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勝手に読書感想文。漫画も映画も含みます

タグ: 又吉直樹

  • 読んでて騙され疲れました(又吉直樹『生きとるわ』)

    数ヶ月待って、やっと又吉直樹さんの『生きとるわ』を借りられました。人気作・話題作は次の予約が入っているから貸出期間を延長できません。なので、2週間のうちに必ず読む必要があります。締め切りがあるというのは、積読しがちな人にはちょうどいいかもしれません。

    そういう人気作が届いたタイミングで、別の人気作も予約の順番が回ってきたりして、こっちを先に読むべきか、それともこっちが先か、と複数の締め切りに追われることになります。借金で首が回らない人というのははこんな感じなのでしょうか。そんなわけないですね。

    借金といえば『生きとるわ』です。主人公の岡田は、高校時代からの友人である横井に500万円貸していて、それを踏み倒されそうになっています。たまたま横井を見かけ、それがきっかけで再び横井との接触が始まるのですが、借金を返してもらうどころか、次々とやっかいな話に巻き込まれ、みたいなところは帯にも書いてあるし、アマゾンの商品説明にも書いてあるので、読んでみてください。

    長いです。だから長篇っていうんですね。芥川賞受賞作とかって、せいぜい中篇の長さなので、無理やり一冊にしたような文の量の単行本もあって、それはそれで、行き帰りの通勤で読み終われたりするも好きなのですが、『生きとるわ』は400ページ以上あります。

    長篇を読み始める前は、飽きないかなーとか心配しながら最初のページをめくるのですが、心配無用でした。隙間時間に読書するので、ちょいちょい中断するんですね(新宿で乗り換えるときとかね)。でも、早く続きを読みたいって思って、ちょっと手が空くと読み始めてました。没入していると、待ち時間が気にならない。なんならもうちょっと読みたいから、ホームで待っている間にも、「もう来たのかよ山手線」みたいな。(山手線はすぐ来るだろ)

    長くても飽きさせない仕掛けがちゃんと入っていますね。いつの間にか、作中作に滑らかに入っていて、え? いつから? って感覚は初めて味わいました。ここは確実に「中」だなって描写はあるんですが、その前の段落はどっちだろう、みたいな。読んだ人はわかるが、読んでない人にはわからない話ですみません。

    ウソつきの登場人物(横井)がいたりすると、ちょっとしたトリックも入れられますしね。あれ? さっきの話と違うけど、私の読み間違いかな?って思って読み返すと、やっぱり辻褄が合わないぞってなって、あ、そうか、横井 ウソつきやった、って。

    主人公 兼 語り手の岡田が、横井に振り回されるという展開はご想像通りですが、状況はそんなに単純じゃないんですよね。語り手がすべてを語っているわけではないので、あとからちょっとした事実が出てきたりする。そうすると、なんか加害者・被害者のバランスが危うくなったりして。

    うまいんですよね、読者にほどよくミスリードさせる感じが。岡田は公認会計士をしていて(なんだか職業だけで信用しちゃいません?)、序盤に横井を含む友人たちとやりとりをしているときも、比較的客観的に物事を見ているよう感じで描かれています。まあでも、これって語り手が、自分が考えるところを話しているだけなので、別の人に語らせてみれば、どうなのかっていう、本当のところは分からない。

    語り手が隠していた事実が明らかになる場面といえば、岡田が奥さんに隠していた借金の額といきさつを説明する場面が秀逸でした。9ページくらい続きます。なぜ500万も横井に貸してしまっているのか、横井の見え透いた嘘に岡田がどう騙されてきたのか、その経緯を説明するのですが、岡田の判断力がかなり怪しいことが露呈します。理路整然といろいろと熟考しているような感じがあるが、ここぞというところで判断を誤る。そうであってほしい、というほうに賭けてしまう性分なのか、特に横井が絡むと話がおかしくなる。途中から奥さんは「めっちゃ阿呆やん」しか言わなくなって、数えたらトータルで10回くらい言ってました。

    全体的には横井はどちらかというと被害者です。でも、複数人が絡む詐欺って被害者がいつの間にか加害者側に回っているってことよくあるじゃないですか。横井に騙されて、岡田を騙すのに加担していた女が、横井に裏切られたあとに、岡田に対して、自分も被害者だみたいなそぶりをして、、それに岡田が「おまえもや」と心の中でつっこむ。でも、そのつっこんでる岡田も言えるような立場じゃなくなっている、みたいな。

    あまりに何度も横井に騙されるので「いやいや、さすがに気づくでしょ」という気になることもありましたが、ニュースでよく見る詐欺の手口の内容や、複数の芸能人が巻き込まれた投資トラブルの話(損害を取り戻してやるという第二の人物が現れ、追加投資してしまったみたいな)を聞くと、意外に岡田のような人間も多いのかも。見え透いたウソを信じてしまう人や、すぐばれるようなウソをつく人の心理を学べるような気がします。あなたは大丈夫?

  • 大学教授の「その夜、生き延びるための唯一の方法」

    村上春樹氏の『夏帆』(単行本の一章に相当)が掲載されていた、『新潮』の2024年6月号を図書館で借りて、目当てだった夏帆を読み終わったので、パラパラと他のページをめくっておりました。

    創刊120周年記念特大号ということで、なかなか分厚く、表紙にもかなりの数の作家さんの名前が並んでいました。「創作の小さな真実」と題して、40人以上の作家さんのエッセイが掲載されており、その中に又吉直樹氏の名前があったので、気軽な気持ちで読んでみたのですが、なかなか重たい内容でした。

    幼少の頃の自分の創作(工作の類)がゴミとして扱われた経験、中学時代の美術の粘土の創作がクラスメートのいたずらによって破壊された経験、しかも全然面白くもないものに作り替えられていた、という話。

    その流れで、ある大学教授が『火花』を酷評した話に話題は移ります。その評論なのか書評なのかがネットで検索しても参照できない状態なので、あくまで又吉さんの言い分なのですが、このようなものだったとのこと。

    「火花」という小説の一場面。恋人だった真樹との別れによって自暴自棄に陥った神谷という芸人が、下着を脱ぎ、「若手の、若手の、若手の登竜門!」と言いながら、でんぐり返しで肛門を後輩に見せつけるくだりがあった。敢えてつまらないことをするという芸人としての自傷行為である。しかし、その部分を引用して「大学生レベル」と書き、このようなつまらない芸人の話など読むに値しないと結論付ける評論を目にした。

    神谷がおかしくなって、とんでもなくつまらないことをやっているというシーンなので、この行動のレベルの低さを引き合いに出して、小説の価値うんぬんを語るのが間違いであることは、ある程度日本語が読める人ならお気づきのことだと思います。

    この神谷の行動を、又吉さんが面白いと思って書いたと、その大学教授が考えているなら、とんでもない誤読です。「読むに値しない」ことを主張するために、作品の一部を引用するとして、このシーンを引用したんじゃ、完全に論理が破綻しております。

    ・・・なんてことは言わずもがなですが、私はちょっと違うところがひっかかりました。神谷の行動のくだらなさを表現するのに「大学生レベル」という言葉を使うのは、大学生に失礼じゃないか?

    自分が教育を行っている対象である教え子たちをそのように見ているのでしょうか? 私が大学生ならそんな教授にものは教わりたくないですし、私が親なら自分の子供の教育をそんな教授に任せたくありません。こういうところで人の本性が透けて出るのだと思います。彼は学生たちに敬意を払っていないばかりか、小ばかにしていることが分かってしまいました。

    それはさておき、この論評が発表されたのはかなり前のことだと思います。『火花』が芥川賞を受賞したのは2015年の上半期だったので、論評もそれからほどなく発表されたのではないかと思います。「創作の小さな真実」が2024年に書かれたエッセイだとすると、もう9年近くたっていたはずです。この話を持ち出すということは、又吉さん、かなり根に持ってますね。でも、許すも何も向こうは訂正も謝罪もしていないのでしょうね。

    でも、私、ちょっと、もしかしたら、なんて思うことがあるんです。『火花』の私の好きなシーンで、神谷先輩がネットの中傷などについて話している場面で、不当な批評が自分に向けられることが、いかにつらいかという話をしたあとに、でも、書いた側の人間の状況を想像しつつ、話を続けます。

    「だけどな、それがそいつの、その夜、生き延びるための唯一の方法なんやったら、やったらいいと思うねん。(略)」

    大学教授にだってつらいことはあるでしょう。彼がその夜を生き延びるために、誰かを攻撃する必要があり、それがたまたま又吉さんであったのだとしたら、そっとしておいてあげてもいいのかもしれません。彼も、もう気づいている頃かもしれません。

  • Audibleに加入した気分で『火花』を聴く

    Audibleは魅力的なサービスです。ぜひ利用したいところですが、経済的な余裕のない私は、図書館で借りたオーディオブック(CD)を聴くのでした。

    又吉直樹氏の『火花』を見つけました。『花火』ではないし、出版社は「ぶんじゅくじゅんじゅう」でもありません。たしか、何かの賞をとっていたはずです。名前から言って、直木賞にちがいない、などという冗談は100万回くらい発せられていそうだから、今回は言わない。いや、もう言ってしまっている。

    4枚組になっていて、それぞれ別資料扱いになっているため、いっぺんに借りることができません(この図書館では視聴覚資料は1回2点まで)。4枚組って、文庫本よりかさばるじゃないか、何の罰ゲームだよ、mp3かなんかに圧縮して1枚に入れてくれ、と思うようなモノグサな人のためにAudibleのようなサービスがあるんだろうと思うと、文句は言えない。いや、もう言ってしまっている。

    朗読しているのは堤真一さんでした。なのでAudible版と同じ音源だと思います。関西弁の台詞がほとんどなので、兵庫県出身の堤さんを起用したのはぴったりだと思います。よそもんが、関西弁つこてるのなんか、聞いてられへんもんなあ。ね? 聞いてられないでしょ。でも、金鳥のCMの長澤まさみさんの関西弁は好きです。ぞんぞんします。ぞんぞんは何弁でしょうか。ここではいい意味です。

    そして、新しい発見がありました。『火花』の朗読をスマホに入れて、最寄り駅まで歩いている間に聞いていると、Audibleに毎月1500円払っているような、そんな気分に浸れました。ちょっとつぶやけば、さらに気分は盛り上がります。「人はAudibleを聴くと、通勤時間がお笑いライブ会場になるらしい」とかなんとか。オーディブルの「ブル」とフレンチブルドックの「ブル」がかかっていることに気づいたときには、膝を打ったものです。しょーもなっ、と。

    『火花』はすでに1回読んでいました。芥川賞受賞で盛り上がって、その後、ほとぼりが冷めて、図書館でも借りやすくなった頃に。つまり、綾部さんがアメリカに行く、ちょっと前です。

    一度読んでも、内容はほとんど忘れていたので、もう一度楽しめました。この調子なら10年ごとに何度でも楽しめそうです。妻も読んだと言っていたので、ちょっと感想を聞いてみたのですが、豊胸のくだりは覚えていないとのこと。「じゃあ、逆に何だったら覚えているの?」と聞きたかったのですが、喧嘩になるといけないので、ぐっと飲み込みました。

    読み終わったあとで、 又吉直樹(またよし なおき)-芥川賞受賞作家|芥川賞のすべて・のようなもの を見直すと、また楽しめます。

    高樹のぶ子氏の評に

    優れたところは他の選者に譲る。私が最後まで×を付けたのは、破天荒で世界をひっくり返す言葉で支えられた神谷の魅力が、後半、言葉とは無縁の豊胸手術に堕し、それと共に本作の魅力も萎んだせいだ。

    とあって、そうそう、豊胸のところいるかなあ? と私も感じたのを思い出しました。でも、今思うと、神谷先輩の異常性(変態性)を際立たせるためには、これくらい意味の分からないエピソードを入れておくのもよかったのかもとも思いました。

    私が好きだったのは、神谷先輩が徳永(主人公)の髪形や服装をそっくり真似するエピソード。真似しないでくださいよ、というツッコミ待ちではありませんでした。神谷先輩にとっては笑いと直接関係のない髪形や服装は頑張るところではなく、単にかっこいいと思ったからそのまま真似していたという理由が、あとから明かされます。これを例えるのに、定食屋で人が食べているもの見て、おいしそうだから同じものを注文するくらいの感覚、という表現がされていました。「真似するな」とか、「オリジナリティがない」とかそんな風にはならないですよね。神谷先輩にとっては、服装とか髪形はそういうものだったという話。

    前述の芥川賞のサイトを見ていて、再発見があったのは、小川洋子氏の評での「天才気取りの詐欺師的理屈屋、神谷の存在」という表現です。私は、「世に受け入れられない天才的な漫才師」みたいな先入観を持って読んでいたので、あー、そうか、本当にしょうもない芸人に心酔してしまった主人公の話、と読めなくもないなあと思いました。

    ニュートラルな状態で一度読む、他の人の意見を見る、もう一回読む(聴く)というのは、なかなかおすすめの流れです。

  • こじらせた自意識のエピソード『東京百景』

    オフィスワークに就いていて、Teamsなんかを使っている人だったら分かってくれるんじゃないか思います。チャットの時とかに発言者のアイコンが表示されますよね。あれって、昔はIDカードに載せるような、履歴書に貼るような、正面を向いて、カメラ目線で、真顔で、スーツを着ていて、みたいな、そんな写真だと相場が決まっていました。でも、最近ちょっと自由になってきて、もっとカジュアルな写真を使ってもOKみたいな流れがあるような気がします。

    自由になると、みんな個性を出してきます。ディズニーランドで撮った写真だったり、ペットと写っている写真だったり、渓流の釣り人だったり。

    趣味のテイストが出てくるのは、そんなに気にならないのですが、仕事の感じが出てくると、ちょっと不穏な空気が漂います。マイクを持って講演しているような写真を見ると「俺、壇上から教える側だけど、何か?」と、どや顔が語りかけてきます。

    子供と一緒に写っている写真もけっこう多いです。それくらいならまだいいのですが、純粋に「子供だけの写真」という人がいました。何がしたいのでしょうか。誰なのでしょうか。子供の許可はとったのでしょうか。気になります。

    何の話をしたかったのか忘れかけていましたが、作家が自著にのせる自身の写真に苦労した話が『東京百景』にありまして、自意識をこじらせた人(=又吉氏)の苦悩を思い知らされました。

    後輩がさらっと「新進気鋭の作家みたい」な写真を撮ってくれたのですが、

    その写真を見た人間の大多数が、こいつ作家を気取りやがってと鼻で笑うはずだ。

    と、却下です。

    変な顔でとってみては? とも考えるのですが、

    周りの眼を気にせず、自分の大切な初めての著書に変な顔を載せるなんて、凄く男らしくて素敵だ。

    自身が決してそういうタイプではなく、周りの人間がそのことを知っていると確信する又吉氏は、そんな偽りの「男らし」さが滲み出るようなことは許容できず、変な顔の写真も採用できません。

    目を閉じて撮ったり、走っているとこを撮ったり、歯を食いしばって撮ったりしても、違和感が払拭できず、結局、一心に蕎麦を食べている写真を使ったようです。(どの本でしょうか、知っている人がいたら教えてください)

    ちなみに私の手元にある単行本版の『東京百景』には、古びたアパートのドアの前で、微妙な感じ(決して「しっかり」ではないし、ポーズもとっていないし、ふざけてもいない)で立って、カメラではない方向を見ている又吉氏の写真が載っていました。これが答えの一つなのかもしれません。

    ちなみに、会社のTeamsでの私のアイコン写真は、コンビニ前の証明写真機でスーツとネクタイで撮ったものを使い続けています。

  • 又吉直樹と太宰治と自意識過剰

    普通に生活しているとたくさんの人のことを知ることになりますが、そのほとんどの人に対して特別な印象を持つことがありません。好きでもなく、嫌いでもくなく、興味もない。もっと言うと、「興味がない」わけでもありません。なぜなら「興味がない」には、もはやネガティブなニュアンスが感じられるからです。

    「人のことを知る」というのは、一緒に仕事をするとか、遊ぶとか、たまたま雑談を交わすとかもありますが、もっと広く、一方的にこちらがその人を知っているだけの、有名人のことを見聞きすることも含めています。

    私が又吉さんに対して、ニュートラルな状態でなくなった瞬間は、又吉さんが太宰治について語っていたときでした。インタビュー記事だったのか、テレビ番組だったか、もはや覚えていないし、このような言い回しを使っていたかもあまり自信はないのですが内容としては「好きな作家として太宰治をあげるのはけっこう勇気がいる」みたいなことでした。

    この感覚、どのくらい多くの人と共有できるでしょうか。太宰治を読んだことがない、イメージもないという人はこういう感覚を持ちえないでしょう。太宰治にはまって、たくさん読んで、好きな作家を聞かれて、迷いなく「太宰治が好きです」という人と共有できる感覚でもありません。

    太宰治について、暗いとか重いとかそんなイメージを持っている人は多いと思います。でも、太宰はキャッチーでもあるのです。万人受けする作家なのです。万人受けが言い過ぎなら、「千人受けする」という言い方がぴったりかもしれません。『人間失格』あたりを中高生で読んで、

    「こ、これは、俺のことを書いている・・・」

    と思う人は結構多いはずです。すでに数十万人の若者がこの体験をしていることでしょう。

    そして、どうやらそうらしい、きっとそうなんじゃないか、と思いこむと、「太宰治を愛読しています」と言うことが恥ずかしくなってきます。そんな宣言をすれば、「あらあら、文学青年気取りですか?」みたいなことを思うやつがいる(のではないかという被害妄想に取りつかれる)からです。実際はそんな意地悪な人はほとんどいないのでしょうが、太宰が自分の代弁者であるかのような感覚を少しでも感じた人間が、実体をもたない「世間」を否定しながらも、その「世間」に怯えることは十分にありうることです。

    又吉さんが書いた『東京百景』にはいろんな要素が詰まっているので一言では言い表せません。上京してきた「何者でもない」若者のエピソードが書かれたエッセイという表現は数十パーセントは表現できているかもしれませんが、それだけではありません。売れない芸人、ちょっと売れ始めた芸人、いろんなものに怯えすぎる若者、体験談に近いものもあれば、亀や流れ星が話しかけてくる妄想に近いものものもあります。自意識過剰をこじらせすぎておかしなことになっている話もあります。人に話したくなる「すべらない話」の要素も含んでいます。

    そして、『東京百景』は究極の「人生最後に読みたい本」なのですです。なぜかというと、BSテレ東の「あの本、読みました?」とう番組で、又吉氏自身が「人生最後に読みたい本」として、この『東京百景』をあげていたからです。

    作家が「人生最後に読みたい本」を聞かれて、自身の著著をあげたのです。太宰好きを公言するときに発揮したような勇気を再び発揮し、なしとげた快挙なのではないかと思います。

    これを見て私はさらに、又吉さんに対してニュートラルではなくなりました。お気づきだと思いますが、素直に好きだとは言えない状態になっています。なぜ?って。そこを汲み取っていただけない方とは、分かり合えそうにありません。