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勝手に読書感想文。漫画も映画も含みます

タグ: 朝ドラ

  • 宇野千代の初期の方の短篇『幸福』を読む

    宇野千代の初期の作品といえば、岩波文庫になっている『老女マノン・脂粉の顔』を入手すれば、新聞の懸賞で一等を獲ったデビュー作である『脂粉の顔』が読めます。

    上記で『脂粉の顔』は読んだので、じゃあその後くらいの時期に書かれた初期の代表作を読みたいなあと思い、ウィキペディアを見てみると、どうやら『幸福』という短篇集が出ているようです。じゃあ、それを読もうというつもりで借りたのが、なんと違う短篇集『幸福』であったというのがこちらの話でした。(過去記事:宇野千代の二つの『幸福』

    よくわからないと思いますので、整理しますと、

    初期の『幸福』後期の『幸福』
    初出の年1924年1970年
    初出の雑誌『我観』
    大正13年2月号
    『新潮』
    昭和45年4月号
    単行本の出版1924年 金星堂1972年 文藝春秋
    全集への収録1929年 改造社『新選宇野千代集』、
    1977年 中央公論社『宇野千代全集』
    備考第十回女流文学賞受賞

    この2つの短編『幸福』は全く異なるものです。私が先に読んだ後期の『幸福』の方は、70歳過ぎの女性が語り手で、執筆当時の宇野千代さんの年齢と一致しています。11軒の家を建てた話とか、離婚している点など、実際の宇野さんのエピソードとの符合がみられます。

    そして、今回やっと読んだのが初期の『幸福』のほうです(1977年 中央公論社『宇野千代全集』に収録)。すでに結婚している女性「仮名子」が主人公で、その仮名子が里帰りをする話です。年齢は明確に書かれていないのですが、「彼女が未だやっと十七であった頃の情人」というのが登場して、「この男と別れてから十年と言う長い歳月が過ぎ去って居た事を気附いたのであった」という場面があることから、27歳くらいであろうと推測されます。初出の1924年時点の宇野千代さんの年齢を計算すると、26、27歳なので、これまた一致しますね。設定からいって、いわゆる私小説ではなさそうですが、宇野さんは自身と同性別・同年代の人物を語り手にすることが多いみたいですね。

    仮名子は気性が激しいことを想像させる女性です。言動というよりは心情の描写にあらわれています。会社の重役と結婚し、都会で裕福に暮らす彼女は、村の人たちからみれば「成功者」のような立場です。

    夫を連れずに一人で帰京し、かつての恋人「田沢」が仕事帰りに通るであろう土手で、会って何の目的があるというわけでもないが、日がな一日待ち続ける、みたいな話で、これだけ聞くと、ちょっと淡い恋の話に思えなくもないですが、もっとドロドロ感があります。

    田沢は手紙でそっけなく仮名子を振ったあと、勤め先の上司の娘と出世目的と思われるような結婚をしています。自分はそんなに軽い存在だったのか、というのを今でも問いただしたいという気持ちが仮名子にはあります。

    そういう未練のようなものと裏腹に、しょせん田舎の公務員(専売局の官員)でうだつのあがらない生活をしているであろう田沢をあざ笑いたい、後悔させたいとい気持ちが見え隠れします。そのような心情に加え、容姿に関するコンプレックス(ここでは「劣等感」ではない)も絡んできます。

    田沢の年上の妻が、彼女の耳の後に先の赤くなった、今にも化膿しそうなそれで居て決して小さくなる事のない、たん瘤を持って居ると言う話しは、仮名子を危く噴き出させるところであった。

    「たんこぶ」とは腫瘤や脂肪腫の類でしょうか。今だったら、病院でとってもらったりできるのでしょうが、おそらく当時は無理で、美醜の印象に大きな影響を与えていたでしょう。自分を振った男の妻のことを、なんだその程度か、みたいに考えたい気持ちは分かりますが、疾患による症状を「危く噴き出させるところ」などと表現するあたり、こじらせた未練のすさまじさがするどく描かれています。

    他にも、田沢は美男子である、一方、仮名子の夫は「一面に薄痘痕のある赭黒い、柱時計のような顔」であるなど、複雑な感情を想起させる設定が揃っています。

    もし会ったとして、何を言うのか、そもそも何でこんなことをしているのかなど逡巡しながら、土手で待つ仮名子でしたが、

    仮名子は、最後に唯った一人の洋服を着た男が(この小さい村では小学校の先生か専売局の官員以外に洋服を着るものはなかったが、)幾らか猫背の儘に長い影を曳き乍らとぼとぼと帰って来るのを――然し、彼は決してあの男ではなかった。――見送るまで、彼女は彼女が其処で何を如何しようとして居るのかさえ忘れて、ぼんやりと立って居た。

    私、ピンときました。これは伏線だなと。

    それはさておき、田沢に会えなかった仮名子は、数日続けていた土手通いをやめます。そして、近くに住んでいる伯母を訪ねるために、乗り合い馬車に乗っているときに、なんと田沢と遭遇することになります。このあといったいどうなるのかが知りたいかたは、(たぶん入手は難しいので)図書館で借りて読んでみてください。

  • 40歳の宇野千代と71歳の宇野千代の私小説

    宇野千代のデビュー作を含む短編集を読んだ(過去記事へのリンク)ので、引き続き初期の作品を読もうと思い、宇野千代 – Wikipedia を見てみると、

    著作
    『幸福』(金星堂、1924年)
    『白い家と罪』(新潮社、1925年)
    『晩唱』(現代短篇小説選集』(文芸日本社、1925年)
     ・・・

    どうやら、『幸福』が次に古そうということで、図書館で借りてみると、なんとそれは1972年に出版された別の『幸福』だった(過去記事へのリンク)ということがありました。48年ずれてました。宇野千代のことをいじった小説『葱』の芥川龍之介(過去記事へのリンク)が亡くなったのが35歳だということを思うと、宇野千代のキャリアのなんと長いこと。

    1924年の『幸福』を探すべく、川崎市立図書館のサイトで検索してみたときに、それが収められた全集『宇野千代全集 第1巻(中央公論社)』が所蔵されていることがわかりました。時間がなかったのか、その時は予約せずに、後日予約して、届いた本を見てみると『現代日本文学全集 45 岡本かの子・林芙美子・宇野千代集(筑摩書房)』という別の本でした。再度検索しなおして予約したときに、違う本を選んでしまったようです。宇野千代の全集で古いやつ、というアバウトな覚え方で選択したのが災いしたようです。

    せっかく借りたので、返す前に1つくらい読んでおこうと思い(全集って読み終わる気がしないくらいギチギチに字が詰まっていたりしますよね)、単行本や文庫に入っていなさそうだった『未練』という短編作品を読んでみましたところ・・・、デジャブ?

    前述の1972年の『幸福』に収録されている『この白粉おしろい入れ』に出てくるシーンとそっくりな箇所がありました。

    該当箇所は、『未練』(1936年:宇野千代は40歳)の3章と4章(長さ的には「節」くらいだけど、最上位の階層だったので「章」と呼んでおきます)、「新吉」のモデルは画家の東郷青児、「加代子」のモデルは宇野千代です。

    それに対応するのは、『この白粉入れ』(1967年:宇野千代は71歳)の7章で、東郷青児は「あの人」として、宇野千代は「私」として登場します。

    使っている言葉や言い回しはかなり相違がありますが、ストーリーを構成する部品がほぼ同じです。

    加代子(私)は、新吉(あの人)の絵を売るために、一人で大阪のホテルに長期滞在しています。そこで絵を買ってくれる男性と恋愛関係になります。そこに、新吉(あの人)から、急に大阪に来るとの電報を受取り、あせります。

    「ゴゴ六ジ、ウメダツク、シンキチ、」 ―『未練』

    「ゴゴ四ジツク。ソチラデマテ」 ―『この白粉入れ』

    慌てて、大阪の男の痕跡を消したりして、新吉(あの人)と会うのですが、うまく嘘をつけず、いろいろと口走ってしまいます。

    「八号が五枚売れたわ。」そう言ってから、加代子はしまったと思った。「誰が買ったんだ?」 ―『未練』

    「昨日一ぺんに四枚売れたのよ。(略)」「何をする男だ。」 ―『この白粉入れ』

    新吉(あの人)は何か感づきつつも、二人は神戸の画廊を訪ねたあとに、食事に行きます。

    国道へ出た自動車の中で、新吉の顔は見えなかった。神戸の画商に預けてある画の売れ具合を訊きがてら、南京街で志那飯を喰おうというのだった。 ―『未練』

    しばらく経ってから唐突に、「神戸で飯を食おう、」と言って歩き出しました。神戸にもあの人の絵の預けてある画廊があったのです。私たちは車で神戸まで行きました。 ―『この白粉入れ』

    その後、新吉(あの人)は、加代子(私)に靴を買います。

    いま画商で受取ったばかりの新しい紙幣を加代子に渡して、靴を買わせた。 ―『未練』

    そして、画廊で金を受取ると、あの人は途中でショーウィンドウを見て、私のために新しい靴を買いました。 ―『この白粉入れ』

    新吉(あの人)は、加代子(私)の話に男の影を感じたせいか、機嫌が悪くなり、黙ったまま、長い距離を歩くことになり、

    「ねえ、」(略)「あたし、足が痛いのよ、」 ―「未練」

    「ねえ、お願い。あたし、もう歩けないわ。靴が痛いのよ」 ―『この白粉入れ』

    加代子(私)が滞在しているホテルにつくと、新吉(あの人)は不貞の証拠を見つけようと、フロントで帳簿をめくって、男の名前を見つけようとします。

    田邊加代子と書いた乱暴な男文字のところまで来ると、ぴたりと眼を据えて、しばらくじっと動かなかった。 ―『未練』

    私の筆跡ではなく、確かに男の手だと分かるその人の筆跡で、大きく、乱暴に書いてありました。(略)一分間くらい、あの人は帳簿を持ったままでいました。 ―『この白粉入れ』

    二人がぎくしゃくしているときに電報が届き、新吉(あの人)は急遽東京に戻ることになり、その前にビジネスの話をします。

    「あと、画は何枚ある?」(略)
    「十二号と四号の風景が三枚」とうとう新吉が口を利いたという歓びは、(略)「君は二三日残って、出来次第、電報で連絡をとってくれ。」 ―『未練』

    「おい、あと絵は何枚ある。」「六枚あるわ。」「明日にでも売れるね。売れたら電報為替にするんだ。」 ―『この白粉入れ』

    他人の小説だったら盗作だとか言われそうなくらい似てますが、本人の48年前の作品ですからね。編集者が慌てて、「先生、それ、もう書いてますよ!」と、ならないのは、私小説だからでしょうか。自分の体験をベースに脚色を加えて作品にしているということになると、1つの体験に別の味付けをして、異なるの作品を作り出すということもあるのでしょう。

    高齢の大御所になると、「あ、またこの話書いてる」ってことに編集者が気づくことが、ままあるけど、誰もつっこめないし、出版側も大して気にしてない、なんて話を聞いた記憶があります。でも、誰がどこでしていた話かも覚えていないくらいなので、話半分で。

    この二作については、『未練』が出来事からあまり時間が経っていない頃のスナップショット、『この白粉入れ』はもっと長期間にわたる回想という形ですから、全体の構成で言うと全然ちがう構成になっています。

    そういえば、『この白粉入れ』には、同じ短編集に収録されている『行く』という掌編のエピソード(千代と同居していた青児の子供と30年ぶりに再会する)も含まれていました。

    短めの作品で扱ったエピソードを再利用して、別の長めの作品の部品にして、全体を再構成するというやり方は、宇野千代がよく使う方法なのかもしれません。

  • 宇野千代の短編集『幸福』(1972年)が重たすぎる

    こちらの過去記事を書いたときは、短編集の1作目(表題作の『幸福』)だけを読んだ状態で、最近やっと全部読み終わったので、追加の記事です。

    書籍の情報はアマゾンあたりで見れば、表紙画像や収録作など、けっこうなものが参照できると思っていたのですが、絶版の本は例外ですね。

    この1972年の『幸福』については、アマゾンの商品ページはあるものの、情報が少なくて収録作も分かりません。でも、表紙画像があるのはうれしいところ。わざわざ「1972年」と書いたのは、ウィキペディアが正しければ、同じ『幸福』というタイトルの短編集が1924年に金星堂という出版社から出ているからです。こちらはさすがに古すぎて、検索しても収録作の情報も出てきません。

    なので、1972年のものについては、収録作などを書き留めておこうと思いました。

    巻末の初出一覧です。

    収録作品発表誌一覧

    幸福      新潮  昭和45年4月号
    (第十回女流文学賞受賞作品)

    水の音     新潮  昭和44年8月号

    貞潔      海   昭和44年11月号

    この白粉入れ  新潮  昭和42年1月号

    野火      海   昭和46年2月号

    行く      群像  昭和36年5月号

    いま見るとき  文学界 昭和47年10月号

    では、それぞれメモ。

    『幸福』
     語り手は「一枝」。年齢は「七十をとうに越している」。夫の名前は出てこない。作中では「良人おっと」と記載されている(振り仮名なし)が、若い人はこういう名前かと思ってしまいそう。夫は戦争に行き、帰ってくる。一枝は十一軒目の家に住んでいる。

    『水の音』
     ごく短い作品。「今年の暮で、私は七十二歳になる」。野兎の「ピヨン吉」を飼う話。

    『貞潔』
     妻は「信子」、夫は「哲二」。哲二は画家(モデルはたぶん東郷青児)。絵を売るための苦悩。信子は破産した不倫相手のために、家からあり金全部(小切手)を持ち出す。

    『この白粉入れ』
     他の作品につけられてたふりがなによると、白粉おしろいと読むと思われる。語り手の愛人は「あの人」。新しく建てた家に、語り手は、あの人とその正妻と同居している。正妻の子が「一馬」。あの人は、かつて心中しようとして失敗した別の女性と、その後、結婚する。二人の子が「あけみ」、歌手の卵。語り手の出版記念の会で、あけみに歌ってもらう。
     嘘みたいな「設定」だと思ったのですが、かなり実話がベースになっているようです。(参考:[山口県岩国市]NPO宇野千代生家 宇野千代の人生と文学 二番目に好きだった男
     あの人は東郷青児、妻は盈子、二人の子は たまみ、がモデルになっているらしいです。

    『野火』
     「ハッパ」(発破のこと)の事故で両足を失った人の話を聞き、かつて恋愛関係(ちょっと微妙だが)にあった男も同様の事故に合い、手紙が何度か来たことを思い出す。

    『行く』
     短い作品。『この白粉入れ』に出ていた一馬と同じ設定の「正夫」が訪ねてくる話。『この白粉入れ』にも同様のエピソードがある。『行く』のほうが古いので、この掌編のエピソードをふくらまして『この白粉入れ』に盛り込んだのでしょうか。

    次が最後。

    『いま見るとき』
     妻は「信子」、夫は「(佐伯)啓吉」(モデルはやっぱり東郷青児)、夫の愛人「八重」。信子は二人の関係を知っているが、見逃しているような微妙な状況。すごいシーンあります。信子と啓吉の会話。

    「待って、ここへ八重を連れて来て、」「八重を、八重を連れて来て、どうするんだ。」「あたしの見てる前で八重を抱いて、」「何だって、」「八重を抱いて。啓吉さん、あなた、いつでも、あたしの知らない間に八重にしてたことを、いま私の見てる前でして、」何を言っているのか信子にも分らなかった。

    よし、このシーン、朝ドラ『ブラッサム』でやりましょう。

    この後を引用すると、グーグルにアダルトサイト認定されてしまいそうなので、やめときます。

    そしてこの作品、すごくいやな終わり方をします。

    「アメリカ兵の車だから、賠償金はとれないわよ。ヘーイ、レッツゴー、」八重はその出来事を路上に残したまま、つれと一緒に行ってしまった。

    この直前に起きた出来事の重大さと、八重の「レッツゴー」という軽い言葉のギャップが、いやーな後味を残します。

    宇野千代の初期の作品(過去記事)は、自身をモデルにしたけっこう重たいものが多かったので、その時期を朝ドラのエピソードにするのは厳しそうだなと思ってました。

    その後、作風が変わってすっかり明るい作品になったりするのかと思ったら、70代頃に出した短編集もなかなかハードな私小説でした。朝ドラが昼ドラのようになってしまわないか心配です。

  • 芥川龍之介『葱』と宇野千代と今東光

    2026年後期のNHKの朝ドラ『ブラッサム』のモデルは作家の宇野千代です。もちろんフィクションですが、きっと宇野千代のエピソードがいろいろと盛り込まれることでしょう。そして、このエピソードは絶対に入ってくるのではないかというのが、「デート中のネギ購入事件」です。ウィークエンダー風に再現VTRを作ったりすると盛り上がりそうです。「小説によりますと・・・」

    小説ではあるんですが、宇野千代に関するエピソードを人から聞いて、それを作品に仕上げたというものみたいです。この『葱』は青空文庫で読めます(芥川龍之介 『葱』)。

    「お君さん」のモデルが宇野千代、「田中君」のモデルが今東光こんとうこう(作家)だそうで。

    まずは、待ち合わせのシーン。

    「御待たせして?」

    お君さんは田中君の顔を見上げると、息のはずんでいるような声を出した。

    「なあに。」

    田中君は大様おおような返事をしながら、何とも判然しない微笑を含んだ眼で、じっとお君さんの顔を眺めた。それから急に身ぶるいを一つして、
    「歩こう、少し。」

    どうやら、サーカスを見に行く予定だったみたいですが、食事に変更です。

    「お君さんには御気の毒だけれどもね、芝浦のサアカスは、もう昨夜ゆうべでおしまいなんだそうだ。だから今夜は僕の知っている家へ行って、一しょに御飯でも食べようじゃないか。」

    「そう、私どっちでもいわ。」

    お君さんは田中君の手が、そっと自分の手を捕えたのを感じながら、希望と恐怖とにふるえている、かすかな声でこう云った。

    なんか、いい雰囲気です。その後、路幅の狭い町を歩いていると、一軒の八百屋があります。

    お君さんは思わずその八百屋の前へ足を止めた。それから呆気にとられている田中君を一人後に残して、あざやかな瓦斯の光を浴びた青物の中へ足を入れた。しかもついにはその華奢な指を伸べて、一束四銭の札が立っている葱の山を指すと、「さすらい」の歌でもうたうような声で、
    「あれを二束下さいな。」と云った。

    やっぱり「葱」というのが効いていますね。ズッキーニでもルッコラでもなく、ネギというのがポイントです。八百屋で何か買おうとする時点で興ざめな感じはありますが、ネギというのがさらにそれを盛り上げます。バッグにさっと入る形状でもないし、独特の匂いもあるし、生活感野菜の王様です。

    小説はこのあと、あきれたような様子の田中君と、お得な買い物ができて嬉しそうなお君さんの対比で幕を閉じるのであります。

    どうやら実話がもとになっているであろう、このエピソードを芥川に書かれた宇野千代は、『老女マノン』の中で、登場人物の「小母おばさん」が若い頃、ある作家に自分についての小説を書かれたという設定で、逆にネタにするという、さらなるおまけエピソードにつながります。(過去記事

    私は、芥川龍之介というと、『杜子春』や『蜘蛛の糸』のようなおとぎ話系のやつではないもので、作家としての自分を登場するものだと『或阿呆の一生』のイメージが強くて、暗い、重いものを想像してしまいます。でも、この『葱』は軽く書いたような演出がなされてて、印象が違いました。

    冒頭も、

    おれは締切日を明日みょうにちに控えた今夜、一気呵成かせいにこの小説を書こうと思う。いや、書こうと思うのではない。書かなければならなくなってしまったのである。では何を書くかと云うと、――それは次の本文を読んで頂くよりほかに仕方はない。

    みたいな始まりかたです。他にも、気障きざなキャラの田中君のような人を見たければ、音楽会や展覧会に行けばいい、そんな奴は2,3人は必ずいる、みたいな流れで、

    だからこの上明瞭な田中君の肖像が欲しければ、そう云う場所へ行って見るがい。おれが書くのはもう真平御免まっぴらごめんだ。

    と、物語の中に作者が登場してきます。最後の方では、

    まあこのままでペンをこう。左様さようなら。お君さん。では今夜もあの晩のように、ここからいそいそ出て行って、勇ましく――批評家に退治されて来給え。

    のように、登場人物に語りかけたりします。これが小説? なんだかエッセイっぽい書き方のような気もするので、この話がそのまま実話なんじゃないかという気もしてきますが、やっぱり小説なんですよね

    ちなみに、宇野千代の『老女マノン』のほうでは、そのようなことはあったが、その男性とは恋愛関係にはなかったし、登場している女性は自分とは全然似ていない(一方、登場する男性は実在する人と似ている)みたいなことが書いてありました。まあ、こちらも小説(フィクション)なんですが。

  • 宇野千代の二つの『幸福』

    宇野千代のデビュー作『脂粉の顔』を読んだので(過去記事)、次もなるべく初期の作品を読んでみようと、ウィキペディアの著作の欄を見てみると、年代が一番古いものだと、

    『幸福』(金星堂、1924年)

    というものがありました。自治体の図書館で検索すると

    『幸福』 宇野 千代/著 — 文芸春秋 — 1976 —

    というのがあったので、これだろうと思い、借りてみました。なかなか年季の入った単行本でタイトルは『幸』です。表題作『幸福』の冒頭を引用すると、

    いつでも一枝は風呂から上ると、ちよつとの間、鏡の前󠄁に立つて、自分の裸のからだを見る。タオルをてて、少し腰をひねるやうに曲げて立つてゐる。ぽつんとあからんだ肌をしてゐる。「似てる。」と思ふ。

    出た!「やうに」、「思ふ」。それ以外もなかなかの歴史的仮名遣いです。「前」の字の「月」のところがちょっと違うところにも気付いてほしい。昔は、お空の月と肉月は違う書き方をしていたんですね。ためになったねー。

    「ゐ」なんか、最近は

    るるるるる
    るるるるる
    るるるゐる
    るるるるる

    こういう、速く見つけるクイズ(?)とかでしか見ないですね。

    ちなみに、お若いあなたのために、上記には振り仮名を振りましたが、オリジナルの本文には振り仮名はありません。ちょっとハードルが高い。

    巻末付近の発行日や価格が書かれているところも、

    定價 七百八十圓

    となっています。分かるとは思いますが一応、「定価 七百八十円」の旧字です。「圓」の字といえば、「三遊亭圓生 」を思い出しますね。

    でも、ふと思ったんですね。発行の日付は「昭和四十七年十一月」となっています。「知らんがな」と思われそうですが、私が生まれる直前です。私が育ったころには、旧仮名遣いは、もはや使われていませんでした。じゃあ生まれた頃はまだ旧仮名遣いが一般的だったのでしょうか?

    なんでも答えてくれるあいつに聞いてみると、その頃はもう旧仮名遣いは使われていないとのこと。「でも『定價 七百八十圓』とか書いてあるよ?」と聞くと、昔 出版したやつの復刻版とかじゃないか、なんてことを言う。ほんとだろうか。

    初出一覧みたいなのがあったので見てみると、

    收錄作品發表誌一覧

      幸福 新潮 昭和45年4月號
      (第十回女流文學賞受賞作品)

    とあります。

    あれ? そういえば、ウィキペディアに載っていた『幸福』には、「1924年」(=大正13年)と書いてあったけど、発表日付の昭和45年は1970年です。よく見たら全然違うじゃん。別物?

    確かに、借りてきた『幸福』の主人公 一枝は「七十歳をとうに越してゐる」女性という設定です。1897年生まれの宇野千代は、1970年には70歳過ぎたくらいの歳ですから、自身がモデルだとすると、ぴったり一致します。

    11軒の家を建てた話とか、離婚している点など、ウィキペディアに載っている宇野千代のエピソードと一致する話も、小説に盛り込まれています。

    私が借りてきたのは70歳過ぎの頃の『幸福』でした。それでは、ウィキペディアに載っていた27歳の頃の『幸福』はどこにあるのでしょうか? こうして、私は今日も幸福を探し求めているのです。

    さて、恒例の朝ドラ「ブラッサム」予想です。

    とても信じられないことであるが、一枝は若いときから今日までに、家を十一軒建てた。

    これは脚本家がドラマに盛り込みたくなるやうな話ぢゃあないかと思ふのですが、いかがでしょうか。


    2026年8月27日 追記
    初期のほうの『幸福』も全集で読みました。振り仮名が少なくて、大変でしたが、いちいち調べているとリズムが損なわれるのでフィーリングで読みきりました。
    宇野千代の初期の方の短篇『幸福』を読む


  • 宇野千代『老女マノン』と芥川龍之介『葱』

    私の感想文ルール: 一つ、本と関係ないことを書いてもよい

    私が小学生だった頃(40年以上前)、クラスに村田さんという女子がいて、彼女は読書感想文でよく賞をもらっていた。授業中にみんなの前で、賞を獲った感想文を読み上げたことがあったのだが、それを聞いた私は、「全然、本と関係のない話ばっかりじゃん」と思った。いや、訂正します。「全然、本と関係のなか話ばっかりばい」でした。佐賀出身なんで。

    小学2年生の頃、母が新しい職場(寮母)に就くことになった。職場に先輩のおばさんがいて、50代くらいだったろうか。非常に化粧が濃く、派手な身なりをしていた。私は何かの機会、おばさんや母や他の寮母さんがいる前で、そのおばさんの年齢を聞いて、「え?! お母さんよりも若いと思ってた」と言ったのを覚えている。

    母はそのとき30代だった。そのおばさんの方が若く見えるはずはない。だが、お世辞で言ったのではなく、本気でそう思っていた。「派手な格好をしている人は若い」というロジックだったのだろう。もしくは「年齢」という概念をよく理解していなかったのかもしれない。(小2で?)

    とにかく、母とおばさんの映像を今 思いうかべると、どう考えても母の方が若い。そのおばさんの皺だらけの顔は今でも覚えている。母は化粧っけのないほうだった。思えば、私はその時初めて、「化粧の濃いおばさん」という存在をリアルに見て、世の中のおばさんやおばあちゃんは濃い化粧などするわけがないという固定観念との矛盾で、頭が混乱していたのかもしれない。

    そう、村田さんの感想文はこんな感じだった。「いったい、何の話やねん」とつっこみたくなるような。いや、訂正します。「いったい、何の話ば しよーとやろうか」でした。

    つまり、『老女マノン』を読んで、このエピソードを思い出したということでした。共通点は「化粧の濃いおばさん」くらいですが。

    『老女マノン』は、小説として面白い構造になっています。

    主人公の「私」は、「まだ三十二にもなっていない」女性です。長期滞在していた「伊豆の山間にある或る小さな温泉場」で「小母おばさん」を見かけます。

    最初に見かけたときは

    そのほっそりした腰つきと、吾妻下駄をつっかけにした素足の白粉おしろい でもいたような仄白ほのじろさとが遠くまで眼に続く。あれはきっと、昨日東京から来たという長唄の師匠ででもあるのかも知れない、私はそう思ったのであった。

    と、どちらかというとポジティブな描写です。

    しかし、後日、すれ違いさまにもっと近くで見かけたとき、「私の眼からはたちまちにあの後姿の色っぽい水々しさが消えてしま」い、

    年齢は五十を越えていようかと思われるその醜くとしとった濃い脂粉の顔の中に、熟んだ桑苺の実のような口紅の真赤まっかさが、それはあまりに似合わしくないというよりも、見る人の心を寒くさせる。

    と、かなり辛辣な表現に変化しています。桑苺というのは桑の実のことで、未熟なときは赤くてきれいなのですが、熟れると黒くなって、見た目はいまいちになります。この、色の変化を小母さんと重ね合わせたのかとも思いましたが、「熟んだ桑苺の実のような口紅の真赤さ」という表現とは、ちょっと矛盾しますね。

    「私」は、なぜか、この小母さんは自分の姿であるという感覚にとらわれ始めます。将来こんな感じになるんだろうな、という微かなものではなく、もっと強い一体感のようなものです。

    いまや私は二人の過去がまるで一つのもののように似通っていることを、迷信のように信じ始めた。そうなのだ。だから私はその小母さんの話を、まるで私自身のことででもあるかのように私の言葉で書いて見る。

    そして、小母さんから聞いた話は、語り手が小母さんにスイッチした状態で展開します。

    その語りの中で、自分(小母さん)をモデルした小説がある作家によって書かれていて、それは、デートの途中に女性が八百屋の店先で安いネギを見つけ買う、それを見た男性が興ざめする、みたいな話なんですね。

    この、ネギを買った話を小説のネタにされたという部分が、事実に基づいていて、宇野千代が今東光こんとうこう(小説家)と歩いているときの出来事を芥川龍之介が聞き、小説にしたという話を小母さんの話の中に入れ込んでいるんですね。アンサーソングならぬアンサーノベルでしょうか。

    その小説は『葱』という作品で、もしかしたら全集などには入っているのかもしれませんが、ちょっと探した感じだと、単行本や文庫本には収録されていなさそうです。でも、青空文庫(芥川龍之介『葱』)で読むことができます。

    耳にした、人の恥ずかしいエピソードをネタに小説を書く作家、小説に書かれたことを、ネタとして小説に盛り込む作家。実体験と創作がない交ぜになっている、当時の作家像が垣間見られる、二作品でした。

  • 宇野千代『三千代の嫁入』、『ランプ明るく』、そして「吟味る」

    宇野千代の初期の作品を収めた短編集を、『脂粉の顔』(過去記事)、『墓を発く』(過去記事)、『巷の雑音』(過去記事)と読み進み、次は『三千代の嫁入』です。

    まず、入院先から父親が帰ってきます。治ったわけではなく、帰ってからも寝込んでいる状態。この父親がどのように描写されているかというと、
    「前よりももっと気短かになった」、
    「病気のせいで、父は人の気を洗い立て過ぎる」(他人の考えていることを気にしすぎる、暴き立てるのような意味だと解釈)、
    「三千代は昔からの習慣通り、自分の考えをのべる事なしに」、
    「三千代の父は、娘を厳格に教育するというよりも、偏頗へんぱな自分の好みから、どこへも外へ出した事がなかった」
    のような感じです。「偏頗」とは、考えが偏っている、みたいな意味です。

    「厳格な父親」というと、厳しいけれど、言動に筋が通っているようなお父さんをイメージしますが、三千代の父はかなり偏った考えを持っていて、それを家族に押し付けている感じです。

    男や父親が今よりも「強かった」時代です。家庭を完全に支配し、暗い影を落としています。このような家庭環境が続いたせいで、

    三千代も、ずっと子供のころには外へ出たいと思ったが、そのうちに、外へは出られないものと思うようになり、次第に外を忘れるようになった。そして、見知らぬ人や家に対して、かすかな敵意を抱くようになった。

    のような状態です。最初は、反発、逃避しようとするが、しだいに諦めに変わり、最後には感化され、同調するようになる。ある種のマインドコントロールといえるかもしれません。

    この父親から、親戚の家(夫は従兄、義父・義母は伯父・伯母にあたる)へ嫁入りするように言われ、例によって口答えすることもなく、嫁入りします。その家庭では、皆が普通にしゃべっており、好きな時に好きなことをし、食事のときには団らんがあります。私たちが思い描く「普通」の家庭です。

    かくして、三千代は父親から解放され、明るい結婚生活を送るのでした・・・とは、ならないのが、宇野千代です。

    結局、三千代は嫁入り先から、父親のいる実家へ帰ってきてしまいます。伯父さん、伯母さんも好人物として描かれているので、なんで?という感じもしますが、それなりの理由もあったりします。

    ただ、仕方なく父親のもとへ戻るという感じでもなく、吸い寄せられるように家へ帰っていく様子が印象的です。あえて、奈落へ落ちていくような。

    そこで小説は終わった。と思ったら、次の『ランプ明るく』はその続きなんですね。脱稿日は、『三千代の嫁入』が1925年1月13日、『ランプ明るく』は1925年2月26日となっているので、約ひと月半後に書き上げたことになります。

    父親はさらに弱っていて、死を意識し始めたせいか、すっかり大人しくなっています。三千代の母親(若い継母)も、なんだか解放されたような振る舞いを始めます。

    これでようやく、ランプが明るくなるのかというと、そんなことはなく、父親は最後の力を振り絞って、三千代や母親たちに「復讐」を試みます。

    この父親がよく使う言葉に「吟味るな!」というものがあります。本文には、「人前を繕うな、という意味だった」とあります。人目を気にしすぎたり、見栄を張るのはよくないですが、この父親の基準が実に偏っていて、掃除をして家の中をきれいにしたり、ランプのホヤ(火屋:ガラスのカバーのところ)のススを払うことさえ、「吟味る」に相当するらしいのです。そのために、ランプを明るくすることさえできないという状況が、タイトルの『ランプ明るく』へと繋がるわけです。

    この「吟味る」をウェブで検索しても、ほとんどでてきません。古文書みたいなのがヒットしますが、PDFだったりして(無償枠では)ファイル内をテキスト検索できず、本当に「吟味ったり」「吟味らなかったり」「吟味られたり」しているのかどうか分かりませんでした。

    唯一、現代の人で「吟味る」を普通に使っている人がいました。写真を見ると堅気とは思えない人相の人だったので、リンクとか張ると殴られるんじゃないかと思いましたが、よく見るとプロレスラーのかたでした。なので、リングで張られるかもしれません。

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    使われ方は・・・

    吟味るなよ!!

    お、お父さん? 他にも、「吟味り」という名詞形も用例採取できました。おそらくすでに、現在では使われなくなった言葉だと思われますので、「最も新しい時代の使用例」として歴史的な価値があると思われます。(参考過去記事:「俗語」と「流行語」の違い

    巻末の解説を読んで驚いたのですが、この三千代の結婚&出戻りのエピソードは本人の経験に基づいているんですね。

    私はここで、「三千代」が「千代」から取った名前であることに気づきました。我ながら鈍すぎます。

    以下、《解説》宇野千代の生と文学 より

    十四歳の玖珂くが郡立岩国高等学校女学校(現・岩国高等学校)二年生の時、千代は父親の命によって、生母の姉の長男藤村亮一のもとに嫁がされる。それらの日々は『三千代の嫁入』『ランプ明るく』に詳細に描かれるが、『追憶の父』とともに、千代は父親を書き尽くした。

    十四歳のときに、特に交流が深かったわけでもない親戚の家に、何の前触れもなく嫁がされるという、現代では考えられないエピソードです。これはきっとNHKの朝ドラ『ブラッサム』に盛り込まれると、予言しておきましょう。

    そして、「はて?」(『虎に翼』)や、「たまるかー」(『あんぱん』)のように、「吟味るな!」をNHKが流行語にしようと、お父さんに連発させるが、やっぱり流行らないという予想もしておきましょう。

  • 大正時代のカフェと『巷の雑音』(宇野千代)

    今回は『巷の雑音』です。『脂粉の顔』(過去記事)、『墓をあばく』(過去記事)に続く、宇野千代のたぶん三作目です。

    「たぶん」と書いたのは、宇野千代 – Wikipedia を見ても、ちょっと判然としないからでして。

    「来歴」の項目を見てみると、

    1921年に『時事新報』の懸賞短編小説に『脂粉の顔』が一等当選し、作家デビュー。

    と、一作目は分かりやすいですね。

    「文章がこんなに金になるのか」と驚き、「なんて儲かるんだ、これは書かなきゃいけない!」と執筆活動に専念。『墓を暴く』を中央公論に送ったが、一向に返事がなく、上京したところ、すでに掲載されていたことを知り、その場で原稿料をもらう。

    と、流れがあり、『墓を発く』が二作目っぽいです。ちなみに、引用は本文ママなのですが、『墓を暴く』になっていますね。ウィキペディアー(有志)の方、修正お願いします。

    初期の作品については、「来歴」にはそれ以上の記載はありません。「年譜」の項目には、1921年に『脂粉の顔』が懸賞一等、1922年に『墓を発く』が中央公論に掲載、1923年に短編集『脂粉の顔』が上梓されたことが書かれています。でも、これからだけでは、短編集の収録作品は分からないですね。

    そして、今 私が読んでいるのは、『老女マノン・脂粉の顔 他四篇』 (岩波文庫 緑 222-2)なんですが、嬉しいことに各作品の最後に日付が入っていて、これは脱稿の日付だそうです。書き出してみると、

    『脂粉の顔』   1920年12月
    『墓を発く』   1921年11月22日
    『巷の雑音』   1922年7月5日
    『三千代の嫁入』 1925年1月13日
    『ランプ明るく』 1925年2月26日
    『老女マノン』  1928年5月30日

    となっています。初期の作品は順番に並んでいそうということで、「宇野千代のたぶん三作目」とさせていただきました。(前置き終わり)

    主人公のおきぬは、東京に出てきて、念願のミシンを手に入れ、これで稼ぐぞーと考えていたのですが、ふとしたことで足を怪我して、ミシンが踏めなくなり、ミシン屋にローンを支払えないと判断され、ミシンを取り上げられ、どうやって食べていこうと思っているところに、追い打ちで、田舎から学生の弟が姉を頼ってやってきて、にっちもさっちもいかなくなる、という流れです。

    そこで、カフェー(アクセントは後ろにおいてほしい)が出てきます。大正時代のカフェーは、スタバのような意識の高い場所ではなく、ちょっといかがわしさの漂うところでした。

    以下はお絹が働くことになったお店の描写です。

    カフェ、ローラは都下でも二流と下らない店であったから、夜、九時より遅くまでどあ、、を開いておく事を恥としていた。(それはただ、表看板であった。恥しくて掲げられない看板であった)

    今じゃあまり見ない「二流と下らない」みたいな使い方が難しいですが、つまりは、うちは一流の上品な店だから夜中の営業なんかしないよ、ということでしょうか。ただ、それは表向きの話で、「恥しくて掲げられない看板」のような裏の側面もあった、ということだと解釈しました。

    実情は、

    お蔭で、女給仕たちは比較的早く、家へ帰れるのであった。然し、彼女等には、それから後に、薄暗い世界があった。思い思いの方角へ出掛けて行った。

    お絹自身は、そんな夜の世界には染まらずに、つっぱってやっていこうとしますが、他の女給たちのいやがらせ、品のない客から受けるストレス、多忙な業務(給仕だけでなく、閉店時間帯の片づけや掃除も彼女たちの仕事でした)、睡眠不足などで、徐々に精神的に追い詰められていきます。

    短編集を『脂粉の顔』『墓を発く』『巷の雑音』と読んできましたが、全部重たいです。もたれています。次こそはデザートのような作品を、と期待しながら読み進めていくのでした。

  • 宇野千代の二作目『墓を発く』

    物騒なタイトルです。『墓をあばく』と読みます。

    主人公は「若い女教員の吉子」、前半は主に学校に関連する出来事がメインで、後半は吉子の家族や出自が(そして誰の墓なのかなどが)明らかになっていく展開です。

    幸せな人の充実した人生を描く爽やかな読後感の小説とか、憎めないような良い人ばかりが出てくる落語とかいろいろありますが、その真逆を行くような小説ですね。

    登場人物は、虐げられている人、そうでなければそれを虐げている側のこずるい、、、、人のどちらかという感じ。

    学校の入り口が騒がしいので吉子が行ってみると「唖の久太」が学校に来るのを止めようとしている父親がいます。久太は話すことができないが、授業の邪魔になるようなこともなく、本人も朝一番に登校するほどの学校好きです。でも、勉強はできなくて「三年間を通して同一学年にいた」という状況。

    吉子は、久太を止めようとしている父親の行動をいぶかって、

    如何どうして河井さんを学校へ寄越さないようになさるんですか?」

    と聞くと、父親は、

    「校長先生がそうお話しなされまいた。(略)今度の試験は大切な場合じゃから、久太が粗相な事でも為出しでかしよると大事になるで、試験が済むまでは学校へ出さんように、とくれぐれもおっしゃられまいた。(略)」

    「試験」というのは、新任の県知事が言い出した、学校を調査するための県下一斉の試験のことで、

    この種の挙行は、新任知事の或る野心、虚栄心、衒気げんきを満足させるに十分であった。が、彼にとっては単なる思付きであり、殆ど気紛れに近いものであったとしても、各小学校長にとっては致命傷を与えるものになるかも知れないのであった。

    というものです。「衒気」とは自分の学識を見せびらかす、てらうような気持ちのことです。だから「衒」という字を使うんですね。難しい言葉を使うなあ。

    トップの思い付きが現場に負担をかける。プレッシャーを感じた現場の長が末端へその負担を伝達していく。増幅させながら。よく見る構造です。

    校長は試験の結果を少しでも良くするために、本来のカリキュラムを変更して、授業内容は、

    読方と算術だけが数える事のできないくらい繰り返された。

    という状況です。テストの対象になりそうな、国語と算数ばっかりの授業を行ったというわけです。でも、そのヤマも外れるんですけどね・・・

    試験対策ばかりの授業で児童たちを疲弊させるだけでは飽き足らず、校長は自ら出向いて、成績の悪い久太に登校させないよう裏工作をしていた。このような人間が出世して校長になるような制度や組織。吉子だけでなく、読者もなんだか悶々としてしまいます。

    この手の理不尽が、他にもいろいろ出てきます。吉子の伯母は文房具店を営んでいるんですが、文房具の売れ行きは教師の一言でがらりと変わります。それに付け込んだ教師が、吉子の叔母に酒代をたかるという構造。

    貧しい児童の家の畑が軍隊の演習でめちゃくちゃにされます。国から補償金が支払われるのですが、それを地主が受け取り、農業を営んでいるその家族には一銭も入りません。搾取する地主、虐げられる小作人。

    前半はそんな社会構造の理不尽に対する吉子の憤りが描かれています。後半に入ると趣きが変わり、吉子の家族に焦点が移ります。不幸に見舞われる子供たち(吉子と異父姉弟)、そしてその元凶となった吉子の母親の行動がどういうものだったのかが、明らかになっていくという展開。

    この『墓を発く』にはちょっと面白いエピソードがあって、『脂粉の顔』のデビュー作に続く二作目にあたる作品なのですが、ウィキペディアによると、

    『墓を暴く』を中央公論に送ったが、一向に返事がなく、上京したところ、すでに掲載されていたことを知り、その場で原稿料をもらう。あまりの大金であったため、その足で実家に戻り、母親に原稿料の一部を渡す。

    掲載するという連絡もせず、本人が出版社に来た時に原稿料(しかも大金)を渡したという、本当だとしたらかなり杜撰な作家・原稿料マネジメントという印象です。

    岩波文庫『老女マノン・脂粉の顔』の巻末の「《解説》宇野千代の生と文学」に該当するエピソードが書かれていましたが、微妙にニュアンスが違います。

    引用箇所に登場する「樗陰」とは、中央公論の編集長を務めていた滝田たきた樗陰ちょいんです。

    千代はその投稿の採否を知りたくて、1922(大正11)年春に上京、樗陰の手から刷り上がったばかりの『中央公論』五月号と多額の原稿料を受け取った。

    ウィキペディアの内容を読んだとき、すでに出版されていたかのように(勝手に)思い浮かべたのですが、掲載することが決まり、印刷が終わって(つまり掲載された)、これから販売というタイミングだったのでしょうか。だとしたら、ありえないエピソードでもなさそうです。とはいえ、掲載が決定したら印刷前に連絡してもよさそうなもんですが。

    とにかく、エピソードとしては面白げなので、朝ドラのストーリーに盛り込まれることに一票です。

    千代が『脂粉の顔』でデビュー後、執筆活動に専念、書き上げた二作目を出版社に送るも、反応がなくやきもき。しびれを切らして上京、出版社で掲載を知り、大金の原稿料も手にする。しかも、そこで出会うのが、その後『中央公論』に立て続けに千代の作品を掲載する編集長の滝田樗陰であるところなんか、ドラマとして映えそうところです。

    連続テレビ小説『ブラッサム』が始まるのいつでしたっけ? 半年後かー。見逃さないようにしなきゃ。

  • 宇野千代のデビュー作『脂粉の顔』と当時のモラル

    数日前(2026年3月30日)に新しい朝ドラの『風、薫る』が始まりました。『明治のナイチンゲール 大関和物語』(田中ひかる著)を原案としているそうで、その本を読んでみようかとも思いましたが、もう始まってしまったこのタイミングではちょっと遅い。先取り先取りでやっていきたいということで、『風、薫る』の次である2026年度後期『ブラッサム』のモデルである作家 宇野千代の作品を読むことにしました。ドラマが始まる頃には、こんな感想文を書いたこともすっかり忘れているかもしれません。

    読んだのは宇野千代のデビュー作『脂粉の顔』(1920年)です。いきなりタイトルに知らない単語が入っています。脱脂粉、、乳の略かもと思ったあなた、全然ちがいます。どうやら、化粧、おしろいのことみたいです。

    主人公のおすみは「カフェの給仕女」であると最初の行に書いてあります。ここで、喫茶店のようなカフェを想像して読み進めてしまうと、イメージが食い違ってきてしまいます。当時の「カフェ」については、ウィキペディアを読むと雰囲気が分かると思います。

    カフェー (風俗営業) – Wikipedia

    カフェーは、日本で20世紀前半に流行した飲食店・風俗営業の一業態。古くは特殊喫茶、社交喫茶という言い方もあった。

    女給という職業は単なるホールスタッフではなく、「接客業」であったということです。ただ、Wikipediaによれば、この接客サービスが露骨になっていったのはもう少し後の時期らしいです。ただ、カフェは喫茶店ではなく、お酒を飲む夜のお店であることは押さえておきたいところ。(そしてこんな喫茶があるから、そうではない普通の喫茶を「純喫茶」と言うんだ、という豆知識までつきます)

    なので、「瑞西スイス人のフバーから」、「突然流暢な日本語で」

    「一体貴女あなたは、一ヶ月に何程なにほどかかります?」

    なんて不躾ぶしつけな言葉が飛んできても、それほど不自然な流れではないことになります。

    これって、例えば大学を出たばかりの今の若者が読んでも分かるんですかね。つまり、一通り学校教育は受けてきていれば、この台詞を見て、この外国人の男性が何を尋ねようとしているのかピンとくるものなのでしょうかね? 学校で教わることはなさそうだとしても、今までに見たドラマとか映画とかで想像つくもんですかね。

    まあ、つまりこの台詞は、

    生活費がどれくらいかを聞いています。

    ・・・なんてことではなく、毎月の給金はいくら払えばいいですか? ということですね。さて、何に対する対価でしょうか? まあ、普通は妾になることへの報酬ですよね。昔は「女を囲う」なんて言葉がありました。常識の変化って怖いですね。

    金銭的に余裕のある男が、正妻がいるにも関わらず、別宅や離れを用意して、金銭を払うことを条件に、そこに別の女性を住まわせるということが、普通に許されていた時代があったんですね。

    近所の人から「あのエロじじい」とは言われるでしょうが、違法でもないし、世間から糾弾されるわけでもないという。そういう時代背景があっての、ハウ マッチ アー ユーであると。

    でも、ちょっと違うのはフバーはお澄を妾にしようというのではなかったところですね。ここがこの短編小説のポイントになるのだと思います。フバーの意図が、正直よく分からないのです。

    お澄はあまり深く考えなかったのか、

    (略)とにかく、まとまった金の六十円は有難い事に違いなかった。(略)さりとてこのままフバーの妾にせられるのでもなさそうだし、何しろ歴然はっきりした条件のない曖昧な境遇に置かれるというだけで遊んで暮らせるのは実にい、と思った。

    くらいの感じで、フバーからの呼び出しに応じます。それは速達で届いた手紙で伝えられた「午後から目黒の大競馬を見物しよう」というものでした。

    なんで目黒に競馬場なんかあるんだ?というかたはWikipediaを見てください。1907年から1933年の間は目黒に競馬場があり、その後、府中の東京競馬場に移転したそうです。

    (ちなみに7ページほどの短い作品で、このあと、どんどんネタバレしていくので、読むつもりのある人は、こんなブログ記事など読む前に、まず作品をお読みください)

    お澄は、フバーと競馬を見に行き、ちょっと嫌な目に合います。まあ、このへんが純文学作品という感じで、すごく劇的なことが起こるわけではないんですよね。大したことではないよう、でも、なんかいやーな気分になるような、考えようによっては、ものすごいトラウマにもなるような、そんな体験なんですよね。

    待ち合わせ場所に行ってみると、フバー以外に「見知らぬ娘」がいるんです。お澄はこの「美しい連れ」に対して、服装や容姿の点で引け目を感じてしまいます。しかもこの3人での行動は終始、その娘のペースで進み、フバーがどういうつもりでお澄を呼んだのかもはっきりしないだけでなく、フバーは途中からお澄を避けるような態度さえ取り始めます。

    翌日、お澄はフバーに電話をかけ、お礼などを伝えるも、気乗りのしない反応をされ、その日の夕方、さっそくフバーから絶交状が届く。

    1日競馬見物に付き合っただけで六十円(大卒の初任給くらいだそうで)を手に入れたものの、

    あるむしゃくしゃしたかすが胸の中へたまって何時いつまでも取れなかった。

    という終わり方をします。

    お澄や前述の娘の年齢については書かれておらず、容姿についてもそれほど詳しくは触れられていません。その娘についてはほとんど情報がありません。でも、お澄よりワンランク上 感があるんですよね。金銭的にも裕福だったり、高い教育を受けていたり、ちやほやと扱われることに慣れているような、そんな感じ。「娘」と表現しているあたりを見ても、年齢もお澄より若いのでしょう。

    お澄はカフェではそれなりの人気があり(書いてないけどそんな気がする)、フバーにも見初められ(たと思い)、六十円という好条件を提示され、いったんは気分が高揚したはずです。競馬場では、その娘からも、フバーからも軽んじられ、いてもいなくても一緒のような態度を取られる。一気に奈落に落とされるような感じでしょうか。しかも、そもそも男性が金銭で女性を自由にするという理不尽な社会情勢もあれば、六十円という微妙な金額の金が、より侮辱された感を醸しだすような気もします。そんな、はした金でいいように扱われる自分、みたいな。

    20代前半の宇野千代が、この『脂粉の顔』を書きあげ、時事新報(日刊の新聞)の懸賞短編小説に一等で当選し、彼女は作家としてデビューする、というスタートになるわけです。

    そして、これが、朝の連続テレビ小説『ブラッサム』の第一話のあらすじです。 ・・・なんてことはありませんが。


    2026年4月12日追記
    新人作家の登竜門と言われていた『中央公論』に掲載されることなった二作目です。その後、立て続けに六作が中央公論に掲載されることになります。
    宇野千代の二作目『墓を発く』