先日、俵万智さんが出てくる夢を見たので、図書館でエッセイ集と歌集を1冊ずつ借りてみました。
実は万智さん(俵さんと呼ぶと、私の中では孝太郎さんのほうが頭をよぎるので)の本を読むのは初めてです。私くらいの世代で万智さんを知らない人はいないです。もし知らないというのなら、きっとそれは忘れたんでしょう。私が中学生の頃『サラダ記念日』が出て、誰も彼もが「この味がいいね」とか、「その味もいいね」とか言ってました。当時のベストセラーというのは今とは売れ方が違ったように思います。情報番組のランキングコーナーとかで毎週のように1位とか2位に入って、そして話題になるからさらに売れて。ふだん短歌とか読まない(詠まない)ような人も買ってたはずです。バブルだったから気になった本は、みんなすぐに買っていたんでしょう。『ノルウェイの森』とかも。
私はまだ中学生で、財政的にも厳しく、また文学青年でもなかったので(そういえば理系の私は『ホーキング、宇宙を語る』を買いました)、万智さんの名前は知っているし、顔も知っているけど(テレビにもよく映ってた)、読んだことはない、という状態でした。
借りたエッセイ集は『ちいさな言葉』という本です。息子さんが2~5歳くらいの頃に連載していたもののようです。ほとんどのエッセイに息子さんが登場するのですが、彼の言動がとても面白いです。
おみせやさんごっこの場面。「母」は万智さん。息子さんは2歳半。
「いらっさいませ、いらっさいませ~。おいしいおべんとうやさんですよ~。いかがでしょうか!」
まだ六時前、母は寝ぼけまなこをこすりながら、注文をする。
「えっと、元気の出るお弁当を、お願いします」(これは、本音)
「はい、わかりました」
「おいくらですか?」
「いちまんえん、ぼったくりです」
私は最初、お弁当が1万円もするので、ぼったくり? と思ったのですが、でも、これたぶん「1万円ぽっきり」の覚え間違いですよね。覚え間違えるにしても、「1万円ぽっくり」とか「1万円びっくり」とかだとあまり面白くなくて、やっぱり「ぼったくり」だからこそ、1万円という価格設定とシンクロしてくるし、売ってる方がそれを言っちゃうところで、そこはかとなく面白みが増している気がします。
その後の言語感覚の芽生え(?)が、またいいです。お弁当といえば、今までは「おさかな弁当」とか「ハンバーグ弁当」とかだったんですが、お母さんが言った「元気の出るお弁当」という新しいジャンルに、息子さんが触発されます。
ふたたび、べんとうやを訪れると、「かなしいおべんとうも、ありますよ~」と言われた。
「えっ、いやな弁当だなあ。もっと違うのはないの?」と聞いたが、息子はにこにこして、それをすすめる。
「かなしいおべんとうたべて、かなしくなって!」
子供は言葉の使い方とか活用の仕方で、大人が思いつかないような変化球を時々投げてきますよね。
風船をたくさん使って遊んでいたとき、どうしても私の力ではふくらまないものがあった。息子は、その色が好きなようで、「これをぷうってして」と何度もせがむ。
「これはねえ、とってもかたい風船だから、おかあさんの力ではできないの」と言うと「そんなの、いや。できて!」と迫ってくる。
「できない」に対する返しで「できて!」とは、大人は普通言いませんよね。でも、文法のルール的には間違っている点はないらしくて、何がおかしいのかというあたり、万智さんは文法用語を使って考察されてました。さすが(元)高校の国語の先生です。
ざっくりいうと、「できる」「できない」には、可能かどうかの結論が含まれている。結論が出ているものに対して依頼されても、それこそできない相談だから違和感があるのだろう(たぶん)、ということでした。
私、ふと思ったのですが、例えば、「わかる」「わからない」に対しては、「わかって!」というのは、なんだかありな気がします。「私のことをもっとわかって!」的な。
あと、当然できるだろうという状況では、「できて!」もありなような気がします。「いや、九九はちょっと無理です・・・」に対して、「高校生なんだから、九九くらいできて!」的な。語尾がちょっと変か。「できるでしょ」ってのが自然ですかね。
「ちょっと何言っているかわからないです」に対して、「わかれよ!」的な。伊達さんがそうつっこむかどうかは別として。
ちょっと何書いているのかわからなくなってきたので、話を戻します。息子さんの言動がたくさん登場するエッセイ集なのですが、読んでいると、その感覚のするどさに、この子は言葉の天才か? 国語の先生が歌人になって、お母さんになった人に育てられたせいなのか、それとも血なのか、とか思っちゃいますが、実は子供の一言をちゃんと拾えるか、みたいなところも大きいのかなとも思います。
また変なこと言っている、ってスルーするのか、なぜそのような発言をしたのか掘り下げてみるのか、その受け取り側のスキルみたいな。
こんなエピソードもありました。息子さんが相手のことを考えすぎる傾向があるのではという話。
そういえば、幼稚園の面接の時にも、不思議なことを子どもは言った。
「あなたのおとなりにいるひとは、だれですか?」と聞かれ、「・・・まちさん」と答えたのだ。
普段、そう呼んでいるのでなかったら、「なんで、あんなこと言ったの!」とあとで責めるかもしれません。「ああいうときは、『おかあさん』っていうんでしょ」と。
が、これもふり返ってみると、質問をした先生にとって、このひとは「おかあさん」ではない。子どもなりに、相手のことを考えた結果だったのかもしれない。
そう考えるとむしろ「おかあさん」という言葉より「まちさん」という言葉で言及する方が自然です。でも、たいていの大人はそこまで考えない。そして、
「おたくでは、名前で呼ぶように指導されているのですか?」と先生が怪訝そうな顔をする。
みたいな、実につまらない反応をしてしまうのでしょう。あー、つまらない大人。
これが「面接」という、簡単な受け答えができるかとか、家庭環境がどんな感じかを確認するために、あえて分かりきった質疑をすることもある手続きであるというメタ知識があれば、「おかあさんです」と答えるんでしょうが、子供にその知識がなければ、「まちさん」と答えるのはある意味より自然なのではないかと。
だって、面接官は子供の横にいる人は母親だって知っているだろうし、その状況で「あなたのおとなりにいるひとは、だれですか?」という質問のほうが不自然です。
「え? 知ってるでしょ?」とか、「忘れたの?」とか言うと、減点されちゃうんでしょうか。
何を書いていたか忘れかけていましたが、つまり、子供のちょっとした言動とかからも、その理由とか意味合いとかを掘り下げて、そして興味深い物語にしてしまうあたり、さすが歌人だなあと思ったしだいです。


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