BookBookerBookest

勝手に読書感想文。漫画も映画も含みます

タグ: 長篇

  • 読んでて騙され疲れました(又吉直樹『生きとるわ』)

    数ヶ月待って、やっと又吉直樹さんの『生きとるわ』を借りられました。人気作・話題作は次の予約が入っているから貸出期間を延長できません。なので、2週間のうちに必ず読む必要があります。締め切りがあるというのは、積読しがちな人にはちょうどいいかもしれません。

    そういう人気作が届いたタイミングで、別の人気作も予約の順番が回ってきたりして、こっちを先に読むべきか、それともこっちが先か、と複数の締め切りに追われることになります。借金で首が回らない人というのははこんな感じなのでしょうか。そんなわけないですね。

    借金といえば『生きとるわ』です。主人公の岡田は、高校時代からの友人である横井に500万円貸していて、それを踏み倒されそうになっています。たまたま横井を見かけ、それがきっかけで再び横井との接触が始まるのですが、借金を返してもらうどころか、次々とやっかいな話に巻き込まれ、みたいなところは帯にも書いてあるし、アマゾンの商品説明にも書いてあるので、読んでみてください。

    長いです。だから長篇っていうんですね。芥川賞受賞作とかって、せいぜい中篇の長さなので、無理やり一冊にしたような文の量の単行本もあって、それはそれで、行き帰りの通勤で読み終われたりするも好きなのですが、『生きとるわ』は400ページ以上あります。

    長篇を読み始める前は、飽きないかなーとか心配しながら最初のページをめくるのですが、心配無用でした。隙間時間に読書するので、ちょいちょい中断するんですね(新宿で乗り換えるときとかね)。でも、早く続きを読みたいって思って、ちょっと手が空くと読み始めてました。没入していると、待ち時間が気にならない。なんならもうちょっと読みたいから、ホームで待っている間にも、「もう来たのかよ山手線」みたいな。(山手線はすぐ来るだろ)

    長くても飽きさせない仕掛けがちゃんと入っていますね。いつの間にか、作中作に滑らかに入っていて、え? いつから? って感覚は初めて味わいました。ここは確実に「中」だなって描写はあるんですが、その前の段落はどっちだろう、みたいな。読んだ人はわかるが、読んでない人にはわからない話ですみません。

    ウソつきの登場人物(横井)がいたりすると、ちょっとしたトリックも入れられますしね。あれ? さっきの話と違うけど、私の読み間違いかな?って思って読み返すと、やっぱり辻褄が合わないぞってなって、あ、そうか、横井 ウソつきやった、って。

    主人公 兼 語り手の岡田が、横井に振り回されるという展開はご想像通りですが、状況はそんなに単純じゃないんですよね。語り手がすべてを語っているわけではないので、あとからちょっとした事実が出てきたりする。そうすると、なんか加害者・被害者のバランスが危うくなったりして。

    うまいんですよね、読者にほどよくミスリードさせる感じが。岡田は公認会計士をしていて(なんだか職業だけで信用しちゃいません?)、序盤に横井を含む友人たちとやりとりをしているときも、比較的客観的に物事を見ているよう感じで描かれています。まあでも、これって語り手が、自分が考えるところを話しているだけなので、別の人に語らせてみれば、どうなのかっていう、本当のところは分からない。

    語り手が隠していた事実が明らかになる場面といえば、岡田が奥さんに隠していた借金の額といきさつを説明する場面が秀逸でした。9ページくらい続きます。なぜ500万も横井に貸してしまっているのか、横井の見え透いた嘘に岡田がどう騙されてきたのか、その経緯を説明するのですが、岡田の判断力がかなり怪しいことが露呈します。理路整然といろいろと熟考しているような感じがあるが、ここぞというところで判断を誤る。そうであってほしい、というほうに賭けてしまう性分なのか、特に横井が絡むと話がおかしくなる。途中から奥さんは「めっちゃ阿呆やん」しか言わなくなって、数えたらトータルで10回くらい言ってました。

    全体的には横井はどちらかというと被害者です。でも、複数人が絡む詐欺って被害者がいつの間にか加害者側に回っているってことよくあるじゃないですか。横井に騙されて、岡田を騙すのに加担していた女が、横井に裏切られたあとに、岡田に対して、自分も被害者だみたいなそぶりをして、、それに岡田が「おまえもや」と心の中でつっこむ。でも、そのつっこんでる岡田も言えるような立場じゃなくなっている、みたいな。

    あまりに何度も横井に騙されるので「いやいや、さすがに気づくでしょ」という気になることもありましたが、ニュースでよく見る詐欺の手口の内容や、複数の芸能人が巻き込まれた投資トラブルの話(損害を取り戻してやるという第二の人物が現れ、追加投資してしまったみたいな)を聞くと、意外に岡田のような人間も多いのかも。見え透いたウソを信じてしまう人や、すぐばれるようなウソをつく人の心理を学べるような気がします。あなたは大丈夫?

  • 『ペンギン・ハイウェイ』のアオヤマ君に理想の人物像を見る

    森見登美彦さんのことを知ったのは『太陽の塔』で、長男が中学生か高校生の頃に宿題の読書感想文を書くとかなんとか、そんな理由で買った本が家にあったのがきっかけです。読んだような記憶があります、そして、おい、これで感想文書けるのか? とちょっと心配になった記憶もあるのですが、なんと、内容は全く覚えていません。なんだか、疾走している場面で遠くに太陽の塔が見えている、みたいなそんなイメージが思い浮かぶのですが、私の妄想かもしれません。

    そして、次に意識したのが『成瀬は都を駆け抜ける』で森見氏の名前が出てきたときで、この『成瀬』の単行本は次男が買ったものでした。受動的な読書姿勢。

    そして『ペンギン・ハイウェイ』は妻が図書館で借りて、次男にすすめていたので、私も読むことにしました。読むことにしたのですが、貸し出しの期限が来てしまったので返却し、再度借りようと川崎市の図書館システムで検索してみると、たくさんヒットしまして、まず単行本と文庫本版、そして角川つばさ文庫版。これは児童・生徒向けのいわゆるヤングアダルト層向けのやつで、振り仮名がたくさん振ってあって、挿絵が入っているやつですね。そして、英語版、韓国・朝鮮語版。『ペンギン・ハイウェイ』はいろんな言語に翻訳されているんですね。検索してみるとなんとイタリア語版もあるみたいで。韓国・朝鮮語版があるあたり、川崎っぽいですね。「音楽のまち・かわさき」(公式)、「映像のまち・かわさき」(公式)、「焼肉のまち・かわさき」(非公式)。

    角川つばさ文庫版に惹かれましたが、電車で読むときにちょっと恥ずかしいので普通の文庫版にしました。

    主人公はアオヤマ君という小学4年生の少年です。小説に限らず物語には「理想的な人物」というのが登場することがありますよね。アオヤマ君は私の考える「理想的な人物」ですね。単に優秀だからというわけではなく、優秀な自分を実現するためにかなり自覚的に努力しているところがかっこいい。

    書き出しで、かましてきます。

    ぼくはたいへん頭が良く、しかも努力をおこたらずに勉強するのである。

    だから、将来はきっとえらい人間になるだろう。

    こんな感じだと、さぞ、うぬぼれているのかと思いきや、そんな印象はありません。なぜだろう? 他者から矛盾点を指摘されたりすると、素直に認めたり、謝ったりする謙虚さはありますね。そして、極めつけは、やっぱり怒らないところだったりします。

    ウチダ君というおとなしい男の子と一緒にいるときに、いじめっ子のスズキ君グループにひどい目にあわされます。ウチダ君はその場から逃げ出すのですが、アオヤマ君は動けないようにしばりつけられたうえに、探検地図を奪われ、ノート(アオヤマ君はいろんなことをノートにメモしている)も、スズキ君たちにおしっこをかけられダメにされてしまいます。

    その翌日に学校でウチダ君が話しかけてきます。

    (略)彼は「アオヤマ君怒ってる?」とヘンなことを言うので、ぼくはたいへんおどろいてしまった。「なんで?」

    「日曜日、ぼくはアオヤマ君を見捨てて逃げたから」

    「怒ってない。ぼくは五歳になったときから、決して怒らないのだ」

    (略)

    「あれはかしこい判断だった。あのときウチダ君がもどってきても、二人いっしょにつかまるだけだった。だから君がつかまらなかっただけましだったとぼくは考える」

    怒らないことにしているというポリシーもすごいけど、見捨てられたという感情的な側面ではなく、被害を最小限にするための行動をとるべきだったという合理的な考え方。

    そして、このあとに名言が出ますよ。なぜ怒らないのか不思議がるウチダ君はアオヤマ君に訊きます、

    「アオヤマ君はスズキ君にも怒らないんだね」

    「怒りそうになったら、おっぱいのことを考えるといいよ。そうすると心がたいへん平和になるんだ」

    小四にして、なんという処世術。

    この何が起きても怒らない、というスタンスには神々しさすら感じます。湧き上がる怒りに対してどう接するべきかについては、仏陀がダンマパダ(『ブッダの真理のことば・感興のことば』)の中でも説いています。

    第17章 怒り

    (略)

    222 走る車をおさえるようにむらむらと起る怒りをおさえる人――かれをわれは〈御者〉とよぶ。他の人はただ手綱たづなを手にしているだけである。(〈御者〉とよぶにはふさわしくない。)

    223 怒らないことによって怒りにうち勝て。善いことによって悪いことにうち勝て。わかち合うことによって物惜しみにうち勝て。真実によって虚言の人にうち勝て。

    アオヤマ君は〈御者〉とよぶにふさわしい人格をそなえていて、すでに悟りに近いところにいるのかもしれません。別の意味でむらむらしそうですが、そこはおいておきましょう。このアオヤマ君の怒らない、真実を語る(極力そうしようとする)というスタンスが人物を魅力的にみせ、このアオヤマ君とお姉さん、アオヤマ君とウチダ君やいじめっ子スズキ君たちとの会話を興味深いものにしています。

    いくつかの「研究」を主導しているのはアオヤマ君で、ウチダ君は自身の「研究」についてはあまり話そうとしないのですが、アオヤマ君を信頼するにいたって、ウチダ君は「主観的観念論+パラレルワールド」のような斬新な自説を披露します。

    「ぼくが死んだあとの世界のこと。ぼくが死んで、そのあともみんなは生きていて、でも生きているみんなについてぼくはもう考えることもできないってこと。それはどういうことなんだろうって考えていた。ずっと考えてきて、ぼくは気づいたんだ。もしかすると、ぼくらはだれも死なないんじゃないかなって。」

    (略)

    「(略)ほかの人が死ぬとき、ぼくはまだ生きていて、死ぬということを外から見ている。でもぼくが死ぬときはそうじゃない。ぼくが死んだあとの世界はもう世界じゃない。世界はそこで終わる」

    でも、他の人にとっての世界はまだ存在しているよね、と訊くアオヤマ君にたいして、一つの「線」ともう一つの「線」という表現をつかって説明するウチダ君。しばらく不思議な議論が続きますが、メインのストーリーは、このウチダ君の研究とは特に関係なく続いていきます。ん? もしかしたら、関係があるのか? 私が気づかなかっただけ? 続編で伏線が回収されるとか。

    それはさておき(話を滑らかにつなごうという努力を怠るところが私の欠点です)、アオヤマ君の科学的思考は、お父さんの影響を受けていて、こんな「三つの役立つ考え方」を教えてもらったりしています。

    □ 問題を分けて小さくする。
    □ 問題を見る角度を変える。
    □ 似ている問題を探す。

    なんだか、ジョージ・ポリア先生が『いかにして問題をとくか』(過去記事:『いかにして問題をとくか』と『エレガントな問題解決』)の中で書いていた方法との関連性も感じます。

    このあたり、

    ◇ 条件の各部を分離せよ、それをかき表わすことができるか。
    ◇ 前にそれをみたことがないか、又は同じ問題を少しちがった形でみたことがあるか。
    ◇ 似た問題を知っているか。役に立つ定理を知っているか。

    うん、共通点ありますね。ね?

    『ペンギン・ハイウェイ』は4つの章に分かれていて、4つ目の「episode 4 ペンギン・ハイウェイ」の章では一気にクライマックスが訪れます。ここ、ちょっと私はしんどかったです。想像力が鈍っているのかもしれません。ペンギンはまあ思い浮かぶとして、「〈海〉」とか「ジャバウォック」とか、そもそも自分の頭の中で整理しきれていないものが、変形したり、湧き出たり、消えたりすると自分の想像力がついていけず、知恵熱が出そうでした。

    こういうのは映像で見られたらいいですよねー。アニメ化とかしたらいいんじゃないですか?

    ・・・ あー、すでにアニメ映画化されてました。しかもNetflixで見られるじゃないですか。私は吝嗇りんしょくなので、そう簡単にサブスクにお金払ったりするタイプじゃないのですが、息子が勤めている会社の福利厚生(?)なのか、リビングのテレビでNetflixが見られる状態になっているので、たまに見ています。今『地面師たち』を見ているので、見終わったら、映画『ペンギン・ハイウェイ』を見てみようと思います。そろそろ、人が死なないやつを見たかったんですよねー。

  • スカーレット・ヨハンソンは乗り物です

    ついに4作目(単行本だと4章にあたる)の『夏帆とモーターサイクルの男、そしてスカーレット・ヨハンソン』です。

    1作目は30枚(目測)、2作目は130枚、3作目は150枚、そして、この4作目はなんと250枚です。小説の長さを「枚」で表すやり方を最近知ったので、全然ピンと来ませんが、相対的に増えていっていることは実感できます。

    読み始める前にやることがあります。「スカーレット・ヨハンソン」とは何でしょうか? 調べておかないと、読んでいる途中でよく分からないものが出てきて、よく分からないまま進行することになってしまうかもしれません。それだけはさけたい。スカーレット・ヨハンソンが空から降ってきたり、スカーレット・ヨハンソンが忍び寄ってきたり、スカーレット・ヨハンソンがレコードプレイヤーから聞こえてきたりしたときに、イメージすることができません。

    普通に考えて人名でしょ、という方もいるかもしれません。しかし、ハーレー・ダビッドソンがオートバイなら、スカーレット・ヨハンソンがそうでないとも限りません。モーターサイクルの男がスカーレット・ヨハンソンに乗って現れるかもしれません。いや、もしかしたらお笑いコンビのグループ名かもしれません。最近の芸人は小洒落た名前をつけたりしますからね。ロングコートダディとか(とか?)。

    調べてみたところ、アメリカの女優さんでした。普通でした。スカーレット・ヨハンソンは夏帆の描く絵本(つまり作中作)の中に登場します。主人公は10歳の女の子のミソラ。そのミソラと森の小屋に住んでいる老人の会話です。

    「おじいさんはその猫のことを知っているのですか?」

    「知っている」

    「名前はあるのですか?」

    「ああ、スカーレット・ヨハンソンという」

    「あの女優の?」

    ミソラの台詞によって、スカーレット・ヨハンソンが女優の名前であることが分かるように配慮されています。でも、10歳の女の子がスカーレット・ヨハンソンを知っているでしょうか。まあ、夏帆が考えている絵本のストーリーですからね。夏帆は20代なので知っていても不思議ではないかもしれません。50代の私は知りませんでしたが。

    第4章は最終章ですから核心に触れるとネタバレになってしまいます。新潮社と法廷で会いたくはありませんので、核心には近づかず、周囲をグルグルと回ろうと思います。こんな暑い日に回りすぎると、最後はマーガリンになってしまうかもしれません。えぇ、そう、私は庶民派なんですよ。

    こんなシーンがありました。

    夏帆はその向かい側でコーヒーを飲み、トーストに満遍なくバターを塗った。

    やっぱりこういうときに「マーガリン」という食材は選択されません。スーパーの売り場を見てみてください。比率から言って、日本の家庭では圧倒的にマーガリンなはずです。なぜでしょう、マーガリンは文学においてなかなか市民権を得られないみたいです。トランス脂肪酸がいけないのでしょうか。しかし、最近は企業努力によって、かなり低減化された製品も出ていると聞いています。私は何の話をしているのでしょうか。

    お気づきでしょうが、作品について語ることを半ば放棄しております。しいて言うと、思っていたのとけっこう違いました。実は、村上春樹さんの作品は数作しか読んだことがなく、しかも、その数作が何だったかもちょっとあやふやで、物忘れ外来に行こうかと思っています。

    たしか、空から魚が降ってくる話だったような・・・。豚が降ってくる絵本は脳裏に焼きついているんですが。あと、色のない男性が体を鍛える話も読みました。あと、登場人物の煙草のポイ捨てに関す感想で、町議会議員が抗議してきたやつとか。イエスタデイの替え歌を登場人物が歌ったら、権利者がたかりにきたから連絡がきたものとか。村上さんは揉めそうになると、さっと引くところがいいですよね。相手にしない感じ。金持ち喧嘩せずです。

    では、恒例の「『やれやれ』を探せ」のコーナーです。

    意外な人が、組織の都合について語る場面です。誰であるかは、読んでのお楽しみ。ヒントは「上の方」です。ある意味、かなり上です。

    「できるだけ有益なアドバイスを、できるだけ曖昧な形でクライアントに与えることが、(略)それが上の方の――ずっと上の方の――基本的な方針なんだ。理解してもらいたい」

    やれやれと夏帆は思った。

    では、2つ目。

    大型モーターサイクルに乗った自称ジャック・ケルアック・・・・・・やれやれ、しかしどうしてそんなへんてこなものがわざわざ私の(略)

    また、知らない人の名前が出てきました。アメリカの俳優ではないかと踏みましたが、あえて検索しないのが、男の矜持です。

    そして、3つ目。

    「(略)と思うんだけど、同意してくれるかしら?」、やれやれ、そんなことが実際に口にできるものだろうか?

    「他にも見つけたよー!」というお子様は、コメント欄にでもお願いします。10ガバス差し上げます。

    ちなみに、記事につけたタイトルは若槻千夏さんの往年のブログのタイトルへのオマージュであります。若槻さんがブログを閉鎖する際に、マーボー豆腐が飲み物ではないことを認めたように、私もこのブログを閉鎖する際には、スカーレット・ヨハンソンが乗り物ではないことを認めるでしょう。

  • 『夏帆とシロアリの女王』と「足立ナンバーのロールスロイス」

    『夏帆』の三作目(=第3章)『夏帆とシロアリの女王』です。長さについては、『新潮』(2025年11月号)の表紙に「150枚」と書かれています。

    一作目が文芸誌のページでだいたい11ページ(30枚くらい?)で、二作目には「130枚」と書かれていたので、徐々に分量が増えていっていますね。

    書き出しから飛ばしてきます。

    母親の身体が何ものかに乗っ取られている、、、、、、、、ことに夏帆が気づいたのは、四月初めのことだった。

    さて、何に乗っ取られたのでしょうか。タイトルから分かりますね。

    二章で夏帆が遭遇するトラブル(?)は、なんとなく降って湧いたようなものというか、夏帆には直接は関係ないことに巻き込まれたという感じでした。でも、三章ではもっと夏帆の生い立ちだとか家族との関係だとか、夏帆自身の意識と深く関連して話が展開していきます。

    そして、モーターサイクルの男も直接は登場しないものの、その存在感はどんどん増してきます。姿が見えないほうが、さらに不気味な感じがしますね。

    ネタバレはそこそこにして、「些末なことを掘り下げよう」のコーナーです。アリだけにね。

    アリクイの奥さんの台詞、

    「夏帆さん、些末なことをいちいち申し上げるようで恐縮なのですが、生物学的に言えばシロアリはアリの一種ではありません。ゴキブリ目の昆虫です。(略)そしてシロアリの女王ときたら、とびっきり気味悪い見かけをした生き物なのです。醜いの極致と申しますか、見ているだけで吐き気がこみ上げてくるほどグロテスクなやつらです。(略)」

    勉強になりますね。「生物学的に言えば」アリクイが喋るというのはフィクションですが、上記のシロアリについてのくだりは事実でございます。私は、このことはちょっとしたきっかけで知っていたんですよね。

    ネイティブキャンプというオンライン英会話サービスでフィリピンのお姉さんと話しているときに、どういう経緯だったか “termite” という単語が出てきまして、私は何のことかわからなかったので、その場でWeb検索して、ほう、シロアリのことかと。そのお姉さんが「”cockroach” の一種だ」と言うんで、私がへーと驚いて、「日本での名前を直訳すると “white ant” になるよ」と私が言うと、お姉さんはへーと驚いていました。フィリピンの講師(自宅からつないでいる人)と早朝にビデオ通話をしていると、よく鶏の鳴き声が聞こえました。朝一の「コケコッコー」というやつです。いや、この文脈なら「クック ドゥードゥル ドゥー」の方がいいかもしれません。予約せずに、その時に空いているいろんな講師の人とビデオ通話をしたのですが、フィリピンでは鶏を飼っている率が異常に高かったことを記憶しています。「たぶんフィリピンではみんなが普通にやっていることなのだろう」。ハルキストならピンときてほしい。

    アリクイの奥さんが「醜いの極致」と形容した女王アリの姿は知らなかったので、Webで調べてみました。なるほど。醜いというより、バランスがすごいですね。幼虫みたいな芋虫みたいな部分が体のほとんどで、そこに頭がちょこんと付いているような感じ。

    写真を見ると、巣の中の職蟻(働きアリ)や兵蟻(兵隊アリ)も、アリみたいな頭に芋虫みたいな胴体がついていますね。まじまじと見てしまった。

    突然ですが、続いて「聖地を探せ」のコーナーです。前回の聖地は「文明の果つるところ武蔵境」でした。今回はどこでしょうか?

    どうやらいろんな地域に偏見を持っているらしい叔父さんが、夏帆に電話をかけてきたときの会話です。

    「このあいだうちの近くを歩いていたらさ、ぴかぴかのでかいロールスロイスが走っていたんだ。(略)」

    「へえ」

    「それでだな、おまけにそいつが足立ナンバーなんだ」

    (略)

    「で、それがどうしたの?」と夏帆は言った。

    「だってさ、夏帆、足立ナンバーのロールスロイスなんてさ、おまえ信じられるか?(略)」

    (略)

    「しかし、夏帆、もし仮にそんな金持ちがいたとしてもだな、そういう連中が足立ナンバーをつけたロールスロイスに乗ると思うか? そんなのただのお笑いになっちまうじゃないか」

    足立ナンバーのロールスロイスにあおられでもしたのでしょうか。いや、村上さんが言っているんじゃない、登場人物が言っているだけです。足立ロールスロイスの会の皆さん怒らないでください。もし、そんな団体があればですが。

    聖地巡礼の一つとして、東京都の東部近辺で(どこでもいいのだけど、武蔵境で探しても、走っていそうな気がしないので)「足立ナンバーのロールスロイスを探す」というのが追加されました。88台見つけられれば結願けちがんです。でも、そうとう難しそうですね。もし達成できたら・・・大笑いしてください。

  • 『武蔵境のありくい』とビーチ・ボーイズ

    村上春樹の『夏帆 The Tale of KAHO』が発売されるちょっと前に、自治体の図書館サイトで検索すると、文芸誌に掲載されていたときの号がヒットしました。

    『新潮』(2025年5月号)に掲載されていた最初のページには、

    |創作|

    武蔵境のありくい ――〈夏帆〉その2
    村上春樹

    と(縦書きで)書かれていましたので、単行本の2章にあたる部分でしょうか。

    朗読会で披露された1作目(1章)は、なんか嫌なやつの話でしたが、2作目はいきなりファンタジーチックにはじまります。いきなりありくい、、、、が出てきます

    単行本の表紙にありくいがあしらわれていたので、関係があるのだろうなとは思っていました。

    実は、1作目にもありくい(の話)はちょっとだけ出てきてて、

    「そして、その好奇心は満たされたか?」と男はコーヒーを一口飲んでから言った。間違いない。彼は夏帆の心の動きを残らず読み取っている。アリクイがその細長い舌の先で蟻の巣を舐め尽くすみたいに。

    たしか、そこだけでした。さすがにそこだけで、表紙にはしないだろうと思っていたら、2作目にはばっちり登場していました。助演女獣賞です。(主に出てくるのは奥さんありくい)

    しばらく読んでいて、夏帆が登場する以外は、1作目とのつながりもほとんどないし、これは長篇というよりは連作短篇では? と思いかけていたとき、

    (夏帆がありくいの奥さんに問いかける場面)

    「どんな音をご主人は耳にされたのですか?」

    「大きなエンジンの音です。どうん、どうん・・・というような野太い機械音。(略)」

    出た! あの男だ。ということで「長篇」でした。夏帆は、たまたま会うことになった怪しげな男に心を乱されかけましたが、無事克服できました、めでたし。ではなく、続いていたのですね。

    ネタバレするとよくないので、些末なことを膨らましていきたいと思います。そう、いつものように。

    村上春樹といえば、作中に登場する音楽が話題になることがよくありますよね。Tower Recordがこんなプロモーションをしていました。

    村上春樹最新作『夏帆 The Tale of KAHO』に登場するクラシック音楽

    でも、上記には載っていない曲がありました。なぜならクラシックではないからです。しかも、流れてもいませんが。

    しかし、それはそうと、このありくいの夫婦はビーチ・ボーイズの『グッド・バイブレーションズ』を聴いたことがあるのかしら?

    『グッド・バイブレーションズ』といえば、映画『バニラ・スカイ』での使われ方が好きでした。シーン的には、かなり苦境に立たされた場面でしたが、そんなタイミングでの『グッド・バイブレーションズ』です。違和感が効果的でした。

    ところで、『バニラ・スカイ』で私が好きなシーンは、トム・クルーズが振っているときに、いつの間にか入れ替わっていて、大いに戸惑いながらも、振り続けるところです。明確に書くと、グーグル検索に良からぬ影響を与えるかもしれないので、主語や目的語を欠いた不完全な文章でお送りいたしております。

    話を戻しますと、今回、タイトルにも入っているように「武蔵境」が大きくフィーチャーされております。さて、どんな風にとりあげられているのでしょうか?

    武蔵境に引っ越すことを、夏帆が叔父に告げるシーンです。

    「武蔵境?」と叔父は首を傾げ、あきれたように言った。

    「なんだってよりによって武蔵境なんかに越そうと思いついたんだ? おまえ、武蔵境がどういうところか知っているのか?」

    夏帆は首を振った。「何も知らない。まだ行ったこともない」

    「おれは学生のときに何度か武蔵境に行ったことがあるけどさ、あれはひでえところだぞ。まさに文明の果つるところだ」

    お、大丈夫でしょうか中頓別町のときのみたいなことにならないでしょうか。単行本では書き変えられてたりしないでしょうか。多摩境になってたりして。それでも大勢に影響はありませんが。

    と言うわけで、作品の本筋には触れないまま、駄文を弄し倒したまま、次の3作目に読み進んでいこうと思います。

  • 村上春樹の短篇小説『夏帆』を読む

    『夏帆』は長篇でしょ? ニュースでもそう言ってたよ。3年ぶりの長篇だって。と、つっこまれるのを期待した記事タイトルでした。

    『夏帆』の単行本の発売日の数日前、自治体の図書館サイトで、先行予約とかやっていないかな、などと淡い期待を抱きながら「夏帆␣村上春樹」で検索してみました。アマゾンじゃあるまいし、発売日前に貸出予約なんてことはできなかったのですが、ヒットする書籍があるじゃないですか。文芸誌というやつでした。

    その『新潮』(2024年6月号)を借りてみると、果たして『夏帆』が掲載されていました。特集記事の冒頭にこう書かれています。

    2024年3月1日、早稲田大学・大隈記念講堂で、世界が注目するふたりの日本人作家による朗読イベントが行われました。題して、〈『村上春樹×川上未映子 春のみみずく朗読会』――みみずくは春に本を読む〉。(略)

    本特集では、この日のために村上・川上両氏が書き下ろした新作短篇小説と、作品の朗読を間近で聴いた詩人 マーサ・ナカムラ氏によるレポートを掲載し、(略)

    「新作短篇小説」とあります。『夏帆』は最初、短篇として書かれたものだったんですね。朗読会が開催されたのは2024年3月1日とのことですので、2年以上前になります。2年以上前から『夏帆─The Tale of KAHO─』の断片(?)は発表されていたんですね。

    でも、内容は同じなんでしょうか? タイトルに共通部分はあるけど、全然違う内容という可能性もあります。『夏帆─The Tale of KAHO─』の第一章の冒頭部分が特設サイトで「試し読み」として公開されているので、新潮2024年6月号の掲載されていた『夏帆』と比較してみました。

    同じでした! いや、違うといえば、違うところもある。大筋では一致しているのですが、微妙に変更されています。

    例えば、新潮に掲載された短篇の書き出しは、

    「これまでいろんな女性とデートのようなことをしたが」とその男は言った。「正直いって、君みたいな醜い相手は初めてだ」

    ですが、『夏帆─The Tale of KAHO─』の書き出しは、

    「これまでいろんな女性とデートのようなことをしてきたが」とその男は言った。「正直いって、君みたいな醜い相手は初めてだよ

    間違い探しのような違いですが、この2年の間に直したのでしょうか。こんな違いもありました。

    新潮版、

    夏帆は受話器の前で一瞬間を置いた。電話番号の交換? それから言った。「いいえ、していない」

    単行本、

    夏帆は受話器を握ったまま一瞬間を置いた。電話番号の交換? それから言った。「いいえ、していない」

    微妙な違いですが、作家さんのこだわりなんでしょう。

    ちなみに、試し読みのほうは、「試し」だけあって、中途半端なところで終わっています。本屋に向かいたくなるような、うずうずさせるようなところで切れてます。

    新潮の掲載は短篇という体裁なので、最後はちゃんと「(了)」で終わっています。でも、朗読会で読んだ分量ですので、それほどのページ数はありません。「試し読み」のほうを3ページ半だとすると(ページの正式な数え方が分からないので相対値でイメージしてください)、新潮に掲載されていた「短篇」のほうは追加であと7ページくらいでしょうか。広告が入っているので数えにくい。さすがに、試し読みでは物足りなかったと思いますが、「短篇」の約1/3程度が試し読みできるようになっています。

    書き出し冒頭の侮辱発言、夏帆のリアクション、男の意図は? ぐっと掴んできますね。ちょっとした社会風刺も含まれてて、ルッキズムの対象(≒被害者)自身が、それを助長しているんじゃないか、みたいな。

    夏帆は、性格なのか、容姿や生い立ちのせいなのか、完全にルッキズムの毒からはフリーな状態でした。なのに、男の一言でそれが揺らぎかけます。男から受けた毒から回復する物語としてみると、ゼロがマイナスになって、またゼロに戻ったみたいなことになりますが、この経験によって成長して本当のルッキズムフリーを手に入れた(つまりプラス)というようにも読めます。

    これを読んで思い出したエピソード。私は背がどちらかというと低いほうです。めちゃめちゃ低いというわけではないですが、まあ低いです。私がこのことに気づいたのは、なんと大学生になってからでした。学生友達の一人が冗談っぽく「チビのくせによく食べる」みたいなことを言ったんです。私は、(ん? チビ? え、そうだっけ?)という心境。それ以来、意識してまわりの人と見比べるようになり、確かにその友人の言う通りであることを確認しました。

    他人が二人並んでいれば背の違いは一目瞭然ですが、自分と他人の背を比べるのはけっこう難しいです。自分が他者と写っている写真を見たり、ショーウィンドウに映った姿を見れば比べられますが、そもそも気にしてもいないので、注意して見ることもありません。そう、私は18年間自分の背について何も考えずにいられたのです。夏帆みたいでしょ。

    掲載された短篇の範囲を読む限り、夏帆がいわゆる美人なのか、そうでないのかは判然としません。どちらでも成立します。醜いからこう言われたのか、美しいのにこう言われたのか、その部分はこの物語では重要ではないのかもしれません。

    映画など映像化してしまうと、どうしても俳優の美醜の要素が入ってきてしまいます(もちろんそれも主観にすぎないのですが)。小説は、不要な要素に触れないでおける稀有な表現媒体だなと再確認したのでした。

  • 川崎市立図書館での『夏帆 The Tale of KAHO』の競争率

    村上春樹氏の『夏帆 The Tale of KAHO』が今日(2026年7月3日)発売されました。3年ぶりの新作だそうで。図書館ユーザーならご存じかと思いますが、人気作家の新刊など、そう簡単には借りられません。気づいたころには予約が数百件とか、数千件とか。

    今回事前に察知した私は、図書館のサイトで数日前から検索してみていたのですが、ヒットしません。まあ、そうでしょうね。

    いつ登録され、貸出や予約が可能になるのかはよく分からないのですが、発売日の当日というのが一番ありそうです。

    本日(発売日7月3日)いつものように午前4時過ぎに起き、検索してみましたが、依然として所蔵なしです。

    午前10時頃、仕事の合間にふと思い出し、検索してみると、なんとヒットするじゃないですか。大急ぎで(誇張)予約してみましたが、数時間のうちにすでに42件も予約が入っていました。早いなー。データベースが更新されるのを待ち構えて予約を入れた方々でしょうか。

    年を取ると、また桜の季節か、みたいな感じですぐに一年とか経つので、待つのはぜんぜん平気だったりするんですが、まだ若くて待ちきれないという人は、 村上春樹『夏帆─The Tale of KAHO─』特設サイト | 新潮社 で、「第一章 冒頭 試し読み」ができますよ。

    私も今日のところは「試し読み」を読んで寝ます。4時に起きなきゃいけないので。


    2026年7月5日追記
    第一章に相当する部分だけですが、2年以上前に文芸誌に掲載されており、それを読むことができました。
    村上春樹の短篇小説『夏帆』を読む


  • フウイヌム国渡航記とガリヴァーのその後

    いよいよ、ガリヴァー旅行記 最後の第四篇『フウイヌム国渡航記』です。理知的な馬であるフウイヌムと野蛮な人間であるヤフーの国です。フウイヌムが支配していて、ヤフーは家畜です。しかも、下品で粗野でずるいダメダメな家畜扱いです。

    ところで、ヤフーといえば、ヤホーですよね。お察しの通り、語源の一つらしいです。

    Yahoo – Wikipedia

    また、ファイロとヤンは自分たちのことを「ならずもの」だと考えているので、「粗野な人」という意味がある「Yahoo」(『ガリヴァー旅行記』に登場する野獣の名前が由来)という言葉を選んだと主張している。

    そういえば、放送大学のラジオで「ヨーロッパ文学の読み方―近代篇(’19)」というのをやっていて、その第三回がガリヴァー旅行記でした。

    第3回 イギリス(2)

    スウィフト『ガリヴァー旅行記』を読む。

    【キーワード】
    風刺文学、空想旅行記、異文化接触

    執筆担当講師名:大橋 洋一(東京大学名誉教授)
    放送担当講師名:大橋 洋一(東京大学名誉教授)

    この講義の中で、この回の担当講師である大橋先生が以下のような話を紹介していました。

    ガリヴァー旅行記の翻訳者でもあった中野好夫は、その訳書のあとがきで「ほとんど我々の顔に腐った臓腑を投げつけられる思いのするのは、第三篇ことに第四篇である」と述べ、「訳者としての希望を率直に言うならば、たとえ第一篇、第二篇は読まなくとも、後半の第三篇、第四篇だけはぜひ読んでもらいたいのである」と述べています。

    中野好夫氏といえば、「吾輩」訳ですね。講義の中での朗読も、一人称が「吾輩」だったので、中野氏の訳を使っていたのでしょう。なんだか、10万63歳の彼を思い浮かべてしまいます。

    私の印象では、4つの篇の中で一番、ガリヴァーがどうかしちゃうのが、このフウイヌム国渡航記という感じでしたね。

    他の国に行ったときも、自分たちの世界(ヨーロッパや英国)について、批判的になったり、あるいは弁護的になったり、というのがありました。フウイヌム国でも最初はそんなトーンだったのですが、だんだんとあっち側のスタンスになっていきまして、帰る気なんかなくなって、すっかり住み着くつもりだったのですが、そうはいかなくなります。

    以下は、章の最初に記されている、その章の概要からの引用です。

    著者、主人より、この国から退去するよう警告を受ける。著者、悲しみのあまり失神するが、結局退去を承諾する。

    主人というのは馬です。この主人との対話を通じて、だんだん人間嫌いになっていて、ヨーロッパの人間たちも目の前にいる野蛮なヤフーと変わらない、自分はヤフーだ、他の人間もヤフーだ、そんなところには帰りたくない、という考えを持ち始めます。そんな中、主人からこんな話を聞かされます。

    それによると、最近開かれた大会議の席上、ヤフー問題が取り上げられ、いろんな代表者が、要するに野蛮な動物にすぎないのにまるでフウイヌム同様に一匹のヤフー(つまり私のことだ)を家人として養っているのは怪しからん、といって主人を非難したというのである。

    追放されたガリヴァーは丸木船でフウイヌムの国を去りますが、イギリスに帰る気はなく、無人島で一生を過ごそうとしているところをポルトガル船に発見され、なかば無理やりヨーロッパに連れ戻されることになります。

    親切な船長にも失礼な態度をとり、家族と再会したときも、

    だが、家の者たちを見た時、私の心中に忽ち憎悪と嫌悪と軽侮の念だけがこみ上げきたことを、ここに率直に告白しておかなければならない。
    (略)
    のみならず、自分がヤフー族の一匹の雌と交わってそいつに数匹の子を生ませたことを考え、私はただもう堪え難い恥辱と当惑と恐怖に襲われどおしであった。

    後半の部分は、奥さんと子供のことを言っているんですね。ひどい言いようです。そして、お金ができると、2頭の馬を厩舎で飼い、

    私の可愛い馬たちは、こちらの言うことがかなり分かるので、毎日少なくとも四時間は、話し合うことにしている。

    人間を嫌悪することになった理由はそれなりにあり、思考のプロセスなども書かれているので、気持ちも分からなくもないのですが、イギリスで普通に暮らして待っていた家族からしてみたら、帰ってきたら人間を極度に嫌悪するようになっていて、毎日を馬に話しかけて過ごすようになって、もう完全に狂人です。

    各国への渡航のラストをかざり、ガリヴァーの精神状態にとどめをさすのは、やっぱりこのフウイヌム国がふさわしかったのでしょう。巻末の解説によると、執筆されたのは1720年から1725年頃。発表と同時に大きな好評を博したが、その後、スウィフトはいろんな論文や詩を書いて、やがて狂人となって死んでいった、とのこと。

  • 『幸せな家族 そしてその頃はやった唄』の単行本(偕成社)

    私の感想文ルール: 一つ、装丁について書いてもよい

    『幸せな家族』については、BSテレ東の『あの本、読みました?』で知りました。そして、その本、読みました。(実在する『その頃はやった唄』

    『あの本、読みました?』では、以下のように紹介されていて(番組サイトへのリンク)、

    ▼36年前に出版された『幸せな家族 そしてその頃はやった唄』も復刊後、再ブレイク! その意外な理由とは?

    私は、その復刊した文庫版を読んだんですね。文庫版はすっかり大人な感じの、電車で読んでも恥ずかしくないデザインの表紙になっていました。ターゲット層は今の若者ではなく、元ジュブナイルなんだと思います。その頃、読んで戦慄を受けた世代が、懐かしんで読むことを想定した装丁になっているんでしょう。

    元ジュブが現ジュブだった頃に、どんな感じの表紙で、裏表紙のあらすじやあおり、、、文には何が書かれていたのかが気になります。アマゾンでは単行本はヒットしません。これが絶版ってやつなんですね。

    でも、自治体の図書館で探したらありました。絶版本は図書館に限りますな。

    表紙はこんな感じ。

    厚みはこんな感じ。

    主人公(語り手)の省一と、物語で特に重要な役割を果たすお姉さんの一美でしょうか。お兄さんの行一ってことはないですよね。そういえば、みんな「一」がつきますね。お父さんの勇一郎からとったのでしょうか。まあ、みんな死んじゃうんですけど。

    表紙は特に子供向けという感じはしないですね。ただ、表紙の裏には

    本格派ほんかくは長編ちょうへんミステリー、ついに登場とうじょう

    と、ルビ付きで書かれているあたりが、ジュブチックです。

    あと、挿絵は文庫版と同じです。挿絵っていいですね。好きです。変に大人ぶらないで、挿絵ばんばん入れてほしいです。

    意外だったのは、楽譜も載ってた点でした。『百年の孤独』の家系図みたいに文庫化にあたって足したものだと思ってました。青少年たちはリコーダーで吹いたりしたのかもしれません。

    偕成社かいせいしゃは主に児童書を出版している会社で、『幸せな家族』も「K.ノベルズ」というシリーズの1つのようです。巻末にK.ノベルズの広告ページがあり、そのキャッチコピーがいかしてました。

    「マンガが一番おもしろい」と言っている吉田君に読ませたい

    誰でしょうか? 吉田といえば、茂か拓郎か照美か牛の吉田君などが思い浮かびますが、どれでもなさそうです。

  • 塩田武士著『踊りつかれて』の感想文

    社会性のある小説とエンタメ小説が両立するんだなあという印象です。『踊りつかれて』(塩田武士 著)の内容を全く知らない状態で、この記事を読むことになる人は皆無だろうと思い、アマゾンの商品紹介に書いてあるような内容は省略します。これ読むだけで、ぐっと引き付けられます。

    「宣戦布告」によって個人情報を晒された「被害者(兼加害者)」、彼らの個人情報を晒した「被告人(兼被害者)」がどうなっていくのか、何が正しいことなのか、ということは、まず最初に興味が湧くところで、私がこの本を読みたいと思ったのも、そこがきっかけです。予約待ちが長かったために(『踊りつかれて』の前に『罪の声』)、期待はかなり高まっておりました。

    平穏な暮らしをしていた「一般人」が、過去の軽はずみな言動によって、加害者から被害者に立場が逆転する。自分が安全圏からやらかしていたことの重大さを思い知らされ、そして新たな生贄である彼らを攻撃する、さらなる加害者の登場。

    ネットによる情報の発信、受信、便乗がどんな結果をもたらすか。SNSを使い始める前の教科書にしてもいいくらい。読んでて重たい気分になるのは、小説の中の出来事が全くの空想から生まれたものではなく、現実で起きてもおかしくないこと、すでに起きていることなのではないか、そのような現状に対する著者のメッセージがひしひしと伝わってくるからです。

    巻末に列挙されている参考文献を見れば、この小説がノンフィクションをベースにしたフィクションであることが分かるでしょう。

    小説内では違う名前になっていますが、「ザ・ベストテン」「夜のヒットスタジオ」世代の人にとっては、そうそう、こんな感じだったとか、そんな裏側があったのか、などとちょっと違った楽しみ方もできます。もちろん、フィクションとノンフィクションの境目は意識しなきゃいけませんが。

    あと、『FOCUS』『FRIDAY』『FLASH』など写真週刊誌の全盛期の時代感覚とか。今の常識では信じられないようなことがまかり通っていました。当時のことを知らない人は 写真週刊誌 – Wikipedia を読んでみてください。自殺したタレントの遺体の写真を載せた出版社もありました。感覚がおかしくなっていたんでしょうか。さすがに、それはナシだろうって世の中の流れもあったけど、出版社が過当競争で舞い上がってしまうほど、写真週刊誌は売れていたし、当初は読者も「一般人」の権利だと考え、それを楽しんでいたんですよね。

    ネットが出てきて人が邪悪になったんじゃなくて、昔からだったんですよ。大っぴらにならなかっただけで。ネットによって、いろんな面が見えやすくなった。あと、簡単に引き金を引けるようになってしまった。こんなにも簡単に人を罵ることができるようになるとは。でも、そのような現状を憂う「正しい人」のような顔もできなくなってしまいます。この本を読めば。

    小説中で、被告人は告訴人(捏造情報をばらまいていた人)を強く断罪するわけではなく、何があったのかを感情を抑えて丁寧に伝えようとします。インターネットを介した情報被害について、どのような手段があるか問われたときのやりとりですが、自戒の意味を込めて、そこを引用して終わります。

    情報の正確性、表現が過剰でないかなどを意識してブレーキを踏んでほしいという内容を伝えたあとに、こう語ります。

    「既に炎上している事柄に便乗しそうになったときにも、ブレーキは必要です。『憂晴うさばらしに人を利用していないか』『追い込まれる実在の人間を想像できているか』と自問してほしい」