『すばる』2026年7月号の「SNSが好きで嫌いで」という特集で、小説が4本掲載されていました。まず、必ず読むことになっている(いきさつ:2026年上半期の芥川賞を予想・・・はせずに、賞を新設する)小砂川チトさんの『犬たちの頭痛』を読みまして、次に何だか気になった村田沙耶香さんの『喪失』を読みました。4つ載っている小説のうち2つだけ読んで、残りを読まないというのは、なんか変なので(変なので?)、残り2本もちゃんと読みました。律儀な性格なのです。
3本目に読んだのは、鈴木結生さんの『新しい本棚を共有する。』です。「。」がついています。「モーニング娘。」と一緒ですね。書き出しはこうです。
ここ数日、墨は《独学者》と一緒に暮らしていたようだ。
小説の出だしは状況をつかむまでが大変です。「独学者」は括弧がついているので、まあいいでしょう。きっと、あとで何か説明があるのでしょう。問題は「墨」です。このあとの使われ方をいくつか見てみると、固有名詞かもしれないと思いました。つまり、墨さんという苗字ですね。中国系だとそういう名前があるのかもしれないし、印鑑があるかないかで対決するような珍名さんかもしれません。
ただ、読み進めていると、もしかしてこれは一人称の人称代名詞、 つまり、「僕」の言い換えというか、当て字というか、そういうもののような気がしてきました。結局、最後まで確信が持てなかったのですが、十中八九「僕」という意味のような気がしています。もし、そうだとしたら、ちょっとイラっとしてしまいそうです。いけませんね、これがキレる老人というやつでしょうか。25歳が書いたものにいい歳をしたおっさんがキレてはいけません。
しばらくすると、
「結局、本棚っていうのは満杯にしないといけないものなのかもね」墨は、一瞬済補から目を外し、自分の前に並んだ、四列のカシマカスタムを眺めて嘆息した。
「済補」? また、知らない言葉が出てきた。しかもルビも振っていないあたりをみると、一般的な言葉なんでしょう。Web検索してみました・・・。造語の当て字じゃねぇかっ! いかんいかん、キレそうになった。以下のサイトに、「済補」の意味するところが書いてありました。福岡県(⊃佐賀県)出身者なら誰もが知っているRKB毎日放送のサイトで、鈴木結生氏へのインタビュー記事です。
「まずスマホっていう言葉がね、あまり小説では使いたくない感じがした。電子機器の固有名詞は小説と相性悪いと思う。ポケベル、ファクシミリとか、とたんに時代感が出る。(略)」
というのを避けたかったようです。ただ、スマホは固有名詞ではなく一般名詞では? という気もしますが、意図したところはなんとなく分かりました。芥川賞をとった『ゲーテはすべてを言った』の中で使っていたようですが、今回の短篇の範囲の印象だと、邪魔にしかなっていないような・・・。時代感を出したくないなら、「携帯」とか「手元の端末」くらいにしておけば、ガラケーともスマホともとれるし、今後出てくる何らかの次世代ハードウェアともとれるので汎用的ではないでしょうか。「すまほ」という音を使った時点で、スマートフォンであることが固定されてしまうので、むしろ「時代感」が出てしまうような気がします。
ちなみに「カシマカスタム」については文芸雑誌を読むような人なら当然知っているような単語なのかもしれません。
「墨」と「済補」にはちょっとモヤモヤしましたが、ストーリーについてはアガサ・クリスティの『ABC殺人事件』に着想を得たらしい、非常に面白い読書マニアックミステリーファンタジーでした。
次々と引用される名作の数々、もし読んだことがあれば、楽しさ倍増ですが、私が読んだことがあったのは、「I」のIsaka, Kotaroの『アヒルと鴨のコインロッカー』だけでした。やっぱり年間1000冊は読まないと駄目ですね。
実はこの年間1000冊についても、本作『新しい本棚を共有する。』の中で言及があり、ちょっと面白いです。
昨年、墨が文学賞を貰った際に、あるTV番組の取材で口走った「年間千冊読む新人作家」ということが喧伝され、会う人会う人からそのことについて尋ねられる、という不愉快な事態を招くこととなった。その度に墨としては、あれは終日図書館にこもって小説を書いていた一年間に限っての話であり、今となっては日に一冊読むのがせいぜいだ、と答えてきたのだけれど、どれだけ弁明したところで、世の中の人々の目につくのは「年間千冊読む新人作家」という部分であり、(略)
メディアの人がそういうキャッチーなフレーズに飛びつく様子が目に浮かびます。なので、その真相をこのように作品に入れ込んでしまうのはいい考えかもしれません。ただ、「年間三冊読むマスコミ関係者」が、この作品を目にする確率はかなり低いかもしれません。次にこんな質問をされたときは、1兆個のギャグを持つ男 FUJIWARA原西さんを見習って、「今までに1兆冊読みました」とか言ってみて、本気にするかどうか試してみるのも手です。「千冊」には二度と触れられなくなるかもしれません。
さて、最後に読んだのが奥田亜希子さんの『イデオロウィンの行進』です。実は奥田さんのことは存じあげておりませんでした。年間千冊読んでないもので(しつこい?)。小説に順番につけるのは、なんか違う気がしつつも、今回の特集「SNSが好きで嫌いで」の小説の中で、墨が(しつこい?)一番好きだったのは、この『イデオロウィンの行進』でした。
主人公の男性、良のあまり主張をせず流される感じとか、その彼女の人を振り回す感じとか、そのへんによくいそうな普通の人の範囲のキャラクターなのに、SNSを絡めることで、そのズレがなんか許容できないような大きさになっていくという。ペット向け料理の先生 兼 活動家の松木さんも、そこまで異常な人というわけではないのに、動物愛がちょっと過剰なだけで、なんだか道をそれていってしまっている感じとか。
後半の展開も意外だけどありえそうと感じさせる範囲のものだったので、人の行動なんて結構なりゆきで構成されているのかもと思っちゃったりして、それはつまりどう転ぶか分からないという恐怖であり、反面、突然ひらけちゃうものだったりという希望さえも感じさせるものでした。世の中の大それたこと(良いことも悪いことも)をやっている人も、実はこんな程度のきっかけだったのかもと思うと、やっぱりちょっと怖い感じもするあたりが、ゾクゾクとして楽しい小説でした。


コメントを残す