妻が新聞の書評欄で見かけて読んだ本を、私も読んでみたというのが経緯でした。
ちょっと読んでみて、エッセイ?と思ったが、書名が『私労働小説』だから、小説なんでしょう、たぶん。ちなみに「わたくし ろうどう しょうせつ」という読み方だそうです。
読んだ感じで、これは小説だとか、これはエッセイだとか、なぜ感じるんでしょうか。なぜ、私は『私労働小説 負債の重力にあらがって』(ブレイディみかこ著)をエッセイだと思ったのだろうか。
まず、書き出し。第一話「ママの呪縛」は、
「あんたは・・・・・・、え、あんたはすごいね。ちょっとこれ本当かな、こんなの見たことない・・・・・・」
芝居ががった声音で、何か恐ろしいものでも見たような表情の彼女が口を覆った。
第二話「失われたセキュリティーを求めて」の書き出し・・・
「いざとなったら、スーパーの棚に商品を積めばいい」
英国の人々はよくそう言う。
あれ? いきなり台詞から入るつかみなんか、小説っぽいですね。なんで、エッセイだと思ったんでしょうか。もちろんすべて一人称で、神様の視点とかはないです。「自分」以外の登場人物の心情の描写とか、「ここ」以外の場所での出来事が語られることもないです。そういう要素が揃うと、小説っぽさがなくなって、エッセイのようなノンフィクション感が出るんでしょうか。
小説っていうと、
午後の光は、すでに光と呼ぶにはためらわれるほど鈍く、部屋の奥に溜まった空気の層を、ため息のような角度で横切っていた。窓硝子は長年拭われていないらしく、そこに貼りついた埃と油分が、外界の輪郭を無数の曖昧な線へと分解している。向かいの建物の壁面は、本来ならば白であったはずなのに、白であることを長く忘れ、季節ごとに降り積もった雨と排気と時間の重みを、まだらな沈黙として引き受けていた。
みたいなまどろっこしい描写があったりするじゃないですか。私こういうの苦手で、早く本題に入ってよ、って思っちゃう。ちなみに上記はChatGPTに書いてもらいました。私にはこんな文章は書けない。羞恥心が邪魔をする。
だから、この『私労働諸説』は快適に読めました。経験として語られる出来事と、それに対する自分の心情という形で構成されているから、抵抗なく内容が入ってきます。
そういえば学生の頃、太宰治とか志賀直哉のいわゆる私小説が好きだったのも、そういうことかも。
今気づいたんですが、「私小説」という言葉の間に「労働」を入れて『私{労働}小説』ということでしょうか。そんな気がしてきました。
タイトルにある通り、著者の「労働」の経歴に基づいた小説のようです。経験した職業は、ホステス(で合っているのだろうか、お酒を飲むところで、女の子が横についてくれるような感じ)、スパーマーケットの店員、アジア料理レストランの皿洗い、掃除人(お金持ちとかの家に訪問するタイプ)、衣料量販店の店員、借金返済の督促人、という感じ。
最初のホステスと、借金督促は日本での話で、それ以外はイギリスやアイルランドでの話。本の帯に「シットジョブ」というワードがありました。「ブルシット・ジョブ」というワードは以前聞いたことがあって、その言葉に対して持つイメージは、そこそこの給料もらってたりするけど、よくよく考えると、その仕事って価値を生み出している?みたいなニュアンスでした。例えば、私が以前いた職場の部署は7人の従業員のうち、5人が管理職でした。何を管理しているんだか(自分も含めて)。
でも、シットジョブはもっと過酷なニュアンスがありました。大変なのに低賃金の仕事で、これから良くなっていくなんて希望は全く持てないような閉塞感。あ、でも作品中には出てこなかったかも。編集者がチョイスした帯用のワードかも。
第五話の「店長はサクセスお化け」には、「善きサマリア人」についての話がちょっと出てきます。聖書くらい読んだことがあるだろうから(お、偉そうだな)、説明は省きますが、困った人を見かけたときに、見て見ぬふりするのか、助けるのかみたいな実験の話が出てきて、宗教的な事前知識とか、善意とかそういうことより、「急いでいる」かどうかが行動に影響した、みたいな。
「良いことだから」とか、「悪いことだから」とかではなく、「急いでいたから」、見て見ぬふりをした人が多かったという結果について神父が語ったという話。善悪に絡んでないというのは、かえって根深い問題のような気がします。だって、そこに悪意はないのだから。
第六話の「督促ガールの手記」では、自分が正義の側にいると信じ込むことが、その人の行動にどんな影響を与えるのか、というテーマが取り上げられます。もしかしたら、そうだと信じ込まなきゃ、やっていられない仕事なのかもしれません。
読み終わって、すべて著者が経験した実話のような気分になるんですが、そうなのかはよく分かりません。でも、なんだか、ちょっとした出来事ゆえの、ちょっとした発言ゆえのリアリティみたいなものを感じた「小説」でした。

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