宇野千代の代表作といえば必ずあがってくるのが『おはん』ですが、遅ればせながら読んでみました。中篇くらいの長さでしょうか、新潮文庫版はやや大きめの字で(「○ポイント」などと言えたらいいがよくわからない・・・)、本編部分だけだと110ページ弱です。本体価格324円です。薄い文庫本ならこれくらいで買えた古き良き時代。2003年の「五十五刷改版」となっています。
薄いのですぐ読めると思ったのですが、意外と苦労しました。読むスピードが上がらない感じ。というのも、方言の語り言葉で書かれています。こんな感じです。
『よう訊いてくださりました。私はもと、河原町の加納屋と申す紺屋の倅でござります。(略)これがこの私の、お天道さまもはばからぬ横道の報いやと、いまこそ思いしられるよな心持でござります。』
(略)の部分はその他の全編です。つまり、「よう訊いてくださりました。・・・」という語りの書き出しで始まり、ずーっと語り続け、最後に「・・・心持でござります。」で小説が終わります。冒頭に二重鉤括弧が開かれ、最後にこの括弧を閉じるという、ものすごく長い語りです。
この長さの尺で話をされたら、「すいません、ちょっと用事があるんで・・・」と中座したくなりますが、そんなリアリティはさておき、この語りの文体がいい味を出してます。
語り手の男性(幸吉)は史上まれにみる超絶まるでダメ夫です。芸妓との関係がもとで奥さん(おはん)と別れ、その芸妓と住んでいるんですが、前の奥さんに未練があって、双方と関係を続けます。
二又じゃんと思いますが、そんな器用な感じが全然しない。片方と一緒にいるときも、もう片方のことが気になり、落ち着かない、なんか違う、自分の居場所ではない気がする、みたいな。もう片方と一緒にいると、やっぱりこっちでもない気がする。どっちつかずの宙ぶらりんのまま、状況は進展していく。この進展というのが、おはんとよりを戻す話だったり、おはんとの間の子供への接触だったり、芸妓(新しい奥さん)の生活基盤の拡充だったり、その奥さんの親戚の娘を養子にとる話だったりと、ちゃんとしておかないと後々もめそうなことばかり。
『色ざんげ』(過去記事:洋画家 東郷青児の心中未遂事件を小説にした宇野千代『色ざんげ』)を彷彿とさせます。『色ざんげ』も優柔不断男の悲劇(が高じて喜劇にさえ見える)という感じですが、色ざんげの主人公は新進気鋭の洋画家で「特別な人」感があります。『おはん』の主人公である幸吉は「凡夫」感が強いです。煮え切らなくて、決断力がなくて、性格的には控えめな感じがするんですが、やっていることは大胆。こういうことをしていると後々とんでもないことになるよ、ということを論理的に思考できていない。おはんの親戚に罵られても、居直ったりしないで、ただただ卑屈な態度をとる。
読んでてちょっとイライラしますが、心根が悪意に満ちているわけでもなく、部分的には共感できるかもしれません。世が世なら(一夫多妻制で、金持ちだったりしたら)、幸せにくらせたのかもしれないのになあ、なんて妙な同情もしてしまいます。
幸吉が使う方言は関西弁っぽいなと思いながら読んでいたのですが、「あとがき」を読んではっきりしました。(小説に著者自身があとがきをつけるのは珍しいですよね)
話し手のあの一種田舎訛りの言葉は、あれは阿波の徳島あたりの方言を主として、それに関西訛りと私の田舎の岩国訛りとをまぜ合した、言わば作りものの方言なのですけれど、書き続けて行きます間に、あれでなければ巧く行かないような気がして来ました。
訛っているというのもあるし、古い言葉も多いというのもあって、冒頭に書いたように、あまり速くは読めません。でも、田舎のもつ「陰」な感じを出すのに有効な気がします。だらしない生き方をする幸吉、その男にひかれる二人の女、すぐにうわさが広まる狭い世間、父親のいない子供、希望に満ちた新生活(の想像)、そして挫折。田舎の閉塞的なコミュニティで繰り広げられる、陰鬱な出来事を語るのに、この文体はぴったりでした。
奥野健男氏による「解説」もぜひ読んでほしいところ。作品の背景を気にしすぎるのも本質とは違う気もしますが、知るとより楽しめる場合もけっこう多いです。
奥野氏によると、『おはん』は1946年に書きはじめられ、雑誌『文體』にはじめの部分を連載し、その後『中央公論』に断続的に連載を続け、約10年後の1957年に単行本が刊行されたとのこと。奥野氏はこう評しています。
さして長大でもない一篇の小説に、十年間もの長い年月をかけ、しかもその間作者がほかの文学作品を書いていないということは、多作、濫作が当り前のようになっている昨今の日本文壇では極めて異例なことであり、作者のこの小説に対する情熱と執着がなみのものではないことを証している。
1946年といえば、宇野千代は50歳くらいです。そして連載を続け10年後、60歳ころに一冊の単行本になる。その間、作品としてはこれ一本に集中していたという力作です。
そこそこのベテランになってからの作品なのですが、千代自身による「あとがき」が興味深いです。
私にとっては、この小説は「始めての作品」であるような気がするのです。
え?
生まれて始めて、最初から「こういう小説」を書こうと思い、組立てを考えました。
自分の構想が最初にあって、それによって書き始めた最初の小説なのでした。
私が読んだ宇野千代作品はほとんどが私小説でした。自身の体験をほぼそのまま描いであろうものもありますし(過去記事:40歳の宇野千代と71歳の宇野千代の私小説)、全体としてはフィクションなんだけど部分的な設定やエピソードに自身の状況が色濃く反映されているであろうものもありました。でも、作家自身の経験や考えが強く現れているように感じた作品が多かったです。
『おはん』はそれらと全然違いました。文体が独特というのもありますが、今までに読んだ、いかにも私小説という宇野千代作品とは全然違う匂いがします。そんな『おはん』についても、千代はあとがきで、「やはり私小説の或る形態なのではないかと思われます」と書いています。
なぜ、そのような考えにいたったのか? そこから先については、作品とあとがきを読んでいただければと思います。
『ブラッサム』で『おはん』の執筆時期を描くとなると、石橋静河さんじゃ若すぎますよね。加賀まりこさんがやればもちろんぴったりなんですが、朝ドラでヒロインとは別の女優さんが後半を手厚くやるパターンってありましたっけ? でも、今回、後半部分の俳優として加賀まりこさん、松たか子さんをキャスティングされているところを見ると、かなり手厚くやる可能性もありますね。

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