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勝手に読書感想文。漫画も映画も含みます

カテゴリー: ノンフィクション

  • 『認知症はどのような病気か』

    認知症はどのような病気か』(伊古田俊夫 著)は、ブルーバックスのシリーズの一冊です。職場の人に勧められて読みました。ブルーバックスとは講談社の科学系の新書シリーズで、大きな書店だと、新書コーナーから独立してブルーバックスのコーナーがあるくらいです。

    ブルーバックスの巻末には「発刊のことば」として「科学をあなたのポケットに」と書かれています。新書サイズがポケットに入るのか、というのが議論が分かれるところですが、冬場(コートとかダウンとか)はいけるが、夏場は無理、ということにしておこうと思います。

    知ることができて有益だったのは、認知症にはいろいろある、というところです。

    認知症は、いったんは正常に発達した知的能力が、病気や事故などによって損なわれ、仕事や家庭生活に支障をきたした状態を指します。じつは、認知症という言葉は単一の病気を示す病名ではなく、共通の症状でまとめられた「状態像」を指す言葉です。

    「共通の症状」といっても、それは大きな分類になるので、細かく見ていくと症状も異なるし、原因も違います。事故が原因の認知症っていうのもあるんですね。

    アルツハイマーは一番数が多く(6割を占めるそうです)、メジャーなので、症状もそのイメージに引っ張られてしまいそうになりますが、認知症全般でいうと、症状はもっと多彩です。

    第2章の「認知症とはどういう病気か?」に書かれていることをちょっとあげてみると、「アルツハイマー型認知症」は記憶障害や見当識障害、「前頭側頭葉変性症」は性格変化、言葉の意味が分からなくなる、「レビー小体型認知症」は幻視やパーキンソン症状など。

    認知症に幻視のイメージありました? 患者からしたら「見えている」ので、そのことを周囲に話したら、「おじいちゃん、おかしくなった」って思われちゃう。判断力に異常はなくても。

    それぞれ各節で行動の具体例があげられていて、記憶障害だと「同じものを何回も買ってくる」、見当識障害だと「自分の置かれた状況を自覚できない」、性格変化だと「身勝手なふるまいが増える」、幻視だと「窓からキツネが入ってきて寝床に潜り込んだ」のが見える、とか。ちょっとファンタジーです。思い当たる人は注意してください。

    で、もし思い当たっちゃったら、病院の何科にいけばいいのというのも悩みどころですが、それについても「第7章『納得のいく診療』を受けるために」の「どの診療科を受診するか?」に書かれています。

    状況によって選択肢が変わるので、一言では書ききれませんが、候補としては、脳神経内科、脳神経外科、精神科、総合診療科、老年内科(老年科)、外来の名称なら、「物忘れ外来」「認知症外来」などもあるそうです。

    「納得のいく診断」に関連して、それ盲点だよなあと思ったのは、「間違った診断が下されやすい場合」として、

    本人の話だけで判断される場合、家族や身近な人の話を聞いてもらえない場合

    というのがありました。認知症を患っている本人の話だけで診断ってのは難しいですよね。家族を連れていきましょう。

    認知症には、問題を隠そうとする、うまくできていることを装おうとする、という症状もあるそうですので、そのあたりも留意点ですね。

  • 『私労働小説』

    妻が新聞の書評欄で見かけて読んだ本を、私も読んでみたというのが経緯でした。

    ちょっと読んでみて、エッセイ?と思ったが、書名が『私労働小説』だから、小説なんでしょう、たぶん。ちなみに「わたくし ろうどう しょうせつ」という読み方だそうです。

    読んだ感じで、これは小説だとか、これはエッセイだとか、なぜ感じるんでしょうか。なぜ、私は『私労働小説 負債の重力にあらがって』(ブレイディみかこ著)をエッセイだと思ったのだろうか。

    まず、書き出し。第一話「ママの呪縛」は、

    「あんたは・・・・・・、え、あんたはすごいね。ちょっとこれ本当かな、こんなの見たことない・・・・・・」

    芝居ががった声音で、何か恐ろしいものでも見たような表情の彼女が口を覆った。

    第二話「失われたセキュリティーを求めて」の書き出し・・・

    「いざとなったら、スーパーの棚に商品を積めばいい」

    英国の人々はよくそう言う。

    あれ? いきなり台詞から入るつかみなんか、小説っぽいですね。なんで、エッセイだと思ったんでしょうか。もちろんすべて一人称で、神様の視点とかはないです。「自分」以外の登場人物の心情の描写とか、「ここ」以外の場所での出来事が語られることもないです。そういう要素が揃うと、小説っぽさがなくなって、エッセイのようなノンフィクション感が出るんでしょうか。

    小説っていうと、

    午後の光は、すでに光と呼ぶにはためらわれるほど鈍く、部屋の奥に溜まった空気の層を、ため息のような角度で横切っていた。窓硝子は長年拭われていないらしく、そこに貼りついた埃と油分が、外界の輪郭を無数の曖昧な線へと分解している。向かいの建物の壁面は、本来ならば白であったはずなのに、白であることを長く忘れ、季節ごとに降り積もった雨と排気と時間の重みを、まだらな沈黙として引き受けていた。

    みたいなまどろっこしい描写があったりするじゃないですか。私こういうの苦手で、早く本題に入ってよ、って思っちゃう。ちなみに上記はChatGPTに書いてもらいました。私にはこんな文章は書けない。羞恥心が邪魔をする。

    だから、この『私労働諸説』は快適に読めました。経験として語られる出来事と、それに対する自分の心情という形で構成されているから、抵抗なく内容が入ってきます。

    そういえば学生の頃、太宰治とか志賀直哉のいわゆる私小説が好きだったのも、そういうことかも。

    今気づいたんですが、「私小説」という言葉の間に「労働」を入れて『私{労働}小説』ということでしょうか。そんな気がしてきました。

    タイトルにある通り、著者の「労働」の経歴に基づいた小説のようです。経験した職業は、ホステス(で合っているのだろうか、お酒を飲むところで、女の子が横についてくれるような感じ)、スパーマーケットの店員、アジア料理レストランの皿洗い、掃除人(お金持ちとかの家に訪問するタイプ)、衣料量販店の店員、借金返済の督促人、という感じ。

    最初のホステスと、借金督促は日本での話で、それ以外はイギリスやアイルランドでの話。本の帯に「シットジョブ」というワードがありました。「ブルシット・ジョブ」というワードは以前聞いたことがあって、その言葉に対して持つイメージは、そこそこの給料もらってたりするけど、よくよく考えると、その仕事って価値を生み出している?みたいなニュアンスでした。例えば、私が以前いた職場の部署は7人の従業員のうち、5人が管理職でした。何を管理しているんだか(自分も含めて)。

    でも、シットジョブはもっと過酷なニュアンスがありました。大変なのに低賃金の仕事で、これから良くなっていくなんて希望は全く持てないような閉塞感。あ、でも作品中には出てこなかったかも。編集者がチョイスした帯用のワードかも。

    第五話の「店長はサクセスお化け」には、「善きサマリア人」についての話がちょっと出てきます。聖書くらい読んだことがあるだろうから(お、偉そうだな)、説明は省きますが、困った人を見かけたときに、見て見ぬふりするのか、助けるのかみたいな実験の話が出てきて、宗教的な事前知識とか、善意とかそういうことより、「急いでいる」かどうかが行動に影響した、みたいな。

    「良いことだから」とか、「悪いことだから」とかではなく、「急いでいたから」、見て見ぬふりをした人が多かったという結果について神父が語ったという話。善悪に絡んでないというのは、かえって根深い問題のような気がします。だって、そこに悪意はないのだから。

    第六話の「督促ガールの手記」では、自分が正義の側にいると信じ込むことが、その人の行動にどんな影響を与えるのか、というテーマが取り上げられます。もしかしたら、そうだと信じ込まなきゃ、やっていられない仕事なのかもしれません。

    読み終わって、すべて著者が経験した実話のような気分になるんですが、そうなのかはよく分かりません。でも、なんだか、ちょっとした出来事ゆえの、ちょっとした発言ゆえのリアリティみたいなものを感じた「小説」でした。

  • 『踊りつかれて』の前に『罪の声』

    罪の声』を読んだきっかけは、著者の塩田武士さんがテレ東の「あの本、読みました?」に出演されていたから。その時は、『踊りつかれて』の話がメインで、めちゃくちゃ面白そうだったので、これは読まねばと思い、自治体の図書館のサイトで検索してみたのですが、予約数が多すぎて当分借りられそうにないので、以前の作品である『罪の声』を先に読むことにしました。

    『罪の声』については、その番組内で触れていたのか、別の場だったか記憶は曖昧ですが、「グリコ森永事件を題材にしていて、その脅迫メッセージに使われた子供の声が、自分のものだった」という設定で書かれているという前提知識だけで読み始めました。

    グリコ森永事件の時、私は10歳くらいだったので記憶は曖昧でした(最近は一週間前の記憶も曖昧ですが)。覚えていたのは、「キツネ目の男」と「毒入り危険。食べたら死ぬで」という関西弁のフレーズ(実際はひらがな)、結局、毒による被害者や死者は出ていないというおぼろげなイメージ。なので、それほど悲惨とか陰惨みたいな印象は持っていませんでした。

    本書に現れるエピソードも、基本的にはほとんど著書の創作だろうという認識で、普通の(?)小説として読了。読み終わった後に、文庫本の巻末にある著者からのコメント(「あとがきとは書かれていないけど、そんな感じ」)に、

    本作品はフィクションですが、モデルにした「グリコ・森永事件」の発生日時、場所、犯人グループの脅迫・挑戦状の内容、その後の事件報道について、極力史実通りに再現しました。

    え?そうなん?(小説の舞台に合わせて関西弁)

    wikipediaを見てみて、いろいろ思い出しました。ほんと、記憶というのは当てになりませんね。犯人からの指示に子供の声が録音されたテープが使われたこと、菓子メーカーの社長が誘拐されたこと、身代金の受け渡しに利用されたカップルのことなど、読んでいるときは創作だと思っていた部分が実際の事件に基づいていることに、あとから気づきました。

    そうそう、最初は「江崎グリコ社長誘拐事件」だったんですよね。その時点では、あくまで単発の誘拐事件であって、あんな大がかりな一連の事件が続くとは誰も思っていなかった、という始まりでした。記憶が蘇ってきます。

    wikipediaの項目名が「寝屋川アベック襲撃事件」というのが時代を感じさせますね。最近「アベック」って聞かないですね。直近で目にしたのはアベックラーメンくらい。

    あと、小さい箱入りのお菓子の外側がフィルムで包まれるようになったのもあの事件以後でしたね。以前は箱を開けて、中身を入れ替えて、元に戻すというのが簡単にできました。

    死者が出てないという点で、事件に対してあまり暗い・重いイメージは持っていませんでした。なので、この序盤を読んでいるときは、声を使われた子供の苦悩というのも、直接の加害者なわけじゃないし、そんなに深刻に捉えなくてもいいんじゃないか、なんて思っていました。

    でも、自分が間接的な加害者であることよりも、自分を利用した直接的な加害者が自分の家族・親戚であることのほうが、悲惨さを引き起こす根本なんだと気づきました。

    声を使われた登場人物の一人(曽根俊也)は、加害者(かもしれない)の親族とは若干距離があったため、事件自体を知ることもなく、平穏に暮らしてきた。一方、声を使われた別の子供は、事件の余波をもろに受けて、人生が狂っていく。

    もちろんこのあたりのストーリーはフィクションなのですが、事件に関して分かっている部分は極力事実と合わせる、分かっていない部分に創作を加えて、エンタメ作品として仕上げる。事実と創作の境目が曖昧になっていることで、子供を巻き込んでしまった事件の重大さ・深刻さを伝えることにも成功している。なかなか斬新なアプローチだと思います。

    次は『踊りつかれて』を読むことを予定しておりますが、予約の順番に、待ちつかれそうです。(買えよ)

    2026-03-15追記
    やっと順番が回ってきました。
    塩田武士著『踊りつかれて』の感想文

  • 『薬剤師のひみつ』

    薬剤師が事件のカギを握るミステリー・・・ではなく、子供向けの学習漫画です。仕事の都合で、創薬関連の知識を増やしたいなと思い読みました。学術的、教科書的な書籍も読んだりはしているのですが、学生の時に生物を履修していなかった私にはなかなかハードルが高い。

    こんな時には学習漫画からスタートです。さすがに子供向けとあって、知っている内容が多いです。かといって全て知っているわけではないから、知識の隙間を埋めていく感じです。知らないことだらけの本で学ぶより、知っていることだらけの本で「隙間」の部分を学んでいく方が、精神的にはだいぶ楽です。

    あと、ストーリー仕立てになっているので、記憶に残りやすい(気がする)。意味記憶より、エピソード記憶のほうが残りやすいという、あれですね。

    思えば、小学生のときに「体のひみつ」だか「体のふしぎ」だか、そんなタイトルの学習漫画を愛読しておりまして、おぼろげではありますが、そこに書かれていた内容を今でも覚えております。

    たしか、髪の薄い作者(漫画家)が、「髪が抜けた、抜けた」と大騒ぎするエピソードがありました。これは不要なエピソードですね。

    この「薬剤師のひみつ」だと、子供たち(姉弟)が主人公で、おばあちゃんの入院・退院をきっかけに、薬剤師のお姉さんと知り合いになって、病院で働く薬剤師、在宅医療の薬剤師のことを教えてもらい、そのお姉さんの知り合いの製薬会社の研究者に話を聞きに行ったり、みたいな感じ。子供たちは薬剤師という職業に興味を持ち、薬学部の制度(4年制、6年生など)の解説も出てきます。

    で、ここまで書いて気づいたんですが、商品リンクを貼ろうと思って、アマゾンや楽天を検索したけど出てこない。絶版?

    ウェブ検索すると出版元のサイトには情報がありました。図書館向けのみに販売している図書とかなんでしょうか。私は自治体の図書館で借りたのですが、本に値段も書いてありません。

    そして、なんと学研のサイトで無料で全部読めます。

    学研まんがひみつ文庫 – 薬剤師のひみつ

    どういうビジネスモデルなんだ?

    サイトを見てみると、「まんがひみつ文庫」読書感想文コンクール、なるものを開催しているみたいなので、応募しようかと思いましたが、応募資格「全国の小学生」とあり、断念しました。

    2026-03-01追記
    同じようなタイプの本を読んで、企業協賛型学習漫画ビジネスモデルを理解しました。
    『薬が届くまで ここが知りたい』で、出版業界のビジネスを知る

  • 『アレの名前大百科』と『日本語リテラシー』

    きっかけは放送大学でした。(昔、「きっかけは、フジテレビ。」というキャッチコピーがありましたね)

    日本語リテラシー」という講義をテレビで見ていたところ、本題とは別のコラムみたいなコーナーで、「食パンの袋を留めるプラスチックのやつ」の話が出てきて、紹介されたエピソードの引用元として『アレの名前 大百科』(みうらじゅん 監修)があげられていました。

    なんか、みうらじゅんっぽくない本だなあと思ったら、「著」ではなく「監修」なんですね。文章は別のライターさんが書いていて、MJ(ぼくらファンはみんな、みうらじゅんさんのことをMJって呼んでいるよ)の役割は、アレの名前を当てるだけ。各アレごとに2,3行の回答。

    それだけ? と思ったら、PART.4は、名前を提示されて、それに対してMJが想像してイラストを描くという趣向でした。さすが、職業「イラストレーターなど」ですね。

    それでもちょっとMJフリークには物足りないものがありました。

    良かったのは索引。普通だったらアレの名前で索引を作るのでしょうが、そうすると、アレの名前が出てこないと、索引を引けない。なので、「ものの名前から類推される言葉」を索引としています。

    視力検査の「C」みたいな一部の切れた円は「ランドルト環」というんですが、索引では「視力検査」で引けるようになっています。

    「カラザ」は「卵」から引けるし、「梵天」は「耳かき」から、「木殺し」は「トンカチ」から引けるという具合。これは評価したい。

    でも、「それただの英語じゃーん」ってのもあって、そこは不満。「ツイストタイ」「ネームバンド」「ウォッチポケット」なんかは、名前を聞いたとて、ふーんって感じ。でも、何の名前であるかは意外に想像がつかないか。

    「ツイストタイ」とは中尾彬氏のねじねじのことです。うそです。

    あー、忘れてた。これを書こうと思ってこの本読んだんだった。「日本語リテラシー」の講義の中で紹介されていた、食パンの袋の留め具の名前のエピソード、

    1952年にクイック・ロック社の創立者、フロイド・パクストンが発明しました。「りんごを詰めた袋の口を閉じるのに便利なものはないだろうか」と業者から相談を受けていたパクストンは、移動中の飛行機内で思いつき、もっていたプラスチックの破片とポケットナイフで・・・(略)

    その原型をつくったとのことでした。

    いや、昔の飛行機のセキュリティ甘いなっ! ってところが気になって、エピソードが入ってきませんでした。

    ちなみにソレの名前ですが・・・ 教えなーい。じゃ、また!

  • 『痛覚のふしぎ 脳で感知する痛みのメカニズム (ブルーバックス 2007)』

    最近、「痛み」に関する本を読んでいます。

    以前紹介した『慢性疼痛: 「こじれた痛み」の不思議 (ちくま新書 940)』(平木英人 著)は現場寄り・臨床寄りの本でしたが、今回の『痛覚のふしぎ ―脳で感知する痛みのメカニズム―』(伊藤誠二 著)は、サブタイトルにあるようにメカニズム寄り・機序寄りです。

    第1章では、いわゆる心因性の疼痛の話も出てきますが、全般的には物理的(医学の分野では「器質的」というんでしょうか)な原因が明確な痛みのメカニズムが説明されています。

    メカニズムを説明しようとすると、様々な体内の組織の名前だったり、酵素の名前だったり、伝達物質の名前だったりが登場するわけで、ちょっとハードルが上がる気がします。

    高校生のときに、生物は理科Iでちょっと学んだ程度の50代には、なかなか厳しい部分もありました。とはいえ、ちょっと前に『カラー図解 アメリカ版 新・大学生物学の教科書』(D・サダヴァ 著)のシリーズ3冊をざっと読んだ(決してすべて「理解」はしていないですが・・・)のは、基礎知識として役に立ちました。

    そんな生物初心者にも、具体的なエピソードなんかはスッと入ってきて、理解できた気になったりするものです。アロディニアという、通常は痛みを感じない軽い刺激が痛みに感じられる感覚異常について説明していた箇所、タイトルは、

    風が吹いても痛い毒キノコ中毒の患者

    (略)

    病院を訪問したときには患者さんは入院してすでに17日経っていましたが、人がベッドの側を通る風の動きでも痛みが生じるほどでしたので、
    (略)
    この食中毒の患者では、本来風の動きを察知する皮膚表面の産毛からの情報が痛みに変わるとともに、自律神経が活性化され、血管が拡張し熱が放出されることで熱く感じています。

    まさにリアル「痛風」です。

    風が吹くと、それが弱いものでも、ふわっと風が吹いたなというのは感じますよね。その感覚が、伝言ゲームのミスで、痛みだと解釈されたら・・・と考えると恐ろしいです。

    ちなみに私は痛風経験者ですが、「風が吹くだけで痛い」というのはちょっと違っている気がします。正しくは、「ずっと痛い」です。

    「風が当たるだけでも痛い」はおなじみの語源ですが、痛風 – Wikipedia を見ると、諸説あるみたいですね。

    話を戻して、具体的な例で面白かったのが、日焼けしているときにお風呂(ぬるくても)に入ると、なぜ痛いのかというもの。

    そら、ヒリヒリしているときにお湯に入れば、ビリビリっとくるだろ、みたいな気はしますが、そういうのではなく、

    カプサイシン受容体がリン酸化されていない場合には、温度の閾値が42℃ではじめてカプサイシン受容体チャネルが開き、(略)カプサイシン受容体がホルモン感受性リン酸化酵素でリン酸化されると、カプサイシン受容体のチャネルの性質が変化して30℃付近からチャネルが開くようになり、(略)

    日焼けすると、痛みを伝える受容体がリン酸化された状態になる、と。その状態だと痛みセンサーの閾値が下がってしまって、ぬるいお湯でもビリビリっときて、「あー、日焼け止め塗っておけばよかった」となるんですね。

    出てくる用語をすべて理解できなくても、わかった気になれれば幸せです。

  • 『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を読んで学生の頃を思い出す

    この本(「ここで唐揚げ弁当を食べないでください」 小原晩 著)を読んだきっかけは、テレ東の「あの本、読みました?」の「エッセイ特集」自費出版“唐揚げ本”が異例のヒット! 小原晩&吉本ばななが語るエッセイの魅力」(テレ東BIZのサイト。動画は有料なのでサムネイルだけ、参考までに)に作者の小原晩さんが出ていたのを見かけたから。

    あと、BS12(トゥエルビと読む)の「BOOKSTAND.TV」にも出演されてました(インスタグラム)。BS12を見るとか、目のつけどころがシャープでしょ。「ザ・カセットテープ・ミュージック」も好きです。

    自費出版から火がついて、大手の出版社から出すことになったというエピソードと共に語られることが多いみたい。自力で書店と交渉して、発送などもやっていたらしいから、すごくしっかりした人なのかと思ったら、なんだか頼りない感じで、でもって繊細なエピソードが多く、意外でした。あと、よく一人外食(買い食い含む)する人だなあと思いました。あと、よく夜の公園に行く人だなあと思いました。

    学生だった頃を思い出しました。「夏の記憶に三人で居る」なんか、自分の経験とは全く似てないのに、自分の経験が想起されるような読後感。

    深夜に外出するとか、目的とか行先があやふやなまま出かけてみるとか、くだらないことで盛り上がるとか、変なルール決めるとか、今考えると何でそんなことしたんだろうとか、若い時の感じだよなあと懐かしむ私、50代。

    切れ者の著者がいかに巧みに活路を見出したか、みたいなドヤ顔の本には食傷気味なあなたに、胃薬になるようなエッセイです。

  • 『生命はデジタルでできている』

    情報学で文字コード表を学び、生物学でコドン表を学んだとき、その類似性に気づいた人は多いんじゃないかと思います。

    核酸の塩基の種類は4種類(A、G、C、T)。2つ組み合わせれば4×4=16種類まで表すことができる。人体で作り出されるタンパク質を構成するアミノ酸の種類は20種類だから、2つの組み合わせでは足りない。じゃあ、このアミノ酸を指定するためには、3つ組み合わせる必要があるな。というわけで、コドン表では塩基の3つ組が使われることになる。実にデジタルな感じです。

    文字コードを作ろうとしたときに、文字が何種類あるから1文字あたり何バイト必要になるか。英数字とシンプルな記号だけなら1バイトで足りるけど、日本語だとそれでは足りないので、1文字あたりのバイト数を増やす必要がある、みたいな話とそっくりです。

    というあたりが、『生命はデジタルでできている』(田口善弘著)というタイトル兼キャッチコピー(?)につながるわけです。

    著者の田口先生の経歴を見てみると、もともとは物理学の分野から、バイオインフォマティクスに入ってきた方のようです。だからなのか、ちょっと違った観点で生物学を捉えるというところに特徴がある気がします。

    私自身は、化学と物理は履修したものの、生物学はきちんと学んだことはなかったので、田口先生の(時には厳密さを割愛した)ざっくりとした説明には非常にはまった、、、、感がありました。

    ヘモグロビンのところが、すごく腑に落ちたので紹介します。肺で酸素を受け取り、各組織で酸素を渡すことで、酸素を運ぶヘモグロビン。

    こう書くと、ヘモグロビンが何か意思のようなものを持ち、役割を担っているかのようです。しかし、なぜそのようなことができるのか、というところがブラックボックス的にみえます。

    本に書いてあったことを、私なりの理解で書いてみると・・・、分子間がくっついたりくっつかなかったりはクーロン力(電気のプラスとマイナス)による。分子の部分的な構造により、くっつきやすい形や場所などがある。反発するときも同様。くっついたら離れないような強い関係もあれば、くっつくんだけど離れやすい弱い関係もある。

    ヘモグロビンがくっつく相手は、酸素分子である。そして、ご多分にもれず「弱い結合」のパワーをフルに活用している。

    なぜ「強い結合」ではなく、「弱い結合」≒「そこそこ強い」結合なのか、

    そうじゃないと、肺で酸素を拾ったが最後、細胞に行き着いても「手放せない」からだ。周囲が高酸素濃度なら、酸素を取り込み、低酸素濃度なら放出する、という機能を果たせない

    ヘモグロビンは「ここが肺だから酸素とくっつこう」とか「ここが酸素を必要とする組織だから酸素を手放そう」などと、複雑な判断をしているではないんですね。

    高濃度だからたくさんくっつく、もちろん一部は離れていくけど、まわりが酸素だらけだから、また酸素に出会ってくっつく。低濃度だと、手放したら、まわりには酸素がほとんどいないので、次はなかなかくっつかない。結果的に、酸素を運んだ形になる。ごくごく単純な原理で、ヘモグロビンが酸素を「運ぶ」仕組みが説明できます。

    このあと、タンパク質の反応が特異的であるという話も、すでに説明した性質の具体例として登場します。ヘモグロビンは酸素と特異的にくっつくが、他の分子とはそうならない。そうなると、なんでもかんでも運んじゃうので。

    ただ、例外というか想定外だったのが一酸化炭素で、一酸化炭素がくっついたヘモグロビンは、一酸化炭素を手放せないせいで、酸素を運べなくなってしまう。なので・・・

    結果、その生物は酸素がたくさんある空気を呼吸しながら、酸欠で窒息死する。

    酸素とは結合するが、一酸化炭素とは結合しないような、そんな他のタンパク質を、酸素の運び屋として採用できなかったのか、という疑問には、

    それはたぶん、一酸化炭素とヘモグロビンは長い進化の過程でめったに出会わなかったからだ

    火を日常的に使い密閉性の高い建築物で生活する現在ならともかく、人間の歴史のほとんどの時期においては、一酸化炭素はもちろん火自体が珍しかった。そのような環境においては、一酸化炭素とは結合しないヘモグロビン的なタンパク質の獲得は、合理的な進化ではない、ということなのでしょう。

    今まで、断片的な知識として知っていたことが、一つの流れで見えてきた、そんな気がしました。

    分子生物学の教科書を読んだけれど、なんだか腹落ちしない、覚えることが多すぎて、消化しきれない、みたいなときに、本書のように柔らかい比喩を駆使した本を読んでみると、新たな納得感が得られるかもしれません。

  • 『慢性疼痛 ― 「こじれた痛み」の不思議』

    知りませんでした。そんなことが原因の痛みがあるなんて。

    慢性疼痛 ― 「こじれた痛み」の不思議』(平木英人著)の表紙には、

    痛みという、本人にとってこれ以上ないくらい確かな症状が医学の対象となったのは、案外最近のことです

    と書かれています。はて? 医者に行って、どこかが痛いと言えば、その「原因」を見つけて(少なくとも探して)くれるし、何か痛みが生じていれば、それを和らげるような薬を出してくれたりします。

    医学の対象となっていなかったとはどういうことでしょうか?

    医師も、一般診療科(精神科や心療内科以外の科です)であれば、「痛みがあればそれに対応する身体的病変があるはずだ」と考え、X線や超音波、CT、MRIなどさまざまな検査を行って、その原因(身体的所見)を見出そうと努力します。

    え、そうじゃないの? 原因があるから痛んでいる。その原因を取り除けば痛みはなくなるし、痛みがあるなら身体的な原因がある・・・というわけではない???

    ですが、体に原因がなくても痛みは起こるのです。

    病院で何度検査しても体に異常がまったく見られない、または少し異常がありそうだが患者さんが訴えるほどの激痛とはなり得ないと判断され、しかもそれが六か月以上続く場合、一度は心因性の疼痛を疑ってみる必要があります。

    そのような患者さんのためのクリニックを開業しているのが、著者の平木英人先生というわけです。

    なるほど、医者に行って、痛みの原因をいろいろ調べて、それらしいものが見つからなかったら、「異常ないですね」と言われて終了。それ以上何もしてくれない(してあげられない)というクリニックも多いんじゃないんでしょうか。もう、専門分野外なんでしょうね。そういう意味で、痛み自体を対象と捉えることが始めたのは「案外最近」だということなんでしょう。

    心因性の疼痛というのは、器質的な(身体的な)原因がないのに痛みが起こることらしいです。過去の事例として、旦那さんの浮気だったり、面倒を見てくれている娘が多忙で会話が減っていることだったり、一見、かまってちゃんの詐病では?なんて思ってしまうのですが、患者にとっては本当に痛いし、患者からしてみたら、こんなに痛いのにこれが精神的なものだとは信じられない、というものらしいです。

    ちなみに私も最近、激痛を感じることがありました。痛風でした。血液中の尿酸濃度が上がり、関節付近で結晶化し、これを異物とみなした免疫細胞が炎症を引き起こし、その炎症のために痛むものです。だいたい足が明らかに腫れますし、エコーで尿酸の結晶らしきもの見えるなど、原因がはっきりしていますので、平木先生のお世話にはならずにすむやつでした。すみません、最後に関係のない話をしてしまいました。

  • 『いかにして問題をとくか』と『エレガントな問題解決』

    両者に共通しているのは、数学の問題自体ではなく、数学の様々な問題の解き方に共通するノウハウやテクニック、その習得のようなメタなテーマに焦点をあてている点でしょう。

    あと、タイトルだけ見てもと数学の本であることがわかりにくいというのも共通していますね。『いかにして・・・』のほうの原題は『How to Solve It』ですからね。直訳すれば「いかにしてそれをとくか」って感じで、「問題」という単語も出てこない。「この前のあれどうなった?」みたいな、熟年夫婦の会話のような。

    最近読んだのは『いかにして問題をとくか』(ジョージ・ポリア著)のほうで、こちらはもう古典ですね。昼休みに会社で読んでいたら、「ああ、その本ね」と言われるくらい。初版の発行が昭和29年(1954年)で、私が持っている版は「第11版第46刷」となっています。「もはや戦後ではない」と経済白書に書かれたのが、1956年ですから、逆説的ですが、まだ戦後感が残っていた頃なんでしょう。

    装丁やフォントが古風でいかしています。自宅の本棚に置きたくなる一冊。こんな感じ。

    例題として取り上げられているのは、高校を卒業していれば(そして真面目に勉強していたなら)分かるくらいのレベルのものです。立体幾何の例題だからといって、立体幾何に主眼があるのではなく、あくまで考え方やアプローチが取り上げられているテーマです。語り口から言って、読者として数学教師も想定している感じです。

    最初の例題は、直方体の3辺が与えられたときに対角線を求めるというもの。教室を例にして学生の興味をひくとよい、というのは納得です。長さや幅や高さを測るのはメジャーがあれば比較的容易ですが、対角線は難しそう。巻き尺だとピンと張れないし。

    そして、こんな対話例が載っています。

    ≪分らないものは何でしょう≫

    ≪直方体の対角線の長さです≫

    ≪与えられているものは何ですか≫

    ≪直方体の長さと幅と高さです≫

    ≪適当な記号をつけなさい.未知のものはどういう記号で表したらよいでしょう≫

    ≪xです≫

    ・・・

    「まだ学生がぼんやりしている場合には」、ヒントをもっと具体化しなければならないと書かれていて、

    ≪図の中に三角形を考えることができますか≫

    ≪図の中の三角形はどんな種類のものですか≫

    ・・・

    のように続きます。解法を直接は示さず、対話や質問によって、相手を真理に導いていく。なんだかソクラテスみたいですね。知らんけど。

    本文の中の例題は少なめで、むしろ言葉で何度も原則を繰り返し強調している印象です。ただ、巻末には20題の問題が載っており、本書を読んで身に着けたスキルを、これらで試せます。

    その1問目はちょっとふざけて(?)いて、

    1.一匹の熊が1点Pから南へ向けて1マイルあるき,そこで方向をかえて真東に1マイルすゝんだ.そこでもういちど向きをかえて真北に1マイルすゝんだとき,ちょうど出発点Pにもどったとする.この熊はなにいろをしているか.

    直角に(南から東、東から北)に2回向きを変えただけなら、元の場所に戻れないのでは? ああ、平面じゃないのね、というあたりは誰でも気づくでしょう。でも、熊の色? ここはちょっとトンチが効いていますね。

    オチ(答え)を言ってしまうと、北極点なのですが、本当にそれだけ? というところがミソだと思います。「あなたはそれが正しいことを証明できるか」という点が強調されていましたが、証明しようとすると、他の答えの可能性もつぶしていく必要がある。

    似たような状況が起きそうな場所に南極点付近がありそうです。南極点そのものからは最初に南には行けないから、これはない。

    南極点に近い場所なら南へ行けます。その後、東 に行き、別の子午線に沿って北へ行く。でも、北極のときと異なり、隣り合う子午線は広がっていく方向なので、元の点には戻れないはず。

    東へ歩くことにより「隣り合う子午線」へ移動する・・・。いや、もし南極点のごく近くなら、1マイル歩くことで「同じ子午線」まで戻ってこれる場所があるじゃないか。ということで、ミステリーが解けるのです。

    読んだばかりで、記憶が鮮やかだったので、長々と書きましたが、この手の数学の問題の解き方を扱った本を読んでみたいと思ったかたには、まずは『エレガントな問題解決 ―柔軟な発想を引き出すセンスと技』(ポール・ツァイツ著)の方をお勧めします。数学のいろんな分野の例題が登場し、章末の問題も充実しています。原題は『The Art and Craft of Problem Solving』です。こちらの本で、数学の Art や Craft に惹かれたら、古典である『いかにして・・・』も抑えておく、という順番でいいのではないかと思います。

    「すゝんだ」って、まじ古典かよ、って思いませんでした?

    【2026-02-07 追記】
    『いかにして問題をとくか』に誤植があったので、うだうだ書きました。
    11回の改版を生き延びた『いかにして問題をとくか』の誤植