全くの前提知識なしで読みました。小川 洋子さんの『サイレントシンガー』。普通、本を読むときって、「読みたい!」と思ってから入手するものなので、前提知識なしで読むことはほとんどないと思います。私の場合、妻が図書館で借りた本を、何のフィルターも加えずに読むことによって、これを実現しています。そうです、私は内容を確認せずに「日替わり定食」注文できるタイプです。
ドヴォルザークの「家路」がけっこう重要なポイント(別にミステリーじゃないけど)になっています。読み始めてすぐ「家路」と聞いて、ドヴォルザーク交響曲第9番の第二楽章のあれが出てこなくて、知らない曲なのかもと思っていました。話が進んで、どこかで(役所の人が依頼するところだったか)、「ドヴォルザーク」という名前が出てきて、あれかー、と。
というのも、自分が知っている歌詞と違ったんですよね。私の中で、ドヴォル9-2と言えば、♪遠き山に日は落ちて♪ なんですよね。
歌詞がウェブで確認できるって便利ですね。「明星」とか「平凡」の歌本って今もあるんでしょうか。
作品中では違う歌詞があてられていたので、ピンとこなかったのですが、あの歌詞は別の作詞家によるものなのでしょうか? 小川洋子さんのオリジナルでしょうか?
「調べれば?」という声が天から聞こえたので、調べてみますと、私が知っていた「遠き山に 日は落ちて・・・」は堀内敬三氏が作詞したもので(前記のリンク)、『サイレントシンガー』に出てきた「響きわたる 鐘の音に・・・」は野上彰氏が作詞したものでした。Wikipediaに書いてありました。
歌詞は↓こちらにありました。
家路 Goin’ Home 歌詞の意味 和訳 原曲 ドヴォルザーク
前者は学校で習った記憶があるので知っていたのですが、後者を含め多数の日本語の歌詞がつけられていること(Wikipedia参照)は知りませんでした。(調査&感想 おわり)
『サイレントシンガー』のタイトルの通り、主人公のリリカは歌うことを生活の糧の一部としています。歌うのに「サイレント」とはどういうことでしょうか? 声を出さないわけではないですよ。それは読んでのお楽しみ。
これを読んで、誰にも意識されない歌声に思いをはせるようになりました。そもそも「聴く」ことが主目的にはなりえないシチュエーションだったり、歌は聞いていても、誰が歌っているかには注意が払われない用途だとか。
着ぐるみの中の人を連想しましたね。ディズニーランドではしゃいでいるひとは、キャラクターの中の人のことは、もちろん考えないですよね。考えないのが正しい楽しみ方です。だから、リリカの歌が、リリカのことを全く意識しない人たちに消費されていくのも、それは正しい利用のされ方であると。じゃあ一体、リリカは誰に向けて歌おうとしているのか、というあたりは読みどころです。
読んでいて気づいたのが、出てくる人名が極端に少ないということです。人が出てこないという意味ではなく、固有名詞として出てこないというところです。
「リリカ」以外では、出てこなかった気がします。「おばあさん」「老介護人」「毛刈り担当さん」。アカシアの野辺の人たちについては名前を知らないという可能性もあります。いや、名前に意味はないということかもしれません。
でも、そこそこ親しくなる、しかも野辺の人ではない「料金係さん」の名前が出てこないあたりを考えると、かなり意図的なのだと思います。この、すべての人を役割で呼ぶという、現実味のない表現が、この小説のふわっとした雰囲気を醸し出しているのかもしれません。
あ、でも、固有名詞が出てくるキャラクターもいました。忘れてました。
ためらっているリリカにはお構いなしに、先生は続けた。
「歌うアシカ。名前はジョーよ」
それは水族館のアシカショーで、歌を披露する仕事だった
アシカは歌えないので、ジョーは歌っている仕草だけを芸として披露し、リリカが歌をあてるという仕事です。
そして、今気づきました。これってもしかして、「あしたのジョー」とかかっているのでしょうか。どうでもいいことですが、なんだか無性に誰かに言いたいです。でも、もしそうだとしても、私は沈黙を守ろうと思います。






