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勝手に読書感想文。漫画も映画も含みます

投稿者: 管理人

  • (ノーベル賞を受賞するかもしれない)森和俊先生が書いた分子生物学の入門書

    「三大賞レース」といえば、M-1グランプリ、芥川賞、ノーベル賞ですよね。(個人の感想です)

    もうすぐノーベル賞発表の時期(10月)ということで、ブルーバックス(一般読者向けの科学系の新書シリーズ)に入っている森和俊先生が書かれた『細胞の中の分子生物学 最新・生命科学入門』を読んでみました。

    森先生といえば、小胞体ストレス応答研究の第一人者で、ノーベル賞の前哨戦なんて言われることもあるアメリカのラスカー賞をすでに受賞しています。次のノーベル生理学・医学賞をとるかもしれません。オッズでいうとかなり低い(=可能性が高い)はずです。でも、賭けたりしちゃダメですよ。ギャンブラーのDNAが黙っちゃいない、生物学だけにね。とか、言ってもダメです。

    本書の「はじめに」にこんなことが書かれてました。

    高校1年で生物Ⅰを学びました。(略)生物は生物ごとに違う仕組みを使っているように思えました。

    (略)こんな暗記科目は無理だと思い、生物Ⅱは履修しませんでした。

    生物学者が高校で生物を履修していなかった、なんてことがあるんですね。そして、大学1年のときに、

    興味を持っていろいろと本を読んでいるうちに、まず遺伝物質はDNAであり、DNAにタンパク質の情報が暗号化されて書き込まれていることを知りました。(略)

    さらに、この遺伝暗号が大腸菌からヒトまで共通だと知り、暗記科目だと思っていた生物にも、とてもシンプルな根本原理が存在することに本当に驚きました。

    このエピソードには講演(YouTubeで見ました)でも触れられていました。この内容って、今の高校のカリキュラムでいうと、生物基礎でも扱う内容ではあるのですが、高校生の皆さん、ふーんくらいでスルーしていないでしょうか。ものすごい事実ですよ。地球上の生物すべてが遺伝情報の記録に同じ言語を使っている(方言程度の差異はあるけど)ようなものですよ。みんな、根っこのところでは一緒なんです。『手のひらを太陽に』みたいですね。

    森先生の研究分野は「小胞体ストレス応答」です。高校38年生(=卒業してから35年たっているの意)の私は、小胞体が何かも忘れました。よく考えたら、私は理科Ⅰでちょっとやっただけで、生物は履修していないので、そもそも習っていない気もします。

    よく知らない「小胞体」なるワードに「ストレス」が付いて、さらに「応答」が付いています。知らない言葉に、さらに言葉を2つも足されてしまうと、私にとってはかなりのストレスです。「小胞体ストレス応答ストレス」です。

    でも大丈夫、本書ではいきなり森先生の専門分野に入るわけでなく(本のタイトルも全般を指すような「分子生物学」となってますし)、まずは遺伝子がどういうものかという話、遺伝子の暗号をもとにタンパク質が作られる話、細胞と細胞小器官の話、タンパク質の働きの話などを経て、やっと第6章で小胞体ストレス応答の発見の話につながります。ちゃんと前提部分が解説されていますので、安心してください、書いてますよ。

    生命の基本は各タンパク質の活動で、細胞の中にある「小胞体」は様々なタンパク質の製造ラインの一部。でも、不良品のタンパク質ができて、たまってくることがある、それが小胞体がストレスを受けている状態。そのストレス状態を改善するための反応が「小胞体ストレス応答」です。たぶん合っていると思いますが、信用できないあなたは本書を読んでください。

    第一線の研究者が、こんな入門者向けの本を書いたりするんだーと、意外に思ったのですが、「おわりに」を読んでしっくりきました。大学で全学共通科目(文系の人や高校で生物を履修していない人も受講する)の講義を担当されていたことがあり、その講義内容をベースにしているそうです。

    なるほど、再利用ですね。不要になったタンパク質をいったんアミノ酸に分解して、そしてそれを材料に必要なタンパク質を作って活用するみたいなことでしょうか。さっそく、学びたての知識を使ってみました。

    ちなみに、小胞体ストレス応答研究の分野には強力なライバルのピーター・ウォルター氏がいて、彼との熾烈な争いについても書かれています。重要な発見に関して、ウォルター氏に論文発表で先を越されてしまいます。

    目の前が真っ暗になり、奈落の底に突き落とされそうになりました。科学の世界では、最初に発見した者だけが栄誉に浴します。2番手は評価されないのです。

    ですってよ、蓮舫さん。

    先行したウォルター氏でしたが、同じ現象の解釈に森先生とは異なる点がありました。はたして、正しいのはどちらなのか。森先生は自説の正しさを示せるのか。

    ノーベル賞を受賞した暁にはドラマ化するように伝えておきます。朝ドラがいいかな。いや、日曜劇場のほうがよさそうですね。

  • 『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』そして「なぜ帯に著者の顔写真を使うのか」

    なぜ「働いていると本が読めなくなる」という前提なのか?

    ・・・というのがちょっと気になりました。私の場合、人生の時期において増減はありましたが、フルタイムで働きながら、少なくとも週に1冊くらいは読んでいるんですけど。

    著者の論点を見てみると、読書に限定したものではなく、音楽とか観劇とか旅行とかそういう趣味の時間が、働きだすと取れなくなりませんか、いうものでした。わからなくもないですね。仕事に全力投球(死語?)しすぎて、他のことをなにもやらなく(できなく)なってしまう人、いそうですね。ワーカホリック系の人は特に。きっと著者の三宅さんもそのタイプに違いない。

    でも、「スマホゲームはやるけど本は読めない」みたいな事例だと、知らんがな、という気もします。そんなもんに時間使ってたら、本読む暇なんかあるかいな。

    新書によくあるように、あるいはWeb連載をまとめたものという性質のせいか、話題はあちこちに飛びまくります。「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」という論点について、理路整然と語っていくタイプの本ではありません。でもまあ、読書習慣の今昔や労働と読書に関することを知ることができて、それはそれで悪くないです。

    読書でも、文芸書など楽しむために読むのと、仕事に活かそうと自己啓発系の本を読むのとではだいぶ違いますよね。本書では前者のような趣味の読書と、後者のように知りたい情報のみを得る行為との違いを強調していました。

    後者には「ノイズ」が含まれており、前者からはそれが取り除かれている。現代人はノイズのないものを欲する、みたいな。必要なもの、すぐに役に立ちそうなものだけほしがる、そんなマインドになってしまうんでしょうか。

    そういう点でいうと、本書はノイズだらけでした。読書と階級(ハビトゥスとか、あれね)とか、明治・大正・昭和の読書とか、「円本」とか、出版バブルとか、「やりたいことを仕事にする」ムーブメント(?)とか。

    そして、なかなか「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」の答えは出てこない。いや、出てきているのか? 気づけよ、ということなのか。結局は働き方や、仕事(家事なども含めて)に対する考え方みたいな話なので、今のような(全部そこで消耗してしまうような)働き方をしながら、本が読めるようになるハウツーが書いてあるわけではないです。(あ、でも「あとがき」がそれっぽいかも)

    でも、こういうタイトル(『なぜ○○なのか』)って、数ある書籍の中でどうやって目立つかとか、読者(予備軍)の気を引くかとかですもんね。目くじら立てるようなことじゃない。20年以上前に『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』って本も出てたし。

    では、アウトロのノイズを一つ。

    つい先日、「西の渋谷」こと町田で、3,40分の待ち時間があったので、本屋の中をくまなく徘徊していました。ちょうどこの本を読んだ直後だったこともあって、平積みになっている三宅香帆さんの本を眺めていました。何タイトルか並べてあって、帯に顔写真が載っているやつが多いんですね。で、まわりを見ると、他の著者の本で写真が載っているものって少ないんですよ。

    やっぱり三宅さんは若い女性だし、映えるから帯に使うんだろうなーなんて、思っていました。そしたらすぐ横に『80代になるとたいていボケるか死ぬ。70代は神様から与えられた特別な時間』というタイトルの林真理子さんの著書が並べてあって、なんとこの本の帯には林真理子さんの写真が載っていました。なので、前言は撤回します。
    (ちなみ冒頭のアイキャッチ画像は書店で撮影したわけではなく、AIが生成したものです)

    ぱらぱらとめくってみると、「整形している人は、ばれていないつもりかもしれないけど、見ればすぐにわかる」みたいなことが書いてあって、「神様から与えられた特別な時間」で何書いとんねん、と思いました。おわり。

  • 50代のおじさんの『私たちはたしかに光ってたんだ』の読み方

    Xでピストジャムさんが推しているのを見て、読んでみました『私たちはたしかに光ってたんだ』(金子玲介 著)。

    苦手なんです。

    何が? というと、登場人物がいっぺんに初登場する場面です。序盤にバンドメンバーの顔合わせのシーンがあります。そこで「さなぎいぬ」というバンド名が決まります。顔合わせなのでいきなり4人が登場し、そして会話します(そりゃするだろう)。そして、よりによって、全員女子で、全員同世代です。女子高校の軽音楽部なのでしょうがないのですが。

    これが、小学生の男の子、女子高生、ハゲのおじさん、おばあちゃんの四人組だったら、キャラを混同せずに会話を楽しめるのですが、キャラがまだ明確にイメージできていない段階での、女子高生の4人の会話を追うのはつらいです。3人目の名前を聞くと、1人目の名前を忘れるのが50代です。

    いっぺんに出てくるのがよくないのなら、桃太郎みたいに1人ずつバンドメンバーを増やしていけばいいのでしょうか。でも、そんなRPGみたいなバンドも変です。ちなみに、『桃太郎電鉄』は、『桃太郎伝説』というRPGからのスピンオフであるということを知っておくと、何かの役に立つかもしれません。でも、たぶん立ちません。

    おっと脱線はこれくらいにしておきましょう。電鉄で脱線なんて縁起でもないので。

    でも、この『わたひか』には、こんな便利なページがあります。単行本では8ページです。現時点では単行本しか出てませんが、文庫化を見越して、「単行本では」とことわってみました。

    メンバー

     柏葵(かしわ あおい)(ボーカル)

     三浦朝顔(みうら あさがお)(ギター・コーラス)

     広瀬緋由(ひろせ ひゆ)(ドラムス)

     小柴夢乃(こしば ゆめの)(ベース)

    旧メンバー

     室瑞葉(むろ みずは)(ベース)

    いいですね。さっき混乱しかけたのは、主人公の瑞葉と、ボーカル、ギター、ドラムの3人が、顔合わせをするシーンでしたので、このページを見ながら、なんとかキャラを叩き込んでいきましょう。

    このページは、26歳の瑞葉のシーンの流れで本文に登場します。『百年の孤独』の文庫版の家系図みたいな「付録」ではありません。「アウレリャノ(17名)」ってのは、笑かしにきてますよね。ガルシア=マルケスも新潮社も。

    自然にメンバー一覧のページを入れてあるのがいいですね。これって、記憶力が衰え始めている中高年向けのサービスなんじゃないかと思っています。

    コンサルをやっている知人が、箇条書きより表の方がいいって言っていたので、ちょっと情報(顔合わせの自己紹介より)を追加して表にしてみました。

    パート啓栄女子への入学音楽経験好きな音楽プレゼント
    かしわ あおいボーカル高等部から子役でミュージカルなどBUMP OF CHICKEN、RADWIMPS、ASIAN KUNG-FU GENERATION手ぬぐい
    三浦みうら 朝顔あさがおギター・コーラス高等部からヴァイオリン、エレクトーン、ギター(二か月)ショパン、ビートルズ、民謡流動食
    広瀬ひろせ 緋由ひゆドラムス中等部からなしORANGE RANGE、スキマスイッチ、ジャズアイス
    小柴こしば 夢乃ゆめのベース(途中参加メンバー)啓栄大学からベースおたく
    むろ 瑞葉みずはベース(旧メンバー)高等部からなしRIP SLYME、ポルノグラフィティ、チャットモンチープリクラ

    「プレゼント」が何を意味しているのかは読んでからのお楽しみ。これでだいぶキャラが明確になったのではないでしょうか。瑞葉は主人公で語り手だし、朝顔は天才肌でリーダーで話し方に特徴があるので、この二人は大丈夫でしょう。あとは、葵と緋由を見分け(読み分け)られればOKです。夢乃が出てくるのは後半だし、後輩だし、ちょっと冷めた感じでキャラも立っているから混同することもないでしょう。

    さて、この「わたひか」、序盤はちょっとピンときませんでした。というのも、若い女子どうしの会話のノリというのがなかなか入ってきません。私は歳をとりすぎたのかもしれません。あと、音楽用語を知りません。「オクターブ」も「奏法」もなんとなくわかりますが、「オクターブ奏法」がわからんとです。あと、会計用語(なのかもわからないが)とかも。

    でも、ぐっとつかまれた場面。瑞葉が緋由に「ちゃんとやってくんない?」と言うのをきっかけに、バンドにかける思いの差から、ゴタゴタしてしまう場面です。人間関係の軋轢は小説の醍醐味ですね。

    何かにかける思いの強さの差とか、力の入れ方の不均衡が、関係がギクシャクする端緒になるっていうのは、人生のあるあるなのではないかと思います。

    楽しくやれればいい部活、全国大会を目指す部活、死ぬ気で働くもんだと思っている高度成長期のサラリーマン、「食えればいいんで、昇進とか、そういうのいいです」みたいな若手。

    うろ覚えの記憶で申し訳ないですが、『火花』でもそんなシーンがありました。相方が用事があるからネタの練習休むみたいなことを言ったときに、お笑いをやりに東京に来ている自分たちにとって、稽古以上に優先させるものがあるのだろうか、みたいな疑問をもつ主人公。いつの間にか、ゴールがずれていく二人。

    上を目指す方が常に正しいのか、というのは難しいテーマです。上を目指す朝顔、朝顔の影響で上を目指すことに朝顔以上に執心して、自らも努力をし、メンバーに努力することを要求する瑞葉。

    でも、芸能の世界には努力ではどうにもならない壁があり・・・

    レコード会社の徳田なる人物の発言、

    「瑞葉ちゃんのベースさ、」

    (略)

    「上手いは上手いんだけど、あんまおもしろくないんだよね」

    (略)

    「技術はあるのにセンスがないっていうか、」

    そして徳田は、朝顔が作ったフレーズと瑞葉が作ったフレーズの出来の差に気づいたことを伝えたあとに、

    やっぱさなぎいぬ、朝顔ちゃんだけだね

    などと言い放ちます。ビジネス的に考えれば、必要なのは朝顔一人で他のメンバーは不要かもしれません。不要どころか邪魔かもしれなくて、なんなら切り離して、よそで見つけてきた他のメンバーとあわせて、最適構成にしてしまうのが近道なのかもしれません。メンバーを部品のように扱う悪い大人です。でも、それがビジネスなのでしょう。

    誰よりも(もしかしたら朝顔よりも強く)バンドの成功を望む瑞葉が、バンドの成功に必要なパーツは自分ではない、という確信にいたる。切ないです。これからは、ウィキペディアに載っているいろんなバンドの「旧メンバー」の欄を見るたびに、その裏にあるストーリーのことを思って、泣いてしまうかもしれません。

  • 無自覚な差別意識を突いてくる、映画『爆弾』

    会話が面白い映画が好きです。映画『爆弾』は、謎解き的なミステリーの面白さもさることながら、取調室で繰り広げられる会話戦が大きな見どころになっています。映画の結構な割合が、容疑者のスズキ タゴサク(佐藤二朗)と取り調べの刑事たち、等々力(染谷将太)、清宮(渡部篤郎)、類家るいけ(山田裕貴)との会話で占められています。

    スズキは酒屋の自販機を壊すという行為で意図的に捕まり、その軽犯罪の取り調べの最中に爆破予告じみたことをします。その通りに爆破事件が起き、警察は重要参考人として取り調べを本格化しますが、おちょくった態度で次の爆破の時間や場所をクイズのようにほのめかすスズキに翻弄される、みたいな流れです。

    最初は警察署の刑事である等々力が取り調べをします。その後、警視庁から偉そうな感じで清宮が派遣されてきて、所轄の刑事から仕事を横取りします(『踊る大捜査線』でよく描かれているアレ)。でも清宮はまんまとスズキの術中にはまり、交代を余儀なくされます。そして、トリの取調官は清宮の部下の類家です。

    清宮は登場人物の中でも格段に頭がよく、でも普段は変に目をつけられないように、その能力を隠しているようなタイプです。スズキはその点も見抜き、巧みにそこを突いて、失言や誤判断を引き出そうします。心理戦の応酬なのですが、こちらが押せば、向こうも押し返す。今どっちが主導権を握っているのかというのが目まぐるしく変化して、どうなるんだーと思っていると、現場でまた何かが起きる、みたいな。どう言ったらいいんでしょうか。言葉を吟味して、なんとか表現してみますと・・・、うん、「ちょー、やばい」みたいな感じです。

    中日ドラゴンズの選手の名前を使ったカマかけが良かったです。こういうのって二重で仕掛るというやり方があるんですね。さっそく職場で使ってみようと思います。

    スズキが単なる異常者として描かれているわけではないのが怖いところ。自分に共感しているところがあるんじゃないの、という挑発の仕方。このスズキを演じきっているのが佐藤二朗です。十円はげ、黄色く着色した歯、がさがさで汚れた指。汚いおじさん感(注:あくまで役の話です)がすばらしいです。終盤のシーンで、泣きそうな顔を見せたかと思うと、表情を崩し、そのあとに勝利を確信したような笑いをあげる、あの感じを出せる俳優が他にいるでしょうか。

    取り調べをする3人の刑事たちの中での主役は類家ですが、類家に交代する前の清宮がスズキの策略にはまってしまう仕掛けのところもよかったです。ちょっと「トロッコ問題」っぽいやつ。「あなた、普段は命の重さは平等だとか言ってるけど、実は無意識のうちに差をつけませんか?」的な。無意識というのがポイントです。犯人から与えられヒントのうち何を重視して、何を軽視するかに、それが現れてしまうという追い込み方。

    いくらきれいごとを並べたところで、命に差をつけているんじゃないの? しかも、自覚もせずに。という、スズキが投げかける問いの答えは簡単には見つからないのかもしれません。そう、最後の爆弾みたいにね。(うまいこと言うたった)

  • 読んでて騙され疲れました(又吉直樹『生きとるわ』)

    数ヶ月待って、やっと又吉直樹さんの『生きとるわ』を借りられました。人気作・話題作は次の予約が入っているから貸出期間を延長できません。なので、2週間のうちに必ず読む必要があります。締め切りがあるというのは、積読しがちな人にはちょうどいいかもしれません。

    そういう人気作が届いたタイミングで、別の人気作も予約の順番が回ってきたりして、こっちを先に読むべきか、それともこっちが先か、と複数の締め切りに追われることになります。借金で首が回らない人というのははこんな感じなのでしょうか。そんなわけないですね。

    借金といえば『生きとるわ』です。主人公の岡田は、高校時代からの友人である横井に500万円貸していて、それを踏み倒されそうになっています。たまたま横井を見かけ、それがきっかけで再び横井との接触が始まるのですが、借金を返してもらうどころか、次々とやっかいな話に巻き込まれ、みたいなところは帯にも書いてあるし、アマゾンの商品説明にも書いてあるので、読んでみてください。

    長いです。だから長篇っていうんですね。芥川賞受賞作とかって、せいぜい中篇の長さなので、無理やり一冊にしたような文の量の単行本もあって、それはそれで、行き帰りの通勤で読み終われたりするも好きなのですが、『生きとるわ』は400ページ以上あります。

    長篇を読み始める前は、飽きないかなーとか心配しながら最初のページをめくるのですが、心配無用でした。隙間時間に読書するので、ちょいちょい中断するんですね(新宿で乗り換えるときとかね)。でも、早く続きを読みたいって思って、ちょっと手が空くと読み始めてました。没入していると、待ち時間が気にならない。なんならもうちょっと読みたいから、ホームで待っている間にも、「もう来たのかよ山手線」みたいな。(山手線はすぐ来るだろ)

    長くても飽きさせない仕掛けがちゃんと入っていますね。いつの間にか、作中作に滑らかに入っていて、え? いつから? って感覚は初めて味わいました。ここは確実に「中」だなって描写はあるんですが、その前の段落はどっちだろう、みたいな。読んだ人はわかるが、読んでない人にはわからない話ですみません。

    ウソつきの登場人物(横井)がいたりすると、ちょっとしたトリックも入れられますしね。あれ? さっきの話と違うけど、私の読み間違いかな?って思って読み返すと、やっぱり辻褄が合わないぞってなって、あ、そうか、横井 ウソつきやった、って。

    主人公 兼 語り手の岡田が、横井に振り回されるという展開はご想像通りですが、状況はそんなに単純じゃないんですよね。語り手がすべてを語っているわけではないので、あとからちょっとした事実が出てきたりする。そうすると、なんか加害者・被害者のバランスが危うくなったりして。

    うまいんですよね、読者にほどよくミスリードさせる感じが。岡田は公認会計士をしていて(なんだか職業だけで信用しちゃいません?)、序盤に横井を含む友人たちとやりとりをしているときも、比較的客観的に物事を見ているよう感じで描かれています。まあでも、これって語り手が、自分が考えるところを話しているだけなので、別の人に語らせてみれば、どうなのかっていう、本当のところは分からない。

    語り手が隠していた事実が明らかになる場面といえば、岡田が奥さんに隠していた借金の額といきさつを説明する場面が秀逸でした。9ページくらい続きます。なぜ500万も横井に貸してしまっているのか、横井の見え透いた嘘に岡田がどう騙されてきたのか、その経緯を説明するのですが、岡田の判断力がかなり怪しいことが露呈します。理路整然といろいろと熟考しているような感じがあるが、ここぞというところで判断を誤る。そうであってほしい、というほうに賭けてしまう性分なのか、特に横井が絡むと話がおかしくなる。途中から奥さんは「めっちゃ阿呆やん」しか言わなくなって、数えたらトータルで10回くらい言ってました。

    全体的には横井はどちらかというと被害者です。でも、複数人が絡む詐欺って被害者がいつの間にか加害者側に回っているってことよくあるじゃないですか。横井に騙されて、岡田を騙すのに加担していた女が、横井に裏切られたあとに、岡田に対して、自分も被害者だみたいなそぶりをして、、それに岡田が「おまえもや」と心の中でつっこむ。でも、そのつっこんでる岡田も言えるような立場じゃなくなっている、みたいな。

    あまりに何度も横井に騙されるので「いやいや、さすがに気づくでしょ」という気になることもありましたが、ニュースでよく見る詐欺の手口の内容や、複数の芸能人が巻き込まれた投資トラブルの話(損害を取り戻してやるという第二の人物が現れ、追加投資してしまったみたいな)を聞くと、意外に岡田のような人間も多いのかも。見え透いたウソを信じてしまう人や、すぐばれるようなウソをつく人の心理を学べるような気がします。あなたは大丈夫?

  • 『ペンギン・ハイウェイ』のアオヤマ君に理想の人物像を見る

    森見登美彦さんのことを知ったのは『太陽の塔』で、長男が中学生か高校生の頃に宿題の読書感想文を書くとかなんとか、そんな理由で買った本が家にあったのがきっかけです。読んだような記憶があります、そして、おい、これで感想文書けるのか? とちょっと心配になった記憶もあるのですが、なんと、内容は全く覚えていません。なんだか、疾走している場面で遠くに太陽の塔が見えている、みたいなそんなイメージが思い浮かぶのですが、私の妄想かもしれません。

    そして、次に意識したのが『成瀬は都を駆け抜ける』で森見氏の名前が出てきたときで、この『成瀬』の単行本は次男が買ったものでした。受動的な読書姿勢。

    そして『ペンギン・ハイウェイ』は妻が図書館で借りて、次男にすすめていたので、私も読むことにしました。読むことにしたのですが、貸し出しの期限が来てしまったので返却し、再度借りようと川崎市の図書館システムで検索してみると、たくさんヒットしまして、まず単行本と文庫本版、そして角川つばさ文庫版。これは児童・生徒向けのいわゆるヤングアダルト層向けのやつで、振り仮名がたくさん振ってあって、挿絵が入っているやつですね。そして、英語版、韓国・朝鮮語版。『ペンギン・ハイウェイ』はいろんな言語に翻訳されているんですね。検索してみるとなんとイタリア語版もあるみたいで。韓国・朝鮮語版があるあたり、川崎っぽいですね。「音楽のまち・かわさき」(公式)、「映像のまち・かわさき」(公式)、「焼肉のまち・かわさき」(非公式)。

    角川つばさ文庫版に惹かれましたが、電車で読むときにちょっと恥ずかしいので普通の文庫版にしました。

    主人公はアオヤマ君という小学4年生の少年です。小説に限らず物語には「理想的な人物」というのが登場することがありますよね。アオヤマ君は私の考える「理想的な人物」ですね。単に優秀だからというわけではなく、優秀な自分を実現するためにかなり自覚的に努力しているところがかっこいい。

    書き出しで、かましてきます。

    ぼくはたいへん頭が良く、しかも努力をおこたらずに勉強するのである。

    だから、将来はきっとえらい人間になるだろう。

    こんな感じだと、さぞ、うぬぼれているのかと思いきや、そんな印象はありません。なぜだろう? 他者から矛盾点を指摘されたりすると、素直に認めたり、謝ったりする謙虚さはありますね。そして、極めつけは、やっぱり怒らないところだったりします。

    ウチダ君というおとなしい男の子と一緒にいるときに、いじめっ子のスズキ君グループにひどい目にあわされます。ウチダ君はその場から逃げ出すのですが、アオヤマ君は動けないようにしばりつけられたうえに、探検地図を奪われ、ノート(アオヤマ君はいろんなことをノートにメモしている)も、スズキ君たちにおしっこをかけられダメにされてしまいます。

    その翌日に学校でウチダ君が話しかけてきます。

    (略)彼は「アオヤマ君怒ってる?」とヘンなことを言うので、ぼくはたいへんおどろいてしまった。「なんで?」

    「日曜日、ぼくはアオヤマ君を見捨てて逃げたから」

    「怒ってない。ぼくは五歳になったときから、決して怒らないのだ」

    (略)

    「あれはかしこい判断だった。あのときウチダ君がもどってきても、二人いっしょにつかまるだけだった。だから君がつかまらなかっただけましだったとぼくは考える」

    怒らないことにしているというポリシーもすごいけど、見捨てられたという感情的な側面ではなく、被害を最小限にするための行動をとるべきだったという合理的な考え方。

    そして、このあとに名言が出ますよ。なぜ怒らないのか不思議がるウチダ君はアオヤマ君に訊きます、

    「アオヤマ君はスズキ君にも怒らないんだね」

    「怒りそうになったら、おっぱいのことを考えるといいよ。そうすると心がたいへん平和になるんだ」

    小四にして、なんという処世術。

    この何が起きても怒らない、というスタンスには神々しさすら感じます。湧き上がる怒りに対してどう接するべきかについては、仏陀がダンマパダ(『ブッダの真理のことば・感興のことば』)の中でも説いています。

    第17章 怒り

    (略)

    222 走る車をおさえるようにむらむらと起る怒りをおさえる人――かれをわれは〈御者〉とよぶ。他の人はただ手綱たづなを手にしているだけである。(〈御者〉とよぶにはふさわしくない。)

    223 怒らないことによって怒りにうち勝て。善いことによって悪いことにうち勝て。わかち合うことによって物惜しみにうち勝て。真実によって虚言の人にうち勝て。

    アオヤマ君は〈御者〉とよぶにふさわしい人格をそなえていて、すでに悟りに近いところにいるのかもしれません。別の意味でむらむらしそうですが、そこはおいておきましょう。このアオヤマ君の怒らない、真実を語る(極力そうしようとする)というスタンスが人物を魅力的にみせ、このアオヤマ君とお姉さん、アオヤマ君とウチダ君やいじめっ子スズキ君たちとの会話を興味深いものにしています。

    いくつかの「研究」を主導しているのはアオヤマ君で、ウチダ君は自身の「研究」についてはあまり話そうとしないのですが、アオヤマ君を信頼するにいたって、ウチダ君は「主観的観念論+パラレルワールド」のような斬新な自説を披露します。

    「ぼくが死んだあとの世界のこと。ぼくが死んで、そのあともみんなは生きていて、でも生きているみんなについてぼくはもう考えることもできないってこと。それはどういうことなんだろうって考えていた。ずっと考えてきて、ぼくは気づいたんだ。もしかすると、ぼくらはだれも死なないんじゃないかなって。」

    (略)

    「(略)ほかの人が死ぬとき、ぼくはまだ生きていて、死ぬということを外から見ている。でもぼくが死ぬときはそうじゃない。ぼくが死んだあとの世界はもう世界じゃない。世界はそこで終わる」

    でも、他の人にとっての世界はまだ存在しているよね、と訊くアオヤマ君にたいして、一つの「線」ともう一つの「線」という表現をつかって説明するウチダ君。しばらく不思議な議論が続きますが、メインのストーリーは、このウチダ君の研究とは特に関係なく続いていきます。ん? もしかしたら、関係があるのか? 私が気づかなかっただけ? 続編で伏線が回収されるとか。

    それはさておき(話を滑らかにつなごうという努力を怠るところが私の欠点です)、アオヤマ君の科学的思考は、お父さんの影響を受けていて、こんな「三つの役立つ考え方」を教えてもらったりしています。

    □ 問題を分けて小さくする。
    □ 問題を見る角度を変える。
    □ 似ている問題を探す。

    なんだか、ジョージ・ポリア先生が『いかにして問題をとくか』(過去記事:『いかにして問題をとくか』と『エレガントな問題解決』)の中で書いていた方法との関連性も感じます。

    このあたり、

    ◇ 条件の各部を分離せよ、それをかき表わすことができるか。
    ◇ 前にそれをみたことがないか、又は同じ問題を少しちがった形でみたことがあるか。
    ◇ 似た問題を知っているか。役に立つ定理を知っているか。

    うん、共通点ありますね。ね?

    『ペンギン・ハイウェイ』は4つの章に分かれていて、4つ目の「episode 4 ペンギン・ハイウェイ」の章では一気にクライマックスが訪れます。ここ、ちょっと私はしんどかったです。想像力が鈍っているのかもしれません。ペンギンはまあ思い浮かぶとして、「〈海〉」とか「ジャバウォック」とか、そもそも自分の頭の中で整理しきれていないものが、変形したり、湧き出たり、消えたりすると自分の想像力がついていけず、知恵熱が出そうでした。

    こういうのは映像で見られたらいいですよねー。アニメ化とかしたらいいんじゃないですか?

    ・・・ あー、すでにアニメ映画化されてました。しかもNetflixで見られるじゃないですか。私は吝嗇りんしょくなので、そう簡単にサブスクにお金払ったりするタイプじゃないのですが、息子が勤めている会社の福利厚生(?)なのか、リビングのテレビでNetflixが見られる状態になっているので、たまに見ています。今『地面師たち』を見ているので、見終わったら、映画『ペンギン・ハイウェイ』を見てみようと思います。そろそろ、人が死なないやつを見たかったんですよねー。

  • 宇野千代の初期の方の短篇『幸福』を読む

    宇野千代の初期の作品といえば、岩波文庫になっている『老女マノン・脂粉の顔』を入手すれば、新聞の懸賞で一等を獲ったデビュー作である『脂粉の顔』が読めます。

    上記で『脂粉の顔』は読んだので、じゃあその後くらいの時期に書かれた初期の代表作を読みたいなあと思い、ウィキペディアを見てみると、どうやら『幸福』という短篇集が出ているようです。じゃあ、それを読もうというつもりで借りたのが、なんと違う短篇集『幸福』であったというのがこちらの話でした。(過去記事:宇野千代の二つの『幸福』

    よくわからないと思いますので、整理しますと、

    初期の『幸福』後期の『幸福』
    初出の年1924年1970年
    初出の雑誌『我観』
    大正13年2月号
    『新潮』
    昭和45年4月号
    単行本の出版1924年 金星堂1972年 文藝春秋
    全集への収録1929年 改造社『新選宇野千代集』、
    1977年 中央公論社『宇野千代全集』
    備考第十回女流文学賞受賞

    この2つの短編『幸福』は全く異なるものです。私が先に読んだ後期の『幸福』の方は、70歳過ぎの女性が語り手で、執筆当時の宇野千代さんの年齢と一致しています。11軒の家を建てた話とか、離婚している点など、実際の宇野さんのエピソードとの符合がみられます。

    そして、今回やっと読んだのが初期の『幸福』のほうです(1977年 中央公論社『宇野千代全集』に収録)。すでに結婚している女性「仮名子」が主人公で、その仮名子が里帰りをする話です。年齢は明確に書かれていないのですが、「彼女が未だやっと十七であった頃の情人」というのが登場して、「この男と別れてから十年と言う長い歳月が過ぎ去って居た事を気附いたのであった」という場面があることから、27歳くらいであろうと推測されます。初出の1924年時点の宇野千代さんの年齢を計算すると、26、27歳なので、これまた一致しますね。設定からいって、いわゆる私小説ではなさそうですが、宇野さんは自身と同性別・同年代の人物を語り手にすることが多いみたいですね。

    仮名子は気性が激しいことを想像させる女性です。言動というよりは心情の描写にあらわれています。会社の重役と結婚し、都会で裕福に暮らす彼女は、村の人たちからみれば「成功者」のような立場です。

    夫を連れずに一人で帰京し、かつての恋人「田沢」が仕事帰りに通るであろう土手で、会って何の目的があるというわけでもないが、日がな一日待ち続ける、みたいな話で、これだけ聞くと、ちょっと淡い恋の話に思えなくもないですが、もっとドロドロ感があります。

    田沢は手紙でそっけなく仮名子を振ったあと、勤め先の上司の娘と出世目的と思われるような結婚をしています。自分はそんなに軽い存在だったのか、というのを今でも問いただしたいという気持ちが仮名子にはあります。

    そういう未練のようなものと裏腹に、しょせん田舎の公務員(専売局の官員)でうだつのあがらない生活をしているであろう田沢をあざ笑いたい、後悔させたいとい気持ちが見え隠れします。そのような心情に加え、容姿に関するコンプレックス(ここでは「劣等感」ではない)も絡んできます。

    田沢の年上の妻が、彼女の耳の後に先の赤くなった、今にも化膿しそうなそれで居て決して小さくなる事のない、たん瘤を持って居ると言う話しは、仮名子を危く噴き出させるところであった。

    「たんこぶ」とは腫瘤や脂肪腫の類でしょうか。今だったら、病院でとってもらったりできるのでしょうが、おそらく当時は無理で、美醜の印象に大きな影響を与えていたでしょう。自分を振った男の妻のことを、なんだその程度か、みたいに考えたい気持ちは分かりますが、疾患による症状を「危く噴き出させるところ」などと表現するあたり、こじらせた未練のすさまじさがするどく描かれています。

    他にも、田沢は美男子である、一方、仮名子の夫は「一面に薄痘痕のある赭黒い、柱時計のような顔」であるなど、複雑な感情を想起させる設定が揃っています。

    もし会ったとして、何を言うのか、そもそも何でこんなことをしているのかなど逡巡しながら、土手で待つ仮名子でしたが、

    仮名子は、最後に唯った一人の洋服を着た男が(この小さい村では小学校の先生か専売局の官員以外に洋服を着るものはなかったが、)幾らか猫背の儘に長い影を曳き乍らとぼとぼと帰って来るのを――然し、彼は決してあの男ではなかった。――見送るまで、彼女は彼女が其処で何を如何しようとして居るのかさえ忘れて、ぼんやりと立って居た。

    私、ピンときました。これは伏線だなと。

    それはさておき、田沢に会えなかった仮名子は、数日続けていた土手通いをやめます。そして、近くに住んでいる伯母を訪ねるために、乗り合い馬車に乗っているときに、なんと田沢と遭遇することになります。このあといったいどうなるのかが知りたいかたは、(たぶん入手は難しいので)図書館で借りて読んでみてください。

  • 「俺の推し本」の一覧を作成中

    BSよしもとの『第一芸人文芸部 俺の推し本』という番組を、毎週予約録画して見ています。「ブックバラエティ」と称しているトーク番組で、タイトル通り、おすすめの本の紹介がメインです。派手さはないですが、基本的にはトークだけで構成されているので、家事をしながら見る(聴く)にはちょうどいい感じです。

    ただ、「あの芸人さんが紹介していた本、何だったっけ」とか、「あの本を推していたの誰だったっけ?」とかいうときに、確認するのがちょっと面倒なんですよね。

    YouTubeのチャンネルにいけば、過去の動画がすべて(2026年8月時点で109本あります)見られます。とはいえ、出演者の名前や書名では検索できないので、やはり探しにくい。ということで、初回の放送動画から見直していって、出演者と書名の一覧表を作っています。徐々に増えていく予定です。

    「第一芸人文芸部 俺の推し本」で紹介された書籍の一覧

    ページ内をタレントさんの名前や本の名前で文字列検索して、放送回を特定できたら、そこに動画へのリンクがはってありますので、詳細は動画で確認という、使い方ができると思います。

  • 読書メーターはじめました

    「○○はじめました」というフレーズを見ると、熱唱するAMEMIYAさんの顔が思い浮かんでしまいます。私は大丈夫でしょうか。

    以前、初見だと思い読み進めていた本で、けっこう中盤あたりになって、「これ、読んだことあるじゃん!」ということに気づくということがありました。(過去記事:『スローターハウス5』を再度読む

    軽度認知障害の疑いに恐れおののきつつも、まあITでカバーできるところはそうしていこうということで、「読書メーター」に記録を残していくことにしました。私がすべてを忘れてしまっても、読書メーターが私に教えてくれることでしょう。「おまえ、それ読むの3回目だぞ」と。

    ブログに書いてるんだから(つまりこのサイトです)確認できるでしょ、と思われるかもしれませんが、読んだ本すべてに対してブログ記事を書いているわけでもないし、今までに何を読んだのかを確認するのには、このWebサービス(SNS?)のユーザーインターフェースがちょうどよかったのでした。

    すごくざっくりいうと、読んだ本を記録するサービスです。読みたびにちょっとメモっておけば、こんな感じのダッシュボードで、読んだ本の冊数やページ数、著者別の集計とか、時系列的な推移とかを確認できます。

    読書に特化したWebサービスだと、他にもブクログなんかもありますが、ブクログのほうは私の用途だとちょっと違ったんですよね。ブクログは本に点数をつけるようになっていて(つけないこともできますが)、食べログみたいに「その本の点数」として表示されたりします。私としては本自体に面白さや価値などの数値を割り当てるのは難しいと感じています。というのも、結局のところ合うかどうかみたいな問題だったり、読む人のリテラシーにも影響されるし、もっと言うと、読む時期にも影響されるんじゃないかとか、考えだすと、安易に点数をつけられないんですよね。昔読んだときは全然面白くなかったけど、30年後に読んでみたら「全俺が泣いた」り。(30年経っているのでボキャブラリーもおじさんになっている)

    技術書なんかも結構そういうことあります。「知っているような初歩的ことしか書いていない」とか、「難しすぎて分からない」なんてレビューを見かけると、それはあんたのスキル次第だよ、と。ちょうどいいレベルの本に出合えるかどうかで、印象が全然変わってくる。

    読書メーターに話を戻しますと、他にもいろいろと面白い機能があります。再読した場合に記録する機能だとか、読みたいと思っているけどまだ読んでない本を登録する機能とか。買ったときに記録しておけば、読み忘れ(数年後に本の山の中から発掘される)が防げるかもしれません。私は図書館で借りることが多くて、返却の締め切り(2週間がデッドライン)がこの機能を果たしているので、あまり使うことはなさそうですが。

    進捗や履歴を冊数だけでなく、ページ数で表すところも面白いですね。じわじわと着実に伸びていく感じが「メーター」っぽい。ただ、雑誌なんかは全部読むわけじゃないので、あまり当てにはならなそう。文芸雑誌を借りて、目当ての短篇一つだけ読んで、それを登録してたら、ぐんぐん伸びるページ数。まあ、参考程度で。

    あと、今までに読んだ本の履歴が似ているユーザーを提示してくれるような機能もあります。読んだ本がピタッと一致している他のユーザーを見つけると、運命的なものを感じたりすることもあります。が、よく考えたらベストセラーをなぞっているだけとか。

    何が言いたかったのかというと、利用者が減ってサービスが終了したりしたらダメージが大きいので、なるべく多くの人に使ってもらいたいなーという話でした。でも、利用者数を見ると、その心配はなさそうですが。人気の本だと、登録数(読んだ本として登録された数)は数万規模になっています。

    読書をソーシャルネットワークの起点にするというのは、なかなか面白い発想です。出版業界を盛り上げる一つのアプローチになるのではないかという気がしています。(もちろん、KADOKAWAはそのつもりでやっているんだと思いますが)

  • 中高生向けの遺伝子編集技術の解説書『CRISPRってなんだろう?』

    ノーベル賞(2020年の化学賞)をとった「CRISPRクリスパーCasキャス9ナイン」というゲノム編集技術のことが知りたくて読んでみました。サブタイトルに「14歳からわかる遺伝子編集の倫理」とあるように、中高生くらいから読める構成になっています。そして、技術だけでなく「倫理」面を強調した書籍になっています。

    「第1章 遺伝学の世界に飛び込もう」で、まず遺伝子についての基本、「第2章 ゲノムを書きかえる」で、CRISPR-Cas9の技術が解説されます。第3章以降は、この技術を使ったら何ができるのか、そのすばらしい可能性の側面と、それだけでなく、リスクや倫理的な問題も提起されています。

    構成がうまいです。一冊まるまる学術や技術の話をされても集中力が持続しないかもしれませんが(14歳とか、私とか)、技術の内容→何ができるかの具体例→輝かしい可能性→リスク・問題点のように観点が変化する構成になっているので、飽きずに読み進められます。著者のヨローナ・リッジさんは、児童文学作家らしいです。なるほど。

    CRISPR-Cas9の技術が鎌状赤血球貧血症という遺伝病の治療に使えること、蚊がマラリアを仲介しないようにできること、虫害・冷害・腐敗などがおきにくい野菜を作れることなど、いくつかのトピックが各章に割り当てられてます。

    技術のすばらしさや可能性だけでなく、倫理面などについても書かれているのがこの本の特徴です。どこから先を治療すべき「病気」とみなすのか、「死に至る病」から、「ちょっと不便な状態」まで病気と個性の境界は、線を引くことが難しいグラデーションになっています。近視を防ぐために遺伝子編集をするか、みたいな問題。本人の治療ならまだしも、そのような形質を避けるための産み分けとか妊娠の継続判断とか。基準がないと危うい、でも簡単に基準を定められるようなものでもありません。そのような課題意識が沸き起こる構成になっています。

    各章の後半には、「止まれ(STOP)」、「徐行(YIELD)」、「すすめ(GO)」のマークが付与されていて、各論が併記されています。遺伝子操作だけでなく、肉食や動物実験の是非など考えだしたら、気になることはいっぱいあります。「絶対にこうだ」という結論にいたらないまま、もやもやしながら読み終える本なのでしょう、これは。青少年の諸君は大いに悩んでください。