2026年上半期の芥川賞ノミネート作、鈴木涼美さんの『悪い血』を読みました。5作品ノミネートされていたうちの、5つ目に読みました。順番は図書館の貸し出し状況次第です。
『悪い血』は主人公の女性が病院で検査のための採血をされているシーンから始まります。何か問題があったというわけではなく、妊婦さんが全員受ける検査の一つのようです。幸せいっぱい、な感じは全くなく、ちょっとけだるいトーンです。
描写が判然としません。一人で病院に行っているのかと思ったら、突然、右手を握る「彼の握力」が出てきます。が、それ以上は触れず、移動や風景や記憶の描写が続きます。そして、しばらくして、「彼の左手の指に繋がれたままだったので」なんて出てくるけど、また風景や心情の描写、その後やっと、会話が出てきて、ああ、ずっと二人だったんかい、となる。
作文だったら添削したいところです。「そこに誰がいるかちゃんと説明してから話を続けないと分かりにくいでしょ」と。読み進めると、この分かりにくさが意図的なものであることがだんだんわかってきます。主人公の女性は大げさに言うと、ちょっとした心神耗弱状態なのでしょう。思考が渋滞しているせいで、目の前の男性(赤ちゃんの父親)のことが眼中にない感じです。病院の帰りに外食するシーンでは会話が交わされ、一見したところ正常な状態になったように思えるのですが、夜中になって、ある考えに取りつかれて病院に向かいます。その考えがタイトルにもなっている「悪い血」というわけです。
どこにいるのか、何が起きているかがつかみにくいです。風景の描写がいつのまに回想になっていたりします。その、混乱した文章の展開が、自分はなぜここにいるんだ、なんでこんなことをしているんだ、という感じを読者に印象づけます。なので、よく分からなくなっても読み進めましょう。
えぐいシーンがけっこう出てきます。「面白かったから、読んでみたら?」と子供には勧めにくいです。体感的にはR18指定です。小説にそういうのってないのでしょうか。ビニールで包んだりとか。
夜のお店でのサービスの描写、行為の描写、あげくは、テレビやラジオでは言ってはいけないとされている、「そのままの呼称」とか。攻めてます。こんな攻めた小説が芥川賞をとったりするのでしょうか。審査員は攻めるのでしょうか。Audibleで朗読されたりするのでしょうか。朗読する声優さんや俳優さんの事務所からNGが出そうです。「ピー」を入れるわけにもいきません。
この夜の描写のリアリティはどこからくるのかと思ったら、鈴木涼美さんの経歴を見て納得しました。本人の体験とは限らないでしょうけど、そういう界隈に近づいことがあるかどうか、常連なのか一見さん(取材という手もあるし)なのかは、聞いた話や想像した話であったとしても、その臨場感に差を生み出すものなのでしょう。
芥川賞の候補作は重たい作品が多いですが、この作品に感じたのはルポルタージュのような重たさでした。本当にそんな風に考えて、どんどんおかしな方向に行ってしまう人がいるような、実在するんじゃないかと思ってしまうようなそんな感じ。私は男なので主人公側の視点は持ちにくいのですが、女性であるがゆえに、何もかもを手に入れられるかもしれない錯覚と、何もかもを失ってしまうかもしれない錯覚が同居する感覚、その感覚を生み出すのに、必ず絡んでくるのが男であるという実情はひしひしと感じます。
この『悪い血』はいわゆる私小説ではないのですが(現代で私小説を書いている作家はいるのだろうか?)、作家の生い立ちや体験が随所に現れている気がします。小学生のときに海外生活を送っていること、中高生のときにコギャル(死後?)だったこと、形態は微妙に違えど夜の仕事についていたこと、最近出産を経験していることなど。理系と文系で異なりますが、お父さんが学者肌だったあたりも。
もちろん相違点も多いです。鈴木さんのお父さんは存命ですし、主人公は高校中退ですが、鈴木さんは修士課程を修了しています。海外滞在していたのはアメリカではなくイギリスだし。あと、赤ちゃんはすくすくと元気に育っています。(お子さんとの微笑ましいエピソードを書いた鈴木さんのエッセイが、同じ『文學界』2026年6月号に掲載されていて、『悪い血』とのコントラストが面白い)
小説というフィクションでありながら、作者の体験や思想も色濃く反映されてくるあたり、円城塔さんが言っていた「私小説じゃない小説はありえるのか」という問いを思い出します。
又吉さんの『火花』も、『東京百景』と見比べるとよくわかるけど、笑いに対するこだわりみたいなのが散りばめられている感じだったし。先輩との会話でボケることが普通になってくると、ボケないことが、逆にボケになる、みたいなこじらせ気味のシーンがありました。
今回ノミネートの『丹心(まごころ)』の中国経済ハードボイルド感には、仁科斂さんの「東京都生まれ、香港、上海、ロンドン育ち」という経験が明らかに反映されているでしょうし、きっと、『ゾンビ回収婦』の小砂川チトさんは、尿意をがまんしながら、VRゲームにはまった経験があるにちがいない。「すわバグかと思われるほどの長い長い放尿」というのはなかなかのフレーズです。
私小説といえば、最近読んだ中では、宇野千代の作品が衝撃的でした。30年を経て書かれた別の作品に、ほとんど同じプロット(40歳の宇野千代と71歳の宇野千代の私小説)。これは実体験をほぼそのままベースにしているということなのでしょう。でなければ、ものすごいマンネリです。
『悪い血』に話を戻しますと、私が好きだったのは、回想に出てくるお父さんの台詞。お父さんの死後の出来事である、主人公の知り合いの死に言及している時点で、主人公の妄想である可能性が高いです。でも、自分を勇気づけた他者の言葉みたいなものが、実は自分が作り出したものである(他者発であるけれども曲解しているとか)、なんてことはけっこうあるんではないかと、そしてそれでもいいんではないか、という気もしたのです。


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