を勧めている本というわけではなく、すすめている話ばかりが載っている本ではなく、「週刊文春」に連載されていたエッセイをまとめたものです。

    普通のエッセイっぽくちょっとしたエピソード話もありますが、架空の漫才、金〇工場のインタビュー、老いるショック・セミナーでの講師と生徒のやりとりなど、妄想系のコンテンツも多いデタラメ自由なエッセイ集です。

    大人向けの話も多いです。と、思ったら週刊文春での連載名は「人生エロエロ」だそうです。なぜそのまま単行本のタイトルに使わなかったのでしょうか。書店でレジに持っていくのが恥ずかしくて、売れ行きに影響がでるからですね。愚問でした。単行本化にあたって書名を変えられた出版社・編集者さんの判断は正しかったようです。

    ふと思ったんですが、みなさん「アウト老」の意味はご存じでしょうか?

    「みうらじゅんのザ・チープ」という番組の「#4 拓本」の回で、MJが非常に分かりやすい例をあげておられたので、ここで紹介いたします。

    MJが小学生だった頃、母方の祖父(饗庭蘆穂氏)が定年後に拓本(石碑などの表面に紙を置き、墨で文字や模様を写し取る技法)にはまり、『拓本による京の句碑 上』(当時 4,800円)という本を出版しました。

    お祖父さんは、親戚が集まっている場に、ものすごい量の本を持ってきて、こう言い放ちます。

    「1家庭に2冊以上買って欲しい」

    この、親戚内での「押し売り行為」を、「アウトロー」ならぬ「アウト老」であるとMJは評していました。非常に分かりやすい例ですね。

    さて、この『アウト老のすすめ』は図書館ではどのコーナーにおくべきでしょうか。NDC(日本十進分類法:図書館などでの分類に用いる体系)では、「159 人生訓」などがあります、どうでしょうか。もしくは「367.7 老人.老人問題」でしょうか。それとも有害図書として廃棄されてしまうのでしょうか。

  • 『幸せな家族 そしてその頃はやった唄』の単行本(偕成社)

    私の感想文ルール: 一つ、装丁について書いてもよい

    『幸せな家族』については、BSテレ東の『あの本、読みました?』で知りました。そして、その本、読みました。(実在する『その頃はやった唄』)

    『あの本、読みました?』では、以下のように紹介されていて(番組サイトへのリンク)、

    ▼36年前に出版された『幸せな家族 そしてその頃はやった唄』も復刊後、再ブレイク! その意外な理由とは?

    私は、その復刊した文庫版を読んだんですね。文庫版はすっかり大人な感じの、電車で読んでも恥ずかしくないデザインの表紙になっていました。ターゲット層は今の若者ではなく、元ジュブナイルなんだと思います。その頃、読んで戦慄を受けた世代が、懐かしんで読むことを想定した装丁になっているんでしょう。

    元ジュブが現ジュブだった頃に、どんな感じの表紙で、裏表紙のあらすじやあおり、、、文には何が書かれていたのかが気になります。アマゾンでは単行本はヒットしません。これが絶版ってやつなんですね。

    でも、自治体の図書館で探したらありました。絶版本は図書館に限りますな。

    表紙はこんな感じ。

    厚みはこんな感じ。

    主人公(語り手)の省一と、物語で特に重要な役割を果たすお姉さんの一美でしょうか。お兄さんの行一ってことはないですよね。そういえば、みんな「一」がつきますね。お父さんの勇一郎からとったのでしょうか。まあ、みんな死んじゃうんですけど。

    表紙は特に子供向けという感じはしないですね。ただ、表紙の裏には

    本格派ほんかくは長編ちょうへんミステリー、ついに登場とうじょう!

    と、ルビ付きで書かれているあたりが、ジュブチックです。

    あと、挿絵は文庫版と同じです。挿絵っていいですね。好きです。変に大人ぶらないで、挿絵ばんばん入れてほしいです。

    意外だったのは、楽譜も載ってた点でした。『百年の孤独』の家系図みたいに文庫化にあたって足したものだと思ってました。青少年たちはリコーダーで吹いたりしたのかもしれません。

    偕成社かいせいしゃは主に児童書を出版している会社で、『幸せな家族』も「K.ノベルズ」というシリーズの1つのようです。巻末にK.ノベルズの広告ページがあり、そのキャッチコピーがいかしてました。

    「マンガが一番おもしろい」と言っている吉田君に読ませたい

    誰でしょうか? 吉田といえば、茂か拓郎か照美か牛の吉田君などが思い浮かびますが、どれでもなさそうです。

  • 『踊りつかれて』の前に『罪の声』

    『罪の声』を読んだきっかけは、著者の塩田武士さんがテレ東の「あの本、読みました?」に出演されていたから。その時は、『踊りつかれて』の話がメインで、めちゃくちゃ面白そうだったので、これは読まねばと思い、自治体の図書館のサイトで検索してみたのですが、予約数が多すぎて当分借りられそうにないので、以前の作品である『罪の声』を先に読むことにしました。

    『罪の声』については、その番組内で触れていたのか、別の場だったか記憶は曖昧ですが、「グリコ森永事件を題材にしていて、その脅迫メッセージに使われた子供の声が、自分のものだった」という設定で書かれているという前提知識だけで読み始めました。

    グリコ森永事件の時、私は10歳くらいだったので記憶は曖昧でした(最近は一週間前の記憶も曖昧ですが)。覚えていたのは、「キツネ目の男」と「毒入り危険。食べたら死ぬで」という関西弁のフレーズ(実際はひらがな)、結局、毒による被害者や死者は出ていないというおぼろげなイメージ。なので、それほど悲惨とか陰惨みたいな印象は持っていませんでした。

    本書に現れるエピソードも、基本的にはほとんど著書の創作だろうという認識で、普通の(?)小説として読了。読み終わった後に、文庫本の巻末にある著者からのコメント(「あとがきとは書かれていないけど、そんな感じ」)に、

    本作品はフィクションですが、モデルにした「グリコ・森永事件」の発生日時、場所、犯人グループの脅迫・挑戦状の内容、その後の事件報道について、極力史実通りに再現しました。

    え?そうなん?(小説の舞台に合わせて関西弁)

    wikipediaを見てみて、いろいろ思い出しました。ほんと、記憶というのは当てになりませんね。犯人からの指示に子供の声が録音されたテープが使われたこと、菓子メーカーの社長が誘拐されたこと、身代金の受け渡しに利用されたカップルのことなど、読んでいるときは創作だと思っていた部分が実際の事件に基づいていることに、あとから気づきました。

    そうそう、最初は「江崎グリコ社長誘拐事件」だったんですよね。その時点では、あくまで単発の誘拐事件であって、あんな大がかりな一連の事件が続くとは誰も思っていなかった、という始まりでした。記憶が蘇ってきます。

    wikipediaの項目名が「寝屋川アベック襲撃事件」というのが時代を感じさせますね。最近「アベック」って聞かないですね。直近で目にしたのは、五木食品の「アベックラーメン」くらい。

    あと、小さい箱入りのお菓子の外側がフィルムで包まれるようになったのもあの事件以後でしたね。以前は箱を開けて、中身を入れ替えて、元に戻すというのが簡単にできました。

    死者が出てないという点で、事件に対してあまり暗い・重いイメージは持っていませんでした。なので、この序盤を読んでいるときは、声を使われた子供の苦悩というのも、直接の加害者なわけじゃないし、そんなに深刻に捉えなくてもいいんじゃないか、なんて思っていました。

    でも、自分が間接的な加害者であることよりも、自分を利用した直接的な加害者が自分の家族・親戚であることのほうが、悲惨さを引き起こす根本なんだと気づきました。

    声を使われた登場人物の一人(曽根俊也)は、加害者(かもしれない)の親族とは若干距離があったため、事件自体を知ることもなく、平穏に暮らしてきた。一方、声を使われた別の子供は、事件の余波をもろに受けて、人生が狂っていく。

    もちろんこのあたりのストーリーはフィクションなのですが、事件に関して分かっている部分は極力事実と合わせる、分かっていない部分に創作を加えて、エンタメ作品として仕上げる。事実と創作の境目が曖昧になっていることで、子供を巻き込んでしまった事件の重大さ・深刻さを伝えることにも成功している。なかなか斬新なアプローチだと思います。

    次は『踊りつかれて』を読むことを予定しておりますが、予約の順番に、待ちつかれそうです。(買えよ)


    2026-03-15追記
    やっと順番が回ってきました。
    塩田武士著『踊りつかれて』の感想文

  • 『成瀬は都を駆け抜ける』と琵琶湖疏水

    (注意:若干のネタバレがあります)

    「あの本、読みました?」と「第一芸人文芸部 俺の推し本」を録画して見ている私が、成瀬シリーズに気づかないわけもなく、その存在は知っておりました。書店でも平積みになっていたし。

    でも、ラノベっぽいタイトルと表紙で、「まあ、いいか」と思っていました。

    読むきっかけは、中学生の子供の担任の先生が学級だよりみたいなもので、おすすめの本の一つとしてあげていたこと。子供が読みたいと言って(妻が誘導した感もあるが)、買うことになりました。

    身近な誰かが読んでいる本は極力読むようにしています。思えば、赤川次郎を読んでいたのは姉で、火の鳥(これは漫画だけど)を貸してくれたのは久石君(小・中学の同級生)で、筒井康隆をすすめてくれたのは松崎君(小・中・高の同級生)でした。なので、子供から借りて読みました。

    話を戻して、一作目の『成瀬は天下を取りにいく』を買ったときはまだ文庫本が出てなかったので、単行本を買いました。その直後に文庫が出たので、しまった、とも思ったけれど、二作目の『成瀬は信じた道を行く』も、今回読んだ三作目の『成瀬は都を駆け抜ける』も、文庫化を待たずにすぐに読めたので、結果オーライです。シリーズものって、単行本か文庫かで揃えたかったので。

    全編を通じての主人公は成瀬あかりですが、各章(各話)にはそのエピソードでのメインキャラクターがいて、そこに成瀬が絶妙に絡んできます。成瀬は、端的に話すから言葉数は多くはないし、感情を表情に出さないタイプなので、成瀬に関する情報量は少なめなのだけど、重要な役割を演じます。

    滋賀県民が琵琶湖の水を止めたがる、というお約束の冗談に対して、

    「それはきっと京都や大阪側が作った説だ。わたしたち滋賀県民は琵琶湖がみんなのものだと学んでいるからそんなことは言わない」

    と真面目に返す。この段階では何気ない世間話なんだけど、最後のエピソードで、この信念を伝える場面が再び訪れます。琵琶湖疏水そすい(琵琶湖から京都へつながる、人工的に作られた水路)で、島崎みゆき(成瀬の幼馴染)が「びわ湖大津観光大使」の活動をしていると、ちょっとめんどくさい人が現れる。

    「琵琶湖疏水は京都のものやねんけど、だれに許可とってやったはんの」
    (略)
    「明治時代、滋賀県は琵琶湖疏水の工事に反対してん。それを今さら仲良うしようなんて恥ずかしないん?」

    というおじいさんに対して、ひるみそうになる島崎ですが、そこに成瀬が現れて、毅然と考えを伝える。理屈で論破する、というのとは違うんです。シンプルな考えをストレートに伝える。琵琶湖はみんなのもの、同じ琵琶湖の水を使っている者同士、仲良くしたほうがいい、ということを、いつものあの口調で伝える。

    そのあまりの直球ぶりに、おじいさんは苦し紛れに、

    「あ、あんたこそ偽物ちゃうの? 観光大使がそんな言葉遣いしたらあかんやろ」

    と言うんですが、その発言に対しては、

    「いいんだ」

    と断言したあとに、

    「よかったら貴殿もびわ湖疏水船に乗って大津まで来てくれ。琵琶湖はいつでもすべての者を歓迎してくれる」

    小さい人間を完全に包み込んでしまう、この度量。信じているもんがあるから揺るがない。時折 炸裂する成瀬語録は間違いなくこの作品の魅力です。

    実は今回 成瀬以外でも、なかなかいいこと言う! と思った登場人物がいました。二作目に登場し、成瀬と二人で観光大使を務めている篠原かれん。

    成瀬の代打で観光大使の活動を手伝うことになった島崎ですが・・・

    「わたし、任命されてないけど大丈夫なんですか?」

    弱気になって尋ねると、篠原さんは笑顔のまま首をかしげる。
    (略)
    「でもね、一年間成瀬を見てて思った。観光大使って、やりたい人がやりたいときにやればいいんだって」
    (略)
    「ほら、成瀬って、イベントがないときでも勝手に衣装を着て大津市のPRしちゃうでしょう? そこに資格なんて要らない。だから今日は島崎さんがやったらいいの」

    そうか、そうだよなー。誰がやるべきとか、資格とか、郷土愛はそういうもんじゃない。

    そして、著者の宮島未奈さんも、やりたい人として、やりたいときに、小説を通して、観光大使をやっているんだなあということに気づきました。

    私は滋賀県には興味はなかったし、大津市のことは知らなかったのですが(地理で習ったはずなんですが・・・)、琵琶湖の歴史についていろいろ知ることができましたし、びわ湖疏水船にも乗りたくなりました。いろんな形の観光大使があるんです。

  • 『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を読んで学生の頃を思い出す

    この本(「ここで唐揚げ弁当を食べないでください」 小原晩 著)を読んだきっかけは、テレ東の「あの本、読みました?」の「エッセイ特集」自費出版“唐揚げ本”が異例のヒット! 小原晩&吉本ばななが語るエッセイの魅力」(テレ東BIZのサイト。動画は有料なのでサムネイルだけ、参考までに)に作者の小原晩さんが出ていたのを見かけたから。

    あと、BS12(トゥエルビと読む)の「BOOKSTAND.TV」にも出演されてました(インスタグラム)。BS12を見るとか、目のつけどころがシャープでしょ。「ザ・カセットテープ・ミュージック」も好きです。

    自費出版から火がついて、大手の出版社から出すことになったというエピソードと共に語られることが多いみたい。自力で書店と交渉して、発送などもやっていたらしいから、すごくしっかりした人なのかと思ったら、なんだか頼りない感じで、でもって繊細なエピソードが多く、意外でした。あと、よく一人外食(買い食い含む)する人だなあと思いました。あと、よく夜の公園に行く人だなあと思いました。

    学生だった頃を思い出しました。「夏の記憶に三人で居る」なんか、自分の経験とは全く似てないのに、自分の経験が想起されるような読後感。

    深夜に外出するとか、目的とか行先があやふやなまま出かけてみるとか、くだらないことで盛り上がるとか、変なルール決めるとか、今考えると何でそんなことしたんだろうとか、若い時の感じだよなあと懐かしむ私、50代。

    切れ者の著者がいかに巧みに活路を見出したか、みたいなドヤ顔の本には食傷気味なあなたに、胃薬になるようなエッセイです。