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勝手に読書感想文。漫画も映画も含みます

タグ: 科学

  • 中高生向けの遺伝子編集技術の解説書『CRISPRってなんだろう?』

    ノーベル賞(2020年の化学賞)をとった「CRISPRクリスパーCasキャス9ナイン」というゲノム編集技術のことが知りたくて読んでみました。サブタイトルに「14歳からわかる遺伝子編集の倫理」とあるように、中高生くらいから読める構成になっています。そして、技術だけでなく「倫理」面を強調した書籍になっています。

    「第1章 遺伝学の世界に飛び込もう」で、まず遺伝子についての基本、「第2章 ゲノムを書きかえる」で、CRISPR-Cas9の技術が解説されます。第3章以降は、この技術を使ったら何ができるのか、そのすばらしい可能性の側面と、それだけでなく、リスクや倫理的な問題も提起されています。

    構成がうまいです。一冊まるまる学術や技術の話をされても集中力が持続しないかもしれませんが(14歳とか、私とか)、技術の内容→何ができるかの具体例→輝かしい可能性→リスク・問題点のように観点が変化する構成になっているので、飽きずに読み進められます。著者のヨローナ・リッジさんは、児童文学作家らしいです。なるほど。

    CRISPR-Cas9の技術が鎌状赤血球貧血症という遺伝病の治療に使えること、蚊がマラリアを仲介しないようにできること、虫害・冷害・腐敗などがおきにくい野菜を作れることなど、いくつかのトピックが各章に割り当てられてます。

    技術のすばらしさや可能性だけでなく、倫理面などについても書かれているのがこの本の特徴です。どこから先を治療すべき「病気」とみなすのか、「死に至る病」から、「ちょっと不便な状態」まで病気と個性の境界は、線を引くことが難しいグラデーションになっています。近視を防ぐために遺伝子編集をするか、みたいな問題。本人の治療ならまだしも、そのような形質を避けるための産み分けとか妊娠の継続判断とか。基準がないと危うい、でも簡単に基準を定められるようなものでもありません。そのような課題意識が沸き起こる構成になっています。

    各章の後半には、「止まれ(STOP)」、「徐行(YIELD)」、「すすめ(GO)」のマークが付与されていて、各論が併記されています。遺伝子操作だけでなく、肉食や動物実験の是非など考えだしたら、気になることはいっぱいあります。「絶対にこうだ」という結論にいたらないまま、もやもやしながら読み終える本なのでしょう、これは。青少年の諸君は大いに悩んでください。

  • 『痛覚のふしぎ 脳で感知する痛みのメカニズム (ブルーバックス 2007)』

    最近、「痛み」に関する本を読んでいます。

    以前紹介した『慢性疼痛: 「こじれた痛み」の不思議 (ちくま新書 940)』(平木英人 著)は現場寄り・臨床寄りの本でしたが、今回の『痛覚のふしぎ ―脳で感知する痛みのメカニズム―』(伊藤誠二 著)は、サブタイトルにあるようにメカニズム寄り・機序寄りです。

    第1章では、いわゆる心因性の疼痛の話も出てきますが、全般的には物理的(医学の分野では「器質的」というんでしょうか)な原因が明確な痛みのメカニズムが説明されています。

    メカニズムを説明しようとすると、様々な体内の組織の名前だったり、酵素の名前だったり、伝達物質の名前だったりが登場するわけで、ちょっとハードルが上がる気がします。

    高校生のときに、生物は理科Iでちょっと学んだ程度の50代には、なかなか厳しい部分もありました。とはいえ、ちょっと前に『カラー図解 アメリカ版 新・大学生物学の教科書』(D・サダヴァ 著)のシリーズ3冊をざっと読んだ(決してすべて「理解」はしていないですが・・・)のは、基礎知識として役に立ちました。

    そんな生物初心者にも、具体的なエピソードなんかはスッと入ってきて、理解できた気になったりするものです。アロディニアという、通常は痛みを感じない軽い刺激が痛みに感じられる感覚異常について説明していた箇所、タイトルは、

    風が吹いても痛い毒キノコ中毒の患者

    (略)

    病院を訪問したときには患者さんは入院してすでに17日経っていましたが、人がベッドの側を通る風の動きでも痛みが生じるほどでしたので、
    (略)
    この食中毒の患者では、本来風の動きを察知する皮膚表面の産毛からの情報が痛みに変わるとともに、自律神経が活性化され、血管が拡張し熱が放出されることで熱く感じています。

    まさにリアル「痛風」です。

    風が吹くと、それが弱いものでも、ふわっと風が吹いたなというのは感じますよね。その感覚が、伝言ゲームのミスで、痛みだと解釈されたら・・・と考えると恐ろしいです。

    ちなみに私は痛風経験者ですが、「風が吹くだけで痛い」というのはちょっと違っている気がします。正しくは、「風が吹かなくてもずっと痛い」です。

    「風が当たるだけでも痛い」はおなじみの語源ですが、痛風 – Wikipedia を見ると、諸説あるみたいですね。

    話を戻して、具体的な例で面白かったのが、日焼けしているときにお風呂(ぬるくても)に入ると、なぜ痛いのかというもの。

    そら、ヒリヒリしているときにお湯に入れば、ビリビリっとくるだろ、みたいな気はしますが、そういうのではなく、

    カプサイシン受容体がリン酸化されていない場合には、温度の閾値が42℃ではじめてカプサイシン受容体チャネルが開き、(略)カプサイシン受容体がホルモン感受性リン酸化酵素でリン酸化されると、カプサイシン受容体のチャネルの性質が変化して30℃付近からチャネルが開くようになり、(略)

    日焼けすると、痛みを伝える受容体がリン酸化された状態になる、と。その状態だと痛みセンサーの閾値が下がってしまって、ぬるいお湯でもビリビリっときて、「あー、日焼け止め塗っておけばよかった」となるんですね。

    出てくる用語をすべて理解できなくても、わかった気になれれば幸せです。

  • 『生命はデジタルでできている』

    情報学で文字コード表を学び、生物学でコドン表を学んだとき、その類似性に気づいた人は多いんじゃないかと思います。

    核酸の塩基の種類は4種類(A、G、C、T)。2つ組み合わせれば4×4=16種類まで表すことができる。人体で作り出されるタンパク質を構成するアミノ酸の種類は20種類だから、2つの組み合わせでは足りない。じゃあ、このアミノ酸を指定するためには、3つ組み合わせる必要があるな。というわけで、コドン表では塩基の3つ組が使われることになる。実にデジタルな感じです。

    文字コードを作ろうとしたときに、文字が何種類あるから1文字あたり何バイト必要になるか。英数字とシンプルな記号だけなら1バイトで足りるけど、日本語だとそれでは足りないので、1文字あたりのバイト数を増やす必要がある、みたいな話とそっくりです。

    というあたりが、『生命はデジタルでできている』(田口善弘著)というタイトル兼キャッチコピー(?)につながるわけです。

    著者の田口先生の経歴を見てみると、もともとは物理学の分野から、バイオインフォマティクスに入ってきた方のようです。だからなのか、ちょっと違った観点で生物学を捉えるというところに特徴がある気がします。

    私自身は、化学と物理は履修したものの、生物学はきちんと学んだことはなかったので、田口先生の(時には厳密さを割愛した)ざっくりとした説明には非常にはまった、、、、感がありました。

    ヘモグロビンのところが、すごく腑に落ちたので紹介します。肺で酸素を受け取り、各組織で酸素を渡すことで、酸素を運ぶヘモグロビン。

    こう書くと、ヘモグロビンが何か意思のようなものを持ち、役割を担っているかのようです。しかし、なぜそのようなことができるのか、というところがブラックボックス的にみえます。

    本に書いてあったことを、私なりの理解で書いてみると・・・、分子間がくっついたりくっつかなかったりはクーロン力(電気のプラスとマイナス)による。分子の部分的な構造により、くっつきやすい形や場所などがある。反発するときも同様。くっついたら離れないような強い関係もあれば、くっつくんだけど離れやすい弱い関係もある。

    ヘモグロビンがくっつく相手は、酸素分子である。そして、ご多分にもれず「弱い結合」のパワーをフルに活用している。

    なぜ「強い結合」ではなく、「弱い結合」≒「そこそこ強い」結合なのか、

    そうじゃないと、肺で酸素を拾ったが最後、細胞に行き着いても「手放せない」からだ。周囲が高酸素濃度なら、酸素を取り込み、低酸素濃度なら放出する、という機能を果たせない

    ヘモグロビンは「ここが肺だから酸素とくっつこう」とか「ここが酸素を必要とする組織だから酸素を手放そう」などと、複雑な判断をしているではないんですね。

    高濃度だからたくさんくっつく、もちろん一部は離れていくけど、まわりが酸素だらけだから、また酸素に出会ってくっつく。低濃度だと、手放したら、まわりには酸素がほとんどいないので、次はなかなかくっつかない。結果的に、酸素を運んだ形になる。ごくごく単純な原理で、ヘモグロビンが酸素を「運ぶ」仕組みが説明できます。

    このあと、タンパク質の反応が特異的であるという話も、すでに説明した性質の具体例として登場します。ヘモグロビンは酸素と特異的にくっつくが、他の分子とはそうならない。そうなると、なんでもかんでも運んじゃうので。

    ただ、例外というか想定外だったのが一酸化炭素で、一酸化炭素がくっついたヘモグロビンは、一酸化炭素を手放せないせいで、酸素を運べなくなってしまう。なので・・・

    結果、その生物は酸素がたくさんある空気を呼吸しながら、酸欠で窒息死する。

    酸素とは結合するが、一酸化炭素とは結合しないような、そんな他のタンパク質を、酸素の運び屋として採用できなかったのか、という疑問には、

    それはたぶん、一酸化炭素とヘモグロビンは長い進化の過程でめったに出会わなかったからだ

    火を日常的に使い密閉性の高い建築物で生活する現在ならともかく、人間の歴史のほとんどの時期においては、一酸化炭素はもちろん火自体が珍しかった。そのような環境においては、一酸化炭素とは結合しないヘモグロビン的なタンパク質の獲得は、合理的な進化ではない、ということなのでしょう。

    今まで、断片的な知識として知っていたことが、一つの流れで見えてきた、そんな気がしました。

    分子生物学の教科書を読んだけれど、なんだか腹落ちしない、覚えることが多すぎて、消化しきれない、みたいなときに、本書のように柔らかい比喩を駆使した本を読んでみると、新たな納得感が得られるかもしれません。

  • 『慢性疼痛 ― 「こじれた痛み」の不思議』

    知りませんでした。そんなことが原因の痛みがあるなんて。

    『慢性疼痛 ― 「こじれた痛み」の不思議』(平木英人著)の表紙には、

    痛みという、本人にとってこれ以上ないくらい確かな症状が医学の対象となったのは、案外最近のことです

    と書かれています。はて? 医者に行って、どこかが痛いと言えば、その「原因」を見つけて(少なくとも探して)くれるし、何か痛みが生じていれば、それを和らげるような薬を出してくれたりします。

    医学の対象となっていなかったとはどういうことでしょうか?

    医師も、一般診療科(精神科や心療内科以外の科です)であれば、「痛みがあればそれに対応する身体的病変があるはずだ」と考え、X線や超音波、CT、MRIなどさまざまな検査を行って、その原因(身体的所見)を見出そうと努力します。

    え、そうじゃないの? 原因があるから痛んでいる。その原因を取り除けば痛みはなくなるし、痛みがあるなら身体的な原因がある・・・というわけではない???

    ですが、体に原因がなくても痛みは起こるのです。

    病院で何度検査しても体に異常がまったく見られない、または少し異常がありそうだが患者さんが訴えるほどの激痛とはなり得ないと判断され、しかもそれが六か月以上続く場合、一度は心因性の疼痛を疑ってみる必要があります。

    そのような患者さんのためのクリニックを開業しているのが、著者の平木英人先生というわけです。

    なるほど、医者に行って、痛みの原因をいろいろ調べて、それらしいものが見つからなかったら、「異常ないですね」と言われて終了。それ以上何もしてくれない(してあげられない)というクリニックも多いんじゃないんでしょうか。もう、専門分野外なんでしょうね。そういう意味で、痛み自体を対象と捉えることが始めたのは「案外最近」だということなんでしょう。

    心因性の疼痛というのは、器質的な(身体的な)原因がないのに痛みが起こることらしいです。過去の事例として、旦那さんの浮気だったり、面倒を見てくれている娘が多忙で会話が減っていることだったり、一見、かまってちゃんの詐病では?なんて思ってしまうのですが、患者にとっては本当に痛いし、患者からしてみたら、こんなに痛いのにこれが精神的なものだとは信じられない、というものらしいです。

    ちなみに私も最近、激痛を感じることがありました。痛風でした。血液中の尿酸濃度が上がり、関節付近で結晶化し、これを異物とみなした免疫細胞が炎症を引き起こし、その炎症のために痛むものです。だいたい足が明らかに腫れますし、エコーで尿酸の結晶らしきもの見えるなど、原因がはっきりしていますので、平木先生のお世話にはならずにすむやつでした。すみません、最後に関係のない話をしてしまいました。

  • 『いかにして問題をとくか』と『エレガントな問題解決』

    両者に共通しているのは、数学の問題自体ではなく、数学の様々な問題の解き方に共通するノウハウやテクニック、その習得のようなメタなテーマに焦点をあてている点でしょう。

    あと、タイトルだけ見てもと数学の本であることがわかりにくいというのも共通していますね。『いかにして・・・』のほうの原題は『How to Solve It』ですからね。直訳すれば「いかにしてそれをとくか」って感じで、「問題」という単語も出てこない。「この前のあれどうなった?」みたいな、熟年夫婦の会話のような。

    最近読んだのは『いかにして問題をとくか』(ジョージ・ポリア著)のほうで、こちらはもう古典ですね。昼休みに会社で読んでいたら、「ああ、その本ね」と言われるくらい。初版の発行が昭和29年(1954年)で、私が持っている版は「第11版第46刷」となっています。「もはや戦後ではない」と経済白書に書かれたのが、1956年ですから、逆説的ですが、まだ戦後感が残っていた頃なんでしょう。

    装丁やフォントが古風でいかしています。自宅の本棚に置きたくなる一冊。こんな感じ。

    例題として取り上げられているのは、高校を卒業していれば(そして真面目に勉強していたなら)分かるくらいのレベルのものです。立体幾何の例題だからといって、立体幾何に主眼があるのではなく、あくまで考え方やアプローチが取り上げられているテーマです。語り口から言って、読者として数学教師も想定している感じです。

    最初の例題は、直方体の3辺が与えられたときに対角線を求めるというもの。教室を例にして学生の興味をひくとよい、というのは納得です。長さや幅や高さを測るのはメジャーがあれば比較的容易ですが、対角線は難しそう。巻き尺だとピンと張れないし。

    そして、こんな対話例が載っています。

    ≪分らないものは何でしょう≫

    ≪直方体の対角線の長さです≫

    ≪与えられているものは何ですか≫

    ≪直方体の長さと幅と高さです≫

    ≪適当な記号をつけなさい.未知のものはどういう記号で表したらよいでしょう≫

    ≪xです≫

    ・・・

    「まだ学生がぼんやりしている場合には」、ヒントをもっと具体化しなければならないと書かれていて、

    ≪図の中に三角形を考えることができますか≫

    ≪図の中の三角形はどんな種類のものですか≫

    ・・・

    のように続きます。解法を直接は示さず、対話や質問によって、相手を真理に導いていく。なんだかソクラテスみたいですね。知らんけど。

    本文の中の例題は少なめで、むしろ言葉で何度も原則を繰り返し強調している印象です。ただ、巻末には20題の問題が載っており、本書を読んで身に着けたスキルを、これらで試せます。

    その1問目はちょっとふざけて(?)いて、

    1.一匹の熊が1点Pから南へ向けて1マイルあるき,そこで方向をかえて真東に1マイルすゝんだ.そこでもういちど向きをかえて真北に1マイルすゝんだとき,ちょうど出発点Pにもどったとする.この熊はなにいろをしているか.

    直角に(南から東、東から北)に2回向きを変えただけなら、元の場所に戻れないのでは? ああ、平面じゃないのね、というあたりは誰でも気づくでしょう。でも、熊の色? ここはちょっとトンチが効いていますね。

    オチ(答え)を言ってしまうと、北極点なのですが、本当にそれだけ? というところがミソだと思います。「あなたはそれが正しいことを証明できるか」という点が強調されていましたが、証明しようとすると、他の答えの可能性もつぶしていく必要がある。

    似たような状況が起きそうな場所に南極点付近がありそうです。南極点そのものからは最初に南には行けないから、これはない。

    南極点に近い場所なら南へ行けます。その後、東 に行き、別の子午線に沿って北へ行く。でも、北極のときと異なり、隣り合う子午線は広がっていく方向なので、元の点には戻れないはず。

    東へ歩くことにより「隣り合う子午線」へ移動する・・・。いや、もし南極点のごく近くなら、1マイル歩くことで「同じ子午線」まで戻ってこれる場所があるじゃないか。ということで、ミステリーが解けるのです。

    読んだばかりで、記憶が鮮やかだったので、長々と書きましたが、この手の数学の問題の解き方を扱った本を読んでみたいと思ったかたには、まずは『エレガントな問題解決 ―柔軟な発想を引き出すセンスと技』(ポール・ツァイツ著)の方をお勧めします。数学のいろんな分野の例題が登場し、章末の問題も充実しています。原題は『The Art and Craft of Problem Solving』です。こちらの本で、数学の Art や Craft に惹かれたら、古典である『いかにして・・・』も抑えておく、という順番でいいのではないかと思います。

    「すゝんだ」って、まじ古典かよ、って思いませんでした?


    【2026-02-07 追記】
    『いかにして問題をとくか』に誤植があったので、うだうだ書きました。
    11回の改版を生き延びた『いかにして問題をとくか』の誤植