第175回(2026年上半期)の芥川賞にノミネートされた作品が載っているということで、『文學界』2026年5月号を図書館で借りてきました。村司侑さんの『ソリティアおじさんがいた頃』という作品です。
文芸誌を買ったことがない私は、この『文學界』なる雑誌がどのようなものなのかも、あまり分かっておりません。文藝春秋社から出ている純文学寄りの文芸誌だそうです。ややこしいのは『文藝春秋』という総合誌もあって、芥川賞を受賞した作品が、後日この『文藝春秋』に掲載されます。こちらは再掲ということですね。
『文學界』(文藝春秋社) 、『新潮』(新潮社)、 『群像』(講談社)、 『文藝』(河出書房) 、『すばる』(集英社)あたりに掲載された小説からノミネートがされることが多いようです。
この『ソリティアおじさんがいた頃』はすでに文學界新人賞を受賞してるんです。で、さらに芥川賞にもノミネートされたということですね。
主人公の古井瀬瑠奈は30代の女性です。この瑠奈の一人称の小説なのですが、文体が独特です。瑠奈の心情と台詞がごっちゃになっていて、他の人の台詞は普通に括弧書きになっていて、構成要素はそれだけです。・・・という説明じゃ分かりませんよね。
例をあげますと、
「ちょっとええか、古井瀬」と、珍しく小さな平見部長の声。(略)
「きょうの、黒野田さんのお通夜な、自分、行くか?」
え、いえ、わたしは、大勢押しかけるなって言ったはったんで、遠慮しよかと。
「そか。ええよ」
用はそれだけかと思ったが、すぐには出ていかない。なんやろ、と思う。
「川上くんは、どうやろか」
海史? と思いながら答えを探す。え、いや、どうでしょ?
「すまんけどな、スマホ使ってええさかい、ちょっと訊いてくれへんか(略)」
見ての通り瑠奈の台詞が括弧に入っていないんですね。本当だったら、「え、いえ、わたしは、大勢押しかけるなって言ったはったんで、遠慮しよかと」と「え、いや、どうでしょ?」のところは括弧で括るのが普通です。でも、小説全体を通じて、この瑠奈の台詞は括弧に入れないという方針が貫かれています。つまり、瑠奈が考えていることと実際に口に出した事は表記上は区別されていません。文脈からほとんどは判断できますが、境目が曖昧な箇所もあります。
目の前で起きたこと、考えたこと、話した事、その結果帰ってきた反応、などをつらつらと流れるように書いている文体のリズムを壊さないように、このような表記法にしたのでしょうか。初めて見ました。
話したことを括弧で括ると、メリハリがつきすぎて、他の地の部分の、ある意味だらだらと起きたこと・考えたことを描写するテイストと合わないかもしれません。大体こんなこと言ったら、こんな反応があって、そしたらこんな気がしたので、またこんな感じのことを伝えた、くらいの「言い方までは限定しない表記」は新しい発明なのかもしれません。
ストーリーのことをいろいろ書いても、この小説の特徴は伝わらないような気がして、今回は文体のことばかり書いてみました。思考は逡巡して、いろいろ考えるが大した根拠はなく、たった今考えたことを反省したり、思いが伝わっているのか不安だったり、相手の真意がよくわからなかったり、言おうと思ったが言わなかったり、なんでこんなことになったのか不思議だったり、ちょっとしたきっかけで決断したり、行動したり、でも、確信はなかったりするけど、後悔もなくて、結局人生は続いていく、みたいな話です。読めば分かるさ。


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