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勝手に読書感想文。漫画も映画も含みます

投稿者: 管理人

  • 小砂川チト著『家庭用安心坑夫』

    先日、第一回 私が選ぶ「もうすぐ芥川で賞」を小砂川チトさんが受賞されましたので、私は小砂川さんの作品を全部読むことになりました。(いきさつ:2026年上半期の芥川賞を予想・・・はせずに、賞を新設する

    まず手始めに『家庭用安心坑夫』を読みました。出社(電車通勤)、昼休み(弁当を食べながら)、帰宅(電車通勤)で読めるくらいの、私が大好きな長さです。

    帯に「第65回 群像新人文学賞受賞」と書かれています。デビュー作なのですね。そして、「第167回 芥川賞候補作」とも書かれています。ということは逃したのですね。芥川賞は勝手にノミネートされて、勝手に落とされるので、なんだか告白していない人に振られた、みたいな感じにならないですかね。でも、あこがれのマドンナみたいな存在だから文句を言う人はいないんでしょうか。誰か、辞退したら面白いですね。「え? そういうんじゃないから」みたいな。

    そういえばレコード大賞は、「○○賞」を何作品かが受賞して、その中で「最優秀○○賞」を選ぶから、ノミネートされただけという結果はないですね。

    いいかげん内容に入ります。主人公の藤田小波さなみの父親は尾去沢おさりざわツトムという名前の炭坑夫(今は炭鉱夫という表記の方が一般的?)です。

    と、書いてこれが真実と言っていいかどうか、ちょっと迷うところです。実在する尾去沢鉱山を知っている人は、坑夫の名前が「尾去沢ツトム」という時点で、これは「坂井ほや丸」や「喫茶去きっさここひえもん」の類ではなかろうかと気づくかもしれません。誰が知っとんねんというツッコミに対しては、坂井市民とブルックス社員が知ってますぅー、と返しておきましょう。

    小砂川さんの『ゾンビ回収婦』では仮想空間が主な舞台でしたが、『家庭用安心坑夫』は現実世界を舞台にしつつも、何が現実なのか的カオス感は負けません。(今気づきましたが、「夫婦」になってますね)

    だいたい、小波の父親がツトムであるという設定が、ずっとよく分かりません。「生きている」ツトムも出てきますが、彼との関係もよく分かりません。ただ、アノニマスな殉職者のイメージがツトムに込められていると思うと、ちょっとグッときます。

    ツトムが何者かについては序盤に説明があって、

    秋田の実家近くには、〈マインランド尾去沢〉という廃鉱山を転用したテーマパークがあって、ツトムはその坑道の中腹に立っている、坑夫を模したマネキン人形のうちの一体だった。

    「マインランド尾去沢」は、今は「史跡 尾去沢鉱山」と改名して、8名以上の団体のみ受け付ける完全予約制になっているそうです。ツトムが誘拐されないための対策かもしれません。

    私はマインランド尾去沢に行ったことはなく、坑夫のマネキンを見たこともないのですが、けっこうイメージできます。史跡系にはよくあるので、類似したものを見たことある人は多いのではないでしょうか。縄文時代の展示とか(笑い飯の奈良県の歴史博物館のネタを思い出す)、お城にいる武将の人形とか、工場で働く人の人形とか。何年も前からそこにいて、そして何年後にもそこにいるであろう存在に思いを馳せる感覚。

    あの人形の質感。リアルなようで、よく見るとそうでもない造形。雑に扱われる宿命。博物館以外でも、田舎道でたまに見かける警察官の人形も味があったりしますよね。『ブラックジャック』の『人形と警官』の回を思い出します。

    小砂川さんは、言葉を発さない、感情を持っているのかどうかもわからないような人間ならざるもの、そしてそれに対して登場人物が抱く複雑な感情やインタラクションを描写するのに長けているのだなあと思いました。小波とツトムの鍋のシーンには、今年の「鍋・オブ・ザ・イヤー」をあげたいくらいです。ついでなので、『ゾンビ回収婦』には、「サプライズ・オブ・ザ・イヤー」をあげておきます。

    ・・・とここまで書いて、読んでいない人は何のことだ分からないかもという気もしてきました。でも、はっきり認識しました。私はこれらの本を「紹介」しているのではなく、『坑夫』や『ゾンビ』を読んだ人と感動を分かち合いたいのだと。地図は載せませんので、お腹をすかせて、探してください。

  • 『フラニーとゾーイー』に出てくる『巡礼の道』は、『無名の順礼者』というタイトルで出版されている

    私がこの『無名の順礼者』という本を読むことになったきっかけは、J.D. サリンジャーの『フラニーとゾーイー』にこの本が登場したからです。

    短篇『フラニー』の中で、フラニーが読んでいた『巡礼の道』というタイトルの本が、この『無名の順礼者』です。タイトルが異なりますが、同一のものを指しています。『無名の順礼者』の表紙には英語版の書名である『THE WAY OF A PILGRIM and THE PILGRIM CONTINUES HIS WAY』というタイトルも併記されています。”pilgrim”とは巡礼者のことです。『(ひとりの)巡礼(者)の道(旅) そして 巡礼は旅を続ける』くらいの意味でしょうか。

    日本語で「巡礼」というと「巡礼する行為」を指すこともありますし、「巡礼する人」を指すこともあります。後者の使い方は前者ほど一般的ではない気がしますが、「一人の巡礼がいた」とか「巡礼さん」とか、そんな使い方もします。行為としての巡礼を表すのには “pilgrimage” という単語があるので、『フラニー』に出てきたタイトルは『巡礼(者)の道』と解釈するのが自然でしょう。

    また、日本語には「巡礼」「順礼」の2つの表記があるので、ややこしいですね。とにかく、両者が同一のものであることは、書籍の内容でも確認できました。

    『フラニー』中では、こんな感じで登場しています。ボーイフレンドのレーンから、さっき読んでいた本は何? みたいに聞かれ、フラニーは答えます。(引用は新潮文庫の野崎孝 訳からです)

    「題は『巡礼の道』っていうのよ」(略)「図書館から借り出したんだけど、今学期出ている『宗教概説』っていうの、それを教えている先生が名前を挙げた本なの」

    「誰が書いたんだい」

    「知らない」(略)「ロシアのお百姓さんみたい」(略)「全然名前が出てないのよ。最後まで名前は分からないんだな。作者はね、自分が百姓だということと、歳が三十三だということと、片方の腕が麻痺してるということしか言わないの。それから奥さんがなくなったということ。みんな1800年代のことなんですって」

    説明は続きます。

    「(略)初めはね、そのお百姓さん――というのが、その巡礼なのよ――これが、聖書の中に、絶えず祈れとあるのはどういうことなのか、その意味をつきとめたいと思うの。ね、分かるでしょ。休む間もなく祈るんだわ。テサロニケ書かどこかにあるでしょ。そこで、その人はね、絶えず祈るにはどうすればいいのか、それを教えてくれる人を探してロシア全土の旅に上るの(略)」

    このあと、巡礼者は街で出会った子供に連れられて、彼らの家に行くというシーンがあります。そこで、フラニーが「これまでに読んだ本の中の誰よりも好きだわ」と形容する夫婦にもてなされます。

    では、今度は『無名の順礼者』のほうからの引用です。

    聖堂に入り、しばらくお祈りをしてからふたたび歩き始めますと、わたしのうしろから「順礼さん、順礼さん、ちょっと待ってちょうだい」という声が聞こえました。こうわたしに呼びかけたのは、さきほど教会のそばで遊んでいた、男と女の二人の子どもです。(略)「わたしのお母さんは順礼さんが大好きだから、お母さんの所へよって」

    これと同じシーンが『フラニー』にも出てきます。「順礼さんが大好き」というのも変な表現ですが、この家の「奥さま」は巡礼者に親切にしたり、巡礼者の話を聞いたりするの好きみたいな感じです。

    お昼の時間になり、その家の食卓に着くのですが、奥さん以外にも食卓に同席している女性たちがいます。その女性たちはお皿を運んだりといった給仕をしながらも、一緒の食卓で食事もしているという状況です。巡礼者はちょっと不思議に思い(通常は「主人」なのか「召使い」なのかが明確なはずなので)、

    わたしは奥さまに、「失礼ですがこのご婦人がたはご親類のかたですか」と尋ねてみました。すると奥さまは、「そうです。みんなわたしの姉や妹です」と言って一人々々をゆびさしながら説明してくれました、「この人は家のコックさん、あの人は御者の奥さん、それからそちらがわたしの小間使いの人です」

    私は最初、肉親である姉や妹がコックや小間使いをしているのかと勘違いしてしまいましたが、この「奥さま」の発言については、フラニーの説明を聞くと、腑に落ちます。再び『フラニー』からの引用。

    「みんな召使なんだけど、いつも自分たち夫婦といっしょに坐って食事をする、それはみんながキリストにおいて姉妹きょうだいだからだって」

    「みんなわたしの姉や妹です」という奥さんの発言は比喩なんですね。フラニーはこのシーンが気に入っているようで、

    「わたしはね、その巡礼が、そこにいるご婦人がたは誰かって尋ねるとこ、そこがとてもいいと思ったの」

    と言います。

    このあたりのフラニーとレーンの会話は食事中に行われています。レーンはあきらかに興味がない様子で、関係のない、かみ合わない発言を繰り返します。あげくに自分が書いたという論文を「あれをどうこうする気持は全然ないつもり」と言いながらも、「活字にするとか、なんとかね」みたいな持って回った言い回しで、スノッブ臭をぷんぷんさせてきます。

    具体的に理由までは表現されていませんが、元農夫の素朴な順礼、彼に親切にする善良な人々の話と、自分のまわりのエゴ丸出しの人間たちを引き比べて耐えきれなくなったのか、フラニーはそのまま気を失い、その後、すっかりふさぎ込んでしまいます。ここまでが連作短篇の一作目の『フラニー』。

    二作目の『ゾーイー』では、兄のゾーイーがふさぎ込んだフラニーの誤解(?)を解くために、長い長い会話を通じての説得を試みます。もちろん『フラニーとゾーイー』だけで作品として楽しめるのですが、『巡礼の道』こと『無名の順礼者』を読むことで、なぜフラニーがそれほどまでにこの本に耽溺するようになったのか、を実感することができるんじゃないかと思います。

    ちなみにこの『無名の順礼者』、現在では入手するのが非常に困難です。巻末にこんな説明があります。

    本書は1967年に刊行されたドイツ語原本による旧訳本第一の物語より第四部までと、第五部以下の第七部及び付録とを英語訳原本から訳出し完結本として刊行された。題名は「無名の順礼者」が踏襲された。

    尚、本物語の中にしばし登場する「修徳の実践」は現在未完であるが、近年中に刊行される予定である。

    ちょっと表現が分かりづらいですが、エンデルレ書店から1967年に出版されたものは、第一の物語~第四の物語が収録されていて、同じくエンデルレ書店から1995年に出版されたものはさらに第五~第七の物語が追加されているということらしいです。

    『修徳の実践』は順礼が聖書とともに持ち歩いている書物で、彼はこの本の解釈を隠修士に教えてもらったり、時には出会った人に読んで聞かせてあげたりしています。

    3書ともすでに絶版になっていて、アマゾンでは古書が1万円~2万円のような値段で売られています。また、出版元のエンデルレ書店はすでに廃業しているので、この出版社から復刊される可能性は期待できないということですよね。とりあえず復刊ドットコムのリクエストに投票しておきました。投票が多いと復刊されることがあるようです。本書については、今の票数を見ると、なかなか厳しそうですが。

    『無名の巡礼者 あるロシア人巡礼者の手記(ローテル訳)』 レビュー一覧 | 復刊ドットコム

    私が今回借りて読んだものは、1995年出版のほうで、川崎市の図書館にリクエストしたところ所蔵がなく、提携している横浜市立図書館から取り寄せてもらったものになります。他の自治体からの貸出は延長もできないし、取り寄せに時間もかかるので、やはり手元に置いておくか、自分が住んでいる自治体の図書館に所蔵されるのが理想です。

    第一の物語から第四の物語までが一区切りで、その後は後日談とか対談(鼎談)のような感じなので、主要な部分という意味では第四の物語まででいいと思います。薄めの文庫本くらいの量になると思うので、1000円切るような文庫本にして、『フラニーとゾーイー』(もしくは『フラニーとズーイ』)の横に並べれば、ちょっとは売れると思うんですけどねえ。そんなに甘くはないですかね。

  • 村上春樹の短篇小説『夏帆』を読む

    『夏帆』は長篇でしょ? ニュースでもそう言ってたよ。3年ぶりの長篇だって。と、つっこまれるのを期待した記事タイトルでした。

    『夏帆』の単行本の発売日の数日前、自治体の図書館サイトで、先行予約とかやっていないかな、などと淡い期待を抱きながら「夏帆␣村上春樹」で検索してみました。アマゾンじゃあるまいし、発売日前に貸出予約なんてことはできなかったのですが、ヒットする書籍があるじゃないですか。文芸誌というやつでした。

    その『新潮』(2024年6月号)を借りてみると、果たして『夏帆』が掲載されていました。特集記事の冒頭にこう書かれています。

    2024年3月1日、早稲田大学・大隈記念講堂で、世界が注目するふたりの日本人作家による朗読イベントが行われました。題して、〈『村上春樹×川上未映子 春のみみずく朗読会』――みみずくは春に本を読む〉。(略)

    本特集では、この日のために村上・川上両氏が書き下ろした新作短篇小説と、作品の朗読を間近で聴いた詩人 マーサ・ナカムラ氏によるレポートを掲載し、(略)

    「新作短篇小説」とあります。『夏帆』は最初、短篇として書かれたものだったんですね。朗読会が開催されたのは2024年3月1日とのことですので、2年以上前になります。2年以上前から『夏帆─The Tale of KAHO─』の断片(?)は発表されていたんですね。

    でも、内容は同じなんでしょうか? タイトルに共通部分はあるけど、全然違う内容という可能性もあります。『夏帆─The Tale of KAHO─』の第一章の冒頭部分が特設サイトで「試し読み」として公開されているので、新潮2024年6月号の掲載されていた『夏帆』と比較してみました。

    同じでした! いや、違うといえば、違うところもある。大筋では一致しているのですが、微妙に変更されています。

    例えば、新潮に掲載された短篇の書き出しは、

    「これまでいろんな女性とデートのようなことをしたが」とその男は言った。「正直いって、君みたいな醜い相手は初めてだ」

    ですが、『夏帆─The Tale of KAHO─』の書き出しは、

    「これまでいろんな女性とデートのようなことをしてきたが」とその男は言った。「正直いって、君みたいな醜い相手は初めてだよ

    間違い探しのような違いですが、この2年の間に直したのでしょうか。こんな違いもありました。

    新潮版、

    夏帆は受話器の前で一瞬間を置いた。電話番号の交換? それから言った。「いいえ、していない」

    単行本、

    夏帆は受話器を握ったまま一瞬間を置いた。電話番号の交換? それから言った。「いいえ、していない」

    微妙な違いですが、作家さんのこだわりなんでしょう。

    ちなみに、試し読みのほうは、「試し」だけあって、中途半端なところで終わっています。本屋に向かいたくなるような、うずうずさせるようなところで切れてます。

    新潮の掲載は短篇という体裁なので、最後はちゃんと「(了)」で終わっています。でも、朗読会で読んだ分量ですので、それほどのページ数はありません。「試し読み」のほうを3ページ半だとすると(ページの正式な数え方が分からないので相対値でイメージしてください)、新潮に掲載されていた「短篇」のほうは追加であと7ページくらいでしょうか。広告が入っているので数えにくい。さすがに、試し読みでは物足りなかったと思いますが、「短篇」の約1/3程度が試し読みできるようになっています。

    書き出し冒頭の侮辱発言、夏帆のリアクション、男の意図は? ぐっと掴んできますね。ちょっとした社会風刺も含まれてて、ルッキズムの対象(≒被害者)自身が、それを助長しているんじゃないか、みたいな。

    夏帆は、性格なのか、容姿や生い立ちのせいなのか、完全にルッキズムの毒からはフリーな状態でした。なのに、男の一言でそれが揺らぎかけます。男から受けた毒から回復する物語としてみると、ゼロがマイナスになって、またゼロに戻ったみたいなことになりますが、この経験によって成長して本当のルッキズムフリーを手に入れた(つまりプラス)というようにも読めます。

    これを読んで思い出したエピソード。私は背がどちらかというと低いほうです。めちゃめちゃ低いというわけではないですが、まあ低いです。私がこのことに気づいたのは、なんと大学生になってからでした。学生友達の一人が冗談っぽく「チビのくせによく食べる」みたいなことを言ったんです。私は、(ん? チビ? え、そうだっけ?)という心境。それ以来、意識してまわりの人と見比べるようになり、確かにその友人の言う通りであることを確認しました。

    他人が二人並んでいれば背の違いは一目瞭然ですが、自分と他人の背を比べるのはけっこう難しいです。自分が他者と写っている写真を見たり、ショーウィンドウに映った姿を見れば比べられますが、そもそも気にしてもいないので、注意して見ることもありません。そう、私は18年間自分の背について何も考えずにいられたのです。夏帆みたいでしょ。

    掲載された短篇の範囲を読む限り、夏帆がいわゆる美人なのか、そうでないのかは判然としません。どちらでも成立します。醜いからこう言われたのか、美しいのにこう言われたのか、その部分はこの物語では重要ではないのかもしれません。

    映画など映像化してしまうと、どうしても俳優の美醜の要素が入ってきてしまいます(もちろんそれも主観にすぎないのですが)。小説は、不要な要素に触れないでおける稀有な表現媒体だなと再確認したのでした。

  • 川崎市立図書館での『夏帆 The Tale of KAHO』の競争率

    村上春樹氏の『夏帆 The Tale of KAHO』が今日(2026年7月3日)発売されました。3年ぶりの新作だそうで。図書館ユーザーならご存じかと思いますが、人気作家の新刊など、そう簡単には借りられません。気づいたころには予約が数百件とか、数千件とか。

    今回事前に察知した私は、図書館のサイトで数日前から検索してみていたのですが、ヒットしません。まあ、そうでしょうね。

    いつ登録され、貸出や予約が可能になるのかはよく分からないのですが、発売日の当日というのが一番ありそうです。

    本日(発売日7月3日)いつものように午前4時過ぎに起き、検索してみましたが、依然として所蔵なしです。

    午前10時頃、仕事の合間にふと思い出し、検索してみると、なんとヒットするじゃないですか。大急ぎで(誇張)予約してみましたが、数時間のうちにすでに42件も予約が入っていました。早いなー。データベースが更新されるのを待ち構えて予約を入れた方々でしょうか。

    年を取ると、また桜の季節か、みたいな感じですぐに一年とか経つので、待つのはぜんぜん平気だったりするんですが、まだ若くて待ちきれないという人は、 村上春樹『夏帆─The Tale of KAHO─』特設サイト | 新潮社 で、「第一章 冒頭 試し読み」ができますよ。

    私も今日のところは「試し読み」を読んで寝ます。4時に起きなきゃいけないので。


    2026年7月5日追記
    第一章に相当する部分だけですが、2年以上前に文芸誌に掲載されており、それを読むことができました。
    村上春樹の短篇小説『夏帆』を読む


  • Audibleに加入した気分で『火花』を聴く

    Audibleは魅力的なサービスです。ぜひ利用したいところですが、経済的な余裕のない私は、図書館で借りたオーディオブック(CD)を聴くのでした。

    又吉直樹氏の『火花』を見つけました。『花火』ではないし、出版社は「ぶんじゅくじゅんじゅう」でもありません。たしか、何かの賞をとっていたはずです。名前から言って、直木賞にちがいない、などという冗談は100万回くらい発せられていそうだから、今回は言わない。いや、もう言ってしまっている。

    4枚組になっていて、それぞれ別資料扱いになっているため、いっぺんに借りることができません(この図書館では視聴覚資料は1回2点まで)。4枚組って、文庫本よりかさばるじゃないか、何の罰ゲームだよ、mp3かなんかに圧縮して1枚に入れてくれ、と思うようなモノグサな人のためにAudibleのようなサービスがあるんだろうと思うと、文句は言えない。いや、もう言ってしまっている。

    朗読しているのは堤真一さんでした。なのでAudible版と同じ音源だと思います。関西弁の台詞がほとんどなので、兵庫県出身の堤さんを起用したのはぴったりだと思います。よそもんが、関西弁つこてるのなんか、聞いてられへんもんなあ。ね? 聞いてられないでしょ。でも、金鳥のCMの長澤まさみさんの関西弁は好きです。ぞんぞんします。ぞんぞんは何弁でしょうか。ここではいい意味です。

    そして、新しい発見がありました。『火花』の朗読をスマホに入れて、最寄り駅まで歩いている間に聞いていると、Audibleに毎月1500円払っているような、そんな気分に浸れました。ちょっとつぶやけば、さらに気分は盛り上がります。「人はAudibleを聴くと、通勤時間がお笑いライブ会場になるらしい」とかなんとか。オーディブルの「ブル」とフレンチブルドックの「ブル」がかかっていることに気づいたときには、膝を打ったものです。しょーもなっ、と。

    『火花』はすでに1回読んでいました。芥川賞受賞で盛り上がって、その後、ほとぼりが冷めて、図書館でも借りやすくなった頃に。つまり、綾部さんがアメリカに行く、ちょっと前です。

    一度読んでも、内容はほとんど忘れていたので、もう一度楽しめました。この調子なら10年ごとに何度でも楽しめそうです。妻も読んだと言っていたので、ちょっと感想を聞いてみたのですが、豊胸のくだりは覚えていないとのこと。「じゃあ、逆に何だったら覚えているの?」と聞きたかったのですが、喧嘩になるといけないので、ぐっと飲み込みました。

    読み終わったあとで、 又吉直樹(またよし なおき)-芥川賞受賞作家|芥川賞のすべて・のようなもの を見直すと、また楽しめます。

    高樹のぶ子氏の評に

    優れたところは他の選者に譲る。私が最後まで×を付けたのは、破天荒で世界をひっくり返す言葉で支えられた神谷の魅力が、後半、言葉とは無縁の豊胸手術に堕し、それと共に本作の魅力も萎んだせいだ。

    とあって、そうそう、豊胸のところいるかなあ? と私も感じたのを思い出しました。でも、今思うと、神谷先輩の異常性(変態性)を際立たせるためには、これくらい意味の分からないエピソードを入れておくのもよかったのかもとも思いました。

    私が好きだったのは、神谷先輩が徳永(主人公)の髪形や服装をそっくり真似するエピソード。真似しないでくださいよ、というツッコミ待ちではありませんでした。神谷先輩にとっては笑いと直接関係のない髪形や服装は頑張るところではなく、単にかっこいいと思ったからそのまま真似していたという理由が、あとから明かされます。これを例えるのに、定食屋で人が食べているもの見て、おいしそうだから同じものを注文するくらいの感覚、という表現がされていました。「真似するな」とか、「オリジナリティがない」とかそんな風にはならないですよね。神谷先輩にとっては、服装とか髪形はそういうものだったという話。

    前述の芥川賞のサイトを見ていて、再発見があったのは、小川洋子氏の評での「天才気取りの詐欺師的理屈屋、神谷の存在」という表現です。私は、「世に受け入れられない天才的な漫才師」みたいな先入観を持って読んでいたので、あー、そうか、本当にしょうもない芸人に心酔してしまった主人公の話、と読めなくもないなあと思いました。

    ニュートラルな状態で一度読む、他の人の意見を見る、もう一回読む(聴く)というのは、なかなかおすすめの流れです。

  • 2026年上半期の芥川賞を予想・・・はせずに、賞を新設する

    ノミネート5作を全部読み終えたので(『ソリティアおじさんがいた頃』『アンチ・グッドモーニング』『丹心まごころ』『ゾンビ回収婦』『悪い血』)、さっそく選考に入ろうと思います。とはいえ、築地の料亭の招待状が、私には来ていませんので、勝手に予想する、ということになりましょうか。

    競馬だと、上位いくつかの順位に対して、どのような条件で当てるかで、単勝、連勝複式、連勝単式とかありますよね。私はギャンブルはやらないので知らなかったのですが、最近は「連勝複式」とか「連勝単式」て呼び方ではないんですね。それぞれ「馬連うまれん」「馬単うまたん」というみたいです。ちなみに、落語「らくだ」に出てくるのは「馬さん」です。

    芥川賞では順位が出るわけではないので、5作がノミネートされているなら、以下が場合の数(お、懐かしい)になりますね。

    1作受賞:5通り {1}{2}{3}{4}{5}
    2作受賞:10通り {1,2}{1,3}{1,4}{1,5}{2,3}{2,4}{2,5}{3,4}{3,5}{4,5}
    該当なし:1通り

    それぞれどれくらいのオッズになるのでしょうか。絶対やっている人いそうですね。違法ですよ。

    ちなみに、私はノミネート作を全部読んだのは初めてです。また、この作品は受賞したけど、この作品は受賞を逃した、みたいに比較する観点で読んだこともありません。つまり、どういう作品が選ばれる傾向にあるかについて、なんら情報がありません。

    こういう状況で予想することを何て言ったっけ。そうだ「当てずっぽう」だ。ずっぽうって何だ。

    まあ、当たる気もしないし、外したときに、「ちゃんと読んだのか」とか、「お前の目は節穴か」とか、「たまには買って読め」とか、厳しいご意見が来そうなので、予想するのはやめておきます。

    かわりに新しい賞を新設することにしました。「もうすぐ芥川で賞」です。ノミネート作品は芥川賞のノミネート作品に準じます。発表時期は芥川賞のノミネート作が発表されてから、受賞作が発表される前までの間です。

    もし本物のほうの受賞を逃した場合は「もうすぐだったね」という意味合いになり、もし本物のほうを受賞してしまったら、つじつまがあわなくなるので、「もうすぐ芥川賞発表の時期だね」という意味に解釈することにします。(ことにします、ってなんだよ)

    賞金や商品はありません。勝手にトロフィーとか送ったら不審物扱いされてしまいます。でも、何かあげたいです。作家がうれしいもの。それは何でしょうか? きっと、たくさんの人に読んでもらうことだと思います。なので、「受賞作の作家さんの作品を死ぬまで読む」にしました。そう、私が死ぬのが先か、お前が死ぬ(断筆する)のが先か、という勝負です。

    審査は、今朝がたから閉鎖された密室(私の頭の中)で行われており、先ほど天使と悪魔の勝負がつきました。

    では、第一回「もうすぐ芥川で賞」の発表です!

    その前にCM。

    (ここにアドセンスの広告でも入れたいところだが、一向に申請が通らない)

    「歩きスマホは犯罪です ♪エ~シ~」

    お待たせしました、発表です。

    どん、小砂川チトさん『ゾンビ回収婦』です。

    ご本人は、「それどころじゃない」ということで、ご欠席なので、あとは審査員の独り言をご覧ください。真面目に読まないように。


    ゾンビ回収婦

    ゾンビのサプライズのところで泣きそうになったので、これに決定。ゾンビって突然出てきて人をサプライズさせたりしますが、そうではないサプライズのほうです。話の流れからいって、それが現実でないことはわかりつつ読んでも、やっぱり感動的な妄想でした。それほどまでに、誰かに感謝、評価されたいという主人公の願いですね。

    ゲームや仮想世界へ依存している状況が描かれていますが、主題はそこではなくて、現実世界であっても、仮想世界であっても、どの世界にいようとも逃れられない、人間の渇望なんだなあと思いました。

    シャツに書かれた「(A)LASKA」を、ニックネームに使うあたりも加点ポイントです。澤部さんを思い出して、じわじわ来ました。


    アンチ・グッドモーニング

    不眠というごく個人的な体調不良をテーマにしつつも、ブラック企業がウェルビーイングを売りにしているという皮肉な設定での風刺も効いています。これ、一見いい人に見えて、実は人の気持ちを全然理解できていない夫との重ね合わせになっているんですかね。ヒヨコなんか持って帰ってくんなよ。この夫のビミョーに嫌な(うかうかしていると、いい夫に見えてしまう)描き方が好きです。


    ソリティアおじさんがいた頃

    定年後はすっかり思い出すこともなくなっていたソリティアおじさんこと黒野田さんのことを、その死をきっかけに深く考えるようになり、いろいろなことも思い出し、主人公の行動にも影響を与えるという展開が好きでした。派手な出来事や、どぎつい描写はないのに、胸を突かれるような感覚がありました。人生何が起きるかわからないし、なんでこうなっているかわからないし、他者が何を考えているかもよくわからないけど、それでもまあ、やっていくしかないじゃないという感覚は、意外と心地よい読後感でした。


    悪い血

    ずばりの「呼称」が出てきて、びっくりしました。でも、あれはああ表現するしかないですよね。登場人物の発言なので。これを言い換えたりすると、その人はそんな言葉は使いそうにない、という違和感につながります。カムイ伝で、失明したカムイをかばう村人が使った言葉が差別用語だということで、「相手は目が不自由でねえか」と言い換えられていた事例を思い出しました。江戸時代の人はそんな言葉は使わない。言い換えがいかに作品をダメにするかを考えると、やはりああするのが良かったのでしょう。

    幸福を追い求めるのではなく、かといって、意図的に悪いようにしたいわけでもなく、何も選ばないという生き方を選択するという気持ちにはなんだか共感できます。選んだけれども叶わないくらいなら、選んだことを批判されるくらいなら、みたいな。私もよく、内容を確認せずに、日替わり定食を選択します。


    丹心まごころ

    比喩が多いわりに、客観的な描写が少なく、誰の行動なのか、誰の発言なのか読み取れないところがありました。何度読み返しても、判然としない(どうとも取れる)ような箇所が複数あり、著者の意図がこちらに伝わりきれていないのはないかというストレスを感じました。ただ、映像化するなら本作です。中国政府の全面的な協力が得られれば、壮大で見せ場の多い映画になりそうです。ただ、共産党が爛尾楼làn wěi lóuという中国の恥部を認めるわけもなく、そんなものは存在しないと习习xí xíは言うかもしれません。


    では、また半年後に会いましょう。

  • 『悪い血』と私小説

    2026年上半期の芥川賞ノミネート作、鈴木涼美すずみさんの『悪い血』を読みました。5作品ノミネートされていたうちの、5つ目に読みました。順番は図書館の貸し出し状況次第です。

    『悪い血』は主人公の女性が病院で検査のための採血をされているシーンから始まります。何か問題があったというわけではなく、妊婦さんが全員受ける検査の一つのようです。幸せいっぱい、な感じは全くなく、ちょっとけだるいトーンです。

    描写が判然としません。一人で病院に行っているのかと思ったら、突然、右手を握る「彼の握力」が出てきます。が、それ以上は触れず、移動や風景や記憶の描写が続きます。そして、しばらくして、「彼の左手の指に繋がれたままだったので」なんて出てくるけど、また風景や心情の描写、その後やっと、会話が出てきて、ああ、ずっと二人だったんかい、となる。

    作文だったら添削したいところです。「そこに誰がいるかちゃんと説明してから話を続けないと分かりにくいでしょ」と。読み進めると、この分かりにくさが意図的なものであることがだんだんわかってきます。主人公の女性は大げさに言うと、ちょっとした心神耗弱状態なのでしょう。思考が渋滞しているせいで、目の前の男性(赤ちゃんの父親)のことが眼中にない感じです。病院の帰りに外食するシーンでは会話が交わされ、一見したところ正常な状態になったように思えるのですが、夜中になって、ある考えに取りつかれて病院に向かいます。その考えがタイトルにもなっている「悪い血」というわけです。

    どこにいるのか、何が起きているかがつかみにくいです。風景の描写がいつのまに回想になっていたりします。その、混乱した文章の展開が、自分はなぜここにいるんだ、なんでこんなことをしているんだ、という感じを読者に印象づけます。なので、よく分からなくなっても読み進めましょう。

    えぐいシーンがけっこう出てきます。「面白かったから、読んでみたら?」と子供には勧めにくいです。体感的にはR18指定です。小説にそういうのってないのでしょうか。ビニールで包んだりとか。

    夜のお店でのサービスの描写、行為の描写、あげくは、テレビやラジオでは言ってはいけないとされている、「そのままの呼称」とか。攻めてます。こんな攻めた小説が芥川賞をとったりするのでしょうか。審査員は攻めるのでしょうか。Audibleで朗読されたりするのでしょうか。朗読する声優さんや俳優さんの事務所からNGが出そうです。「ピー」を入れるわけにもいきません。

    この夜の描写のリアリティはどこからくるのかと思ったら、鈴木涼美さんの経歴を見て納得しました。本人の体験とは限らないでしょうけど、そういう界隈に近づいことがあるかどうか、常連なのか一見いちげんさん(取材という手もあるし)なのかは、聞いた話や想像した話であったとしても、その臨場感に差を生み出すものなのでしょう。

    芥川賞の候補作は重たい作品が多いですが、この作品に感じたのはルポルタージュのような重たさでした。本当にそんな風に考えて、どんどんおかしな方向に行ってしまう人がいるような、実在するんじゃないかと思ってしまうようなそんな感じ。私は男なので主人公側の視点は持ちにくいのですが、女性であるがゆえに、何もかもを手に入れられるかもしれない錯覚と、何もかもを失ってしまうかもしれない錯覚が同居する感覚、その感覚を生み出すのに、必ず絡んでくるのが男であるという実情はひしひしと感じます。

    この『悪い血』はいわゆる私小説ではないのですが(現代で私小説を書いている作家はいるのだろうか?)、作家の生い立ちや体験が随所に現れている気がします。小学生のときに海外生活を送っていること、中高生のときにコギャル(死後?)だったこと、形態は微妙に違えど夜の仕事についていたこと、最近出産を経験していることなど。理系と文系で異なりますが、お父さんが学者肌だったあたりも。

    もちろん相違点も多いです。鈴木さんのお父さんは存命ですし、主人公は高校中退ですが、鈴木さんは修士課程を修了しています。海外滞在していたのはアメリカではなくイギリスだし。あと、赤ちゃんはすくすくと元気に育っています。(お子さんとの微笑ましいエピソードを書いた鈴木さんのエッセイが、同じ『文學界』2026年6月号に掲載されていて、『悪い血』とのコントラストが面白い)

    小説というフィクションでありながら、作者の体験や思想も色濃く反映されてくるあたり、円城塔さんが言っていた「私小説じゃない小説はありえるのか」という問いを思い出します。

    又吉さんの『火花』も、『東京百景』と見比べるとよくわかるけど、笑いに対するこだわりみたいなのが散りばめられている感じだったし。先輩との会話でボケることが普通になってくると、ボケないことが、逆にボケになる、みたいなこじらせ気味のシーンがありました。

    今回ノミネートの『丹心(まごころ)』の中国経済ハードボイルド感には、仁科れんさんの「東京都生まれ、香港、上海、ロンドン育ち」という経験が明らかに反映されているでしょうし、きっと、『ゾンビ回収婦』の小砂川こさがわチトさんは、尿意をがまんしながら、VRゲームにはまった経験があるにちがいない。「すわバグかと思われるほどの長い長い放尿」というのはなかなかのフレーズです。

    私小説といえば、最近読んだ中では、宇野千代の作品が衝撃的でした。30年を経て書かれた別の作品に、ほとんど同じプロット(40歳の宇野千代と71歳の宇野千代の私小説)。これは実体験をほぼそのままベースにしているということなのでしょう。でなければ、ものすごいマンネリです。

    『悪い血』に話を戻しますと、私が好きだったのは、回想に出てくるお父さんの台詞。お父さんの死後の出来事である、主人公の知り合いの死に言及している時点で、主人公の妄想である可能性が高いです。でも、自分を勇気づけた他者の言葉みたいなものが、実は自分が作り出したものである(他者発であるけれども曲解しているとか)、なんてことはけっこうあるんではないかと、そしてそれでもいいんではないか、という気もしたのです。


    2026年7月14日追記
    続報です。
    2026年上半期の芥川賞を予想・・・はせずに、賞を新設する

  • VRゲーム、AI、働くこと『ゾンビ回収婦』

    2026年上半期の芥川賞ノミネート作、小砂川こさがわチトさんの『ゾンビ回収婦』を読みました。ノミネート作の中でも異色です。ゾンビが出てくる文学って、よくあるのでしょうか? ラノベとかなら分かりますが、本作は全然ライトではありません。

    主人公は30代の女性。AIに職を奪われ失業したのを期に、VRゲームに没頭します。タイトルからわかるように、ゾンビと戦うVRゲームです。そしてこれもタイトルからわかるように、彼女の仕事はゾンビを倒すことではなく、その屍(もともと屍?)を回収することです。

    ゾンビゲームといえば、プレイステーション(初代)のバイオハザードあたりで、私の知識は止まっています。最近のVRゲームがどんなことになっているのかも、いまいちイメージが湧きません。ネットで仮想世界に接続して、その場でプレイヤー同士が相互作用するような遊び方みたいですが、きっと面白いんだろうなと思いつつ、この手のゲームも遊んだことがありません。仮想世界といえば、「Second Life」が最後の記憶です。

    『ゾンビ回収婦』が掲載されたのは『群像』という文芸誌の2026年5月号です。『群像』の読者の年齢層ってどれくらいなのでしょうか。VRゲームの描写に50代、60代あたりの読者はついていけているのでしょうか。まあ、でもそれはあまり関係ないのかもしれません。現実と虚構の判別が曖昧になる現象は、昭和のやくざ映画の劇場出口でも、よく観察される光景でした。

    VRゲームの中が主な舞台である以上、ほとんどのイベントは仮想世界での出来事になります。とはいえ、ファンタジー小説でもSF小説でもありません。主人公の言動は、彼女の現実世界での経験に深く根差しています。育った環境、仕事で受けてきた待遇、AIに職を奪われたことによる失業、よくわからない理由で家を出て行った夫など。なので、イベントが仮想世界で起きていようが、主人公の行動や思考は現実世界と強くリンクしたものになっています。むしろ、現実世界では気づかなかったことを、仮想世界で再確認していくようなプロセスが描かれています。

    「働くこと」に対する意識がテーマになっています。主人公は仮想世界で非常に熱心に働きます。そんなバカな、という気もしますが、この仮想世界では倒されたゾンビは放置され、誰かが「回収」しないと床が見えなくなるほど蓄積していきます。血が飛び散った窓も拭かなきゃいけないし、床もモップがけしないといけません。主人公が仕事をしないと、この仮想世界は回っていかないことになってます。

    そんな大変な仕事をしている以上、ホテルの支配人に評価されたい、誰かに感謝されたい、仕事を認めてもらいたいという感情が主人公に起こります。しかし、それがかなえられることはありません。

    このあたり、現実世界のエッセンシャルワーカーと重ね合わせているんでしょうね。ほんのちょっとエッセンシャルワークが滞っただけでどうなってしまうのか、私たちはコロナのときに目撃したはずです。にもかかわらず、何か問題が起きるまで、気にも留められない仕事というものが世の中には存在して、そのような仕事の一つをゾンビの回収で比喩したのでしょう。

    もう一つ、指導する/される側、評価する/される側、期待する/される側など、立場の異なる両者の思いのすれ違いも描かれています。主人公は、親、部活の顧問、会社の上司などから、期待をかけられ、それに応えようとし、でもうまくいかず、失望させる、ダメ出しされる、という経験がトラウマのようになっています。自分が苦しめられたこれらの重圧を、無意識のうちに、自分が他者にかけようとしていたことに気づき愕然とします。他者とは誰でしょうか? それは、タイトルからわかるように・・・

    ゾンビ、ゲーム、仮想世界という、一見突飛な設定を使いつつも、実は人間の根源的な渇望について描きだそうとしたのが、この小説、『ゾンビ回収婦』なのでした。


    2026年7月14日追記
    続報です。
    2026年上半期の芥川賞を予想・・・はせずに、賞を新設する

  • 『丹心/まごころ』を読み解くための中国語

    2026年上半期の芥川賞ノミネート作品の中で、仁科斂さんの『丹心』はハードルが高いものとなっております。まず、タイトルが読めません。掲載されていた新潮の2026年4月には『丹心まごころ』のように振り仮名が振ってあります。「丹心」という言葉は国語辞典には載ってはいますが、読み方は「たんしん」であって、「まごころ」という読み方はありませんでした。いわゆる当て読みということでしょう。

    つまり、九城伸明が『ピエロンリー』で、「地球ほし」と読ませたり、「山手通りいつもの帰り道」と読ませたりしていたのと同じですね。

    国語辞典によると、「丹心」の意味は「まごころ」で、福沢諭吉の『学問のすすめ』での、「唯和して真率なる丹心あるのみ」という用例が載っていたので、日本語としても使われていたのでしょうが、現代の日本で目にすることは少ないように思います。小説のバックグラウンドを考えると、ここでは中国語としての「丹心」をイメージするのがいいのかもしれません。

    作中で、Q先生(冒頭に登場するQさんという女性の父親)が、

    歴史也没有、一点的丹心也没有(歴史もない、一点の丹心まごころもない)

    と嘆くシーンがあります。発音はピンイン(中国語の発音記号みたいなもの)だと dānxīn です。ちなみに、私は中国語のまともな教育を受けたわけではなく、Eテレを見たり、デュオリンゴでかじったりした程度なので、ご了承ください。リンゴだけに

    あと、単行本では『丹心/まごころ』というタイトルになっていました。九城っぽい、と言われるのを嫌ったのかもしれません。でもスラッシュだと、なんだか『丹心』と『まごころ』の二作品が入っているように見えなくもありません。タイトルは難しいです。

    次に「仁科斂」が読めません。中国の話なので、仁 科斂(じん かれん)という中国人かも、などと深読みしてしまいそうですが、「にしな れん」でした。以前、YouTubeで平井堅さんのMVに、同志有志が中国語字幕をつけている、おそらく違法アップロードと思われる動画があったのですが、字幕での名前が「平 井堅」となっていました。そこで切ってはいけません。「ドンキ・ホーテ」ではなく「ドン・キホーテ」なのです。

    なかなか本題に入らないのは、読んでもよく分からなかったからです。なので、些末なところにクローズアップしていこうと思います。

    この小説における重要ワードは「爛尾楼」です。解説付きで登場します。

    広大な中国の全土に、数限りなく建っているこうした建物はインターネット上で爛尾楼ランウェイロゥと呼ばれた。工事の尻尾が爛った楼、という意味だ。

    爛尾楼は重要ワードで何度も出てくるので意味が分からなくなることはないのですが、読み方を忘れてしまいます。日本語的に「らんびろう」と呼んでもいい気もしますが、ここは中国気分(?)を盛り上げるために、中国語の発音で読みたいところ。ピンインは làn wěi lóu です。

    中国の不動産業界の破綻はニュースでちょっと聞いた程度で、あまり知りませんでした。こちらの記事あたりで(いつ完成するかわからない「爛尾楼」 | 現代ビジネス | 講談社)、イメージをつかんでおくと、楽しめるかもしれません。

    あと、これも何度も出てきます、「房子」。「ふさこ」ではありません。振り仮名は「ファンズ」となっていました。ピンインは fáng zi です。 家とか部屋とかを表す単語なのですが、本文に解説があります。

    房子とは、およそ日本語の住居にあたる語だ。大きさではなくじっさいに住んでいるかどうかが基準なので、物置から、上は紫禁城まで、房子と呼ぶことができる。

    こんな感じで、中国語が登場する際には、小説中で解説をしてくれているものも多いのですが、なんでしょう、最後まで記憶が続かないんですよね、短編なのに。房子はDuolingoでも頻出で、知っていたので、これについては特に問題ありませんでした。

    次に出てくるのは「青帮」。作中は「帮」でしたが、ウィキペディアには「青」という漢字で表記されていました。

    駐車場ビルに向かいながら、ミスQは、立退き要員として香港から青帮チンパンのメンバーを三人呼んできている、とさも自信ありげに言う。

    ピンインは qīng bāng です。ピンインのqiは「クィ」ではなく、息を強く吐き出す「チィ」みたいな感じです。清朝から存在する犯罪組織らしいです。立ち退きに応じない住民を脅すためにチンピラみたいなのを三人雇ってきたみたいですが、この三人は ど素人で全然怖くありません。指示をだすレン君(鹿野川教授の助手みたいな(たぶん)シンガポール人)のほうが、よっぽどヤクザみたいなときがあります。

    鹿野川で思い出した。物語は鹿野川教授とレン君の視点が交互に切り替わりながら進むのですが、頭の中でずっと「かのがわ」と呼んでました。が、実は小説の書き出しは、

    そのメールを受けとったとき都内某総合大学建築学科教授、鹿野川ししのかわわたるがいだたい印象は、Ningbo、それってどこだ、というものだった。

    というものだった。愛媛にあるのが鹿野川かのがわだからなあ、てっきり。鹿威ししおどしの鹿ししなんですね。難しい。

    さて、次の中国語は、

    改めてミスQは「こいつらに住人の立退きをやらせます。それならば、われわれは没有メィヨゥ関係グヮンシィでいられるので」と、三人にも分かるよう、中国語にきりかえて、告げた。

    「だいじょうぶ」「気にしないで」って意味で、「没関係」と言うのは初歩の中国語で必ず習うフレーズですが、ここでは文字通り「関係がない」という言い回しなのでしょう。ピンインは méi yǒu guān xì 。

    まだまだ、さりげなく出てきます、中国語。

    Q先生は「アイ、あなたは臭くないの⁉」と、すっとんきょうな裏声を出した。

    哎さんに呼びかけた、なんて思いませんでした? そんなヤツぁいないよ、と言われそうですが、100人に1人くらいはいるんじゃないかと思います。哎呀アイヤー!のアイで、驚きを表す言葉なんですね。ピンインは āi yā 。

    なんの説明もなしに、台詞に散りばめてきます。

    Q先生は舌打ちにまぎれて「臭死チョウスー」と何度も言い、「あれは誰なんですか?」と訊いてきた。

    ピンインは chòu sǐ です。「臭死」とは「死ぬほど臭い」という意味です。「くさっ!」ですね。他にも、「熱死」(あつっ)、「煩死」(うざっ)など、中国人はよく死にます。

    こんなのもあります。

    ここは福建省のど田舎じゃない、南京と上海と杭州のちょうど真ん中の城市なんだ」

    字面から、城下町とか城塞都市を想像しそうになってしまいますが、中国語で「城市」といえば「都市」くらいの意味です。ピンインは chéng shì 。「城市」「城」などというフレーズがちょいちょい出てきますが、単に「都市」「街」くらいの意味で、お城はたぶんないはずです。

    厠所ツェスォに行ってくる」と言って店の外でスマホを確認し、(略)

    これは字で分かりますね。かわや、トイレですね。ピンインは cè suǒ 。

    収穫後らしい農地がしばらく続き、ちょっとした街道沿いに、商店や家や、いくつかの〈公司〉が並ぶ。

    中国からの輸入品に書いてあったりするので、「会社」であることは知っている人は多いと思うのですが、もはやこのへんは常識扱いなのでしょうか。このレベルの語を知らないと、この小説を読むのは厳しいです。発音は「ゴンス」「コンス」に近くて、ピンインは gōng sī です。

    「ところであの祠の神は誰なの」(略)

    「知らない。でもジァのですよ。全部人を騙すやつだ」

    「仮」の漢字は日本語だと「かりの」の意味ですが、対応する中国語の漢字は「ジァ」で意味は「うそである」「本物でない」という意味になります。ピンインは jiǎ です。

    他にも、「丈夫有責」という看板が出てきて、鹿野川教授がミスQに意味をたずねるのですが、「後で説明しますから」と言われる(そして、それっきりになる)、というシーンがあります。

    「丈夫」は「夫」のことなので、「夫に責任がある」という意味になります。何の責任かというと、一人っ子政策の計画出産に関して、ということじゃないかと思います、たぶん。

    著者の仁科斂さんの経歴をWikipediaで見ると、「東京都生まれ、香港、上海、ロンドン育ち」だそうです。そのせいで、やぶからスティックに中国語が混ざってしまうのかもしれません。


    2026年7月14日追記
    続報です。
    2026年上半期の芥川賞を予想・・・はせずに、賞を新設する

  • 『アンチ・グッドモーニング』と「あのエレベーター」

    アイキャッチ画像:Krzysztof Golik投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, リンクによる

    芥川賞(2026年上半期)の発表前にノミネート作品を全部読んで、どれが受賞するか(心の中で)予想するという一人企画をやっています。知らんがな、という声が聞こえてきそうですが。

    八木詠美さんの『アンチ・グッドモーニング』は3つ目に読んだ作品でした。読む順番は図書館の貸出・返却状況に左右されます。だって、もう掲載されていた文芸誌のバックナンバーが売っていないんですもの。

    読み始めたときは、中国の廃墟マンションを美術館に設計しなおす『丹心/まごころ』や、空行なしで最後まで主人公の心情と発言が混在した文体が続く『ソリティアおじさんがいた頃』(過去記事)と比べると、普通の作品なのかなと思いました。

    普通というのも変ですが、文体にクセがあるわけでもなく、現代の日本が舞台で、リモートワークをする会社員が主人公ということで、すっと入っていけそうだなあと。でも、読み終わってみると、一番ぶっ飛んでいました。この「ぶっ飛ぶ」という言葉は死語のような気がしますが、死語を蘇生していこうという一人企画をやっておりまして、積極的に使っていきたいと思います。なんちゃって。

    記事につけたタイトルをまず消化しておきましょう。「あのプール」と言えば、「あぁ、あれね」という男性諸氏は多いと思いますが、全年齢対象のレーティングを標榜する当方といたしましては、これ以上プールの方は掘り下げないことにします。

    では、「あのエレベーター」とは、どのエレベーターでしょうか。

    「ドイツの黒い森地方地方には不思議な建物があるんですよ。カーニバルで有名な中世の町、ロットヴァイルにです。250メートルほどある高層ビルなんですが、窓がほとんどなくて誰も住んでいないしテナントのお店も入っていない。さて、何のためのビルだと思いますか?」

    どういう流れでこんな話が出てくるかは、読んでのお楽しみで、その答えは、

    「エレベーターの試験用のタワーで、中には12本のシャフトがあるんです。そこを試験用のエレベーターがひたすら上がったり下がったりしているんですよ。想像できます?」

    あー、知ってるー! 知ってると嬉しくなりますね。知ってるといっても、ちょっと前に読んだ小川洋子さんの『夜明けの縁をさ迷う人々』(過去記事)に収録されている『イービーの叶わぬ望み』に出てきたから知っているという、知りたてのほやほやなのでした。

    文字通り生まれながらのエレベーターボーイ(Elevator Boy)のイービーが、エレベーターを追われる(どういう状況か、想像を膨らましてみよう)ことになったときに、安住の地のように語られるのが、このエレベーター塔なのでした。なんだかガンダーラみたいに。

    ドイツの深い森に高層ビルがあり、人をのせていないエレベーターが来る日も来る日も上下し続けるというイメージは、文学の要素として魅力的ですね。

    尾崎放哉ほうさいの「咳をしても一人」が思い浮かびました。「最上階についても無人」みたいな。どうやら私には文学のセンスがないようです。

    尾崎つながりだと、尾崎豊っぽく「押されたボタンを無視したとき 自由になれた気がした 15の階」なんてどうでしょう。「エレベーターが叫んでる。大人たちが作ったシャフトを上下するのは、もうまっぴらなんだ!」とか。後者は尾崎というより、井上マーでした。

    最近、何書いてたんだっけ?ってことがよくあります。寝不足かもしれません。

    主人公の野上のがみさんはSコーポレーションという健康食品メーカーで働く女性です。このSコーポ―レーションがコンサル会社に買収された頃から徐々にブラックになっていきます。この会社「『健幸』宣言」なんてものを出していて、働きやすい職場をもつウェルビーイングを重視する会社として対外的には知られているという、なんとも皮肉な状況。ONとOFFが切り替えられないリモートワークのせいか、野上さんはある日突然、不眠になります。もがき苦しむ描写が痛々しいです。

    きっと、こんな会社あるよなあ。みたいな風刺的な側面も感じます。資料を作るときは「余白」を残すという職場の先輩のアドバイスが秀逸でした。指摘して直すところがないと上司は何か見つけだそうとして、些末なところをいじって資料がおかしくなると。

    (略)ここの部分は迷っているから相談にのってほしいって言って何かアドバイスさせれば、向こうも安心するでしょう? 仕方ないのよ、自分の手を動かさずにお金を稼ごうとする人ほど不安になりやすいの。(略)だからわたしたちは彼らの存在意義を作って、適当に安心させてあげればいいのよ。

    「アドバイスさせ」るとか、「自分の手を動かさずにお金を稼」ぐとか、「安心させてあげればいい」とか、なかなか毒が効いています。八木さんって会社員経験者?

    なんてあたりのことを書くと、隠れブラック企業を風刺する社会派小説かと思ってしまうかもしれませんが、それでは終わりません。途中からだんだん変になっていきます。どの辺からだったかなー、e-ラーニングの動画の講師「出冬覚いでふゆ さとる」が出てくるあたりからだったと思います。そう、へび苺メガネの。不眠が原因の幻覚なのか、実は眠れていて夢なのか、現実なのか(ファンタジー小説かもしれないしね)、よく分からない感じになってきます。

    いろんな要素が次々に出てきて飽きさせません。純文学とエンタメは両立するんだなと思いました。私は読書をしているとすぐに眠くなるので、小分けにして読むことが多いのですが、『アンチ・グッドモーニング』は就寝予定時間(午後九時)を過ぎていることも忘れて、一気に読んでしまいました。そして、そのあとすぐ寝ました。ぐっすり眠れました。うらやましいですか。

    いまちょっと検索してみたら、もうすぐ(2026年6月29日)単行本が出るんですね。楽しみなことは、「もういくつ寝ると・・・」なんて数えたりしますが・・・、寝られるといいですね。


    2026年7月14日追記
    続報です。
    2026年上半期の芥川賞を予想・・・はせずに、賞を新設する