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勝手に読書感想文。漫画も映画も含みます

投稿者: 管理人

  • 伏線だらけの『つくだ☆マジカル』(小田扉 著)

    好きな漫画家を問われれば、迷わず小田扉と答えます。小田扉先生の代表作は、なんと言っても『団地ともお』でしょう。アニメ化されたものがNHKで放送されていたので、ご存じの方も多いでしょう。私もアニメから入ったくちで、その後、コミック全33巻をそろえました。

    大くくりに言えば、『ともお』はギャグ漫画に分類されるのかもしれませんが、読んでいただければ、それだけではないことに気づくはずです。けっこう波があります。あたりはずれというか、好みににはまるはまらないというか。その時の企画次第のタモリ倶楽部みたいな。

    カラスや犬が主人公の回とか。友情のようなものの回とか。ひたすらくだらない回とか。最後までよくわからない回とか。で、そんな中に、第4巻に収録されている「幼なじみは元気かいともお」のような、とんでもない感動作が混ざっています。

    そして、ちょっと前に読んだ『フランチャイズ! つくだ☆マジカル』(全2巻)も、変な話でしt。そして、壮大なストーリーがありました。

    例によって、基本はギャグ漫画です。コンビニを経営しているおばさんが魔法使い(元魔法少女)であることを目撃した女子高生が、そこでバイトを始める、みたいな導入部です。

    魔法使いと魔物の対立みたいなファンタジーっぽい話もありつつ、戦いにやぶれ人間の世界に取り残された魔物たちの衣食住をささえるためのお弁当工場経営みたいな、変に実務的な視点でのストーリー展開もあります。

    私が好きなのは、モノに魂がやどるというエピソード。何話かにまたがって展開されています。コンビニの備品たちの反乱という伏線(?)があり、倒産した家電メーカーの工場に住み着く電気シェーバーの成仏、そして、あつみ(女子高生)曰く「ヒゲダルマって感じ。」(第1巻)の、ボナンザ(元魔法少女)の旦那さんの出生の秘密につながる流れのところです。くどくどと説明しないのがいいですね。神棚にひっそりと置かれたシェーバーとか、落ちて割れたダルマとか、動かないものに語らせるやりかたが秀逸です。

    ちなみに、この『つくだ☆マジカル』、時間があっちにいったり、こっちにいったりして、けっこう混乱します。冒頭に「〇年前」と書かれているのですが、それが1年刻みでさかのぼったりして、どの話がどこにつながるのか、わけがわからなくなるときがあります。が、それまた大きなドラマをつくる仕掛けになっているので、そこはガマンしてください。クリストファー・ノーランの映画みたいに、2, 3回読めば分かるのではないかと思います。

  • 『アルジャーノンに花束を』はSFだったんですね

    『アルジャーノンに花束を』(ダニエル・キイス著)を読んだのはたぶん二回目です。家の本棚にずいぶん前からありました。かなり古い文庫本です。帯には「待望のテレビドラマ化」と書いてあります。2015年の山下智久主演の方じゃないですよ。2002年のユースケ・サンタマリア主演の方です。遠矢エリナ先生役(原作のアリス・キニアン先生に対応)は菅野美穂です。

    自分は帯はすぐに捨てちゃうのですが、こういうのを懐かしむためにもとっておいてもいいですね。ちなみにこの本は妻が買ったものなので、帯が残っていました。

    読んだのはドラマ化されていた当時(20年以上前)だと思います。なので、正直なところ読んだのかどうかも覚えていません。ただ、覚えているのは、治療によって手に入れた知性を、結局は失ってしまう悲しさ、みたいなイメージでした。でも、違いました。もちろんその要素もあるのですが、むしろ逆に賢くなってしまうことで失ってしまうもの悲しさの方に、より焦点が当てられていたように思います。

    そのことは、冒頭につけられていた「日本語版文庫への序文」という7ページほどの文章にも表現されていました。著者のダニエル・キイス氏が書き留めていたアイデアには、こんなことが書いてありました。

    「ぼくの教養は、ぼくとぼくの愛するひとたち――ぼくの両親――のあいだにくさびをうちこむ」

    主人公のチャーリィ・ゴードンは知能は低いものの穏やかな性格で、自分の周りにはやさしい人達や友達やがいて、自分のことを好きなのだと信じています。それはある部分は正しく、ある部分は正しくなくて、職場のパン屋には意地悪をする人がいたり、チャーリィを酒場に誘うある同僚も、チャーリィと仲良くしたいわけではなく、単に馬鹿なことをさせて笑いものにするのが目的だったりします。ただ、真面目に仕事をするチャーリィを好ましく思う同僚も多く、パン屋での仕事はそれなりに回っている状態でした。

    前述の性質たちの悪い同僚から守ってくれるようなベテランの店員ギンピイというのもいるのですが、知能の高くなったチャーリィはギンピイとの関係もぎくしゃくします。

    ギンピイは得意客へパンを売るときに、料金を安くする代わりにその差額をキックバックさせるという、ちょっとした不正をやっていました。そのことに気づいたチャーリィはやめさせようと忠告するのですが、そのことでギンピイの反感を買います。

    実際のところ、ギンピイだけでなく、ほとんどの従業員が賢くなりすぎたチャーリィを歓迎していなかっただけでなく、店主のドナーも、チャーリィと他の従業員の関係に苦慮しており、結局パン屋を追い出されることになります。守るべき弱い存在であったチャーリィが、そのような存在でなくなったことで、周りの態度が変化してしまいます。

    弱い存在を守るべきだというのは、ほとんどの人が同意できるところだと思います。でも、賢くて強い立場にある人に対してはどうすべきなのか。彼が説く正論が、自分にとって不都合な場合、徒党を組んで排斥するようなことが許されるのか。強いものが相手なら、そういうことをやってしまいがちなのでは、というあたりもちょっと考えさせられます。

    この文庫、SFに強い早川書房から出ているんですよね。1枚目のページの裏の、

    日本語版翻訳権独占
     早 川 書 房

    というのを見ると、おー、SFみたいと思いました。

    そして、読んでみるとSFでした。さっき引用したアイデアメモの続きの部分ですが、

    そしてもう一行。
    「万が一人間の知能を増大させることができたとしたら、いったいどうなるだろう?」

    もし技術的に○○が可能だったら、どうなるだろう?みたいなのはSFチックな発想ですね。

    チャーリィはちょっと賢いというレベルではなく、様々な分野の学問に通じるようになり、言語もすぐに身に着けるので、論文も原著のまま読んだりもできます。専門家と話しても、相手が結局ある一分野のことにしか詳しくない(まあ、普通そうですよね)ということに失望します。話も合わないないし、言い負かされたくない研究者たちはチャーリィのことを腫れものにでも触るように扱いだします。

    チャーリィの体験は極端ですが、ほとんどの人が似たような体験をしているのでは、という気もします。

    子供の頃は賢い子だとちやほやされても、それこそ周りの大人よりも賢くなって、意見でも言い出したら、どういう反応をされるか。

    会社の新人なんかも、何も分からないで謙虚な頃は可愛がってもらえます。でも、実力をつけて、先輩の立場を脅かし始めると、逆に足引っ張られたりとか。見たことはないですけど、なんか漫画とかドラマでありそう。

    物を知るにつれて、すごいと思っていたものが大したものではなかったことに気づいて、自分の有能感を強く感じるようになったり、とか。でも、それもけっこう勘違いだったり、とか。

    自分がチャーリィだったらという読み方もできるし、自分がチャーリィの周りの人間だったらという読み方もできます。それから、後半、チャーリィが知能を失っていく過程は、年を取って認知能力が衰えてきたときの(というかすでに自覚症状がありますが)、予習になると思いました。きっとこういう感じを味わうんだろうな、とか。

    2026年3月26日追記
    なんだか共通するテーマを感じました。
    映画『心の旅』と好かれる親父

  • 『スローターハウス5』が、「この商品はAmazonアソシエイトプログラムから除外されています」???

    「スローターハウス5」の記事を書いたとき、ちょっと腑に落ちなかったこと。

    いつものように、書名からリンクするための、Amazonアソシエイトのリンクを生成しようとすると、

    この商品はAmazonアソシエイトプログラムから除外されています。

    と表示され、リンクが生成できません。

    初めて出会った現象なので調べてみると、一部の商品は除外対象として指定されているとのこと。

    ギフト券、期間限定品、不正利用が多い商品、などが指定されることが多いようです。あと、マーケットプレイスの出品者が対象外に設定している場合もあるようです。

    でも、スローターハウス5は書籍だし、amazonが直接販売している商品だし、上記には該当しそうもありません。

    なぜ、Amazonアソシエイトから「除外される商品」は増えているのか

    上記の記事を見てみると、アダルトとか、医薬品系とかちょっとグレーなものも対象だそうです。でも、ヴォネガットの小説がポルノにあたるとも思えません。ちょっとセクシャルな表現はありましたが、まあ普通の小説の範囲だと思います。

    スローターハウス5 – Wikipedia

    を見てみると、

    『スローターハウス5』は1969年の発売以来、反社会的、わいせつ、不適切な言葉遣いなどの理由によって保守的な価値観を持つ人々から悪書として批判され、全米図書館協会の調査では出版から30年以上経った1990年から2000年の10年のあいだでも、図書館から排除を求められた本の69位と上位に位置している。

    えー、そうなん? 別に、反社会的でも猥褻でもなかったけど・・・。Wikipediaには教材として排除するための訴訟などへの言及がありますが、1970年代ものがメインでかなり昔の話ではあります。

    アマゾンが除外しているという現在の状況と関係があるのでしょうか?

    この小説に関しては、宗教や性的な面より、戦争に対する諦観を強く感じました。子供がちょっと大きくなったくらいの若者や、ど素人まで戦場に送り込んでしまう国家の無様な状況みたいな。

    スローターハウス5の冒頭で、戦争についての小説を書くとヴォネガットが話したときの、戦友の奥さんの言葉ですが、

    「戦争中、あなたたちは赤んぼうだったじゃないの――二階にいるあの子らとおんなじような!」

    (略)

    「でも、そんなふうには書かないんでしょう」

    (略)

    「わたしにはわかるわ。二人が赤んぼうじゃなくて、まるで一人前の男だったみたいに書くのよ。映画化されたとき、あなたたちの役を、フランク・シナトラやジョン・ウェインやそんな男臭い、戦争好きな、海千山千のじいさんにやってもらえるように(略)」

    戦争の、かっこ悪くて、みじめで、無様な一面を広められては、戦争がやりにくくなってしまいそうです。まさかそんな理由ではないとは思いますが。

    ビリー・ピルグリムが戦場において、「赤んぼう」のようにまったくの無力さを晒していたことは、お伝えしておきます。

  • 『スローターハウス5』を再度読む

    私が最初に読んだカート・ヴォネガット・ジュニアの小説は『タイタンの妖女』でした。読んだきっかけは、「助けてくれー!」でおなじみの爆笑問題の太田さんが勧めていたから。

    他に読んだのは『バーンハウス心霊力についてのレポート』という短篇小説で、『20世紀アメリカ短篇選 下』という岩波文庫に収録されていました。この作品は『カート・ヴォネガット全短篇 2』という単行本にも『バーンハウス効果に関する報告書』というタイトルで収録されています。

    『スローターハウス5』については、聞いたことはあるが、読んではいないという状態だったので、私が愛用している稲城市立図書館で借りようと思ったのですが、所蔵がない。仕方がないので買いました。(言い草!)

    パラパラとめくりましたところ、読んだことがあることに気付きました。いやー、忘れるもんですね。手元に所有もしていないし、図書館にもないので、読んでいなものだと思い込んでいたのですが、どうやら川崎市立図書館で借りて読んだことがあったみたいです。

    これは読んだぞ、と確信したのは、

    神よ願わくばわたしに
    変えることのできない物事を
    受けいれる落ち着きと
    変えることのできる物事を
    変える勇気と
    その違いを常に見分ける知恵とを
    さずけたまえ

    この箇所を見つけたとき。

    元ネタは二ーバーの祈りというものらしいのですが、われらがヒッキーこと宇多田ヒカルも、「Wait & See ~リスク~」で本歌取りみたいな歌詞を書いています。

    変えられないものを受け入れる力
    そして受け入れられないものを
    変える力をちょうだいよ

    ・・・というブログ記事を当時(2012年)自分で書いたにも関わらず、読んだことをすっかり忘れていたというていたらく。

    スローターハウス5を読む前の私と、読んだあとの私を、行き来したわけではなさそうです。

    ちなみにこの表紙、イラストレーターの和田誠さんによるものです。そうです、平野レミさんの旦那さんです。

    この小説、冒頭はヴォネガット自身の、戦争の体験をもとにした小説を書こうとしているという語りで始まります。反戦・厭戦的な重たい小説が始まるんだろうなーと思いきや、トーンはコメディです。そしてSFです。でも、戦争というものに対してのメッセージはひしひしと伝わってきます。

    主人公のビリー・ピルグリムは、ろくな訓練もうけず、ちゃんとした装備も与えられず、戦場に放り込まれます。ビリーは、従軍牧師助手という立場なので、

    敵を傷つけることもできなければ、友人を助ける力もない。事実、彼に友人はなかった。説教師の従者というだけであり、昇進やメダルの望みもなく武器も持たされず、あるのはただ慈愛に満ちたイエス様への恭順な信仰ばかり、もちろんたいていの兵士はそんなものをせせら笑った。

    彼が配属された連隊はすでに壊滅していて、上官である従軍牧師にも会えないまま、戦闘に巻き込まれて、でもビリーは戦うこともできない。敗残兵のグループに紛れ込むも、ほどなくドイツ軍に見つかって、捕虜となります。

    自軍にいるときでさえ、ままならなかったくらいですから、捕虜になってからはさらにいっそうひどい扱いを受けることになり、生きる気力を完全になくして、呆けたような状態になります。

    でも、結果的にビリーは生き延びます。生きる気力のある人が必ずしも生き残るわけではなく、偶然や気まぐれで、生き残ったり、死んだり。ちょっとした理不尽とも思える理由で人が死んでいきます。そのたびに、ヴォネガットは「そういうものだ。(So it goes.)」というフレーズを使います。このフレーズは作品中に何度も現れるので、アルバイトを使って数えさせたところ(うそ)、100回以上使われてました(ほんと)。

    『スローターハウス5』はSFでもあります。空間の3次元に加えて、時間の1次元を加えた4次元空間という考え方はよくSFに出てきますよね。4次元空間に住む生物、時間も空間と同じように行き来できる生物みたいな話も聞いたことがあります。

    『スローターハウス5』でもそのアイデアを利用していますが、そこに幸福とか自由意志とかをどう考えるか、あるいは3次元空間になじんだ我々がその4次元空間を体験するとは、どういうことなのか、というところの表現に衝撃を受けました。

    ビリーは、子どもの頃、戦争中、その後の検眼医としての裕福な時期、そして、死の瞬間まで、あらゆる時間を行き来します。ビリーはそれをコントロールすることはできませんが、これを自在にコントロールできるとしたら、トラルファマドール星人と同じ感覚を味わうことになるのかもしれません。

    もしその感覚を味わえば、人間が感じる最期としての死とか、不幸な結末などに対して、どういう思想を持つにいたるのか。SFというスタイルを、戦争とか運命とかに対する考え方を展開するための場として活用した小説だと思いました。

    つらいストーリーをコメディとして語りつつ、SFで扱われてきた概念を哲学レベルの要素として絡め、戦争の現実を伝えつつ、新たな幸福論(不幸論)を展開する、そんな小説でした。

  • 『アメリカ(Amerika)』もやっぱりカフカ的だった

    カフカの『審判』と『城』は読んだことがありました。ただ、かなり昔で、図書館で借りたものをざっと1回読んだだけなので、ちょっと記憶はあやふやです。

    『審判』は、主人公のヨーゼフ・Kが理由も分らぬまま裁判にかけられるという話です。何が法に触れたのかもわからず、逮捕されるわけでもなく、呼び出しに応じて裁判に行っても、それが裁判なのかどうかもよくわからない場で裁かれて、最後はドラマティックな形で刑が執行されてしまうという変な話です。

    『城』もまた変な話で、測量士のKが城に雇われるのですが、仕事を始めるどころか、城にたどりつけもしない。道に迷うとか、そんな単純な話ではなく、関係者らしき人にたらい回しにされるというか、論理が通っているんだかいないんだかみたいな人たちの、のらりくらりとした会話に翻弄されるというか、ずっとじれったい感じが続きます。

    で、ちょっと前に、『審判』と『城』と並んで、『アメリカ』という作品が、カフカの長編の三部作と呼ばれていることを知り、今回この『アメリカ』を読もうと思った次第です。

    ちなみに、最初に『アメリカ (Amerika)』というタイトルで出版されたのですが、Wikipediaによると、

    カフカの草稿自体には作品タイトルはなく、ブロートは生前のカフカが「アメリカ小説」と表現していたことに基いてこのタイトルをつけ、これが長い間これが作品名として流通していた。しかしその後、カフカが『失踪者』のタイトルを予定していたことが日記から判明し、1983年の批判版全集以降は主に『失踪者』のタイトルが用いられるようになった。

    とのこと。でも、私が購入した角川文庫版は「アメリカ」のままとなっております。

    どんな話だろうと、裏表紙を見ると、こんな感じで紹介されています。

    年上の女に誘惑され愛されたばかりに、両親にやっかいばらいにされたカール少年は故国ドイツを追われアメリカに渡った。やっとのことでニューヨークの伯父にめぐりあい、面倒をみてもらえるようになったのもつかの間、何とも不可解な理由で伯父の家からも追い出される。追放されつづけるカール少年は放浪の旅に出るが・・・。
    軽妙に描かれるカフカ的冒険小説。

    たぶんですが、ほとんど人、特にカフカを読んだことない人が、この文章から想像するものとは、全然違うのではないかと思います。

    「何とも不可解な理由で伯父の家からも追い出される」というのはその通りなのですが、伯父とのめぐりあいのくだりも不可解です。「冒険小説」というイメージともだいぶ違うような・・・。でも、「カフカ的」と付いているから、これがカフカ的な冒険小説なのかも。

    世の中の多くの小説の「不可解」は、理解して楽しむための「不可解」だと思うんですよね。伏線があったり、種明かしがあったり、あるいは不可解が壮大すぎてそれ自体が楽しめるような。

    そうしてやらないと、不可解なものは、違和感を与えるだけですから、そんな小説は一般受けしないでしょう。新人の作家だったら、きっと編集者に直されちゃいます。だから、あまり存在しないんじゃないかと思います。

    カフカの不可解は、そんな大げさなものではなく、普通の人間との普通のやりとりの中で生まれてきます。出てくる登場人物かどこか変で、ロジックが少し変だったり、職務が少し変だったりします。でもオカルトやSFみたいな大げさな話ではなく、ただ単に登場人物のモノの感じ方や論理や表現の仕方が、ちょっとずれている(ような気がする)。でも、決して狂人ではない。そんな人たちと交渉しなきゃいけない立場の主人公はすっかり疲弊してしまう。でも、主人公さえも、そのちょっと変な登場人物の一人であったりして、読んでいるほうは、「いったい私は何を読まされているんだ?」みたいな気分になります。

    第八章の「オクラホマの野外劇場」なんか最たるものでした。職を探しているカールは、オクラホマの劇場の座員募集のポスターを見かけて、志願すべく会場に向かいます。

    会場についても、誰が採用の係員なのかよくわからなかったり、それらしい人にあたっても誰が意思決定者なのか判然としなかったり、どういう基準で選考しているかもふわふわしていたり、そもそもカールはどういう職種で雇われるのかも二転三転します。そもそも、オクラホマの劇場がどういう組織で、どういうビジネスをやっているのかも、もやもやしたままです。もやもやしたまま、どうやら採用されたらしいカールは列車に乗せられて・・・

    はっきりとオチのついた小説が好きで、もやもやとした気分にさせられるのが嫌いな方には、カフカはお勧めしません。でも、あなたがそのような種類の人間かどうかについては、私の関与するところではなく、私の権限が及ばない類のものであることを、まずはあなたに伝えておかねばなりますまい。

  • 映画『うぬぼれ』(2013英)と『悪魔』(2021英)

    BS12(トウェルビ)の「土曜しょ~と劇場」という番組があって、短篇映画を放送しています。たまっていた録画の中から『うぬぼれ』(Oliver Goodrum監督)という短篇映画を見ました。

    タイトルだけ見ると、美少年が出てくるフランスあたりの映画かと思ったのですが、全然違う重たいテーマの映画でした。

    知的障碍をもつ娘 タイラー(高校生くらい?)と、母親 アンジェラは二人で暮らしています。マイケルという少年が率いる地元のグループが、なぜかこの母娘に執拗に嫌がらせをしてくる。警察に相談しても動いてくれず、教会の神父に相談するも何の助けにもならず、追い詰められていくという話です。

    不良少年にちょっかい出されたくらいで警察が動いてくれないというのは、まだ分かりますが、そんなレベルではないんですよね。最初は、道ですれ違うときに、絡んでくるくらいだったのですが、その後、車に卵をぶつけてきたり、家や車に落書きしたり、アンジェラに向かって真っ赤な塗料を投げつけたり、タイラーが一人のときに林に連れ込んでナイフで髪を切ったり、しかもその時に故意ではなかったのだが、タイラーの頭に怪我までさせたりしてます。

    アンジェラから事情を聴いているピーター巡査は、母娘の力になりたいと思っているものの、上司にほっておくように命令され、動けないという状況。上司は「証拠無しに子供を犯罪者にするのか?」というスタンス。

    最後は自宅ドアに火炎瓶をぶつけられ、警察に電話をかけるのですが、「対応しかねます」との返答。

    いやいやいやいや、落書きやら怪我やら明らかな被害が残っているんだから、ちょっと調べれば証拠だって目撃者だって出てくるでしょう。さすがに、こんな脚本じゃ、リアリティがないよ。不良少年の動機も弱いし、なかなか動かない警察っていっても、動かな過ぎて、いかにも無理やり極端な悪役を作ろうとしているんじゃないの?

    ・・・なんて思っていたら、映画の終盤で、

    まじですか。

    外国の話とはいえ、警察がそこまで当てにならないなんてことがあるのだろうか。どこの国の映画だったっけ?と思って、巻き戻して(「早戻し」なんて言葉はしっくりこない)見てみると、2013年のイギリス映画。これが「小さな政府」ってことなのだろうか。(参考:過去記事 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』

    ちなみに、『うぬぼれ』というタイトルは、先述の神父が教会で説教を行っているときに(その場には、タイラーとアンジェラ、マイケル、ピーター巡査もいる)、神父が使った「This is vanity.」というフレーズからとったもの。「うぬぼれ」とか、「虚栄心」とか、「虚飾」とかそんな意味らしいです。旧約聖書の言葉を引用したらしい。(虚飾 – Wikipedia

    神父はマイケルに向けて、メッセージを届けようとしているようにも見えるのですが、届くわけもなく。

    そして、むしろアンジェラの頭の中で、以下のフレーズがぐるぐる回り始めます。

    「そして神のそばで、本当の平穏を手に入れることができるのです。自惚れを犠牲に」

    「・・・痛みはなく、真の平穏が待っている・・・」

    この「うぬぼれ」ではマイケルは、単なる悪役という位置づけに思えますが、2021年にその後の彼を主役にした『悪魔』という映画が作られます。どんな話なのかは、また別の機会に。

    ちなみに、BS12の土曜しょ~と劇場は、たまに再放送もやっているので、録画予約しておけば、この2作、また放送されるかもしれません。いえいえ、中の人ではございません。

  • 11回の改版を生き延びた『いかにして問題をとくか』の誤植

    本に誤植があったなんて話は、別に珍しくもないでしょうが、でも、私が今、手にしている『いかにして問題をとくか』(ジョージ・ポリア著)は、平成23年9月25日に発行された第11版 第46刷なんですよね。平成23年といえば、2011年ですからそんなに新しい感じはしないかもしれませんが、この本の初版は昭和29年(1954年)6月25日の発行です。初版から57年も経って、11回も版を重ねて、まだ残っとるかね、誤植が、と思ったわけです。

    なんで、誤植が残り続けたのかというと、演習問題のところだからなのではないかと思っています。この手の本の演習問題を解くのはそれなりに時間がかかります。私の場合、巻末の20題の演習問題部分を解く(といっても、分からないときはヒントや解答を読んで理解しようとする)のに、前半の他の部分を読むのと同じくらいの時間がかかりました。本は読んでも、演習問題まで目を通す人は少数派だったのかもしれません。

    第IV部 問題・ヒント・回答の問題12

    12. ボッブとピーターとポールとがいっしょに旅行にでかけた.ピーターとポールは健脚で,どちらも1時間にbマイル pマイルあるく.ボッブは足がわるいので,2人のりの小型車を運転して1時間にcマイルすゝむ.そこで3人は同時に出発して,まずポールはボッブの車にのせてもらい,ピーターが歩くことにした。しばらくしてボッブはポールをおろしポールはさき歩かせ,ボッブはもどってピーターをひろってポールを追いかける.ここでピーターはポールとかわって,最初のときとおなじようにスタートする.このような手つづきを必要なかぎりくりかえす.
    (a)この一行は1時間あたり,どれだけすゝんだか.
    (b)全程の工程のどれだけの部分を車は2人をのせて 2人をのせないで走ったか.
    (c)とくにp=0の場合と,c=0 p=cの場合について結果をためしてみよ.

    修正箇所は上記の打ち消し線の箇所です。

    もう、なんていうか、3人乗れる車を借りてこい!

    運転手以外には1人しか乗れないから、1人運んで、戻って、もう1人を運んで追いつく、を繰り返すというだけなんですけどね。ただ、先に行って降ろした人は乗っていない間もトボトボ(かどうかは知りませんが)歩いて進んでいくわけです。そんなに複雑ではない題意なのですが、歳のせいでしょうか、問題文を読んでいて、混乱してきます。

    外国人の名前というのも分かりにくい。ボとポの類似が微妙に邪魔をする。ボールがポップしたりとかね。

    英語だったら分かりやすいのだろうか。Bob, Peter, Paul。う~ん。運転しない二人がPで始まる名前で、歩く速さがpという風に合わせてあるのかもしれない。

    「2人をのせて」→「2人をのせないで」のところは、回答との齟齬です。どちらを問題にしてもいいんですけど、回答を見ると、のせていない時間が計算されていました。

    (c)のためしてみよ、のところは特殊ケースでも成り立つことを確認するというものです。p=0というのはPeterもPaulも降ろしたらその場から動かない怠け者だと思えばいい。どうせ車で送ってくれるんだから、ちょっとくらい歩いたって、ねえ?というシニカルな態度の2人。っていうか、1つしか載せられない、2つの荷物を運ぶと思えば、イメージが湧きますね。

    で、誤植の「c=0」だとすると、車が動かないってことだから、答えは「一生着けない」ということになってしまいます。PeterとPaulは歩いて行けるかもしれませんが、Bobはずっとその場から動けません。ガス欠ですかね。

    これじゃ問題にならないので、意図されていたのは、「p=c」つまり、PeterとPaulは車と同じスピードで歩ける。Peter&Paul(お、なんかブランド名みたい)が速いのか、車が遅いのか。

    Paulを降ろして、さてPeterを拾いに引き返そうとしたら、Peterがもうそこにいる、という。ちょっとした怪談ですね。夜のトンネルとかで、おばあちゃんが車についてくるやつ。

    他にも見つけたんでついでに書いておきます。

    13問目のヒントのところ、

    13. 条件をいくつかの部分にわけてみよ.それらを書き表すことができるか.

    算術級数を a-b a-d, a, a+b a+d

    (略)

    とかきあらわしてみよ.

    dをbと間違うというベタなやつでした。

    もはや古典となっている名著に11版も残り続けた誤植ですから、ある意味 貴重ですかね。ぜひとも修正して、さらに版を重ねてほしいところです。

    (関連過去記事:『いかにして問題をとくか』と『エレガントな問題解決』

  • 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』

    以前、『私労働小説』を読んだのですが、その著者のブレイディみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を読みました。

    帯に「一生モノの課題図書」と書かれていて、たしかに課題図書にしたほうがいいと思うくらい勉強になりました。サッチャーが押し進めた、小さな政府や緊縮財政の政策がどういう結果をもたらすのか。結果的に良かったとか悪かったとか、そんな話ではなく、予算を削ったことでこういうことも起きていたという話が出てきます。著者の個人的な体験、目にしたものだから、内容がすっと入ってくるし、記憶にも残ります。

    著者は日本人、著者の「配偶者」(本の中で使われている言葉)がアイルランド人、その間の息子さんが書き留めていた言葉が本のタイトルになっている「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」というわけです。

    この息子さんは裕福な家庭の子が多いカトリック系の小学校に通っていたのですが、その後、かなり多様性に富んだ中学校に通うことになります。カトリック系の中学校も選択肢にあるのに、なぜそっちを選ぶ!とちょっとモヤモヤしました。そのせいで、なんかひどい目にあったりする、いやーな後味の話だったらイヤだなあとか思ったんですが、読後感は明るいです。いや、いろいろ大変な目には会うのですが、この息子さんのポジティブな考え方で、むしろこんな状況にも希望があるという気持ちにもなってきます。

    友達にリサイクルの制服をあげるエピソードがあって、その子は制服なんか擦り切れているし、替えの制服を買うお金ももちろんないという家庭環境。著者がボランティアで修繕した服をその子に渡したい。貧乏だからあげるというのは本当なんだけど、いかにもそんな感じで渡すのは気が引ける。向こうだってプライドがあるだろうし。

    で、なんとか渡したあとに

    「でも、どうして僕にくれるの?」

    ティムは大きな緑色の瞳で息子を見ながら言った。

    質問されているのは息子なのに、わたしのほうが彼の目に胸を射抜かれたような気分になって所在なく立っていると、息子が言った。

    「友だちだから。君は僕の友だちだからだよ」

    そう、それでいいじゃないか。他にどんな理由がいるというのか。

    イギリスの階級社会がどういうものなのか。移民が増え人種や文化背景が多様になったり、貧富の差が広がったりすると、どんな感じになるのか。

    いや、ほんとにひどい状況なんです。日本では考えられない(知らないだけかも?)。でも、なんというか、絶望とか悲劇とかそういう感じの本になっていないのが、この本のすごいところなんじゃないかと思います。

  • あるイタリア系アメリカ人の更生

    彼はベトナム戦争から帰還し、タクシーの運転手をやっていました。そのときに、売春宿を襲撃するという事件を起こしますが、社会から爪はじきになることもなく、逆にちょっとした英雄扱いを受けるようなこともありました。

    しかし、その後、彼はすっかり裏社会に入り込み、マフィアのボスになりました。野球が好きだった彼はチームプレイを愛する一方、へまをしたやつは許さないという冷酷な人間になりました。彼のバットが打つのはボールではなく、ミスを犯した部下の頭でした。

    晩年、妻に先立たれた彼は、あるベンチャー企業でベテランのインターン生として働くようになりました。今までの経験を活かし、若き女性経営者の心の支えになるような立派な人になりました。

    一時期は踏み外しかけたこともありましたが、すっかり更生し、平穏な人生を送ることができるようになったので、よかったなあと思いました。(おわり)

    何の話だって? ロバート・デ・ニーロの半生ですよ。

    『タクシードライバー』(1976年)からの、『アンタッチャブル』(1987年)を経ての、『マイ・インターン』(2015年)です。マイ・インターンを見ていて、ベンがニコッとしたとき表情が、カポネがニヤッとしたときのことを彷彿とさせ、バットで殴られるんじゃないか、とドキドキするようなことはないと思いますので、ご安心を。

    これらの作品で、私が覚えた英語フレーズは

    You talkin’ to me?

    です。さて、どの作品でしょう?

    ちゃんと書くと “Are you talking to me?” でしょうか。「あなたは私に向かって話しているのですか?」という意味です。

    街で絡まれたときなどに使ってみてください。「え、俺か? 俺に言っているのか? 他には誰もいないようだが・・・ 本当に俺に向かって言っているのか?」などと、ちょっとくどめに確認をしたあとに、袖口に忍ばせたピストルをさっと出し、相手をバンッ・・・

    みたいな冗談は最近受け入れらないので、なんだか窮屈です。

  • 『シーモア-序章-』はサリンジャーではなく、バディ・グラースの作品?

    いやー、つらい読書体験でした。サリンジャーの中編が2つ入っている文庫本で、前半の『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』を読んだときもなかなか厳しいものがありましたが、後半の『シーモア-序章』はそれ以上でした。

    『大工~』のほうはまだストーリーがあったのですが、『シーモア-序章-』のほうは、バディ(次男。シーモアのすぐ下の弟)の独白みたいな感じ。独白、じゃないな。えーと、バディは作家で、シーモアについての『シーモア-序章-』という作品を書いた。それが、この本に載っているわけです。つまり、『シーモア-序章-』はサリンジャーの作品ではなく、バディの作品という形になっています。メタフィクションってやつでしょうか。

    その作品は小説ではなくて、ノンフィクションというか、エッセイというか、途中まで書いて、しばらくして続きを書いて、というのをそのまま載せてある感じ。

    かなり後半ですが、こう表現されていました。

    わたしと同じ年齢で同程度の収入があり、自分の死んだ兄弟のことを魅力的な半ば日記形式で書く非常に多くの人間は、わざわざ読者に日付を知らせたり現在自分のいる、、場所を教えるようなことはしない。

    作者(バディ? サリンジャー?)が書いているんだから「日記形式」ということでよさそうです。

    この作品の中では、他のサリンジャーの短編もバディが書いたという設定になっています。

    しかし、これまでにわたしは直接シーモアについて語っていると考えられた二つの短編小説を書き、出版したと言ってもいいし、また言っておかねばなるまい。この二つの作品のうち、新しいほうは1955年に出版されたが、1942年の兄の結婚式をきわめて総括的に物語ったものである。

    出版年は実際とは違うみたいですが、「この二つの作品のうち、新しいほう」というのは『大工よ~』のことでしょう。そして、「他方、それ以前の、1940年代の末に書いたもっと短い小説」として言及しているのが、『ナイン・ストーリーズ』に入っている『バナナフィッシュにうってつけの日』です。

    (略)彼自身が直接姿を現すばかりでなく、歩いたり、話したり、海にもぐったり、最後の一節では頭にピストルを打ちこんでいる。

    とあるので、読んだ人には明らかですよね。

    設定は大体わかっていただけたと思います。冒頭、いきなりカフカとキェルケゴールの引用から入り(数ページ後に説明がある)、シーモアの話をしそうでなかなかしない。何を言いたいのかがわからない、非常に長いセンテンスが続きます。係り受けの関係を読み解くだけでしんどいです。

    後半になると、具体的にシーモアの話が出てくるので、なんとか興味が持続するようになりますが、全般的にほとんどの人には楽しめない作品になっています、たぶん。私もそちら側でした。

    でも、アマゾンのレビューの点数だと、現時点で平均で4.4点です。高いほうですよね。楽しめる人もそれなりに多いようで。

    あなたはどちら派なのか、確かめてみたらいいかも。サリンジャーの全作品を読むのはけっこう簡単です。作品数が少ないので。でも、理解するとなると・・・、ねえ?