小川洋子さんの作品を読むのは、『サイレントシンガー』に続いて二作目です。この『夜明けの縁をさ迷う人々』には9つの短編が収められています。全体的に不思議な空気が流れています。リアリティとファンタジーの境目が溶け合っている感じです。この感覚を何と呼べばいいのか、ちょうどいい表現を私は知りません。
村田喜代子さんによる巻末の解説に、
名前を与えられない人間たち。あだ名や、職業、頭文字だけの人物が物語の「状況」を引っ張って行くのである。
とあって、やっぱり名前をつけていないところは、小川洋子さんの一つの特色なんだなあと再確認。『サイレントシンガー』でもそうでした。
そういえば、桃太郎に出てくるのは「おじいさん」と「おばあさん」で、よく考えてみると「桃太郎」ってのも名前じゃなくてニックネームでしょ、って気もする。竹取物語の「竹取の翁」って職業だし、おとぎ話には個人の固有名詞は必要ないのかもしれない。星新一は「エヌ氏」をよく使っていたし、カフカの『城』の主人公は「K」だったし。
忘れないように、そして忘れてもすぐに思い出せるように、各作品の印象を書いておきます。
『曲芸と野球』
今思うと、一番普通なのかも。超常現象的なことは起きません。でも、「曲芸師」という存在自体がちょっと非日常的なものを醸し出しています。
もしかしたら他の子たちには、あの曲芸師さんが見えていないんじゃないだろうか、と思うこともあった。
というくらい、主人公の野球少年以外は曲芸師の存在に気を留めません。
華やかな場所で注目を集めることもあるであろう曲芸師は、他の人から注目を集めなくなったとたん、消えてなくなる存在であるかのような、そんな危うさを秘めています。少年が曲芸師の「その後」の話を聞くのも、単に噂話を通じてにしかすぎません。
カフカの『断食芸人』で、断食を続ける芸人のことを誰も気にしなくなっていき、その生死にさえ注意を払われなくなっていったことを思い出しました。別にどこが似ているとかではなく、ただ思い出しました。
『教授宅の留守番』
ミステリーっぽい終焉が待っていますが、きっとそこは「おまけ」で、私としては途中の、食べっぷりと、祝いの品の届きっぷりと、部屋が埋め尽くされていくさまが、なんだかイリュージョンでコメディで、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』を思い出しました。全然短いし、全然似てないけど。
『イービーのかなわぬ望み』
イービーとはエレベーターボーイのE.B.です。訳あって、エレベーターでのお産で誕生するあたりまでは、ありそうな気もしないですが、エレベーターサイズに合うように成長が止まったり、エレベーターの中で生活しだしたりすると、ファンタジーが加速していきます。エレベーターが取り壊されるようなことになれば、きっとイービーは・・・。
『お探しの物件』
物件は人が設計し、作って、住んだもの。その住人と家とはかかわりが深いものです。かかわりが深すぎると、それは絆のようになり、呪いのようにもなり。不動産業者の人から家をすすめられているだけの話なのですが、そこに自分が住んだらどうなるだろうか、なんて勝手な想像をすると、それは素敵なもののようでもあり、ホラーのようでもあり。
『涙売り』
主人公は「涙売り」という現実離れした職業です。その涙を楽器にかけると、音色がよくなるという設定もさることながら、「一切の道具を使わず、自らの身体のみを使い、音を奏でる人々」である「人体楽団」に、この涙売りが出合うあたりから、悲しい恋の話なのか、ボケ倒しているシュールコントなのか分からなくなります。「関節カスタネット」って・・・
『パラソルチョコレート』
主人公の女の子が忘れ物をし、急遽家に帰ると、見ず知らずの老人がいて、
「(略)お嬢ちゃんとワシは、本当は会ってはならぬ関係なのだよ」
「(略)つまり、ワシは、お嬢ちゃんが存在していない場所の住人なのだ。お嬢ちゃんの裏側に生きておる者、とも言える」
などと言います。幽霊のようでもありますが、生きる・死ぬというよりはあっちとこっちの世界の移住のようなイメージです。もう一つの世界があって、対になる存在がいる、みたいなモチーフは割とよくみかけますが、その設定にどう物語が絡められるのかが面白いところですね。小田扉『ぐるぐるゴロー』に収録されていた『見聞録』を思い出しました。別に似てないですが。
なぜ、ベビーシッターさんはチェスをするのか、書斎に入るなというのか。何か知っているようでもあり、そうでもないような感じもして。
『ラ・ヴェール嬢』
お、固有の人名かと思いきや、アパート名からつけたあだ名です。主人公は出張専門の指圧師(足裏専門?)です。私は最初、この主人公が女性だと思い込んでいて、
ある時ふと、もしかしたらラ・ヴェール嬢は同じ事をこの僕にも求めているんじゃないだろうか、という疑問を持った。
というところで、え? 「僕」? 男なの? と思いました。
ずっと一人称は「私」で、ここで初めて「僕」と一人称が2度ほど使われ、この後も「私」に戻ります。ミスリードまで狙ってないとしても、曖昧にしておく意図はあったのではないかと思います。でも、「僕」と言ったからといって男だとも限りませんが。はるかぜちゃんの例もあるし。(あのちゃんをあげないあたりに、ひとひねり)
そして、だんだん官能小説になっていきます。でも、ラ・ヴェール嬢というよりはラ・ヴェール婆だったりします。歌舞伎の『勧進帳』を思い出しました。全然・・・
『銀山の狩猟小屋』
ある社長が狩猟小屋を売りに出しているという、ありそうな話から始まり、管理人のようでそうではない変な隣人が登場するあたりから、小川ワールドになっていきます。「サンバカツギ」は全然おいしそうじゃないです。
『再試合』
再び野球が登場。高校球児を応援する女子の推し活のような話が、どこからかおかしくなり、時間の迷宮をさまよい始めます。『うる星やつら2 ―ビューティフル・ドリーマー』を思い出しました。永遠が持つ恐怖を感じてください。
こころの琴線に触れる物語を読むと、以前琴線を震わせた体験を想起します。話自体は似てなくても、人間が共通に感じ惹かれる要素の共通点を感じるのではないかと思います。存在しないはずのものへの執着とか、破滅を厭わない情熱とか、もう一つの何かへのあこがれとか、一瞬と永遠の共通点とか。なんか、そんなのがいっぱい入っている気がしました。











