読んだのは、『色ざんげ』の岩波文庫版です。もう終わり? というタイミングで終わりました。というのも、巻末の解説や、広告(既刊書の目録)や、岩波文庫ではおなじみ「読書子に寄す」などを入れた書籍の全体では300ページくらいあるんですが、小説本編の終わりは252ページ目です。手に持った厚みの感じで、まだまだ続くと思っていたら、あ、もう終わりか、と。
つまり、解説が豊富でした。まず、山田詠美さんの「色の妙味を重ねた男と女たちの物語」(約8ページ)という文章、そのあとに尾形明子さんによる「解説」(約26ページ)という二本立てです。もう、短篇1本くらいの分量がありますね。
山田さんの文章の中に、最初に読んだときは登場人物の三人の女性に同情したが、いま読むと、むしろ男(主人公・語り手)に同情してしまう、という箇所があります。たしかに、小説って読み手次第で、悲劇的にも喜劇的にもなるし、ヒーローが悪役と紙一重だったり。作者と読み手の両輪で作品が完成するのかも。なに読んでも「つまらない」と言っている人は、本というより、その人自身が・・・。あとは言いますまい。
『色ざんげ』は、語り手である洋画家の湯浅譲二に面識のない女性から手紙が毎日のように届くところから始まります。ちょっとミステリっぽい。この女性(小牧高尾)に会って、ちょっと微妙な関係になったところで、高尾は失踪します。高尾を探す過程で高尾の知り合いの女性(西条つゆ子)に好意を持ちます。つゆ子に近づこうとするも、つゆ子の厳格な家族たちにはばまれ、仲を引き裂かれます(つゆ子はアメリカに行かされる)。諦めていたところに、譲二の絵のファンだという若い女性(井上とも子)が現れ、ちょっと強引なとも子の両親により結婚する流れになります。でも、譲二は既婚者で関係は冷めきっているとはいえ、まつ代という妻がいるので、いわゆる重婚状態に。そんなタイミングで、アメリカからすでに帰っていたつゆ子と再会し、絶望しきっていたつゆ子の誘導で心中未遂事件を起こします。
もうなんだか、いろんな出来事が渋滞しています。ちょっと詰め込み過ぎなんじゃない? もうちょっとリアリティのあるプロットにしたほうがいいんじゃないの? ・・・なんて思っちゃいます。もし、これが完全な創作(フィクション)ならば。
ぜひ、尾形さんによる巻末の解説を読んでほしいところなのですが、この『色ざんげ』の主人公の湯浅譲二は、宇野千代の恋人だった(数年間同棲していた)洋画家の東郷青児がモデルになっているんですね。そうです、実話に基づいた小説なんです。
体験した本人が書いたというわけじゃないけど、千代はけっこうがっつりと、事件の当事者である東郷を「取材」しています。
ちょっと長いですが、尾形さんの「解説」より。
二人の出会いについては、宇野千代が『或る一人の女の話』『私の文学的回想記』『自伝的恋愛論』『生きて行く私』などに詳しく書いている。
『報知新聞』に連載中の「罌粟はなぜ紅い」にガス自殺の場面を書きたくて、取材を目的に大森の酒場「白夜」で会う。誘われてそのままタクシーで東郷の家に行き、一晩を過ごし、翌朝、布団を畳もうとして、そこにおびただしい血痕と血糊が固まったあとを見出す。部屋には若い女の肖像画や矢絣の着物、化粧道具があった。心中未遂事件を報じた新聞が山のように積み上げられていた。それらを見ても、怖いとも逃げ出そうとも思わず、そのまま居着いてしまった。
そんなこんなで始まった東郷との生活の中で、彼の経験を詳細に聞いたようです。「君は僕から、この作品の筋書きを聞くために、僕と一緒にゐたのだね。この作品は、終りの一行まで、僕が話したことばかりだ」という東郷の言葉を、千代が回想して書き残しています。(「それは刃物が導いた――『色ざんげ』追記」 新潮 昭和五五年九月号)
ちなみに、前述の引用部分に出てくる東郷の家にあった「化粧道具」をモチーフにした小説が短編集『幸福』(1972年)に収録されている『この白粉入れ』だったりします(過去記事)。以前、その家にいた女性の化粧道具をそのまま自分のもののように使うという描写が書かれていました。
宇野千代を語るうえで、東郷青児との関係は外せないと思うのですが、さすがに朝ドラでこのドロドロなエピソードは出せないでしょう。かなりオブラートに包んだ形でストーリーに盛り込むのでしょうか。とはいえ、触れたとしてもかなり限定的になるでしょう。宇野千代とその作品、清濁あわせた様々な面を知りたいあなたは、ぜひとも、「連続テレビ小説」だけでなく、文字の小説のほうも読んでみてください。










