BookBookerBookest

勝手に読書感想文。漫画も映画も含みます

カテゴリー: 小説

  • Little BearとMr. PutterとTabby

    以前も書いた(ラッセル・ホーバンとアーノルド・ローベルと多読)、多読の取り組み(?)で読んだ本です。

    Little Bear’s Friend』(Else Holmelund Minarik (著), Maurice Sendak (イラスト))と『Mr. Putter & Tabby Hit the Slope』(Cynthia Rylant (著), Arthur Howard (イラスト))の2冊。

    どちらも、中学生くらいの語彙力があれば読めるであろうレベルだと思います。稲城市立図書館だと、多読用に分類される書籍には語数が書かれていて(テプラみたいなので張り付けてある)、Little Bearのほうは1422 words、Mr. Putter & Tabbyのほうは 553 wordsだそうです。

    Little Bearはシリーズの別の本を読んだことがあって、そちらは動物たちしか出てこなかったのですが、今回はEmilyという人間の女の子が登場します。クマと人間の遭遇ですが、子供向けの本なので、事件にはなりません。ご安心を。夏休みで近くに遊びに来ていたEmilyですが、夏が終わると帰ってしまうという、ちょっと寂しいラストです。

    特に難しい話はないのですが、知らなかった単語も出てきました。duckは知っていると思いますが(ねずみの友達の彼とか)、ducklingは知っていますか? duckの子供を指すみたいです。で、そのowl版のowletも出てきます。owlと言えばDuolingoのDuoですね。

    Mr. Putter & Tabbyのほうは、おじいちゃん(Putter)と猫(Tabby)のシリーズで、今回は雪山をソリで滑り降りるお話。TabbyのソリにZeke(犬)が乗って、先に行ってしまうくらいのアクシデントしか起きないです。ひっくり返ったり、どこかに突っ込んだりをちょっと期待していましたが・・・。知らなかった単語の例を挙げると、冬はtendするチューリップがないから退屈だとか。Putterは子供の頃、シルバーのrunnerの赤いソリを持っていたとか。ちょっとitchyなセーターを着せられたTabbyは、ちょっとtwitchyだったとか。文脈からなんとなく分かりそうな感じです。

    調べることでリズムが悪くなって読書が楽しめなくなってしまうようなら、どんどん先に進んだほうがよいらしいです。ただ、自分なんかは気になってしまって、調べたくなるんですよね。中高生時代に身に着けた精読のくせが抜けないというのが久しく続く悩みです。

  • 『アルプス席の母』は泣ける小説なのか

    妻が読みたいというので、自治体の図書館で予約したんですが、順番が回ってくるまでに5か月かかりました。その自治体では7冊所蔵していたのですが、予約した時点では数百番目だったと思います。

    妻が本をリクエスト(私の図書館利用者カードで予約)するときは、たいていK-City出身のFさんのおすすめだったりするのですが、今回借りたきっかけを本が届いたときに聞くと、「忘れた」とのことでした。思い出せよ、と思いましたが、考えようとさえしていないことが手に取るように分かったので、それ以上は追及しませんでした。

    タイトルは『アルプス席の母』で、帯には、「全母親が落涙必至!!」とか、「こんなん、泣くにきまってるやん。」とか書かれていて、私としては普通だったら避ける系です。

    「泣ける!」を売りにされた途端、泣けなくなります。というか、そもそも泣くことを目的とはしていないのですが、なぜ、そんなに、みんなが泣きたがっているのだと決めつけてくるのでしょうか。

    まあ、でもこういうのは大人の事情というか、出版社とか編集者によるマーケティングであり、プロモーションでしょうから、あまり気にしてもしょうがないとも思いました。

    なにより、順番が回ってくるのに5か月もかかったので、今回読んでおかないと、次はないぞ、という強迫観念にかられ、読むことにしました。

    読んでみて驚きました。この作品は、関西人の嫌なところ、高校球児の甲子園に行きたいという思いに付け込む汚い大人(学校や監督)たち、子供の活躍を自身の手柄のように勘違いし横柄に振る舞う、子離れできない親たち、などを描いた社会派作品でした。

    冒頭、母親の菜々子が甲子園の観客席にいるシーンから始まります(このあと、過去に戻って、経緯が描かれ、また甲子園の場面につながってきます)。菜々子が息子の航太郎の名前を大声で叫ぶと、他の父母たちがギョッとするという場面があるのですが、なぜかというと、

    航太郎が入学したときにもらった十数ページにも及ぶ野球部父母会の心得には、ひたすら禁止事項が記されていた。

    • 日傘禁止
    • 間食禁止
    • サンバイザーは白色のみ
    • 水分の補給は選手と同じタイミングで。たとえば試合中ならイニング間
    • 監督への直接の声がけ禁止
    • 球場では三年、二年、一年の順に前列から隙間なく座っていく
    • 後輩の親が座るのは、先輩の親が全員座るのを見届けてから

    (略)

    • 試合中の単独での声出し禁止。声援は応援団の指示通りに

    もちろん小説です。フィクションです。でも、この作品の性格上、「そんな父母会ねえよ」とか、「そんなルールありえねえ」とか、そういうつっこみをうけるような設定にはしないはずです。

    作者の早見和真さんは元高校球児で、甲子園に何度も出場している名門高校の出身です。そのあたりを踏まえると、高校野球父母会あるあるに違いないという気がしてきます。

    こんな場面もあります。佐伯さんというのは、野球部の監督です。

    「私も知らなかったんだけど、これうちの学校の伝統なんだって。毎年、新チームになったときに各家庭から八万円ずつ集めて、それを佐伯さんに渡してるって。佐伯さんが中学生のスカウトとかのために地方に行ったりするのに学校からお金が出てないらしくて、そういう活動費に使ってもらうものなんだって」

    必要な経費があるなら、会費なりなんなりの形で集めて、領収書ももらうようにして、収支報告もちゃんとやればいいのですが、メールは使うな、文書は残さない、封筒に入れて直接手渡し、と裏金臭がぷんぷんです。

    これを監督に渡すシーンが面白い。菜々子の1つ上の会計係が金を渡そうとすると、監督は

    「こんなものは受け取れません」

    いや、そこをなんとか、みたいなやりとりがあり、

    「わかりました。それでは、これは部の活動費として大切にお預かりさせていただきます。しかし、来年以降は絶対にこんなことしないでくださいね。約束してください」

    この茶番を見ていて、菜々子は思わず、聞いてしまうのです。

    「本当に来年以降はしなくていいのでしょうか?」

    まとまりかけたところで、場が凍り付く発言。ぞくぞくしますね。

    そう、この作品は高校球児を支える母親を描いた感動作、というカムフラージュをしているが、実は高校野球の暗部を描く、社会派告発作品だったのです。

    というのは、なんだか言い過ぎです。たぶん普通に感動的な作品です。おい、どっちなんだよという方は、読めばいいと思うよ。

  • アニメ『秒速5センチメートル』と『小説 秒速5センチメートル』

    新海 誠 監督の映画はけっこう見たほうなんじゃないかと思っています。まず、あれだけ話題になれば見ずにはおれない『君の名は。』から『天気の子』。たしか、テレビで見たあとに、DVDで見なおしたと思います。

    過去の作品も見たくなって、『雲のむこう、約束の場所』や『言の葉の庭』も、自治体の図書館にDVDがあったので見ました。

    そして、『すずめの戸締まり』は飛行機の中で見たような。

    ところで最近、実写版の『秒速5センチメートル』が公開されましたよね。そういえば、アニメの『秒速5センチメートル』は見ていないなかったなーと思ったんですね。見ていなかった理由は、図書館になかったから。

    で、ふと、転校した女の子に会いに、男の子が電車を乗り継いで行くんだけど大雪で到着が遅れて、みたいなアニメを見たという記憶が蘇って、何だったかなー、新海誠だった気もするし、そうじゃなかった気もするし。

    ChatGPTに聞いてみると、それは新海誠監督の『秒速5センチメートル』ですね、だって。

    図書館にないのに、見たらしい。どうやって? テレビで放送はされてないし(実はフジの関東ローカルでやっていたらしいが、それは知らなかった)。まさかと思い、家のDVD(など)入れ(プラケースに入れてしまいこんでいる)を見てみると、そこにありました。Blu-ray版のやつが。

    買っていた・・・

    買って、見て、しまって、忘れて、そういえば見てないなーと思ってました。そう、こういうのが老いるショック(©みうらじゅん)なんですね。もう一個買う前に気づいて良かったです。

    ということで、これを記念して、アニメ版をもう一度見るのではなく、小説のほうを読んでみることにしました。大学生の子供が持っていました。なんかぼろいなーと思ったら、ブックオフの値札が貼ってありました。

    新海誠の小説を読んだのは初めてです。映画(アニメのほう)を見た直後なら、細かい相違について語れるのですが、なにせ、映画を見たことも忘れていたくらいなので、違いはよくわかりません。が、あー、こんなシーンあったなーってのはありました。映画のほうは、そんなに情報が詰め込まれていなかったはずなので(タランティーノの映画みたいなしゃべり倒したりはしないので)、いろいろなディテールを確認できるのではないのでしょうか。

    ふと思ったのですが、小説のほうは『小説 秒速5センチメートル』という感じで、タイトルに「小説」ってついているんですね。アマゾンとかで区別しやすいように、でしょうか。

    でも、『アニメ 秒速5センチメートル』というふうに、「アニメ」とはついていないので、実写版と区別しにくいですね。実写版がDVD・Blu-ray化されたら『実写版 ~』という感じのタイトルになるのでしょうか。

    誰かに買ってきてと頼まれたときは、念を押す必要がありそうです。そっちのほうも見てみたかった、みたいな状況ならハッピーエンドですが、「普通、実写版とか見るかね」みたいなアニメ原理主義者だったら、関係に亀裂が入ってしまうかもしれません。

    今、ちょっと検索してみたら、コミック版なんてものがあるじゃないですか。

    あと、通常(?)の角川文庫版(でも、最初の文庫化は文庫ダ・ヴィンチ版とのこと)以外にも、角川つばさ文庫版というものもあります。

    こちらは、新海誠(作)となっているので、内容は同じなのでしょう。角川つばさ文庫というと、いわゆるヤングアダルト(中高生向け)のシリーズなので、漢字のフリガナなんかはたくさん(なんなら全部)つけてあったりするはずです。

    もし、小説のやつ買ってきてと言われた場合、漢字に弱そうな友人なら、角川つばさ文庫版を買って行ってあげると・・・キレられるかもしれません。

  • 『コンビニ人間』と「傲慢と善良」

    コンビニ人間』(村田沙耶香 著)を読み直してみました。理由は、電車の中でさっと読めるもの(長編とかではなく)を家の本棚で探していて、目についたから。それほど本は買わない妻が買った本でした。

    なんとなく内容は覚えているものの、細部はもちろん記憶していないし、最後どうなったかも全く覚えていないので、新鮮な気持ちで読めました。芥川賞受賞作だと、純文学でござい、みたいなのもたまにありますが(偏見?)、『コンビニ人間』はエンタメ小説としても普通に楽しめるし、内容はほとんどコメディだと思う。主人公の女性の、他者を理解できない、合わせられないという感覚は、かなり絶望的なレベルなのですが、本人は深刻視していないところが喜劇的でありつつ、深刻視できないところは悲劇的でもある、みたいな感じ。

    以前、『傲慢と善良』を読んだときに(『何者』と『富士山』と『傲慢と善良』)、婚活が小説のテーマになる時代なんだなあと思ったのですが、読み返してみると、『コンビニ人間』も婚活をテーマにしていたことに気づきました。婚活というよりは、就職・結婚・出産などに関して、「普通の感覚」を持った人たちが振り回す無自覚な暴力に苦しめられるタイプの人間というところでしょうか。

    「なんで結婚(しようと)しないの?」、「なんで(就職しようとせずに)アルバイトなの?」なんて質問は、普通の基準に合わせるのが普通だと信じている人には普通でも、普通の基準に合わせるのが普通だとは感じられない人にとっては普通ではない。

    私自身は順調に進学して、卒業したら就職して、そろそろかなという時期に結婚して、しばらくしたら子供が生まれて、という感じだったので、この手の質問や干渉に苦しめられたことはありませんでした。唯一あるとすれば、中学・高校と一切部活をしなかったこと。何もやったことがないというのは結構少数派で、よく人が自分は何部だったからこんな感じ、みたいな話になると、私は特に話すことがなくなります。

    部活に入らなかった理由は、拘束時間が嫌いだから。学校が終わるのも待ち遠しいのに、なんでそのあとも学校に残るような活動を行わなければならないのか。部活に入る人の気がしれない、と思っていました。

    あと、スポーツも文化的な活動も含めて、それらのスキルを高めたり、知見を深めたりということに、なんら価値を感じられなかったから。体育でのサッカーの試合は楽しいんだけど、パスとかドリブルの練習とか全く楽しくないし、そんなことまでしてうまくなくなることに執着できなかった。これについては、意識が変わって、30代くらいからは、鍛錬の魅力に気づきました。なので、現在の人生のポリシーで、中高をやり直すとすれば、たぶん部活に入ります。

    話を戻して、『コンビニ人間』で興味深かったのは、人の話し方やしぐさや服装が、まわりの人の影響を受け、それを吸収し、実践し、またそれがまわりの人に伝染していくさまを、古倉恵子(主人公)がするどく観察していて、それを意識しながらも、自分自身もそれを行っている様子を、客観的に見抜いている感覚でした。

    古倉さんは、いわゆる空気読めない感じの人なのですが、そのような違和感には敏感で、古倉さんと他の登場人物のどちらが普通なのだろうかと、考えさせられます。おそらく、理屈ではなく、多数派が「普通」認定されるのでしょう。

    結構序盤に、アルバイトの研修の場面。

    私はバックルームで見せられた見本のビデオや、トレーナーの見せてくれるお手本の真似をするのが得意だった。今まで、誰も私に、「これが普通の表情で、声の出し方だよ」と教えてくれたことはなかった。

    この手のビデオや指導って、目線はこうでとか、おじぎの角度はこれくらいでとか、些末なところでこういうときにはこうしろとか、なんか本来なら各自の自由裁量で行われる行為まで踏み込んで指定してくるから、言われた通りに演じる自分に気恥ずかしくなったり、演じる他者をみると「マニュアル通りにやりやがって」なんて思ったりしちゃいます。

    古倉さんは、こうするのが普通だからこうしなさい、と言われると安心して、そうするタイプ。たぶん、そうする人は、ちょっと変な人と思われがち。

    世の中の大多数は、そんなことは人に言われることではなく、自分で判断してやること、と思っているのではないかと。でも、その一方、周りを観察し、人の行動様式を真似、話し方やボキャブラリー、場合によっては服装なんかも合わせていく。それを無自覚に行うというのが、現代の「普通」とされているのかなあと。いや、もしかしたら縄文時代(ある登場人物の口癖)から、そうなのかもしれない。

    私も高校生の輪の中に入ると、高校生みたいになるのだろうか。変な略語を使ったり、なんでも「やばい」で形容するようになるのだろうか。ちなみに、今はおじさんたちの輪の中にいるので、おじさんみたいな感じです。というか、おじさんですが。

  • A BIRTHDAY FOR FRANCES(フランシスとたんじょうび)

    こちら(ラッセル・ホーバンとアーノルド・ローベルと多読)には書ききれなかった(脱線して書くのを忘れていた)、『A BIRTHDAY FOR FRANCES』(Russell Hoban著、Lillian Hoban イラスト)に登場するアナグマの女の子 Francesの繰り出す会話や即興の歌の面白さについて。

    冒頭、妹 Gloriaとお母さんが誕生日パーティの place card(パーティのときの座席に置く席札)を作っている場面。明日誕生日を迎え、パーティをしてもらえたり、プレゼントをもらえたりする妹に、Francesはちょっとしたジェラシーを感じています。

    掃除道具入れのクローゼット中で歌っているという状況も、ちょっと笑えます。

    Frances was in the broom closet, singing:

     Happy Thursday to you,
     (略)
     Happy Thursday, dear Alice,
     (略)

    「Aliceって誰?」とお母さんに聞かれ、「誰にも見えない誰か(”somebody that nobody can see”)」だと答えます。「今日は金曜日よ」と言われ、「アリスにとっては木曜日なの」と答えます。

    その後、place card作りを手伝うのですが、妹が”pretty flowers” や “rainbows and happy tree” を描いている横で、絵を描きながら歌います

    A rainbow and a happy tree
    Are not for Alice or for me.
    I will draw three-legged cats.
    And caterpillars with ugly hats.

    誕生日パーティが自分やAliceのためのものではないことを愚痴ったあとで、place cardには似つかわしくなさそうな、三本足の猫や変な帽子の芋虫を描くんだと歌いあげます。そして、絵本の絵にはそれらしきものが描かれたplace cardも描かれています。

    place card作りにも飽きて、お気に入りのほうきにまたがり、どこかに遊びに行く前に、お母さんに言ったセリフも面白みがあります。

    “Good-bye. I will be out of town visiting Alice for two weeks, and I will be back for dinner.”

    Aliceを訪ねて2週間ほど町を出ると言いつつ、夕飯には帰る、と。

    Francesシリーズを読んだのは初めて(=1冊目)なのですが、他のお話でもFrancesの皮肉の効いたトークに期待できそうです。

  • ラッセル・ホーバンとアーノルド・ローベルと多読

    A BIRTHDAY FOR FRANCES』という本を読みました。ラッセル・ホーバン(Russell Hoban)というアメリカの作家が書いた絵本(英語)です。

    子供がすでに大人になっているような年齢の私が、なぜこのような絵本を読んでいるかというと、いわゆる多読による英語の勉強のためだったりします。難しい英語の本を辞書片手に苦労しながら読むというのではなく、ごく簡単な英語の本から初めて、英語が母国語の子供が自然に言葉を身に着けていくように学ぶ、そんな学習法です。たぶん。

    効果の程は・・・、今のところ、あまり。というか、大人の脳というのはもう子供の脳とは違うから、そう簡単にはいかないだろうと思いつつも、ほそぼそと続けています。

    英語にあまり馴染みのない人って、英語を見たときに、「無視モード」(読まないことに決める)か、どうしても読まなければならないなら、「翻訳モード」(知識を使って頭の中で訳していく)のどちらかになる感じがするんですよね。ごく簡単な英語を読んでいるときには、このどちらでもなく、自然に頭に入ってくるような、そんな感覚になるときもあります。知らない単語があっても引っかからずに、全体的にどんな感じかをざっくり理解して、分かった気になるような。そこが目指すべきところかな、と思ったりもします。

    多読で読む本には、専用のというか、意図的に語彙数をしぼって書かれた「Graded Readers」というジャンルの本もあります。これらの本は読みやすいです。ただ、なんか人工的な感じもします。細かい単語のニュアンスは、ここでは割愛します、みたいな。

    で、もう一つのアプローチが今回読んだような子供向けの絵本です。日本の絵本と同じように、言葉を覚え初めの子供向けの、1ページに2,3行くらいのものあれば、今回読んだ『A BIRTHDAY FOR FRANCES』のように、1ページに10行くらいはある、そこそこの文量のものもありますからね。自分に合ったレベルの本があるはずです。というか、図書館で片っ端から借りてみてます。

    私が最初の頃(20年以上前)に読んだものに、アーノルド・ローベル(Arnold Lobel)の『FROG AND TOAD ARE FRIENDS』があります。4冊のシリーズになっていて、日本語版では、「がまくんとかえるくん」というタイトルで訳されていますね。勉強モードではなく、英語を読んで感動するとか、くすっと笑うとか、そういう感覚を味わうことができたシリーズでした。

    Frog and Toadシリーズがなかなか良かったので、なんかそんな感じの本とか作家を教えて、とChatGPTに聞いて、紹介された作家の一人がラッセル・ホーバンでした。で、これからホーバンのFRANCESシリーズを読んでみようかなと、図書館で借りた1冊めのが、この『A BIRTHDAY FOR FRANCES』でした。

    絵本や児童書は、Graded Readersに比べると、語彙的にはちょっとハードルが高いときもあります。Graded Readersだったら編集者さんがチェックして、「ここ、ちょっと難しいんで、言い換えましょう」というのありそうですが(想像)、絵本作家はそういう妥協はしないでしょう。ここぞというときには、高校でも習わないような単語が出てくるときもあります。表現のこだわりみたいなところあるでしょうからね。

    『A BIRTHDAY FOR FRANCES』は、難しい単語というのとは、まったちょっと違うところで、悩んでしまいました。

    こんな会話が出てきます。話しているのは、主人公のアナグマの女の子(Frances)とそのお母さん。

    “Alice will not have h-r-n-d, and she will not have g-k-l-s. But we are singing together.”

    “What are h-r-n-d and g-k-l-s?” asked Mother.

    “Cake and candy. I thought you could spell, “ said Frances.

    結局は、ケーキとキャンディだと言っているので、スルーすればいいんでしょうが、なぜ「h-r-n-d」? なぜ「g-k-l-s」?というのが気になってしまう。辞書には載っていないし、ChatGPTの回答も的を射ません。

    法則性があるんじゃないかとか、何かの暗号になっているんじゃないかとか、いろいろ悩みましたが、結局、フランシスが単に言葉遊びをしているだけで、特に根拠はなさそうだという結論に達しました。

    正しい使い方はきっとこんな感じです。

    I do not get any I..A..K and this is not T..U..D | frances by russell hoban | Katyboo1’s Weblog

    私も長い文章をだらだらと書いていて、ちょっと眠気が出てきました。そろそろ「I-A-K」ブレークにでもしようと思います。

  • 『桐島、部活やめるってよ』に出てくる映画(『ジョゼと虎と魚たち』他)

    「本を読もうと思うのですが、何から読んでいいのか分かりません」のようなお悩みが寄せられているみたいな話をたまに聞きます。テレビとか新聞の記事で見かけたというだけで、直接そんなことを聞いたわけではありませんが。

    なんでもいいから目についたものから読めばいいのに、と思ったりします。本を読む人って、次に何を読もうか探すというよりは、次に読もうと思っている本が順番待ちになっていたりしません? 読もうと思っているどころか、すでに買って、積んであったりとか。そうでしょ?読書子(©岩波文庫)の皆さん。

    そんな状態になる原因の一つが、作品に出てきた作品のことが気になりそれを読みたくなるというもの。それは、本から本というだけでなく、本から映画、映画から本、みたいに戻ってくるなんてパターンもあります。音楽から映画なんてのもありますね。私が映画『いちご白書』を観たのは、「『いちご白書』をもう一度」という曲があったから。映画を観たら、原作の書籍も読みたくなったりとか、連鎖は止まりません。

    ちょっと前に『桐島、部活やめるってよ』(朝井リョウ)を読んだときにも、この感覚に襲われました。

    映画部の「前田涼也」の章。彼とその友人の武文はなかなか重要な役割を演じます。本当にかっこいいのは誰?、ダサいのは誰? って感じでしょうか。

    その武文のセリフに唐突に映画名が出てきます。

    「いやー、昨日ジョゼまた観てよー」
    (略)
    武文は犬童一新監督の『ジョゼと虎と魚たち』の話になるといつもより大きな声を出すし、テンションがあがりすぎてなぜかめがねを外したりする。

    このあとも、いろいろ映画の作品名が出てきます。

    僕はカラーページに蒼井優を見つけたので返事が適当になる。『百万円と苦虫女にがむしおんな、この田舎じゃ上映してくれなかったんだよなー・・・・・・DVD出るだろうし借りようっと。

    「『メゾン・ド・ヒミコ』もよかったし、やっぱり犬童一心最高!」

    「邦画のあの淡〜い表現方法が好きなんだ!」岩井俊二サイコー!という武文を説き伏せて、以前一緒に『BABEL』を観たことがある。
    (略)
    そのあと武文セレクトの『めがね』を観ようとしたが、チャプターを見てもどこがどこのシーンかわからなくてふたりで笑った。

    以下は、ちょっと違う文脈ですが、中学生の頃は親しくて一緒に映画を見たりする仲だった東原かすみについて、涼也が回想しているシーン。高校生になった今、かすみはアッパーな女子グループ、涼也はそんな女子たちには相手にされない「下」のグループ(だと涼也は思い込んでいる)というのが切ない。

    十四歳のあいつの声は今とあんまり変わっていなくて、 (略) 『となりのトトロ』のメイとサツキが本当は幽霊だなんて都市伝説をいまだに信じているのかもしれない。

    次のはテレビドラマらしいです(知らなかった)。武文のキャラが出ているので入れておきますと、

    「だから、真木よう子やばいよなって話!」
    (略)
    「『週刊真木よう子』とかな、あれ始まったとき、なんで俺が大人になって監督になったときにこの企画やってくれんかったんや!ってガチ思ったもん」

    監督になる前提。まだまだあるよ。

    「お前ほんと岩井俊二好きな」

    僕は半ばあきれたように返事する。

    「だってやっぱ天才やもん俺の中で。『リリイ・シュシュのすべて』とかさ。あれ観たあと二週間くらい引きずったんだよなー」

    ちょっと離れたところから聞こえるアッパー女子の声。陰口のような内容も聞こえ、「ダサい」男子組の武文が聞こえないふりをしながら、映画の話をし続けるあたりの描写は必見です。でも、そこはとばして、かすみの声・・・

    「沙奈だって、なんかの予告観て妻夫木かっこいーとか言っとったやーん」

    だって妻夫木だよ? あなたと私で『感染列島』って感じー感染しちゃうようなことがしたーい、という甘ったるい声に、馬鹿だこいつー、と笑うかすみの声が被さる。

    こちらは中学の頃のかすみの言葉を回想している涼也です。

    池脇千鶴ちゃん天才だと思った、とか、他にはどんな映画が好きなの? とか、『きょうのできごと』って作品知っとる? とか、それも妻夫木くんと池脇千鶴ちゃんだよね、とか、関西弁がかわいくてさ、とか、 (略)

    私、『チルソクの夏』とかすごく好き

    ふたりで『ニライカナイからの手紙』を観に行った帰り、マクドナルドに寄った。

    再び、テンション高めの武文です。

    いやー最近やっと『サマータイムマシン・ブルース』を観てさ! (略) あと『檸檬のころ』みたいな、もうもどかし〜い甘酸っぱ〜い心臓きゅってなる〜みたいのも好きやし、 (略)

    どんだけ出てくるんだよって感じですね。あらためて読み直しながら抜き出してみたのですが、他にもこれが出てたよ、というのがあれば教えてください。観ます。

    ほとんどの映画が観ていない作品だったので、観ないといけないような気がします。そんな強迫観念に駆られます。そして、映画には原作の本があったりもします。これも読まなくてはいけません。連鎖は当分続くのです。

    2026年3月20日追記
    映画好きなら、こちらもどうぞ。
    『国宝』を撮る25年前の李相日監督の映画も紹介『12歳からの映画ガイド』

  • 『桐島、部活やめるってよ』と『桐島、部活やめてるよ』

    この本(『桐島、部活やめるってよ』(朝井リョウ著))を読もうと思ったきっかけは、『あの本、読みました?』というBSテレ東の番組に著者の朝井さんが出ていて、なんかとてもサービス精神が旺盛な人で、この人の書く本なら面白そうと思ったから。

    サービス精神という言葉が合っているのかどうかは分からないが、新聞書評の回では、対象の書籍が選ばれるプロセスや、自身が書評を書く際のこだわりなどを話していて、「本好きに贈る本好きのための番組」(番組の冒頭にこんなフレーズが出てくる)の視聴者が聞きたいであろうツボを押さえていて、きっと事前に話すネタをきっちり準備してしていたんだろうなーと。あと、番組後にこれも話しておけばよかったというのを思い出して、番組のスタッフに連絡をいれる点とか、自身の特集の回には詳細な年表を作ってきたり(番組側はそこまで要求はしていないのに)。伝えたい、という気持ちがひしひしと伝わってくる作家さんなのだ。

    朝井さんの作品で最初に読んだのは『何者』(過去記事:『何者』と『富士山』と『傲慢と善良』)で、こちらを読んだときにも感じたのが、朝井さんは、普段意識しないような自分の(あるいは多くの人の)イヤなところをついてくる。

    あからさまにイヤなやつのイヤなところではなく。自分で気づいているような、ある意味分かりやすい自分のイヤなところ(大抵の人にはあるでしょ?)でもなく。

    学校ではいけてる(死語?)ほうの登場人物である菊池宏樹が、これまたいけてる自分の彼女の沙奈の様子を見ながら、何かもやもやしているものをつかもうとしているシーン。

    (略)ダサいかダサくないかでとりあえず人をふるいにかけて、ランク付けして、目立ったモン勝ちで、そういうふうにしか考えられないんだろうな。

     だけどお前だってそうだろうが、と、夕陽に長く伸びる自分の影を見て思った。

    自分のことを棚にあげることはよくあることで、自分のことを棚にあげるのはよくないって指摘したりするのもありふれたことで、でも、そのことを直接言うんじゃなくて、ストーリーで語られると、グッとくる。ヒヤリとしてハッとする。事故を起こす前に悔い改めたい。

    あと、多くの人がご存知かと思うが、いつ思い出してもジワるので、これはリンクしておきたい。

    「桐島すでに部活やめてた」、3万2000人がリツイート | ねとらぼ

  • 『デートピア』と『#拡散希望』

    DTOPIA デートピア』(安堂ホセ 著)を読もうと思ったのは、芥川賞受賞作をかたっぱしから読んでみようと思ったから。じゃあ、第1回から読んでみようと思い、確認してみると『蒼氓』(石川達三 著)だそうだ。まず、タイトルが読めない(「そうぼう」と読むらしいが、読めても意味が分からない)。受賞年は1935年。戦前? もはや古典。芥川賞初心者(3, 4冊読んだ記憶がある)には厳しそう、ということで、新しい方から読んでいくことにした。でも、図書館で借りるとなると、こういう新しい受賞作は予約がいっぱい入っていたりして・・・と思ったら、予約者はおらず、すぐに借りられる状況だった。私が利用している自治体の図書館では、このデートピアは各分館で1冊ずつ所蔵されているし、掲載された雑誌の文藝春秋も所蔵されている。行列は長くても回転が速いラーメン屋みたいな感じ。

    のようなきっかけで読み始めたので事前知識はゼロ。これは理想的な状況なんじゃないか。ただこの図書館では外した帯が、表紙の裏に貼り付けてあり、

    ひとりの女を巡り、世界各国10人の男たちが繰り広げる恋愛サバイバル―人種も、性も、国境も。すべての “当たり前” が崩れ落ちる、新時代の傑作


    などと書かれてある。おぉ、エンタメ作品みたいな煽り文。

    南のリゾート島で行われる、いわゆる恋愛リアリティショーみたいなシチュエーション。この手の番組(昔はテレビだったけど、今は動画配信?)見たことないなー。そんな番組があるというのは断片的に知っているけど。あ、でも今思えばフジテレビでやってた『あいのり』は、それだったのか。確か学生の頃だったから、ちょこっと見ていた気がする。「ロマンスさん」というワードには記憶があるが、どんな人だったか覚えていない。

    で、このようなリアルとフィクションの狭間のようなコンテンツをテーマにした作品で思い出したのが、『#拡散希望』(短編集『#真相をお話しします』(結城真一郎 著)に収録)。たしか、YouTube(のようなもの)での「移住してみた」みたいなシチュエーションだったような。(借りて読んだので、手元になく、うろ覚え)

    この『#拡散希望』はミステリーエンタメ作品なので、伏線があって、回収あって、オチがあって、みたいな感じで安心して読めた。

    で、この感じで「デートピア」を読むと、けっこうとまどう。恋愛リアリティショーの状況で何か起きるのかと思ったら、途中から出演者(日本代表?)の中学生時代の友人に焦点が移る。ここがメインというくらい手厚い。その後、またこの南の島に話が戻ってきたから、何かどんでん返しがあるぞあるぞと思うが、ない。

    そうか、芥川賞受賞作ってそんな感じだった。エンタメ作品のように分かりやすい大団円を期待してはいけない。何かが起きなかったと書いたが、分かりやすいオチがなかっただけで、何かは起きている。いろんなことがほのめかされている。それを感じ取れるかどうかが、この手の作品を楽しめるかどうかなのかも。

    で、本にはたいてい著者のプロフィールが載っているが、安堂ホセ氏の属性については「1994年、東京生まれ」ということしか書かれていない。あとは、作品名や受賞歴など。男か女かも分からない(ホセだから男か)。ペンネームだろうか、ハーフか外国人だろうか。よく見かける学歴なども書かれていない。どんな属性なのかが気になってしまう。

    ・・・そんな人に向けた作品なんじゃないかと思った。

  • 『何者』と『富士山』と『傲慢と善良』

    最初に読んだのはたしか『富士山』(平野啓一郎 著)だった。婚活をしている女性が、マッチングアプリで知り合った相手のことを、どれくらい理解していただろうか(別れたあとの回想)と自問するような短編。

    傲慢と善良』(辻村深月 著)も婚活についての話で、相手を値踏みせざるを得ない状況で、登場人物の嫌な面がちらちら見えてくる重たい話。

    私が結婚した頃(20年以上前)は、マッチングアプリなどというものはなく(ガラケーはあったがスマホがなかった)、そのような目的のサイトは出会い系サイトと呼ばれ、ちょっといかがわしいイメージだった。結婚した知り合いがマッチングアプリで知り合ったなんて話を聞くと、オンラインで出会うためのシステムが、真面目な結婚を考える人使うものに、いつの間にかなっていたというのが感慨深い。

    どちらの小説も、意識的に「婚活」をしたことのない人(つまり私)が意識しなかった点に気付かさてくれる。相手のことをよく知らない段階で、この人が結婚する相手として適切かを判断・決断しなければならない。適切というのが微妙で、一生一緒にいて苦がないかみたいなものは自然と受け入れやすい観点だが、自分に釣り合うのか(これは通常、相手が低すぎないかを見ている)とか、ハズレを引いていないのか、この人で妥協できるのか、もっといい人がいるのではないか、みたいなことを考え出すと、急にいやらしい感じが出てくる。

    大抵の場合、おぼろげなタイムリミットが存在していたりする。なので、今付き合っている相手が「じゃない」場合は、すぐに別れて次の審査対象に移る必要がある。たぶん20年前には存在しなかったタイプの苦悩なんじゃないか。

    で、この状況が人を雇うときの「採用」に似ているなと。大企業が何十人も面接して、上位から何人か採るというのではなく、小さな企業や部門の面接官が、一人分のポストにふさわしい人材を探しているような場合。つまり、この人でいいなら採用、ダメならお断りする。でも、次にどんな人が応募して来るかはこの時点では分からない。今思えば、3人前の彼にしておけばよかったなんて状況もある。

    大企業なら次々と優秀な(だと企業が判断する)人が応募してくるかもしれないが、マイナーな中小企業なら、この程度の人材でも確保しておかないと、次に応募してくる人はいないかもしれない。学生の人気ランキングに入るような企業なのか、就活するまで聞いたこともなかったけどちょっと受けてみたみたいな企業なのか。婚活では、自分が前者なのか後者なのかを意識することになる。

    冒頭の二作と、『何者』(朝井リョウ 著)を並べてみたのは、婚活や就活(従来の就職活動ではなく最近のシューカツ的な)の類似性だったり、こういうものが文学のテーマになるんだなあという驚きだったり。

    この『何者』ですが、語り手の二宮拓人はいろんなことによく気付くタイプで、それゆえ他者の嫌な面に目が行ってしまう。アピール過剰な人、自意識過剰な人、まだなして遂げていないことを語り自分を大きくみせようと必死の人。そんなことをしたところで他人にはバレているよ、なんでそんなことに気づかないのか、想像力のない人たちだ、みたいな感じ。

    ほんと書き出し直後の、筋とはあまり関係のないところなんだけど、

    イェーイ、と、またあのあたりから歓声が上がった。俺の周りにいる人たちはステージ上にいる誰の知り合いでもないのだろう、どういう態度を取っていいのか決めかねているようで、結局ちびちびとドリンクを飲んでいる。

    学生バンドの卒業ライブをライブハウスでやっている場面で、ステージ近くで盛り上がってるのは主に関係者で、たまたま見に来たような人が居心地悪そうにしている場面。こういうときに無邪気に盛り上がって楽しめる人ってのもいるし、居心地悪いなと感じる人もいるし、うちわで盛り上がってしょーもな、と思う人もいるだろうけど、そうではなくて、居心地悪そうな人を観察している人、みたいな感じ。

    細かいことを気にしすぎている側面はありつつも、小説の主人公が他者の詳細を観察して様々な描写や評価を加えることはよくあることなので、序盤の展開に特に違和感は感じず。でも、本当に想像力が欠けているのはどちらなのだろうか、みたいな疑問点が少しずつ見えてくるあたりが面白かった。

    あなたの嫌なところに気付き、改善していくためにぴったりの作品。(「お前こそな」というツッコミ待ち)