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勝手に読書感想文。漫画も映画も含みます

タグ: 日本

  • 『認知症はどのような病気か』

    『認知症はどのような病気か』(伊古田俊夫 著)は、ブルーバックスのシリーズの一冊です。職場の人に勧められて読みました。ブルーバックスとは講談社の科学系の新書シリーズで、大きな書店だと、新書コーナーから独立してブルーバックスのコーナーがあるくらいです。

    ブルーバックスの巻末には「発刊のことば」として「科学をあなたのポケットに」と書かれています。新書サイズがポケットに入るのか、というのが議論が分かれるところですが、冬場(コートとかダウンとか)はいけるが、夏場は無理、ということにしておこうと思います。

    知ることができて有益だったのは、認知症にはいろいろある、というところです。

    認知症は、いったんは正常に発達した知的能力が、病気や事故などによって損なわれ、仕事や家庭生活に支障をきたした状態を指します。じつは、認知症という言葉は単一の病気を示す病名ではなく、共通の症状でまとめられた「状態像」を指す言葉です。

    「共通の症状」といっても、それは大きな分類になるので、細かく見ていくと症状も異なるし、原因も違います。事故が原因の認知症っていうのもあるんですね。

    アルツハイマーは一番数が多く(6割を占めるそうです)、メジャーなので、症状もそのイメージに引っ張られてしまいそうになりますが、認知症全般でいうと、症状はもっと多彩です。

    第2章の「認知症とはどういう病気か?」に書かれていることをちょっとあげてみると、「アルツハイマー型認知症」は記憶障害や見当識障害、「前頭側頭葉変性症」は性格変化、言葉の意味が分からなくなる、「レビー小体型認知症」は幻視やパーキンソン症状など。

    認知症に幻視のイメージありました? 患者からしたら「見えている」ので、そのことを周囲に話したら、「おじいちゃん、おかしくなった」って思われちゃう。判断力に異常はなくても。

    それぞれ各節で行動の具体例があげられていて、記憶障害だと「同じものを何回も買ってくる」、見当識障害だと「自分の置かれた状況を自覚できない」、性格変化だと「身勝手なふるまいが増える」、幻視だと「窓からキツネが入ってきて寝床に潜り込んだ」のが見える、とか。ちょっとファンタジーです。思い当たる人は注意してください。

    で、もし思い当たっちゃったら、病院の何科にいけばいいのというのも悩みどころですが、それについても「第7章『納得のいく診療』を受けるために」の「どの診療科を受診するか?」に書かれています。

    状況によって選択肢が変わるので、一言では書ききれませんが、候補としては、脳神経内科、脳神経外科、精神科、総合診療科、老年内科(老年科)、外来の名称なら、「物忘れ外来」「認知症外来」などもあるそうです。

    「納得のいく診断」に関連して、それ盲点だよなあと思ったのは、「間違った診断が下されやすい場合」として、

    本人の話だけで判断される場合、家族や身近な人の話を聞いてもらえない場合

    というのがありました。認知症を患っている本人の話だけで診断ってのは難しいですよね。家族を連れていきましょう。

    認知症には、問題を隠そうとする、うまくできていることを装おうとする、という症状もあるそうですので、そのあたりも留意点ですね。

  • 『私労働小説』

    妻が新聞の書評欄で見かけて読んだ本を、私も読んでみたというのが経緯でした。

    ちょっと読んでみて、エッセイ?と思ったが、書名が『私労働小説』だから、小説なんでしょう、たぶん。ちなみに「わたくし ろうどう しょうせつ」という読み方だそうです。

    読んだ感じで、これは小説だとか、これはエッセイだとか、なぜ感じるんでしょうか。なぜ、私は『私労働小説 負債の重力にあらがって』(ブレイディみかこ著)をエッセイだと思ったのだろうか。

    まず、書き出し。第一話「ママの呪縛」は、

    「あんたは・・・・・・、え、あんたはすごいね。ちょっとこれ本当かな、こんなの見たことない・・・・・・」

    芝居ががった声音で、何か恐ろしいものでも見たような表情の彼女が口を覆った。

    第二話「失われたセキュリティーを求めて」の書き出し・・・

    「いざとなったら、スーパーの棚に商品を積めばいい」

    英国の人々はよくそう言う。

    あれ? いきなり台詞から入るつかみなんか、小説っぽいですね。なんで、エッセイだと思ったんでしょうか。もちろんすべて一人称で、神様の視点とかはないです。「自分」以外の登場人物の心情の描写とか、「ここ」以外の場所での出来事が語られることもないです。そういう要素が揃うと、小説っぽさがなくなって、エッセイのようなノンフィクション感が出るんでしょうか。

    小説っていうと、

    午後の光は、すでに光と呼ぶにはためらわれるほど鈍く、部屋の奥に溜まった空気の層を、ため息のような角度で横切っていた。窓硝子は長年拭われていないらしく、そこに貼りついた埃と油分が、外界の輪郭を無数の曖昧な線へと分解している。向かいの建物の壁面は、本来ならば白であったはずなのに、白であることを長く忘れ、季節ごとに降り積もった雨と排気と時間の重みを、まだらな沈黙として引き受けていた。

    みたいなまどろっこしい描写があったりするじゃないですか。私こういうの苦手で、早く本題に入ってよ、って思っちゃう。ちなみに上記はChatGPTに書いてもらいました。私にはこんな文章は書けない。羞恥心が邪魔をする。

    だから、この『私労働諸説』は快適に読めました。経験として語られる出来事と、それに対する自分の心情という形で構成されているから、抵抗なく内容が入ってきます。

    そういえば学生の頃、太宰治とか志賀直哉のいわゆる私小説が好きだったのも、そういうことかも。

    今気づいたんですが、「私小説」という言葉の間に「労働」を入れて『私{労働}小説』ということでしょうか。そんな気がしてきました。

    タイトルにある通り、著者の「労働」の経歴に基づいた小説のようです。経験した職業は、ホステス(で合っているのだろうか、お酒を飲むところで、女の子が横についてくれるような感じ)、スパーマーケットの店員、アジア料理レストランの皿洗い、掃除人(お金持ちとかの家に訪問するタイプ)、衣料量販店の店員、借金返済の督促人、という感じ。

    最初のホステスと、借金督促は日本での話で、それ以外はイギリスやアイルランドでの話。本の帯に「シットジョブ」というワードがありました。「ブルシット・ジョブ」というワードは以前聞いたことがあって、その言葉に対して持つイメージは、そこそこの給料もらってたりするけど、よくよく考えると、その仕事って価値を生み出している?みたいなニュアンスでした。例えば、私が以前いた職場の部署は7人の従業員のうち、5人が管理職でした。何を管理しているんだか(自分も含めて)。

    でも、シットジョブはもっと過酷なニュアンスがありました。大変なのに低賃金の仕事で、これから良くなっていくなんて希望は全く持てないような閉塞感。あ、でも作品中には出てこなかったかも。編集者がチョイスした帯用のワードかも。

    第五話の「店長はサクセスお化け」には、「善きサマリア人」についての話がちょっと出てきます。聖書くらい読んだことがあるだろうから(お、偉そうだな)、説明は省きますが、困った人を見かけたときに、見て見ぬふりするのか、助けるのかみたいな実験の話が出てきて、宗教的な事前知識とか、善意とかそういうことより、「急いでいる」かどうかが行動に影響した、みたいな。

    「良いことだから」とか、「悪いことだから」とかではなく、「急いでいたから」、見て見ぬふりをした人が多かったという結果について神父が語ったという話。善悪に絡んでないというのは、かえって根深い問題のような気がします。だって、そこに悪意はないのだから。

    第六話の「督促ガールの手記」では、自分が正義の側にいると信じ込むことが、その人の行動にどんな影響を与えるのか、というテーマが取り上げられます。もしかしたら、そうだと信じ込まなきゃ、やっていられない仕事なのかもしれません。

    読み終わって、すべて著者が経験した実話のような気分になるんですが、そうなのかはよく分かりません。でも、なんだか、ちょっとした出来事ゆえの、ちょっとした発言ゆえのリアリティみたいなものを感じた「小説」でした。

  • 『踊りつかれて』の前に『罪の声』

    『罪の声』を読んだきっかけは、著者の塩田武士さんがテレ東の「あの本、読みました?」に出演されていたから。その時は、『踊りつかれて』の話がメインで、めちゃくちゃ面白そうだったので、これは読まねばと思い、自治体の図書館のサイトで検索してみたのですが、予約数が多すぎて当分借りられそうにないので、以前の作品である『罪の声』を先に読むことにしました。

    『罪の声』については、その番組内で触れていたのか、別の場だったか記憶は曖昧ですが、「グリコ森永事件を題材にしていて、その脅迫メッセージに使われた子供の声が、自分のものだった」という設定で書かれているという前提知識だけで読み始めました。

    グリコ森永事件の時、私は10歳くらいだったので記憶は曖昧でした(最近は一週間前の記憶も曖昧ですが)。覚えていたのは、「キツネ目の男」と「毒入り危険。食べたら死ぬで」という関西弁のフレーズ(実際はひらがな)、結局、毒による被害者や死者は出ていないというおぼろげなイメージ。なので、それほど悲惨とか陰惨みたいな印象は持っていませんでした。

    本書に現れるエピソードも、基本的にはほとんど著書の創作だろうという認識で、普通の(?)小説として読了。読み終わった後に、文庫本の巻末にある著者からのコメント(「あとがきとは書かれていないけど、そんな感じ」)に、

    本作品はフィクションですが、モデルにした「グリコ・森永事件」の発生日時、場所、犯人グループの脅迫・挑戦状の内容、その後の事件報道について、極力史実通りに再現しました。

    え?そうなん?(小説の舞台に合わせて関西弁)

    wikipediaを見てみて、いろいろ思い出しました。ほんと、記憶というのは当てになりませんね。犯人からの指示に子供の声が録音されたテープが使われたこと、菓子メーカーの社長が誘拐されたこと、身代金の受け渡しに利用されたカップルのことなど、読んでいるときは創作だと思っていた部分が実際の事件に基づいていることに、あとから気づきました。

    そうそう、最初は「江崎グリコ社長誘拐事件」だったんですよね。その時点では、あくまで単発の誘拐事件であって、あんな大がかりな一連の事件が続くとは誰も思っていなかった、という始まりでした。記憶が蘇ってきます。

    wikipediaの項目名が「寝屋川アベック襲撃事件」というのが時代を感じさせますね。最近「アベック」って聞かないですね。直近で目にしたのは、五木食品の「アベックラーメン」くらい。

    あと、小さい箱入りのお菓子の外側がフィルムで包まれるようになったのもあの事件以後でしたね。以前は箱を開けて、中身を入れ替えて、元に戻すというのが簡単にできました。

    死者が出てないという点で、事件に対してあまり暗い・重いイメージは持っていませんでした。なので、この序盤を読んでいるときは、声を使われた子供の苦悩というのも、直接の加害者なわけじゃないし、そんなに深刻に捉えなくてもいいんじゃないか、なんて思っていました。

    でも、自分が間接的な加害者であることよりも、自分を利用した直接的な加害者が自分の家族・親戚であることのほうが、悲惨さを引き起こす根本なんだと気づきました。

    声を使われた登場人物の一人(曽根俊也)は、加害者(かもしれない)の親族とは若干距離があったため、事件自体を知ることもなく、平穏に暮らしてきた。一方、声を使われた別の子供は、事件の余波をもろに受けて、人生が狂っていく。

    もちろんこのあたりのストーリーはフィクションなのですが、事件に関して分かっている部分は極力事実と合わせる、分かっていない部分に創作を加えて、エンタメ作品として仕上げる。事実と創作の境目が曖昧になっていることで、子供を巻き込んでしまった事件の重大さ・深刻さを伝えることにも成功している。なかなか斬新なアプローチだと思います。

    次は『踊りつかれて』を読むことを予定しておりますが、予約の順番に、待ちつかれそうです。(買えよ)


    2026-03-15追記
    やっと順番が回ってきました。
    塩田武士著『踊りつかれて』の感想文

  • 『薬剤師のひみつ』

    薬剤師が事件のカギを握るミステリー・・・ではなく、子供向けの学習漫画です。仕事の都合で、創薬関連の知識を増やしたいなと思い読みました。学術的、教科書的な書籍も読んだりはしているのですが、学生の時に生物を履修していなかった私にはなかなかハードルが高い。

    こんな時には学習漫画からスタートです。さすがに子供向けとあって、知っている内容が多いです。かといって全て知っているわけではないから、知識の隙間を埋めていく感じです。知らないことだらけの本で学ぶより、知っていることだらけの本で「隙間」の部分を学んでいく方が、精神的にはだいぶ楽です。

    あと、ストーリー仕立てになっているので、記憶に残りやすい(気がする)。意味記憶より、エピソード記憶のほうが残りやすいという、あれですね。

    思えば、小学生のときに「体のひみつ」だか「体のふしぎ」だか、そんなタイトルの学習漫画を愛読しておりまして、おぼろげではありますが、そこに書かれていた内容を今でも覚えております。

    たしか、髪の薄い作者(漫画家)が、「髪が抜けた、抜けた」と大騒ぎするエピソードがありました。これは不要なエピソードですね。

    この「薬剤師のひみつ」だと、子供たち(姉弟)が主人公で、おばあちゃんの入院・退院をきっかけに、薬剤師のお姉さんと知り合いになって、病院で働く薬剤師、在宅医療の薬剤師のことを教えてもらい、そのお姉さんの知り合いの製薬会社の研究者に話を聞きに行ったり、みたいな感じ。子供たちは薬剤師という職業に興味を持ち、薬学部の制度(4年制、6年生など)の解説も出てきます。

    で、ここまで書いて気づいたんですが、商品リンクを貼ろうと思って、アマゾンや楽天を検索したけど出てこない。絶版?

    ウェブ検索すると出版元のサイトには情報がありました。図書館向けのみに販売している図書とかなんでしょうか。私は自治体の図書館で借りたのですが、本に値段も書いてありません。

    そして、なんと学研のサイトで無料で全部読めます。

    学研まんがひみつ文庫 – 薬剤師のひみつ

    どういうビジネスモデルなんだ?

    サイトを見てみると、「まんがひみつ文庫」読書感想文コンクール、なるものを開催しているみたいなので、応募しようかと思いましたが、応募資格「全国の小学生」とあり、断念しました。

    2026-03-01追記
    同じようなタイプの本を読んで、企業協賛型学習漫画ビジネスモデルを理解しました。
    『薬が届くまで ここが知りたい』で、出版業界のビジネスを知る

  • 『成瀬は都を駆け抜ける』と琵琶湖疏水

    (注意:若干のネタバレがあります)

    「あの本、読みました?」と「第一芸人文芸部 俺の推し本」を録画して見ている私が、成瀬シリーズに気づかないわけもなく、その存在は知っておりました。書店でも平積みになっていたし。

    でも、ラノベっぽいタイトルと表紙で、「まあ、いいか」と思っていました。

    読むきっかけは、中学生の子供の担任の先生が学級だよりみたいなもので、おすすめの本の一つとしてあげていたこと。子供が読みたいと言って(妻が誘導した感もあるが)、買うことになりました。

    身近な誰かが読んでいる本は極力読むようにしています。思えば、赤川次郎を読んでいたのは姉で、火の鳥(これは漫画だけど)を貸してくれたのは久石君(小・中学の同級生)で、筒井康隆をすすめてくれたのは松崎君(小・中・高の同級生)でした。なので、子供から借りて読みました。

    話を戻して、一作目の『成瀬は天下を取りにいく』を買ったときはまだ文庫本が出てなかったので、単行本を買いました。その直後に文庫が出たので、しまった、とも思ったけれど、二作目の『成瀬は信じた道を行く』も、今回読んだ三作目の『成瀬は都を駆け抜ける』も、文庫化を待たずにすぐに読めたので、結果オーライです。シリーズものって、単行本か文庫かで揃えたかったので。

    全編を通じての主人公は成瀬あかりですが、各章(各話)にはそのエピソードでのメインキャラクターがいて、そこに成瀬が絶妙に絡んできます。成瀬は、端的に話すから言葉数は多くはないし、感情を表情に出さないタイプなので、成瀬に関する情報量は少なめなのだけど、重要な役割を演じます。

    滋賀県民が琵琶湖の水を止めたがる、というお約束の冗談に対して、

    「それはきっと京都や大阪側が作った説だ。わたしたち滋賀県民は琵琶湖がみんなのものだと学んでいるからそんなことは言わない」

    と真面目に返す。この段階では何気ない世間話なんだけど、最後のエピソードで、この信念を伝える場面が再び訪れます。琵琶湖疏水そすい(琵琶湖から京都へつながる、人工的に作られた水路)で、島崎みゆき(成瀬の幼馴染)が「びわ湖大津観光大使」の活動をしていると、ちょっとめんどくさい人が現れる。

    「琵琶湖疏水は京都のものやねんけど、だれに許可とってやったはんの」
    (略)
    「明治時代、滋賀県は琵琶湖疏水の工事に反対してん。それを今さら仲良うしようなんて恥ずかしないん?」

    というおじいさんに対して、ひるみそうになる島崎ですが、そこに成瀬が現れて、毅然と考えを伝える。理屈で論破する、というのとは違うんです。シンプルな考えをストレートに伝える。琵琶湖はみんなのもの、同じ琵琶湖の水を使っている者同士、仲良くしたほうがいい、ということを、いつものあの口調で伝える。

    そのあまりの直球ぶりに、おじいさんは苦し紛れに、

    「あ、あんたこそ偽物ちゃうの? 観光大使がそんな言葉遣いしたらあかんやろ」

    と言うんですが、その発言に対しては、

    「いいんだ」

    と断言したあとに、

    「よかったら貴殿もびわ湖疏水船に乗って大津まで来てくれ。琵琶湖はいつでもすべての者を歓迎してくれる」

    小さい人間を完全に包み込んでしまう、この度量。信じているもんがあるから揺るがない。時折 炸裂する成瀬語録は間違いなくこの作品の魅力です。

    実は今回 成瀬以外でも、なかなかいいこと言う! と思った登場人物がいました。二作目に登場し、成瀬と二人で観光大使を務めている篠原かれん。

    成瀬の代打で観光大使の活動を手伝うことになった島崎ですが・・・

    「わたし、任命されてないけど大丈夫なんですか?」

    弱気になって尋ねると、篠原さんは笑顔のまま首をかしげる。
    (略)
    「でもね、一年間成瀬を見てて思った。観光大使って、やりたい人がやりたいときにやればいいんだって」
    (略)
    「ほら、成瀬って、イベントがないときでも勝手に衣装を着て大津市のPRしちゃうでしょう? そこに資格なんて要らない。だから今日は島崎さんがやったらいいの」

    そうか、そうだよなー。誰がやるべきとか、資格とか、郷土愛はそういうもんじゃない。

    そして、著者の宮島未奈さんも、やりたい人として、やりたいときに、小説を通して、観光大使をやっているんだなあということに気づきました。

    私は滋賀県には興味はなかったし、大津市のことは知らなかったのですが(地理で習ったはずなんですが・・・)、琵琶湖の歴史についていろいろ知ることができましたし、びわ湖疏水船にも乗りたくなりました。いろんな形の観光大使があるんです。

  • 『アレの名前大百科』と『日本語リテラシー』

    きっかけは放送大学でした。(昔、「きっかけは、フジテレビ。」というキャッチコピーがありましたね)

    「日本語リテラシー」という講義をテレビで見ていたところ、本題とは別のコラムみたいなコーナーで、「食パンの袋を留めるプラスチックのやつ」の話が出てきて、紹介されたエピソードの引用元として『アレの名前 大百科』(みうらじゅん 監修)があげられていました。

    なんか、みうらじゅんっぽくない本だなあと思ったら、「著」ではなく「監修」なんですね。文章は別のライターさんが書いていて、MJ(ぼくらファンはみんな、みうらじゅんさんのことをMJって呼んでいるよ)の役割は、アレの名前を当てるだけ。各アレごとに2,3行の回答。

    それだけ? と思ったら、PART.4は、名前を提示されて、それに対してMJが想像してイラストを描くという趣向でした。さすが、職業「イラストレーターなど」ですね。

    それでもちょっとMJフリークには物足りないものがありました。

    良かったのは索引。普通だったらアレの名前で索引を作るのでしょうが、そうすると、アレの名前が出てこないと、索引を引けない。なので、「ものの名前から類推される言葉」を索引としています。

    視力検査の「C」みたいな一部の切れた円は「ランドルト環」というんですが、索引では「視力検査」で引けるようになっています。

    「カラザ」は「卵」から引けるし、「梵天」は「耳かき」から、「木殺し」は「トンカチ」から引けるという具合。これは評価したい。

    でも、「それただの英語じゃーん」ってのもあって、そこは不満。「ツイストタイ」「ネームバンド」「ウォッチポケット」なんかは、名前を聞いたとて、ふーんって感じ。でも、何の名前であるかは意外に想像がつかないか。

    「ツイストタイ」とは中尾彬氏のねじねじのことです。うそです。

    あー、忘れてた。これを書こうと思ってこの本読んだんだった。「日本語リテラシー」の講義の中で紹介されていた、食パンの袋の留め具の名前のエピソード、

    1952年にクイック・ロック社の創立者、フロイド・パクストンが発明しました。「りんごを詰めた袋の口を閉じるのに便利なものはないだろうか」と業者から相談を受けていたパクストンは、移動中の飛行機内で思いつき、もっていたプラスチックの破片とポケットナイフで・・・(略)

    その原型をつくったとのことでした。

    いや、昔の飛行機のセキュリティ甘いなっ! ってところが気になって、エピソードが入ってきませんでした。

    ちなみにソレの名前ですが・・・ 教えなーい。じゃ、また!

  • 『ジョゼと虎と魚たち』主に小説、少し映画

    「映画を見たら、原作も読んでみよう」という企画です。

    『ジョゼと虎と魚たち』は短編で、短編集も同タイトルです。表題作ってやつですね。文庫本に9つの短編が入っているので、1つ1つは短めです。なので、ジョゼはすぐに読めました。

    映画のほうは若干の重さや、生々しさがありましたが、小説のほうはもう少しライトな印象でした。

    ちなみに、当ブログは予告なしにネタバレすることもあるので要注意です。最後に「今度は熱いお茶がこわい」って言うってことが分かってからこその『まんじゅうこわい』の面白さ、それが好きです。

    ジョゼに戻すと、ラストが違います。映画のほうは切なかったですね。小説のほうはハッピーエンドのようでもあり、でもその後の破滅的な結末も匂わせつつの、余韻がある終わり方で。短編だからこそ許される、最後までは書かないって感じ。

    ジョゼの彼氏(?)の恒夫は、妻夫木君っぽくはないですよね。恒夫のキャラに、妻夫木君のルックスはスマートすぎる。(誰か有名人の名前を出すとき、呼び捨てにするのか、さん付けなのか、君付けなのか迷いますが、妻夫木君に関してはなんだか絶対に「君」な気がする)

    あと、小説の方は上野樹里が出てきませんでした。小説に上野樹里が出てこないのは当たり前ですが、上野樹里が役をやっていた香苗かなえのことです。

    なので、あの「しばき合い」(作品に合わせ関西弁にしてみました)のシーンもありません。

    そういえば、田辺聖子の小説を読んだのは初めてでした。顔と名前は知っていましたが、なかなか読む機会がなかったです。「恋愛小説です」って言われると、「じゃあいいです」って言ってしまうタイプでして。

    この短編集も全部恋愛もので、主人公は女性ばっかりです。でも、普通じゃないシチュエーションが小説を面白くしている。どう考えてもダメダメな男が魅力的に描かれていたり、客観的にみると悲劇的な状況が実は幸福な状態であったり、みたいな。

    あと、関西弁がいいです。全部、関西弁でした(主人公が関西弁でないこともあるが、その場合も主要な登場人物が関西弁)。

    かっこいい女性の関西弁、まるでダメ男の関西弁、エロおやじの関西弁。奥が深いです。そういえば、私は『じゃりン子チエ』も好きです。

    今回、新たな発見がありました。関西弁で話すキャラクターも、独白というか、考えている内容は標準語で表現されていたりします。そして、それがそれほど違和感がない。

    実際のところはどうなんでしょうか?

    (え? それはちょっと許容できないよ)
    「なんでやねん!」
    (と、軽く返してはみたものの、このままじゃまずいな)
    「いやな、それやってまうと、俺が悪者になってしまうやんか」
    (この言い方で伝わるだろうか)

    ・・・みたいな。 ・・・ないか。


    2026-02-26 追記
    犬堂一心監督が『最高の人生の見つけ方』のリメイク版を撮っていたことを知りました。
    『最高の人生の見つけ方』は、大金持ちの側の視点で見る

  • 『LITTLE BEAR』と『地球から来た男』

    『LITTLE BEAR』Else Holmelund Minarik (著), Maurice Sendak (イラスト)を読みました。幼稚園から小学校低学年向けくらいの英語の絵本です。

    いくつかのお話が入っているのですが、その一つに主人公のLittle Bear(名前はないらしい)が月に行く話があります。

    どうやって月に行くかというと、space helmet(箱をさかさまにして、針金をつけたような珍妙なもの)をかぶったLittle Bearが、小さな丘の小さな木の上から目をつぶってジャンプする、という方法です。

    転げたあとに、彼は言います。

    “Here I am on the moon. The moon looks just like the earth”

    木も鳥も地球のとそっくり、なんて言いながら、家に着き、

    “Here is a house that looks just like my house. I’ll go in and see what kind of bears live here.”

    住んでいるのが熊前提なのが面白いですが、そこに Mother Bearが現れて、このごっこ、、、に付き合ってくれます。

    “Are you a bear from Earth?”

    丘にある木からジャンプしてやってきたというLittle Bearに対して、Mother Bearは、うちのLittle Bearもspace helmetをかぶって地球に行っているところなの、みたいな感じで話にのってくれるという展開。

    この展開に既視感があって、そういえば、星新一のショートショートにちょっと類似した話があったなー、と。

    小説を読んだこともあるような気がするんですが、たぶん相当前で(学生の頃)で、記憶にあるのはNHKでやっていた「星新一の不思議な不思議な短編ドラマ 『地球から来た男』」の方です。

    記憶があやふやだった小説のほうを再確認。自治体の図書館サイトで見てみると、『地球から来た男 (角川文庫)』は貸し出し中。うーん、すぐに借りたい。で、『地球から来た男』を収録した子供向けの『恋がいっぱい (星新一ちょっと長めのショートショート 2)』なら、すぐに借りられたので、こちらを読んでみました。なぜ、『地球から来た男』が「恋」なのかはよく分かりません、今でも。

    産業スパイに対する処罰として、ある企業の研究員の手で、テレポーテーション装置により地球外の惑星へと追放された男の話です。

    「地球外の惑星」で、われにかえった男は道を歩いていた人が、地球人的な服をつけていること、言葉が通じることに驚きつつ、

    「(略)ここはなんという星です」

    「地球ですよ」

    という会話を経ても、「地球とは”自分たちの住むこの星”という意味ではないか。」という、うまい詭弁をつかって、ここは地球ではないどこかの惑星だと信じ続けます。

    持っていた紙幣も使えて、自分の住んでいた都市と同じ名の駅で降り、自分の家と同じ場所に行ってみると、奥さんそっくりの人がいて・・・

    つっこみ不在のまま、地球外の惑星での男の人生は続いていきます。

    極めつけは、以前は地球で税務署員をやっていて、この星でも税務署員をやっているという、同じ境遇の仲間とばったり出会ってしまうという展開。

    行き倒れの現場に、行き倒れの当人を連れて来て、「おいおい、困った人がまた増えちゃったよ」という落語の『粗忽長屋』を彷彿とさせます。

    ただ、ちょっと気になるところもあります。この『地球から来た男』、ボケ倒している主人公が繰り広げるコメディと読めばいいのでしょうか。それとも、パラレルワールド的なSFとして読めばいいのでしょうか。まあ、前者でしょうけど。

    ちなみにLittle Bearの方はというと、

    “Mother Bear, stop fooling.”

    と言って、自らのツッコミにより、ボケに終止符を打ちます。

  • 『藍を継ぐ海』と『オール讀物』

    芥川賞受賞作を片っ端から読んでみよう企画(『デートピア』と『#拡散希望』)と並行して、直木賞受賞作も1つずつ読んでいこうという企画を、こっそり始めました。

    現時点で一番新しい受賞作品は、第172回(2024年下半期)の『藍を継ぐ海』伊与原新 著です。

    図書館で予約状況を見てみると、数十件の待ち件数。まあ、そうだろうなと思いつつ、これじゃ、次の次の直木賞が発表される時期になっちゃうよと。ふと、図書館システムの検索結果の書籍の内容を見てみると、

    オール読物 2025年3・4月号(直木賞受賞作『藍を継ぐ海』より「藍を継ぐ海」全文掲載)

    というのが並んでいて、予約件数はゼロ。これなら、すぐに借りられます。

    文芸誌か、分厚くてちょっと読みづらいかもしれないけど、読めりゃいいかということで、借りてみました。

    「全文掲載」というフレーズで勘違いしていましたが、短編集の中の1つの短編が「全文掲載」されているだけでした。そりゃそうだよな、単行本まるまる一冊を雑誌に載せるわけないし。

    直木賞受賞作を読むのは初めてです。エンタメ系の作品に与えられる賞だと聞いていたので、爆発したり、毒が盛られたり、すごい悪役か、見たことないようなデキる人が出てくる派手な話を期待していましたが、非常に静かな文学でした。

    芥川賞は純文学作品、直木賞は娯楽作品、というのは、もう当てはまらないのでしょうね。芥川賞は短編か中編の1つの作品が対象、直木賞は長編か短編集などの1冊の書籍が対象、というのは分かりやすい違いですが。

    主な登場人物は、田舎の港町(港もさびれているが)の少女と、元教師のおばあさんと、ウミガメ。ウミガメの生態がさりげなくストーリーに関係したりして、興味がわきます。著者の伊与原さんは研究者出身で、科学的事実を散りばめ方が巧みです。

    もちろん、ちょっとした事件やミステリも含まれてます。なんで、そんなことが? あー、そういうことか、みたいな。短編だし、引っ張りすぎないのがいいですね。

    あと、文芸誌ってものすごい字の量ですね。読み終わる前に二か月たって(次の号の発売になって)しまいそうだなーと思いました。

  • バイオ×ビジネス ミステリー『テウトの創薬』

    世の中いろんなミステリーがありますが、『テウトの創薬』(岩木一麻 著)は「創薬ミステリー」ということになるのでしょうか。出版元のKADOKAWAのサイトには「医薬ミステリ」と書かれていましたが、医薬品の性質というよりは、薬を世に出していくプロセスみたいなところのほうに特徴があると、私は思いました。

    創薬ベンチャーのトトバイオサイエンス社で研究開発部長をやっている進藤颯太郎そうたろうが主人公です。トトバイオでは、かいこを使った抗体医薬品の大量生産を目指していますが、行く手には様々な障壁が・・・みたいな感じです。

    私もそうだったんですが、「抗体医薬品」って何? 普通の薬とどうちがうの?って人も多いと思います。そこがうまい構成になっていて、序盤にトトバイオのCEOのデニス・パーシバルが東京国際フォーラムでプレゼンをする場面があって、投資家などの医薬の専門家ではない人向けに、彼らのビジネスの対象、つまり抗体医薬品がどういうものであって、どのような背景や課題があって、それをどう克服しようとしているかを説明します。約10ページがプレゼンの描写にあてられており、ここで医薬に疎い読者も基礎知識を身に着けることができ、その後のストーリーをより楽しめるようになっています。

    目次を見ればわかるのでネタバレの許容範囲だと思いますが、中盤くらいに「第2章 連続殺虫事件」がおきます。殺されるのは虫。そして現場は厳重に管理された医薬品の生産設備(つまり密室)。章のタイトルを見るとコミカルなのかと思いきや、そうでもありません。

    その後の展開は、ミステリというよりは、株価、競合他社、敵対的買収などビジネス小説のようです。敵の腹心を寝返らせるための調略とかね。トトバイオは大学との共同研究をしているので、企業だけでなくアカデミアも絡んできます。

    そして、この大学の先生がクセモノというか、弩級どきゅうの悪役です。ずるいとか悪いとかだけではなく、人に恐怖を感じさせるキャラクターです。でも、研究遂行能力は高く、成果をあげていて、業界でも力を持っていたりするから性質たちが悪いです。こういう悪役がいると、俄然 話が面白くなります。

    ストーリーを堪能したあとに、気が付けば、医薬品にも詳しく(なったつもりに)なれる、1錠で2度おいしい小説となっております。


    2026-03-02追記
    創薬をテーマにした別の小説を読みました。テイストが全然違って、こちらも興味深かったです。
    『ビギナーズ・ドラッグ』は新人マネージャーの参考になるかも