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勝手に読書感想文。漫画も映画も含みます

カテゴリー: ノンフィクション

  • 『アウト老のすすめ』(みうらじゅん著)の図書分類

    ちょっと前のことですが(50代にとって半年前は「ちょっと前」の範疇です)、「あの本、読みました?」というBSテレ東の番組に、みうらじゅん氏が出演していて、『アウト老のすすめ』というエッセイ集が紹介されていました。

    あの本、読みました?いま話題のエッセイ!みうらじゅん「老い」万城目学「万博」(BSテレ東、2025/10/16 22:00 OA)の番組情報ページ | テレ東・BSテレ東 7ch(公式)

    タモリ倶楽部に出ていたときや、あるいは、いとうせいこう氏や安斎肇氏と共演しているような番組でのMJ(ぼくら、みうらじゅんフリークはこう呼んでいるよ)は安心して見ていられるんですが、「普通」のタレントさんと共演しているときのMJを見ていると、気が休まりません。

    なんか、こう、「絡みにくい人」みたいな空気になっていて。「あの本、読みました?」でも、事故り気味でした。

    みうらじゅん(以下 MJ)「だんだん年取ると、ちょっと「ケンイ コスギ」になるとこあるじゃないですか」

    鈴木保奈美(以下 リカ)「あー」

    MJ「何したわけでもないのに、年取ってるだけで・・・」

    (リカの微妙な表情を見て)

    MJ「あっ『権威 濃すぎ』の話ですよ。ケインじゃないですよ」

    自分が作り出した造語を、さも一般にも浸透しているかのように、会話に織り交ぜてくるMJ。「ケンイ コスギになるじゃないですか?」に対して、「はぁ?」と返してくれればいいんですが、きっと何か真面目なことを言っているんだろうと思って、普通に相槌を打ったりすると、ちぐはぐな会話になってしまいます。

    そうです、これがまさに「権威濃すぎ」現象なのです。若手の頃ならぞんざいにつっこんでくれたのに、権威のせいで、相手は「そうですね」「分かります」「勉強になります」みたいな反応をしてしまい、このような悲劇が起きるのです。

    今後MJを起用しようと考えているテレビ関係者に肝に銘じておいてほしいのは、「MJはまじめな話などしない」ということです。つねにふざけていると思って対応するのが吉です。「つっこめる人」「ひろえる人」に共演していただくのもいいと思います。

    つっこみ役として、より権威の濃い人に一緒に出てもらうのもいいと思います。森繁久弥さんとか、勝新太郎さんとと、内田裕也さんとか。え? あぁ、そうですか。残念です。

    「あの本、読みました?」では、「権威濃すぎ」のことを自ら説明せざるをえない苦境に追い込まれたMJに対して、万城目まきめ学氏が

    万城目「自分で言うのつらいですよね、今のところね」

    とフォローしてくれたので、なんとかなりました。消火はできました。全焼のあとでしたが。

    番組によると『アウト老のすすめ』が売れているらしいとのこと。MJの本は書店の隅でひっそりと売られるものだと思っていたのですが、書店で平積みになっていたり、自治体の図書館のサイトで見てみたら予約待ちになっていたりして、この「らしくない感」 にモヤモヤしました。

    これまた、ちょっと前のことですが(今度は15年前だよ)、川崎市立図書館の児童向けの保健体育のコーナーにこの本が置かれていました。

    その時の衝撃については、こちら(図書館で「正しい保健体育」(みうらじゅん著)の置き場所が間違っていた話: 主張)に書いておりますので、ご参照ください。司書のかたはタイトルだけ見て青少年向けの真面目な本だと思って分類してしまったのでしょうか。おそらく、著者が誰であるかを見落としてしまったのだと思います。

    ただ、しばらくして行ってみたら、児童書のコーナーからはなくなっていました。サブカルチャーのコーナーに移動したのかもしれません。有害図書として廃棄されていないことを祈ります。

    そして、これはほんとに「ちょっと前」の話なのですが、これまた川崎市立図書館で、美術や芸術関係の真面目な本に混ざって、この本が並べられていました。

    「芸術新潮」に連載されていたそうで、分類としてはギリ合っているのかもしれませんが、「はかせたろう」活動などの話も出てくる対談なので、本棚で異彩を放っていました。ちなみに「はかせたろう」とは、下着を穿いていないなら「穿かせたろう」という、ヌード写真に下着を書き足すという活動で、これについては『アウト老のすすめ』にも書かれていました

    『アウト老のすすめ』は、MJが「アウト老」を勧めている本というわけではなく、すすめている話ばかりが載っている本ではなく、「週刊文春」に連載されていたエッセイをまとめたものです。

    普通のエッセイっぽくちょっとしたエピソード話もありますが、架空の漫才、金〇工場のインタビュー、老いるショック・セミナーでの講師と生徒のやりとりなど、妄想系のコンテンツも多いデタラメ自由なエッセイ集です。

    大人向けの話も多いです。と、思ったら週刊文春での連載名は「人生エロエロ」だそうです。なぜそのまま単行本のタイトルに使わなかったのでしょうか。書店でレジに持っていくのが恥ずかしくて、売れ行きに影響がでるからですね。愚問でした。単行本化にあたって書名を変えられた出版社・編集者さんの判断は正しかったようです。

    ふと思ったんですが、みなさん「アウト老」の意味はご存じでしょうか?

    みうらじゅんのザ・チープ」という番組の「#4 拓本」の回で、MJが非常に分かりやすい例をあげておられたので、ここで紹介いたします。

    MJが小学生だった頃、母方の祖父(饗庭蘆穂氏)が定年後に拓本(石碑などの表面に紙を置き、墨で文字や模様を写し取る技法)にはまり、『拓本による京の句碑 上』(当時 4,800円)という本を出版しました。

    お祖父さんは、親戚が集まっている場に、ものすごい量の本を持ってきて、こう言い放ちます。

    「1家庭に2冊以上買って欲しい」

    この、親戚内での「押し売り行為」を、「アウトロー」ならぬ「アウト老」であるとMJは評していました。非常に分かりやすい例ですね。

    さて、この『アウト老のすすめ』は図書館ではどのコーナーにおくべきでしょうか。NDC(日本十進分類法:図書館などでの分類に用いる体系)では、「159 人生訓」などがあります、どうでしょうか。もしくは「367.7 老人.老人問題」でしょうか。それとも有害図書として廃棄されてしまうのでしょうか。

  • テレビ番組は面白くない人たちが作っている

    予約がたくさん入ってて借りるのに半年くらいかかった『漫才過剰考察』髙比良くるま著。記事1つ(『漫才過剰考察』に『ザ・カセットテープ・ミュージック』を見る)では、なんだかもったいないので、再びだらだらと・・・

    本の後半に掲載されていた粗品さんとの対談のところ。霜降り明星がM-1で優勝して、テレビのレギュラーが増えた時期の話。テレビ番組の作り手に対して、粗品さんがとっていた態度についてのなかなか尖ったエピソード

    粗品 (略)おもんないと思ったら「おもんない」って言いまくってた。「こういう企画やろうと思ってるんです」って持ってこられるものに対して「なんやねん、これ」「キモいねん」って。日テレの番組で錦鯉さんが老人ホームに行ってネタするVTRがあって、でも老人たちがウケてないねん。そのウケてない様子をバーンとカット割ってテロップで「・・・」チーン、みたいなVで。

    くるま 日テレだなぁ(笑)。

    既視感・・・。すべっている場面や失敗している場面を切り取って、「チ~ン」みたいな鐘の効果音。いかにもな、ベタな編集。笑いで勝負している芸人がすべっている場面を強調するという失礼さ。そうやって犠牲を払ってまで作ったVTRの仕上がりが大して面白いものでもなかったとしたら・・・、ねえ?

    ちょっと言い過ぎとも思える粗品さんの発言も、芸人たちからしたら、「よくぞ、言ってくれた」なのかも。

    くるま それでいうと、僕、フジテレビで6年バイトしてて、粗品さんがテレビに出始めて感じた面白くなさにそこで気づいちゃったんだと思います。その時期にテレビの仕組み的なものを学んで「これは出てる人だけが面白いんだ」って理解しました。だからはっきり言って、つくってる人が面白くないというのは僕も思ってますよ。

    芸人二人でボロクソに言っています。でも、この発言を読んで、あらためてテレビを見ていると、確かにねー、という感じもします。これって表には出にくいんですよね。だって、つまらない台本を書いても、(お二人の話が正しいなら)演者が面白くしてしまうんですから。なので、面白い番組があったとして、構成作家の手柄なのか、演者の手柄なのかは分かりにくい。そして、つまらない番組があったら、それは誰のせいなのか?

    でも、これが分かりやすいケースもあります。めざましテレビを見ておりました。タレントがレポートしていることもありますが、局アナがレポートすることもありますよね。普通にやればいいのですが、やっぱり笑いの要素を入れたいのでしょうか、VTRの冒頭で、叫ばされたり、歌わされたり、変なことをさせられているのをよく見かけます。アナウンサーはたぶん、たぶんですが、台本の通りにやるんですよね、たぶんね。なので、台本通りがどんなものであるかが、ここで分かると。で、見ている方が恥ずかしくなるようなのが多い。やっている方も恥ずかしいかもしれません。でも、見ている方もなかなかですよ。これ朝の番組で、朝食食べたり、出かける準備とかしながら、てきとうに見ているから耐えられますが、じーっと見てたら、けっこう厳しいですよ。

    こういう台本を渡されて、そのままじゃ、すべるのが目に見えているから、芸人はうまく、面白くアレンジしてやっているんですかね。

    チコちゃんなんかも、大学の先生とかに変なことやらせて、ウケればいいですけど、しょせん素人ですから、変な空気になったりする。でも、大丈夫。スタジオの岡村さんコメントとかで、さっと笑いに変えてくれるから。

    ケンミンSHOWなんかも、出たがりの素人を使って番組を成立させようとしてますが、演出のパターンもベタだし、前述の「チ~ン」的なものが盛りだくさんですね。真面目に見ちゃダメなんですよ。片手間に見てちょうどいいくらいで、真剣にみると疲れちゃいます。

    でも、それでいいんじゃないかと思います。というか、そういうバラエティ番組を見ている層のほとんどって、そんなに鋭い笑いなんか求めてなくて、どこかで見たような予定調和の笑いで十分で、なんだか楽しくワイワイやっていますよ感が出てれば満足なんですよね。

    つまり、地上波のゴールデンの番組に粗品は不要です!(私は今、粗品さんを絶賛しているということが、賢明な読者には伝わっていると思います)

    なんかの小説で、登場人物が構成作家で、会話している相手に「業界の人ですか、すごいですねー」みたいなこと言われるんだけど、「台本書いたところで、そんなの誰も見やしない」と、構成作家の悲哀みたいなものを語っていました。まあ、フィクションですけど。

    ところで、M-1グランプリの笑神籤えみくじって必要ですか? 直前に順番が決まる仕組みがほしいとしても、アスリートをゲストに呼んで、時間取って、引かせるのはいらないと思いますけどね。ああいうのは誰が決めているんでしょうか、プロデューサーでしょうか、ディレクターでしょうか、構成作家なんでしょうか。

  • 『迷宮の人生』岡本太郎

    よく分からなかった。しかし、分からなくても書くのが読書感想文。書かなければ宿題が終わらないからだ。

    メインは岡本太郎氏の文章で、「迷宮」についての考察です。全部で130ページ足らずの本で、1ページあるいは見開きで2ページの作品の写真などもあるので、読み終わるのに1時間もかからないと思います。でも、岡本太郎氏のことをほとんど知らない私には、1時間で理解できそうにはありませんでした。

    巻末近くに岡本敏子氏が書いた十数ページの文章があります。誰でしょうか? 裏表紙に略歴が書かれていました。

    岡本敏子 おかもと としこ

    1926年生まれ。東京女子大学卒業。’48年に岡本太郎の秘書となり、以来約五十年間、公私にわたり支え続ける。

    岡本太郎との関係について、それ以上は書かれていません。苗字が同じということは奥さん? でも、妻とか結婚とかそういうワードもない。太郎より13歳年下。妹の可能性もなくもない。結局、Wikipediaで調べてみると、

    出版社勤務を経て、岡本太郎主催「夜の会」で太郎と親しくなり秘書となった。事実上の妻であり、のちに太郎の養女となる。

    なぜ、「事実上の妻」が、のちに「養女」になるのか? 謎は深まります。さらにWikipediaを読み進めると、

    敏子が「妻」ではなく「養女」として太郎に迎えられたのは、太郎が結婚というものを望まなかったためということが、二人と親交のあった瀬戸内寂聴から語られている。太郎が結婚を望まなかった理由については明確になっていないが、テレビでは「両親(岡本一平・岡本かの子)の結婚生活に嫌気を感じていたため結婚を嫌い」というように触れられることが多い。

    なるほど。この部分を知ると、本書の敏子氏が執筆した「迷宮をゆく太郎」の一節も理解できます。

    (太郎は)幼い頃から、孤独な子供だった。

    一平、かの子という壮絶な両親は自分たちの修羅に精いっぱいで、幼い太郎の心の闇なんかに振り向いている余裕はなかった。

    上記を把握すると、以下の部分(こちらは太郎が書いた文章)も意味合いについての理解も深まります。第二章「夢こそイマジネーションの迷宮」より。

    それから、また、まるで幼い頃の自分になって母親と散歩している夢。・・・・・・広々とした海原、そして緑の山、あたりにはニョキニョキと奇妙な建物がいっぱい建っている。私は母親に連れられて歩き回っている・・・・・・

    両親の話はほとんどしなかった太郎が、夢について書いた文章や、夢について敏子に語った内容から、敏子は太郎のうちにある迷宮について考えを巡らせているわけです。

    本書の主題に戻りますが、クレタ島のクノッソス宮殿を例に論考が始まります。このあたり、この宮殿のことやミノタウロスの伝説などを知らないとピンときません。わたしもピンときませんでした。

    古代のヨーロッパの迷宮や迷路遺跡などの建築物を例に出しつつも、人間が迷い込むのはそのような具体的な存在、他者が作った迷宮ではないという方向に話が進みます。迷宮を作り出すのは己である、と。

    その後、先述の夢の話があり、形状として表現することの困難さに触れ、幼少期、薄暗くなる頃に聞こえてくる「通りゃんせ」の唄声、イニシエーション(通過儀礼)、複雑化した社会システム(ここではカフカの「城」を比喩に使っています)、新宿や渋谷などの雑然とした繁華街の神秘性などにも触れています。

    何か結論があって、そこに向かって論考を進めているというより、著者自身も迷い、試行錯誤しながら、人間のうちなる迷宮の正体を探ろうとしている感じ。

    私が子供の頃、岡本太郎氏はバラエティ番組やCMにも出演していました。キャラが立つので、モノマネする芸人さんもいたりして。岡本氏が芸術について語るとき、観念的なワードが出てきて、話の流れも(凡人には)繋がりがつかみかねたりして、氏が書いた文章のトーンに、その時の語り口を思い出しました。

    そして、岡本太郎氏と言えば数々の名言で有名で、『TAROMAN』なんかはその数々の名言が出てくるというだけで楽しめます。この本は名言を取り上げたものではないので、たくさん出てくるわけではないですが、岡本敏子氏があげていた、太郎の言葉がありましたので、それをあげて終わりにします。

    「うまく行こうなんて思うな」

    「常に危険な方、こっちに行ったら死ぬかもしれない、という方を選ぶんだ」

  • 『国宝』を撮る25年前の李相日監督の映画も紹介『12歳からの映画ガイド』

    12歳からの映画ガイド』佐藤忠男著、タイトルだけ見て、借りて読みました。まさか50を過ぎたおっさんが読むとは著者も思っていなかったでしょう。

    若い人に向けた口調で、語りかけるように映画が解説されています。小中高生でも読めるように振り仮名も多めです。4ページが1つの単位になっていて、前半3ページで必見の1本、残り1ページに追加の3本、という形で紹介されています。

    紹介されている作品は邦画・洋画、時代問わず、かなり多岐にわたっています。1920年代の無声映画もあれば、2000年代の映画(本書が出版されたのは2007年)もあります。洋画もアメリカやヨーロッパだけでなく、インド、トルコ、イランなど多彩です。「12歳からの~」というタイトルではありますが、子供向けの映画はほとんどなく、12歳の少年少女がこの本を片手に次に見る映画を選んでる姿はあまり想像できません。『桐島、部活やめるってよ』の前田涼也や武文のような映画マニア青年なら、はまりそうですが。

    読み進めていると、『あおChongチョン』という作品の紹介があり、監督名を見ると、「李相日」。って、あの『国宝』の! 本文を読んで、またびっくり。

    この本を書いている私、著者の佐藤忠男はいま日本映画学校という学校の校長をしている。(略)

    「青~Chong」という映画は李相日リ・サンイルという学生が自分で脚本を書き、監督もして作った劇映画である。彼は日本で生まれた在日三世で、高校は朝鮮高校に行った。この映画はその経験をもとにしてストーリーが作られている。非常に出来が良かったので映画祭などでたくさんの賞をとり、映画館でも上映され、外国でも上映された。そしていまではDVDで売り出されている。

    日本映画学校といえば、今の日本映画大学ですね。卒業生は、ウッチャンナンチャン、出川哲郎、バカリズム、狩野英孝、ニッチェなどなど。つまりNSCみたいなもんです。ちがいます。監督、脚本家、俳優なども多数輩出しております。

    著者についても前提知識がなかったので、そんな映画教育界のドンみたいな人なのかー、と驚きました。あー、だから若い人に向けた本書を書いたのね。納得です。

    話は変わって、重箱の隅をつつくようですが、みんな大好き『ニュー・シネマ・パラダイス』の紹介ところで、

    どんな田舎にも映画館があった頃のイタリアの田舎町の話。男の子のアルフレードは映画が大好きで、もう映画館に入りびたる日々だった。

    アルフレードは、映写技師のおじさんのほうっ!

    まあ、男の子ではあるし(最近の「女子」の広義化に準じる)、映画館に入りびたってはいるけど(仕事)。

    男の子の名前は「トト」ですね。愛称ですが。

    ということで、改定増補版が出る場合は上記の修正よろしくお願いします。あと、『国宝』も追加しときましょう。

  • 『漫才過剰考察』に『ザ・カセットテープ・ミュージック』を見る

    令和ロマンの髙比良くるまさんが書いた『漫才過剰考察』を読みました。読む人を選びそうな本です。まず、M-1グランプリを見たことがない、これからも見るつもりがない、という人は読まないほうがいいでしょう。

    令和ロマンが1回目に優勝した2023年のM-1見ましたか? 2023年の優勝の経緯について語られていた箇所からの引用です。

    令和ロマンからシシガシラさや香カベポスターまでなんとしゃべくり漫才4連発。

    そしてマユリカヤーレンズ真空ジェシカと漫才コントが3連発。

    最後にダンビラムーチョくらげモグライダーのシステム系漫才3連発。

    ここに出てきた10組のコンビ名、すべて知っていて、顔が思い浮かぶという方: 合格です。読んでよし。

    この年のM-1の放送を見たけど、2、3組だけ顔と名前が一致しないぞという方: 私と一緒です。読んで勉強してください。

    この年のM-1の放送を見たけど、1組も覚えていないぞという方: たぶん見てません、、、、、。もしくは、物忘れ外来へ。(こんなこと書くと最近は怒られるのでしょうか)

    ちなみに引用した箇所は、同系統の漫才が続いてしまい、いかに笑神籤えみくじの順番が失敗の年だったか、ということへの言及でした。

    M-1に限らず、芸人の名前、ネタの内容、どのような意味があり、どう影響を与えたか、みたいな話が結構出てきます。この時に、芸人の名前も代表的なネタも全く思い浮かばないという状況だと、さすがに読んでて面白くないと思います。

    私の場合、割合で言うと、芸人さんもネタもピンとくる50%、おぼろげに分かる40%、ちょっと何言ってるか分からない10%、中道改革連合を支持する0%という感じでした。

    理想的には、よく知らない芸人さんやネタが出てきたときに動画で確認しながら読めると、定年後のよい暇つぶしになると思いました。まだ定年してないですけど。

    髙比良くるま氏はかなりの「分析おたく」だと感じました。芸人さんだったら、笑いの流れとかセオリーとか型を意識しているの当然だとは思うのですが、彼の場合もっとメタな時代の流れ、会場や客層の与える影響などを考察して、それに対策を立ててM-1に臨み、そして実績をあげてきたというすごみがあります。

    彼の文章には仮説がたくさん散りばめられています。これが原因でこういう結果になったのではないかとか、こうすればこうなるはずだ、のような。人間(芸人も客も)がやることですから、そんなに単純にはいかないでしょうし、すべてが正しいかもわかりませんが、だとしても仮説を立てないことには、議論も深まらないし、対策も立てられないので、これは非常に大切なことだと思います。

    演者だけでなく、見る側も対策を立てるべきです。なぜ笑えなかったのか、なぜすべらせてしまったのか、これをよく考えてM-1視聴に臨まなくてはいけません。予選や過去ネタで勉強するのも一つですが、知っていればいいというものでもありません。ネタバレが大爆笑の邪魔をしているかもしれないなら、予選は一切見ないなどの対策の可能性もあります。余計なノイズに邪魔されたくないなら、録画して、CMもスキップ、審査もスキップして見ると集中できます。ただ主催者には嫌がられそうです。観客側の対策は、より高難度なのかもしれません。

    さて、この「ものごとを過剰に考察する」感覚、なんだか既視感と思ったら、「ザ・カセットテープ・ミュージック」(BS12の伝説の番組。「伝説」は私認定)でした。音楽とお笑いとジャンルは違えど、マキタスポーツ氏、スージー鈴木氏と共通するにおいを感じました。加齢臭です。ちがいます。考察に対する情熱です。

    昔の曲を振り返ったりする番組が好きでよく見るんですが、地上波でやっているやつって、司会やゲストが「この曲が好き」だの「歌詞が魅力的」だのと賑やかにやっているんですが、考察はしていないんですよね。

    ザ・カセットテープ・ミュージックでは、なぜ売れたのか、なぜこのメロディーに惹かれるのか、なぜこの時代にこのジャンルがヒットしたのかなどを、コード進行、洋楽や他ジャンルからの影響、歌い手だけでなく、作曲・作詞家、ときには編曲家での切り口など、いろんな角度で仮説を立て、考察するんです。だから面白い。

    お笑いも分析的な視点で見ると、また違った楽しみ方ができるのではないかと思います。「面白かった」とか、「いまいちウケてなかった」とか、そんな結果だけじゃなくて、なぜ面白かったのか、なぜすべったのか、どうすればより爆笑を引き出せたのか、そういう部分に注目することで、新たな魅力が出てきます。

    どこかのテレビ局でやってくれないでしょうか。何組かのネタを紹介して、VTRを見たあとに、それを解説する。時代背景や客層の変化、上沼恵美子(注:淡路島の所有者)の表情などにも触れながら、大切なポイントはリプレイで振り返り、笑いの構造と原理を理解する。お笑い好きも、かけ出しお笑い芸人も、お笑いを目指している学生も見るんじゃないかと思います。放送大学あたりやれないでしょうか。担当講師はもちろん髙比良くるま先生で。


    2026年3月29日追記
    もう一つ書きました。
    テレビ番組は面白くない人たちが作っている

  • 「俗語」と「流行語」の違い

    今回読んだのは、『俗語発掘記 消えたことば辞典』(米川 明彦 著)。表紙の装丁には「ガチョーン」「ヤンエグ」「ぬれ落ち葉」「チョベリバ」などと書かれているので、流行語を面白おかしく紹介してある本だろうと思っていましたが、実はかなりマニアックで学術的な価値が高い本だと感じました。

    というのは、「まえがき」にも書かれているのですが、

    「辞典」と銘打っているものに、エッセイ風の読物がしばしば見られるが、本書では、限られたスペースにできるだけ、上記のようなことばの辞典の要素をつめこんだ。中でも実際の用例は重要な情報を含むので、すべて筆者が収集した用例を、これでもかというくらい入れた。

    「上記のようなことばの辞典の要素」とは、

    いつから使われているのか、いつ頃まで使われていたのか、誰が使っていたのか、どんな使い方をしたのか、実際の用例や語感、また現在国語辞典に掲載されているのかどうか、類義語はあるのか、同様の造語法で造られたことばはあるのか

    を指しています。

    引用ばっかりで、すみません。でもここがこの本の魅力なんですよ。こんな流行語あったよね、で終わらせずに、〇年に出版されたこれこれという本でこんな使い方をされていた、というのがたくさん載っています。時代的に古い使用例なら、この頃にはすでに使われていた、ということになるし、新しい使用例なら、少なくともこの頃までは使われていた(今は誰も使わんけど)、みたいな情報となります。

    各国語辞典にも独自のスタンスがあるらしくて、「古風」のような注釈付きで乗せる辞書もあれば、使われなくなった古いことばは載せないというポリシーの辞書もある。それに載っていないということは、すでに死語化していた可能性が高いという、判断基準にもなります。

    そして実は私、流行語と俗語をごっちゃにしていたのですが、これらは異なるもので、流行した俗語もあれば、流行したわけではない俗語もあるというわけです。

    流行語になったものには、俗語がたくさん含まれているので、前者の例は簡単ですよね。1984年には「まるきん」「まるび」が流行りました。かすかに記憶があります。お金持ちを「まるきん」と呼ぶのは、正式な用語法ではないので、これは流行した俗語である、と。

    後者の、流行していない俗語というのは、なかなか思いつきにくいですが、本書にあげてある例だと、「バタンキュー」「おニュー」「お茶の子さいさい」などがあります。よく使いますよね。(え?)

    さて、興味深かった見出し語をあげておきます。銀座をぶらぶら散歩することを「銀ブラ」と言いますが、今も使うんですかね? 私は銀座をぶらぶらしないので、使いようがありません。ぶらつくとしても町田くらいです。

    なんと、「銀ブラ」は、大正初期にできたことばだそうです。これから派生した、「心ブラ」、「道ブラ」、「京ブラ」、「元ブラ」なんてものもあげてありました。それぞれ、心斎橋(大阪)、道頓堀(大阪)、京極(京都)、元町(神戸)だそうで、関西ばっかりです。「元町言うたら、横浜違うんかい!」「どこの人間やねん!」

    重要なものが抜けています。「天ブラ」です。私が大学生だった1990年代には、普通に使われていました。入学して間もない頃に、「天ブラ行く?」と言われて、「え?」となった記憶があります。そうです、福岡の天神です。「天ブラ行く?」とマウントとってきたのは、1年早く福岡に出てきて(九州じゃそう言う)、浪人していたS君だったと記憶しています。浪人と言えば、親不孝通りですが、「親富孝通り」と改名されて、そういうのは違うんだよね、それじゃダメなんだよね、と思っていました。が、今 Wikiってみて、2017年に「親不孝通り」に戻っていたことを知りました。

    九年経て知るふるさとの便りかな

    この「天ブラ」のいいところは、「天ぷら」との掛け言葉になっている(?)ところです。「心ブラ」や「道ブラ」よりも、ワンランク上だと思います。つまり、天ぷらだけに「あがる」わけです。

    本書には本当に「天ブラ」が載っていないのか?と思って、「て」のあたりを見てみますと、これがありました。

    テンプラ

    【意味】メッキした物や偽物を侮蔑して言うことば。また、偽学生。

    ちょっと前に、ちょっと古い小説を読んでまして。学生が山登りをする話だったと思うのですが、けっこうクライマックスの場面で、たまたま出会った別の学生に、「君、テンプラだろ」みたいに言われて、愕然とするみたいなのがありまして、これを読んだときにテンプラの意味を知らなかったものですから、「?」ですよ。

    終盤の重要な台詞で、「?」となってしまうようじゃ、ろくに小説も楽しめません。ということで、もはや誰も使わなくなったような俗語を知っておくことも、それになりに価値があるのではないかと思っています。

  • 『薬が届くまで ここが知りたい』で、出版業界のビジネスを知る

    『文春まんが 読みとくシリーズ5 薬が届くまで ここが知りたい!』という、子供向けの学習漫画を読みました。

    読んでいて、アルフレッサという医薬品卸会社のことがよく出てくるなと思ったら、企業協賛型のビジネスモデルで出版された本なんですね。アルフレッサってこの業界ではトップクラスらしいです。この業界に疎いので、全然知りませんでした。

    そしてこの、企業協賛型の学習漫画出版ビジネスについては、こちらのPDF資料で、仕組みが理解できました。

    文春まんが 読みとくシリーズ

    貴社の広報、CSR、ブランディングのお手伝いをいたします

    [ご協賛のご案内]
    文藝春秋が「学習まんが」で企業・団体の商品や事業を子どもたちに伝えます

    全国の小学校図書室、主要公共図書館に寄贈、子どもたちに直接読んでもらえます

    ちなみに私は稲城市立図書館で借りた「大人たち」でした。

    企業がお金を出して学習まんがを作って、自社あるいは自社が携わるビジネスについて子供たちに興味を持ってもらう。宣伝的な側面もありますが、学習要素も十分にあるので、それを無償で提供することはCSR的な活動ともみなされる、という感じですね。

    で、その活動(企画して、シナリオライターや漫画家とかに執筆依頼して、印刷して、小学校や図書館と調整したうえで、配布する)を各企業が自力でやるのは大変なので、文藝春秋がワンストップでこのサービスを提供しているという具合です。

    さて、このサービスのお値段(「ご協賛価格」)はHOWマッチ!

    ●ご協賛価格(定価) 33,000,000円(税別)

    他にも、電子書籍として自社ホームページで公開するとか、海外向けの翻訳本とか、販促ツール向けの簡易版を作るとか、そんな付帯サービスも、別途費用で提供しています。

    あと、企業色を出しすぎたものでなければ「公益社団法人日本PTA 全国協議会」の推薦を受けることができるそうです。各社で独自に活動していたら、そんな調整できそうにないですもんね。

    なるほど、出版企業にはこんなビジネスモデルがあったんですね。今回は、『出版企業のひみつ 学習まんがが届くまで ここが知りたい!』をお届けしました。(おわり)

    ・・・というのは冗談ですが、業界によってはこういうアプローチって有効ですよね。製薬会社はOTC医薬品(市販薬)のCMしていたり、商品に企業名が書いてあったりするし、処方薬だって製造者・販売者は書いてあるから、なんとなく知っている。病院とか薬局は消費者(患者)との接点があるし。でも、医薬品卸会社って地味ですよね。

    そもそも一般の人は意識しない。意識しても、メーカー(製薬会社)から買って、小売り(薬局)に売っているだけでしょ、なんて思いかねない。少なくとも私は、流通における卸売りの機能というものを、子どもの頃は理解していなかった。

    漫画の中で流通過程が紹介されていて、それを読めば製薬会社が小売りまで直接薬を届けるなんてのが現実的でないことが分かるでしょうし、パンデミック時や自然災害時のバッファ機能としての役割の重要性も実感できます。

    以前読んだ『薬剤師のひみつ』も、ブログを書いたときには理解していませんでしたが、この企業協賛型の学習漫画出版ビジネスのパターンなんですね。こちらは出版社が学研で、企業が公益社団法人 日本薬剤師会です。個別の企業ではないので、企業色みたいなのは全然なかったですね。でも、主人公の女の子が、「将来、薬剤師さんになろうと思います!」という作文読み上げるシーンが出てくるあたりに、協賛側の願いを感じました。

    『薬が届くまで』のほうは姉弟が主人公で、お姉さんは薬剤師を、弟はMS(Marketing Specialist:医薬品卸販売担当者)を目指すというラストシーンだったりします。ちょっとベタな感じはありますが、どの業界でも人材の確保は重要ですからね。

  • 11回の改版を生き延びた『いかにして問題をとくか』の誤植

    本に誤植があったなんて話は、別に珍しくもないでしょうが、でも、私が今、手にしている『いかにして問題をとくか』(ジョージ・ポリア著)は、平成23年9月25日に発行された第11版 第46刷なんですよね。平成23年といえば、2011年ですからそんなに新しい感じはしないかもしれませんが、この本の初版は昭和29年(1954年)6月25日の発行です。初版から57年も経って、11回も版を重ねて、まだ残っとるかね、誤植が、と思ったわけです。

    なんで、誤植が残り続けたのかというと、演習問題のところだからなのではないかと思っています。この手の本の演習問題を解くのはそれなりに時間がかかります。私の場合、巻末の20題の演習問題部分を解く(といっても、分からないときはヒントや解答を読んで理解しようとする)のに、前半の他の部分を読むのと同じくらいの時間がかかりました。本は読んでも、演習問題まで目を通す人は少数派だったのかもしれません。

    第IV部 問題・ヒント・回答の問題12

    12. ボッブとピーターとポールとがいっしょに旅行にでかけた.ピーターとポールは健脚で,どちらも1時間にbマイル pマイルあるく.ボッブは足がわるいので,2人のりの小型車を運転して1時間にcマイルすゝむ.そこで3人は同時に出発して,まずポールはボッブの車にのせてもらい,ピーターが歩くことにした。しばらくしてボッブはポールをおろしポールはさき歩かせ,ボッブはもどってピーターをひろってポールを追いかける.ここでピーターはポールとかわって,最初のときとおなじようにスタートする.このような手つづきを必要なかぎりくりかえす.
    (a)この一行は1時間あたり,どれだけすゝんだか.
    (b)全程の工程のどれだけの部分を車は2人をのせて 2人をのせないで走ったか.
    (c)とくにp=0の場合と,c=0 p=cの場合について結果をためしてみよ.

    修正箇所は上記の打ち消し線の箇所です。

    もう、なんていうか、3人乗れる車を借りてこい!

    運転手以外には1人しか乗れないから、1人運んで、戻って、もう1人を運んで追いつく、を繰り返すというだけなんですけどね。ただ、先に行って降ろした人は乗っていない間もトボトボ(かどうかは知りませんが)歩いて進んでいくわけです。そんなに複雑ではない題意なのですが、歳のせいでしょうか、問題文を読んでいて、混乱してきます。

    外国人の名前というのも分かりにくい。ボとポの類似が微妙に邪魔をする。ボールがポップしたりとかね。

    英語だったら分かりやすいのだろうか。Bob, Peter, Paul。う~ん。運転しない二人がPで始まる名前で、歩く速さがpという風に合わせてあるのかもしれない。

    「2人をのせて」→「2人をのせないで」のところは、回答との齟齬です。どちらを問題にしてもいいんですけど、回答を見ると、のせていない時間が計算されていました。

    (c)のためしてみよ、のところは特殊ケースでも成り立つことを確認するというものです。p=0というのはPeterもPaulも降ろしたらその場から動かない怠け者だと思えばいい。どうせ車で送ってくれるんだから、ちょっとくらい歩いたって、ねえ?というシニカルな態度の2人。っていうか、1つしか載せられない、2つの荷物を運ぶと思えば、イメージが湧きますね。

    で、誤植の「c=0」だとすると、車が動かないってことだから、答えは「一生着けない」ということになってしまいます。PeterとPaulは歩いて行けるかもしれませんが、Bobはずっとその場から動けません。ガス欠ですかね。

    これじゃ問題にならないので、意図されていたのは、「p=c」つまり、PeterとPaulは車と同じスピードで歩ける。Peter&Paul(お、なんかブランド名みたい)が速いのか、車が遅いのか。

    Paulを降ろして、さてPeterを拾いに引き返そうとしたら、Peterがもうそこにいる、という。ちょっとした怪談ですね。夜のトンネルとかで、おばあちゃんが車についてくるやつ。

    他にも見つけたんでついでに書いておきます。

    13問目のヒントのところ、

    13. 条件をいくつかの部分にわけてみよ.それらを書き表すことができるか.

    算術級数を a-b a-d, a, a+b a+d

    (略)

    とかきあらわしてみよ.

    dをbと間違うというベタなやつでした。

    もはや古典となっている名著に11版も残り続けた誤植ですから、ある意味 貴重ですかね。ぜひとも修正して、さらに版を重ねてほしいところです。

    (関連過去記事:『いかにして問題をとくか』と『エレガントな問題解決』

  • 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』

    以前、『私労働小説』を読んだのですが、その著者のブレイディみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を読みました。

    帯に「一生モノの課題図書」と書かれていて、たしかに課題図書にしたほうがいいと思うくらい勉強になりました。サッチャーが押しし進めた、小さな政府や緊縮財政の政策がどういう結果をもたらすのか。結果的に良かったとか悪かったとか、そんな話ではなく、予算を削ったことでこういうことも起きていたという話が出てきます。著者の個人的な体験、目にしたものだから、内容がすっと入ってくるし、記憶にも残ります。

    著者は日本人、著者の配偶者(本の中で使われている言葉)がアイルランド人、その間の息子さんが書き留めていた言葉が本のタイトルになっている「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」というわけです。

    この息子さんは裕福な家庭の子が多いカトリック系の小学校に通っていたのですが、その後、かなり多様性に富んだ中学校に通うことになります。カトリック系の中学校も選択肢にあるのに、なぜそっちを選ぶ!とちょっとモヤモヤしました。そのせいで、なんかひどい目にあったりする、いやーな後味の話はやだなあとか思ったんですが、読後感は明るいです。いや、いろいろ大変な目には会うのですが、この息子さんのポジティブな考え方で、むしろこんな状況にも希望があるという気持ちにもなってきます。

    友達にリサイクルの制服をあげるエピソードがあって、その子は制服なんか擦り切れているし、替えを買うお金ももちろんないという家庭環境。著者がボランティアで修繕した服をその子に渡してあげたい。貧乏だからあげるというのは本当なんだけど、いかにもそんな感じで渡すのは気が引ける。向こうだってプライドがあるだろうし。

    で、なんとか渡したあとに

    「でも、どうして僕にくれるの?」

    ティムは大きな緑色の瞳で息子を見ながら言った。

    質問されているのは息子なのに、わたしのほうが彼の目に胸を射抜かれたような気分になって所在なく立っていると、息子が言った。

    「友だちだから。君は僕の友だちだからだよ」

    そう、それでいいじゃないか。他にどんな理由がいるというのか。

    イギリスの階級社会がどういうものなのか。移民が増え人種や文化背景が多様になったり、貧富の差が広がったりすると、どんな感じになるのか。

    いや、ほんとにひどい状況なんです。日本では考えられない(知らないだけかも?)。でも、なんというか、絶望とか悲劇とかそういう感じの本になっていないのが、この本のすごいところなんじゃないかと思います。

  • 『物語の技法』より「信用できない語り手」について

    『私労働小説』を読んだ数日後、「文体のどういう部分が小説っぽさやエッセイっぽさを醸し出すんだろう?」なんて考えてたときに、たまたまついていたテレビで『相棒』をやっていて、こんな本が出てきました。

    書籍『物語の技法』の表紙(相棒 season24 第13話「信用できない語り手」より)
    書籍『物語の技法』の「信用できない語り手」の章(相棒 season24 第13話「信用できない語り手」より)

    浦神鹿(毎熊克哉)「たった今、『信用できない語り手』いう技法を読んでいたところです」

    右京(水谷豊)「『信用できない語り手』ですか」

    浦「知ってます?」

    右京「一応は。自分自身も登場人物の一人である語り手。本来は読者にとって真実をかたるはずの存在が、信用できないという論理的矛盾。きわめて実験的な手法とされています」

    どういうストーリーにするかではなく、語り方にフォーカスして、その技法について書かれた本『物語の技法』。これは面白そうだ、読んでみようと思い、自治体の図書館のサイトで検索するもヒットせず。所蔵していないのかな。

    アマゾンで探してみてもヒットせず。もしかして、架空の本??? 凝ったことするなあ、ボルヘスみたい

    ちなみに画像は、TVerからキャプチャさせていただきました。(この「させていただく」は正しい使い方、のはず)

    TVer 好きです。TVerがあるから、録画忘れがあるんじゃないかと不安で眠れない日々から解放され、平穏な生活が送れます。水谷さん 好きです。暇があればカリフォルニア・コネクションを口ずさんでいます。

    で、話を戻して、この『物語の技法』、すっかり架空の書籍だと思い込んでいたのですが、先日、日本一大きいという前橋のBOOK OFFで見つけたんです。海外文学のコーナーの近くに置かれていたんですが、値札が付いていません。店員さんに聞いて店内システムで調べてもらいました。でも、この本は取り扱っていないとのこと。誰かが持ち込んで、勝手に置いていったのでしょうか。私は手掛かりをつかむために、千代田区にある国立国会図書館に向かいました。そして・・・

    以上、信用できない語り手、でした。